13.その者、到来です
翌日、セーヴはいつもより早く起きた。まだ太陽も登りきっていないが、セーヴの頭は澄んでいる。起きたいときに起きられる自分の頭には感謝せねば、とセーヴは思った。
司令塔テントの中に入ると――インステードが既にそこに居た。
越されたのはこれが初めてだ。いつもはセーヴと鉢合わせるか先についていたから。
「……君、ほんとに睡眠とってる?」
「あんたに言われたくないの。一時間は睡眠時間があればわたしは大丈夫なの」
「そ、そっか」
セーヴは余計な事を聞きはしなかった。一時間で本当に大丈夫なのか、という質問は愚問でしかない。
彼女は元勇者。それも、あらゆる過酷な環境に耐えてきた偉人。
魔王を倒す旅の中、三十分も睡眠がとれないことだって多かっただろう。それが続けば、むしろ長く眠ることが苦痛になるはずだ。
「それで……あんた、昨日一日休んでいたでしょう?」
「うん」
「その一日の間で、街は随分完成したの。見に行くの?」
「ほんと? じゃあ見に行くよ! 一日休んで凄く回復したし、むしろ何かしてないと落ち着かないくらいだし」
目を輝かせながらそう言ったセーヴに、インステードはあきれ顔を見せた。
それからセーヴはインステードの車いすを押しながら、辺境中心街グレシアに向かった。勿論足や車いすに強化をかけて、たった五分程度で辿り着いたのだが。
そこは、火で燃やし尽くされ原形の殆どを取り留めていなかった少し前までのグレシアとは違って、セーヴのまとめた資料の通りに改善されていた。
「うわあ、凄い! って、こんな高級なレンガの地面なんてよく再現できたね?」
「何度か皇城近くで見たことあったの。地面は全部わたしが作ったの」
「これなら……もう今日中にテントからこっちに移っても問題ないね」
「そうかもなの」
「――あっ、セーヴさん、インステードさん!」
「あ、おはよう、早いね」
セーヴが最も感心していたのは、赤レンガで埋め尽くされた地面だった。帝国首都、王都以外の地面はほとんどが石畳で、非常に歩きづらくなっている。
レンガで敷き詰めれば歩きやすいだろうと思ったのだが、インステードは普通のレンガよりも高級とされる赤レンガを使用してくれた。
これで高級感も出て、民などいないはずなのに街が活気に溢れたような気がする。
その他にもしっかりしていてピカピカな建物達に感嘆ばかりを漏らしていると、背後からレイナの声がかかった。
レンの妻。彼女が出てきたのは『dystopia』と書かれた看板が掲げられている宿屋で、中心街グレシアの『宿』の中で最もつくりが良いであろう建物だ。
「って、ディストピアて、君ね……余計な単語ばかり覚える」
「あんたがぺちゃくちゃ喋るから悪いの。わたしは記憶だって強化されてるの」
「うっ……。あ、レイナさん。もしかしてもうこの宿の経営をしているの?」
「経営というか……皆さんがここに移れるよう準備をしております」
「へえ、凄い。中に入ってみてもいい?」
「もちろんです!」
呆れたようなセーヴの問いに口角を上げて対抗したインステード。
勝てないと悟ったセーヴは話を早々に切り上げ、レイナに対応。普通に宿の内装が気になったので、中に入れてもらう事にした。
実は建物の設計だけは手掛けているものの、内装まで細かく指示しているわけではない。
中は赤の混じる茶色の木にニスが塗られた壁と地面に覆われており、灯りが淡く受付を照らしている。
また、受付以外のスペースは食堂になっており、受付カウンターの中はキッチンだ。
ちなみにレイナによると二階も同じく食堂なので、気分次第で食べる場所を選べるとの事。
「へえ~、凄い計算されてるつくりだ」
「受付近くの食堂は賑やかに食事をされる方のために設計しています。二階の食堂に使用されている木はもう少し落ち着いた色を使っており、お部屋に使用する木は完全に茶色塗りにしてあります。このような感じで他の宿も開通していきますので、どこに住んでも良い……ってなると、良いですよね!」
「うわ~、それ、最高だね! もう今日中にでもこっちに移ろっかな」
「いいんじゃないでしょうか。あっ、それと、この宿の最上階部屋だけにお風呂を設置してあります。さすがに全てに風呂を設置する時間はありませんでしたが……。でも、この調子で温泉の開拓も夢じゃないかもしれません!」
温泉の話と風呂の話になると、レイナも女性だ。興奮した様子で話している。
彼女もまた戦いに身を置いているので風呂がなくとも問題ではないが、入れる環境があれば入りたいに決まっている。
一応は元貴族で温室育ちであったセーヴも、自分の水魔術による水浴びだけで満足したかと問われればそうではなかった。
なので、レイナの温泉開拓や風呂設置には全面賛成である。
インステードも表情は変えていないが、明らかに雰囲気が喜んでいる。
「上の階も見ていきますか?」
「……うーん、ちょっと待って。今、大体六時くらいだよね?」
「はい、そのくらいかと思います」
「それじゃあ、続きはまた機会のある時に。――そろそろ、お客が来る頃だろうしね」
「あぁ……昨日の」
「えっ? お客さんですか?」
「うん。まあ多分警戒しなくてもいいと思うけど……一応テントに戻っておこう」
