第1話「初めましての方は初めまして。実況の女神シャーベットです」
「初めましての方は初めまして。実況の女神シャーベットです」
サトーランドの王都レミリアの空。
魔王の復活からどんよりとした灰色の曇り空が続いた都に、久々の晴天が広がっていた。
その青空の遥か天上から声が響いているのだが、王都を行き交うものに聞こえている様子はない。
「いきなり第1話から読む方はいるのでしょうか。異世界転生は初めてなんでよくわかりませんが、私はムーンライトノベルは読むので、第1話からと言わず、面白そうな話から読むというのはよく分かります。正直、実況側になると、1話から読めよって気になりますね」
たとえ聞こえていたところで、そもそも人々には意味のわからない言葉である。女神シャーベットの言葉がわからないわけではない。もちろん彼女はこの世界の標準語で話している。ただ、何を話しているかがわからないのだ。
異世界転生、というのはわかる。むしろ人々は喜ぶ。大神サトー、すなわちこの世界を管理する神は既に、空が青く晴れた日に魔王を討伐する勇者が異世界から転生してくるという神託を下していたのだ。だから何か勇者の話題をしているのだと推理することができた。
実際にはあまり、その勇者とは関係ない話題について女神シャーベットは話していたのだが。
「さて、いつまでもだべっていても仕方ありません。そもそもここは他所の神様の世界。一時的に管理を代行しているからといって、好き勝手するのはよくありませんね」
うん。それについては、俺もそう思う。
この世界のため、トラックにひかれて死んだらしい俺こと相馬竜也も、そろそろ話を先に進めて欲しいと思っている。
「既に察しはついているとは思いますが、貴方はサトー神が予言した勇者です。その『全能力上限越え』というわかりやすいチート能力で、魔王の配下をサクッと蹴散らして、魔王を倒すだけの簡単なお仕事をこなして下さい」
うんまあ、言うだけなら簡単そうな仕事なんだけど、魔王の配下とか、魔王とかどこにいるのかとか、そもそも王都レミリアとかレミ王国とかなんだよとか、疑問は尽きないんだが。
「それはおいおい知っていけばいいでしょう。どうせ能力値がカンストしてるんですから、困ったら力で解決すればいいじゃないですか」
なんて脳筋な女神だ。こいつの管理下にある二五の世界がトラブルないのって、女神のおかげじゃなくて、その世界の人間たちが優秀なだけなんじゃないだろうか。
「神様相手にケンカ売る元気があるなら、特に説明なしでも生きていけるでしょう。では仕様通りに一六歳の勇者として転生しますので、あとは自力でなんとかしてください」
えっ!?あ、女神シャーベット様ごめんなさい。俺が悪かった。反省するから──
なんて弁解も届くことなく、俺の意識は王都レミリアの空から地上へと一瞬で墜落するのだった。
◆
「大神サトー様は我らにお告げを下された。王都の空に青空の戻る日、魔王を倒すことを宿命づけられた勇者を異世界よりこの世界へ転生せしむると」
レミ王国の国王レミング二六世は、もう幾度と繰り返した言葉を繰り返した。
「お告げが下されてから、既に三年。六度の青空の日を迎えたが……」
枯れ木のようにシワまみれの顔を撫でて、国王は王座にて嘆息を漏らした。その六度の青空の日には、一度として勇者は現れなかったのだ。
レミ王国、いや、このサトーランドにおいて大神サトーを疑うものはない。ましてやレミ王国の王は最もサトー神を信仰する敬虔の徒である。だが、その王をしても、いまや信じる心は揺らいでいた。
「陛下。大神は必ずや勇者を遣わします」
側に控える騎士が落ち着いた力強い声で言葉をかけた。元騎士団長のサイファー・ヒルトン。既に四〇を過ぎて団長職を息子のエイブルに譲ったものの、いまだ王の守りとして王国に仕える騎士だ。サトーランドの基準では、引退し余生を過ごしても非難されることのない老騎士である。
「うむ……」
鋼の肉体、鋼の忠誠心、鋼の信仰心。王国の誉れと名高きサイファーの言葉でもなお、王の不安は晴れなかった。皮肉にも常に王都を覆う暗雲が、今日は王の心だけを覆っているかのようだった。
無理もないとサイファーは王を察する。誰よりも大神サトーを信じるからこそ、魔王とその配下が世界を荒らし回り、罪もない人々が苦しむ姿に耐えられないのだ。勇者召喚の代償が己の命だと言われれば、躊躇いなく投げ打つであろうほどに。
(おいたわしい……)
主君の苦境にサイファーは思わず涙せずにはいられないほど苦しんでいた。しかし自分が感情を露わにしては、それこそ誰もが動揺する。自分は鋼のようにあらねばならないと、彼は自身を律していたのである。
「申し上げます」
ふと、青年の声が響いた。謁見の間に現れ声をあげたのは、サイファーの息子で現騎士団長のエイブルだった。
「申せ」
王は疲れた声を団長にかける。エイブルは慶事ならば王宮だろうとはしゃぐ男だった。その彼がいつも通りとなると、勇者転生という吉報は期待できなかったからだ。
