呪術伯爵の記憶―②
皇帝陛下はガサガサと紙の束を懐から出して、その内の一枚を私の前に置いた。私はその者を知っている。勇者となって魔王を倒しに行った少女、インステード・バリリウム。
国民の誰もがその名を知り、ほとんどの人間がその顔をも見たことがあるはずだ。
皇帝陛下が重い唇を開いた。
「実はな、彼女は魔王を自身の左足に封じたのだ。そしてその魔術も同時に封じられてしまった。体のあちこちに包帯を巻く怪我も負っているし、それは生涯治らんものだ。おまけにその姿は幼児に逆戻り。国としてはそれをひけらかす訳にはいかん。無傷で帰って来なければ意味がないのだ」
「えっと……その人は無傷だと、噂を流せば宜しいのでは?」
「実は、祝杯式があっての。そこに勇者は必ず顔を出さねばならんのだ。他国の人間も来る。そんな場で満身創痍に加えての幼児の姿は恥ずかしいにもほどがあるだろう」
正直、傷だらけの方が戦った意味があって格好いいのでは、と思う自分がいた。
けれど、目の前に居る人は皇帝陛下。きっと言葉の重みが違うし、私では理解できないほど凄いものをきっと持っているのだから、と。
まだ純粋無垢であった私は、それで納得してしまった。
「……聡明なるルザルよ、そなたなら分かるであろう。私は、インステード・バリリウムという存在を消さねばならんのだ」
私は思わず顔を上げてしまった。皇帝陛下は私に意見を求めている。どうやったらインステード・バリリウムという存在を消せるのか。
けれど、ずっと人の幸せのために呪術を使おうと思っていた私は、人を傷つける呪術の術を何ひとつ知らない。
それよりも、一人の人生を消してしまうなんて、そんなこと私にはできなかった。
「そっ、そんな、私には……!」
「確かに、そなたには選択の余地があると言ったな」
「は、はい……」
「それは、あくまで私の下のみでしかないのだぞ」
「っぁ……」
そうだ。皇帝陛下は私を元の家に送り返すことだって容易い。優秀な人なんてたくさんいるのだから、私など切り捨てても揺らぎすらしないだろう。
嫌だ。元の家に送り返される以上に、私の価値がまたしても無くなってしまうのが。
ガチガチと歯を鳴らし、膝を震わす私に、皇帝陛下は優しい笑みを浮かべた。
「心配するでない。今、その呪縛から救い出してやろう」
「な、にを……ぐっ!?」
「そなたの欲望は、本性は、何処にある……?」
皇帝陛下は煌びやかな金の玉座から降りて、跪く私の心臓に手を当てた。桃色の光が私の胸から広がり、皇帝陛下の手がずずず、と沈んでいく。
その感覚は気持ちの良いものではなかった。自分の中身を探られる感覚。自分を強引に捻じ曲げられる感覚。体が自然と拒否反応を起こして、私は呻き声を漏らした。
「そなたは……復讐がしたいはずだ。そして、狂いに目覚めることができるはずだ! そなたならばできる、己の怒りを、復讐心を、誰彼構わずぶつけるのだ!! 私の命じる通りに、その呪術を使いたまえ!!」
「ぐ、ぁ……わた、しは……」
楽しそうに、少年のように笑う皇帝陛下を見つめていると、何だか全てが、皇帝陛下以外の全てが憎いと感じた。
誰も救ってくれなかった。誰も皇帝陛下のように優しい言葉をかけなかった。
この世界が悪い。国民が悪い。常識が悪い。皇帝陛下以外の全てが悪い。だから、唯一汚れなき存在である皇帝陛下のため、私が力を振るうのは当然だ。
「……頃合いか」
皇帝陛下はぽつりとつぶやいて、私の心臓から手を抜いた。桃色の光がすぅ、と消えていく。皇帝陛下は玉座に戻り、俯いて胸を抑える私を見つめた。
「どうだ? 自分の感情を全て前面に出せて、気持ちの良い感覚がするだろう?」
「そうですね……! 今の自分なら、何でもできる気がするのです!」
「であろう? ルザルよ、何か方法はないのか?」
「九百人の呪術師と私の力で、国民全員を洗脳することができるはずです。その脳から、インステード・バリリウムの存在を消すのです」
「なるほどな……では、彼女本人はどうするのだ? 悪い子にはどうするべきだ?」
皇帝陛下の問いに、私の記憶が一気に膨れ上がった。あの恐ろしい家にいた時の、恐ろしい記憶達が。
――あんたみたいな人間は閉じ込めておくが一番よ!!
――悪い子にはお仕置きが必要ね?
――誰か、こいつを地下室に閉じ込めておきなさい!!