「分かりました。同行してもよろしいでしょうか?」
ニヤリと口角を上げたセーヴに、インステードは昨日のことを思い出して頷いた。だがレイナだけは頭にハテナを浮かべて疑問を示す。
しかしセーヴもインステードも『アレ』が何者かは分かっていないので、明確な答えを返すことはできない。
彼らはひとまず、三人で司令塔テントへ戻ることにした。
〇
司令塔テントに戻ったセーヴとインステードは、昨日見た馬車の方向を観察した。レイナには何も見えないようだが、人外レベルの視力を持つ上に視力強化を施した今の二人には半径五キロメートル先が鮮明に見える。
二人は見た。
一人の少女が、こちらに向かって駆けてくるのを。服はあちこち汚れているものの、その材質が良いのは一目瞭然。
どこかの貴族の差し金かと思うが、もしそうならバレバレにも程がある。
この距離ならば顔は見えるのだが、肝心のソレが少女の被っている布のようなものでよく見えない。
見えるのは、ボサボサながらも艶と美しさが依然残り続ける銀の混じる金髪のみ。
けれど、セーヴはその髪に見覚えがあった。
「まさか……でも……あり得ない、はず、なんだけど……」
「何? 見覚えでもあるの?」
「うん……でもあり得ないよ……公爵令嬢が身分的にこっちに下るなんて……」
セーヴは困惑を隠しきれていないが、インステードはその髪に見覚えがあるわけではないので、何か見解を出すこともできない。
そんな二人の後ろで、何も見えないフィオナのメンバーが立ち尽くしている。
ざわざわするメンバーをまとめるのはグレイズとエリーヴァス。セーヴ達がここまで真剣になっているのだから何か理由があるのだろう、と言ってざわめきを出来るだけ小さくしている。
やがてその金銀髪少女が走りを止めずこちらに近づいてくると、フィオナのメンバーも彼女を視界に入れることに成功。
セーヴ達が人外なだけで、メンバー達だって皆視力の良い者ばかりだ。
やれ金髪が美しいだの、身なりがいいだの、スタイルがいいだの、メンバーたちは先程とはまた別の意味で騒ぎ出す。
ただ、セーヴは困惑を通り越して驚愕し呆然と立ち尽くしていた。
「そっか……彼女までもが……」
「ちょちょちょ、ちょっと、何ちょっと涙ぐんでるの……!?」
立ち尽くした彼の瞳に涙が溜まっていくのを見て、インステードがなぜか慌ててしまう。慌ててから、彼女ははた、と気づく。
なぜ自分は慌てたのだろう。
しかし、その謎を解明するよりも先に、銀髪混じりの金髪少女は本拠地テントに辿り着いた。
「はあ、はあっ……! ここ、だわ。間違いない……!」
そしてそのまま少女はセーヴに駆け寄った。
「せっ、セーヴさんっ……! 私の事を、覚えていらっしゃいます……? っはあ……はあ……」
「落ち着いてください! 覚えてますから! インステードちゃん、水袋持ってる?」
「え、えぇ。どうぞなの、誰も口付けてないから」
疲労だろうか、くらりと倒れた少女をセーヴは焦りながらも支え、インステードから貰った水袋を少女に差し出す。
少女は片手で器用に水袋を開けて、上品な動作で何口か水を流し込んだ。
細くて白い喉が、こくり、こくりと何度か動く。やがて落ち着いた彼女は礼を言って水袋を返し、息を整えて自分の被っていた皮のようなものを脱いだ。
銀の混じる金髪。水色の目。可憐で計算されたかのように整った顔立ち。すらりとしたスタイル。思わず誰もが息を呑んだほどの美しさ。
そして、服装と髪が乱れていても決して衰えはしない凛とした雰囲気と強さ。
――間違いない。
「システィナさん、ですよね……!?」
「はい。良かった……私の事を、覚えていてくださったのね」
「やっぱり! システィナさん、一人で来ましたよね? 公爵家の方々にもきっと何もおっしゃっていませんよね?」
「そうよ……。私は、勝手に家を飛び出したのですわ」
ふふ、と彼女――システィナは微笑んだ。公爵家の次女にしてティアーナの姉であり、公爵家の中で唯一ティアーナの味方になってくれた人物。
セーヴも何度か会ったことがあるし、ティアーナの話から優しい姉の事をたくさん聞いた。
「……ふぅ。僕もまず落ち着かなければなりませんね。あちらの椅子に座りましょう。ずっと立ち話をしていると疲れますから」
「お気遣いありがとう。それでは、遠慮なく座らせていただきますわ」
セーヴが手のひらで指したのは、外にインステードが設置して大量に並べた椅子。全員座れる数がある上に、まだまだ空きもあったのでセーヴはシスティナをそこへ案内した。
それに付き添うように、メンバー達もそれぞれ自分の椅子に座る。皆が落ち着いたのを確認したセーヴは、再度システィナに視線を向けた。
「えっとその、恥ずかしながら僕もまだ状況を正確に読み取れていませんので、まずはどうやってここまで来られたか、教えてくださいますか?」
「もちろんよ」
戸惑いながらそう問うたセーヴに、システィナは優雅に微笑んで応えた。
「実は――」
ちょっと登場人物が増えてきましたが、システィナさんは後々のストーリーの超重要キャラなんです^^;
これから出番がどんどん増えていくかと思います
何せこの作品のきっかけとなった人物の姉ですしね……。