呪術伯爵の記憶―④
皇帝陛下の口から出てきた者の名前は、とある公爵令嬢だった。他国の王や皇太子の名が出る事だって覚悟していたので、一瞬呆けてしまう。
「公爵令嬢程度で私が悩むとは思わんか?」
「……恐れ入りますが、そう、ですね。偉大なる皇帝陛下ですから」
「嬉しい事を言ってくれる」
ふ、と陛下が微笑んだ。私はまた涙ぐんでしまう。
今度は、陛下から何かを受け取るだけではなく、私も陛下を嬉しくさせることができたのだ。これ以上に嬉しいことはなかった。
でも、そんな皇帝陛下を悩ませる公爵令嬢は同時に許せなかった。
「彼女が私の息子――皇太子と婚約していることは知っているな?」
「はい」
「しかし、皇太子は新たなる好きな人ができたのだ。しかし彼女はそれを良く思わず、しきりに我が息子に注意をする。『私と婚約した身でありながら、公共の場で他の女と共にいるなど外聞が悪いにもほどがある』と」
「なるほど……」
客観的に見れば単なる不倫。公爵令嬢の注意は正しいと言っても過言ではなかった。
「私も一人の父だ。自身の息子は望んだ相手と結ばれて欲しい。だが確かに客観的に見るとこれは不貞だ」
「っそ、うですね……」
「ならば、そうでなくすればいい。……のう、ルザルよ。悪いと思うか? 」
「っ!」
皇帝陛下の目は、冷たかった。私に『悪いとは思わない』以外の回答権はない。
これは理不尽でしかない。客観的に見ればただの不倫を国の頂点、皇帝陛下が認めた、本当は大きな不祥事。
だけれど、皇帝陛下の威圧が私を押しつぶした。
もしここで悪いと言ったら、この人は私の事をどうするのだろう。
元の家族のところへ送り返すのかもしれない。私の事を――見捨てるのかもしれない。
(嫌だ……! 見捨てられるのだけは……!)
「っお、思いません!! だって、皇帝陛下の思うまま、それが最も正しい!! 陛下がそうとおっしゃれば、全てがそうなるのですから!!」
嫌われるのが怖くて、口を突いて出た言葉だけれど。なぜか、すんなりと納得することができた。
ああ、皇帝陛下が最も上の存在で、最も正しい存在ではないか。
ならば、皇帝陛下こそが正義で、皇帝陛下の思うままにこの国は動く義務があるのだ。
私の言葉に、陛下は満足そうに微笑んだ。
「ならば、どうするべきか分かっておるな?」
「はい。ですが……洗脳系統の術は使用に時間がかかります。私一人だけで準備するならば、少なくとも一か月はかかるでしょう」
「問題はない。それは知っておる。むしろ普通の呪術師ならば三か月はかかる術を一ヶ月で準備できるルザル、そなたは本当に素晴らしい天才だ」
「あっ、有難きお言葉……!」
私は慌てて頭を下げた。一体この方は、私をどれだけ泣かせに来るのだろう。元の家族とはまるで違う憧れさえ持てる優しさがそこにはあった。
少なくとも私には、それは優しさにしか見えなかった。
話が終わると私は辺境地マグンナに戻り、急いで術の準備を始めた。
〇
伯爵邸の地下室にて、私は大きな魔術陣を地面に描いた。奇想天外で複雑な陣形。ほんの少しでも間違えてしまえば術の失敗は免れない精密性。一部の呪術師しか使えぬ術なだけあって、見ていると頭が痛くなるほど大量の文字列が魔術陣に刻まれていた。
魔術陣完成までに一週間かかった。そして三週間私の力全てを出し切る勢いで呪術を込めた祈りを捧げ続ければ、この魔術陣は完成する。
三週間後。ついに魔術陣は完成した。キラキラと輝く魔術陣を見ていると、達成感がどっ、と押し寄せてくる。
準備が出来次第術の発動を皇帝陛下に許可されているので、早速詠唱の準備をする。
陣が複雑なだけではなく、詠唱もとんでもなく長い。
「――――」
恐るべし速度で詠唱の言葉を口にする。そのたびに魔術陣がより一層強く煌めいた。
「――――」
やがて詠唱が終わると、魔術陣は一瞬だけ目を刺すほど輝いて――すぅ、とその光を徐々に消していった。
完全に光が消えたかと思うと、魔術陣はパキンと音を立てて崩れながら、その筆跡を消していく。
やがて地下室の地面は元に戻り、しぃんと空気が静まった。
「成功したか……良かった」
私は思わず地面にへたり込んだ。皇帝陛下の期待に応えられたという嬉しさと――この術がいずれ何をもたらすのか分からない恐怖だった。
ああ、私の中にはまだこんな感情があったのか、と思った。
もしかして私は道を踏み外してしまったのか? と奥底で私に問う自分がいた。
でも、大丈夫だ。私なら、大丈夫だ。
皇帝陛下は私を守ってくれる。
私には、皇帝陛下の下でのみ選ぶ権利がある。
私は、好きに叫んでも構わない。
皇帝陛下が、私を苦しめる呪縛から救ってくれる。
そうである限り、私は私でいられるのだ。
〇
私がその術を仕掛けた後、何があったのか私は知らない。私はただ皇帝陛下の命じるがまま、私の両親であった者に復讐をしたり、領民に厳罰を下したりしていたからだ。
でも、誰もが知ることとなる。私も、知ることとなった。
私が洗脳術を仕掛けた対象――ティアーナ公爵令嬢が。
――戦争を引き起こし、たった一人の令嬢を苛め抜き、ただ一人の男を手に入れるため帝国中を混乱に陥らせた主犯になったことを。
そして、それを祝福されながら公開処刑され死を迎えたことを。
皇帝陛下は私に問う。
「そなたも嬉しいだろう?」と。
ああ、そうだ。私も嬉しい。皇帝陛下が嬉しいならば、私も嬉しい。
だから私は悪くない。公爵令嬢は大悪女なのだ。そして皇帝陛下は、それを断罪する英雄だ。
私は、悪くない。私は、悪くない――
これで呪術伯爵の回想は終了です。
読み終わった後にどういう気持ちになるかは、読者様次第です^^
多分色んな気持ちになる方がいらっしゃるんじゃないかと思います。
皆様にお読みいただきありがとうございます!本当に感謝しています!
皆さまのおかげでジャンル別恋愛日間8位、総合36位を記録しました!
本当にありがとうございます!