――あんたに呪術がなければ、あんたなんて要らないのよ!!――
「っ……!」
でも。そうか。悪い子には、お仕置きが必要なんだ。
「……地下室に、放り込みましょう……」
「そこを私が失われたと言われる禁忌の魔術のひとつ、『時空魔術』で封じよう」
「禁忌の魔術をご使用になられるんですね……! すっごく凄いです!」
「皇家の人間ならば使えるさ。ただ、私は禁忌中の禁忌を使うこともできるがな」
才能だけで言えば、皇帝陛下は最強だという事を私も知っていた。
けれど、性格もこんなに良いんだって言う事は初めて知ったなあ。
「場所はどこが宜しいのですか?」
「魔の森辺りが良いかの。あそこなら人間は寄り付かん。貴族邸に近い方にしろ。貴族が魔の森に近づくことはない」
「はっ」
「呪術師九百人は至急私が集めよう、心配するでない」
「用意周到ですね、感謝いたします!」
私は目をキラキラさせた。さすが皇帝陛下である。九百人なんて大きな数字を、すぐに集めることができるなんて。
もはや私の中に、インステード・バリリウムという『存在』はなかった。
ただただ皇帝陛下に承認してもらう為に。勇者は、そのための道具でしかなかった。
〇
勇者が滞在している別荘に、伯爵の持つ兵が突入した。
勇者インステード・バリリウム。美しくふんわりした紫髪とスタイル。整った顔立ちに加えて国内最強と謳われるほどの強さ。
だがしかし、体のあちこちに包帯が巻かれているし、身長も私の胸くらいまで縮んでいる。
今の私ならば彼女を上回ることができる。そう。皇帝陛下のおかげで。
「ちょっと、何なの!? 離すの!! どうしてなの!?」
「皇帝陛下の命により、満足に魔王を倒すことのできなかった貴様は地下室に幽閉となる! 拒否権はない! 連行しろ!」
「ちょ、ちょっと待つの!! わたしはきちんと魔王を倒したの!! わたしは魔王を倒せとしか命じられなかったの!! なんで!? なんで今更!! 満足か満足じゃないかなんて!!」
私は冷たい目でインステード・バリリウムを見下ろした。
本気で、この女が一体何を言っているのか分からなかった。
「陛下のご意向に沿わねば、それは忠誠とは言えない。貴様には忠誠がない。なれば、幽閉させてもらうぞ!」
「っなら、いっそのこと殺しなさい!!」
「貴様の頭は大丈夫か? 死体はむしろ見つかりやすい。そういう術を使う者もいる。習ったことはないのか?」
インステード・バリリウムは呆然とした。
今となっては、彼女は貴族でないのだから知らなくてもおかしくないと分かったが、あの頃は本当に彼女の事を見下していたように思う。
連行しろ、と兵に命じると、思った通り彼女は魔術で対抗した。
もちろん、勇者の魔術に一兵士が耐えられるはずもなく、バタバタと倒れていく。
そして彼女の視線は私の方へ向いた。
「グングニル」
「がはっ!!」
しかし、私には皇帝陛下からお貸し頂いた武器がある。国宝であり、皇帝陛下が命じなければ陛下以外の者は使えぬ必殺の槍。
青の宝石が煌めき、槍の先端に集まった衝撃波の衝撃により、インステード・バリリウムは遠くへ吹き飛ばされた。
包帯でぐるぐる巻きにされた左足を抑えてうずくまる。
全盛期の彼女ならば、もしかしたらグングニルに勝てたかもしれない。けれど、魔王に力の殆どを封じられ、簡単な魔術しか使えない今の勇者では歯が立たない。
「安心しろ。連れていく地下室には保護壁がある。貴様の今の魔術程度で壊れることはない」
「はぁっ……はあ……このっ、卑劣めが……! わたしは、こんな怪我を負ってまで……! 帝国のため尽くしたというのに……!」
「だから陛下がご不満ならば尽くしたとは言わん。連れて行け!」
「「「はっ!」」」
数十名の兵士が倒れて動けないインステード・バリリウムを引きずって行った。私は自身の持つ槍をちらりと見た。
蒼く煌めく宝石。そして全て銀で作られた槍本体。少年心をくすぐる格好いいデザイン。
(やっぱり陛下は凄い人だ……! こんなにすごい武器を、持っていらっしゃるのだから!)
外からインステード・バリリウムの叫び声が聞こえる。
聞こえるのに、私には届かない。
これが、私の初めて犯した罪であり、これからの罪の始まりでもあった。
皇帝陛下がアレコレ(後に書きます)しましたが、記憶が消えるわけではありませんので、インステード・バリリウムちゃんの一件は、ルザル伯爵にとって唯一罪の意識、罪悪感のあるものでした。
※伯爵の身長は160センチ後半くらいで、インステードちゃんは当時140センチ前半でした。今は150ぴったりです。
皆様にお読みいただきありがとうございます!本当に感謝しています!
皆さまのおかげでジャンル別、恋愛日間9位を現在記録しております!
総合も38位になりました!
本当にありがとうございます!




