1.その処刑、無実です
帝国歴百十七年。六月五十八日。その日、歴史上に名が残る大悪女であり、嫉妬の大魔女と呼ばれた女の斬首刑が行われた。
それは民衆の前で行われ、女は歓声と罵声の中息絶えた。
たった一人の男のため、一人の女を無残なまでに叩きのめそうとした魔女。挙句の果てに戦争を起こし、その男を手に入れるためならば誰彼構わずむごい刑で殺した悪人。
そんな女を殺す事に、誰一人として異論はなかった。
「死ねぇー!」
「やった、やっとあの人が死ぬのよ!」
「僕の父さんはあんたのせいで死んだんだ!! 償え! 地獄に落ちろ!」
「……」
凄まじいブーイングの中、木にくくり付けられた女は虚ろな瞳であてもなく空中を見つめていた。その瞳の中には何もない。
諦念と群衆に対する蔑みが、辛うじてあるだろうか。
そんな女の過去を、真実を、少数の者達だけが知っていた。
「ティアーナ!! ティアーナぁぁぁぁぁ――――ッ!! 放せぇッ! 通せよ! 通してくれよ! お願いだから通して! 助けさせて! ティアーナを、放して、助けてぇぇええええええッ!!」
「御令息様、落ち着いて!」
「お優しいのは分かりますが!」
「あのような罪人にお優しさをお分けにならなくても良いのですよ!」
――大丈夫、私なら大丈夫よ。
――ごめん、ごめん、僕が何とかするって言ったのに。
頭の中をフラッシュバックするのは、遠い日の思い出。
閉じられた一室の中、水色の綺麗な髪を無残に振り乱す少年は、数人の使用人に懸命に止められていた。
絶叫しながら扉を飛び出そうとする少年を、使用人は必死に引き留めようと踏ん張る。
どうやら奇跡の力である魔術をも使用しているようで、大人の使用人数人がかりでも少年を抑えるのは至難の業だった。
「ティアーナぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――!!」
――待って、危ないわ。その先は私が何とかするから。
――いや、ティアーナに行かせる方が危ないんじゃ……。
喉を引き裂かんばかりに少女の名を叫ぶ。
魂を壊さんばかりに少女の生存を望む。
命に代えても守ると誓った少女を――助けに行くことができないなんて。
〇
「あ、あぁ……ティアーナさん、ティアーナさん……どうしてぇ……!」
――寂しいの……。
――大丈夫よ、私がいるわ。絶対に、離れたりしないから安心して、ね?
茶色の塗装を施された地下室の中、ボサボサの髪を整えようともしないボロボロの人形を持った女の子が、ぶつぶつと少女の名を呟きながら静かに涙を流していた。
見れば、ベッドの上に横たわる女の子だったが、彼女は足に大きな包帯を巻いていた。
動くことはできない。
助けに行くこともできない。
それなのに、少女に向けられた歓声と罵声だけが耳を刺しながら届く。
地下室に届くまでに空気を震わせる大きな群衆の叫びが、千本の槍を刺すかのように女の子の心を痛ませる。
――分からないっ、どうしてこうなったのかわたしにはわからないの!
――辛かったわね、苦しかったわね。遠慮なく、吐き出してもいいのよ。
「ティアーナ、さん……」
衰弱した女の子は、大きな叫び声を上げることすらできない。その分、絶望が心に深く深く刻み込まれていた。
少女の死によって押し寄せる哀しみに身を任せて、女の子はそっと意識を落とした。
〇
カチリ、カチリ。
時計の針が明確な音を立てながら一秒ずつ進んでいく。
「ハハ……」
地面に膝を付けたまま、閉じ切った部屋のただ一点だけ開いた窓を、じっと見つめる少年が狂った笑いを漏らす。
目は笑っていなくて、狂気や殺気を孕んでいるのに、口だけが本当に愉しそうに裂けている。
「ハハハ、ハハハハハハハハハハ、アハハハ!!」
延々と、笑いを零し続けて。
すぅ、と、少年は笑いを止めた。
ハイライトを失った瞳が、表情を失くした口角が、ただ虚無の憎悪を漂わせている。
「壊して、やる……」
吐くような一音一音に込められるのは、これ以上ない殺意。とめどなく溢れるこの世への憎しみが、その言葉の根源となる。
どれだけ世を憎んだことか。どれだけ自分を恨んだことか。
だから、悟るのだ。
ああ、どうしてだろう。
どうして自分は今まで、お利口さんにしていたのだろう。
そんな必要、なかったじゃないか。
「あの人を壊したこの世界を――必ず、壊してやる!!」
その者の名を刻むために。
その者を救えなかった自分を罰するために。
その者に最後のプレゼントを贈るために。
全ての負の感情を基にして、少年は闇を纏って立ち上がった。
〇
「ふふ。ねぇ、マリー。わたし、どうすればいいの?」
ベッドに横たわった少女が、ほとんど布の引き裂かれた人形を大切に抱いて純粋無垢な笑みを浮かべる。
けれどその目は濁っていて、瞳に孕んだ常識外の情熱を物言わぬ人形にぶつけている。
ぎゅ、と握りしめたその手は人形の布に食い込んでおり、今にもそれを真っ二つに引き裂いてしまいそうだ。
「どうして、応えてくれないの」
人形を握りしめる力に、尋常ではない圧力が加わる。
「あの人は、いつだって笑顔で……!」
歯をがちりと鳴らす。その強さで全身が震える。ミシミシと音を立てて人形の布と糸が引き裂かれようとしている。
脳裏に浮かび上がるは、どれだけ悪意を向けられようとも健気に、最後まで戦い抜いた少女の優しい笑みだった。
どんなに下らない事を言っても、あの笑顔で返してくれた、少女の美しい姿。
「――わたしを受けとめてくれたのに!!」
どこから出たかもわからない大音声が、部屋中に響いた。あらん限りの憎しみの焔を灯らせた瞳が、その力を手に渡らせてついには人形を二つに引き裂いた。
それでも、人形は何も言わない。ぎょろりと出た目が布から飛び出し、ころころと地面を転がっていく。
切れた首が吹き飛び、はるか遠くへと飛び散っていった。
「……同じ、だったの」
それを見て、女の子は表情と釣り合わない、無理矢理でしかない笑顔を――いや、ただ、口角を上げた。
「あの人だって、同じだったの」
涙が、溢れる。
狂気でいっぱいだった女の子の瞳に、生気が戻る。過去を振り返る後悔が、宿る。
「あの人だって痛かった、苦しかった……でも、貴方たちは」
女の子は手に残る人形の残骸を地面に叩き付けた。
その瞳のハイライトがまた消え去っていく。
「必ず、壊してやる――」
強い憎しみの灯が、優しさにより傷つけられた少女の痛みを根源にして、後戻りできないまでに燃え上がる。
女の子が、これからは少女の代わりとなろう。
少女の受けた痛みを、苦しみを、どれだけ助けを呼んでも大多数の人が彼女を踏みにじるそれを、全てまとめて返してやろう。
少女が成せなかった復讐を。無念を。女の子が引き継いであげねば。
そして無残に死ぬ自分は冥土に報告しに行くのだ。少女に、貴女を傷つけた者は全員殺してやったと。
「あの人を壊したこの世界を――必ず、壊してやる!!」
根源は違えど、目的は同じ二つの憎しみと狂気が交わりかみ合った瞬間であった。