「王都の民が広場に続々と集まっています。勇者が現れるなら広場に違いないという風説が流れているようです」
「陛下。いくら広場といえども、王都の民が一度に押し寄せれば危険な人混みとなります。ここは彼らに、帰宅して自宅で大神サトーへ祈りを捧げるよう布告を出されてはいかがでしょう?」
ヒルトン親子を交互に見つめながら、痩せこけた顎をさすっていた王は、ようやく悲鳴をあげるように言葉を紡いだ。
「民は不安なのだ。家に帰れと言ったところで従うまい……」
「陛下!そのようなことは──」
「余も不安だ。大神サトーは、このサトーランドを見捨てられたのではないかと」
沈鬱な声のない静寂が、謁見の間を重く塗りつぶしていた。
まさか別世界の女神の胸に頭を押し付けようとして崇拝するサトー神が倒れたなどとは、たとえその目にしても信じることのないような妄信ぶりだった。
◆
目がさめる。
王都レミリアとかいうところに落ちた俺の瞼が開く。
ああいや、いま思い返すと空を飛んでいる時は身体の実感がなかったのだから、あの爺さん神らしいのがいた空間以来の身体の実感か。
ここは、どこだ。
周りには良くファンタジーものでみかける中世っぽい建物が、俺を囲むように建っている。
ああいや、それは正確ではないだろう。俺を囲むというより、俺のいる空間を囲んでいる。つまり、ここは広場なのだ。きっと。
そして、俺のことを見て、目を丸くしている人の群れ、群れ、群れ。これもよくあるような中世スタイルの服装を色とりどりに着飾っている。中世にこんな染色技術あったっけ、まあ異世界だから現実というか元の世界と一緒にしちゃいけないんだろうけど。
「あ、えーと……」
「みんなビックリしていますね」
しれっと女神シャーベットが言う。みんなビックリしているのは、お前のせいだと思うんだが。
「あれ、ソーマさん。私の姿が見えたり声が聞こえちゃったりしてます?」
「へ? バッチリなんだが……」
「おかしいですね。バグでしょうか」
どうやら俺がシャーベットの姿が見えているのはおかしいことらしい。確かにシャーベットが歩くと群衆の身体を通り抜けるし、声をかけても誰も気づく様子はない。
「ソーマさんだけみたいですが……」
そう言いながら、シャーベットが俺の身体に向かって歩く。豊かでなかろうと、スレンダーな女性の身体が向かってくれば冷静でいられるわけがない。
しかし、彼女の身体が俺に触れても特に感触はないまま、他の人間と同じように通り抜けるのであった。
「姿は見えるし声も聞こえるけど、干渉はできない……システム的な問題でしょうか」
テクテクと群衆をすり抜けながら、シャーベットがぶつぶつとつぶやく。
「お、おい。待てよ!」
さっきの事で混乱した俺は、シャーベットを追いかけて駆け出した。すると取り巻きながら俺のことを見ていた群衆にも混乱が伝染したのか、意味のわからない言葉を発しながら逃げ惑い出した。
「ああ、もう! シャーベット、どうなってるんだ!」
「原因がわかりました。隠し能力値として、異世界の存在を感知できる能力値がこの世界にあるんですよ。本来は発狂でもしないと能力値が伸びないデッドパラメーターなんですが、最初から能力値がカンストしてる人なんて想定外だったんでしょうね」
どうやら俺のチート能力のおかげでシャーベットの存在を感知することはできるが、本来は異世界転生していても彼女のことは見えないのが普通のようだった。
「なんというか、まあ、神様が側にいるなら心強いというか……」
「それより、群衆のみなさん、すっかりパニクってるんですけど、いいんですか?」
シャーベットに言われてみれば、確かに広場に集まった人々はすっかりパニクって右往左往している。これ、どうすればいいわけ。
「女神シャーベット、なんとかならないの!?」
「神様に何を要求してるんですか。世界全体の管理ならできますが、こんな針の穴より小さい広場の制御なんてできません。何のために異世界転生なんて面倒なことやってると思ってるんです」
「実況しかできないのかよ、この女神!」
まあ、言われてみれば理由もなく異世界転生なんて回りくどいこと、神様がやるはずもない。
「じゃあ、魅力系の能力値でなんとか……」
「この世界の能力値に魅力系はありません。貴方、鏡で自分の顔を確認してみたらどうですか?」
どストレートに言われると傷つくぞ。ちらっと自分の顔が見えたけど、転生前と何も変わってないからな。
「どうすればいいんだよ……」
こんな人混みで混乱が起きれば、怪我人どころか死者が出る。あちこちで女子供の悲鳴や泣き声があがっていて、俺の勇者デビューは散々だ。
「者共! 静まれ! 静まれ!」
ふと、大音声が広場の外から響き渡った。
見れば騎乗した騎士たちが、大声をあげながらこちらへやって来る。
「サイファー様だ!」
「団長……じゃない、前団長様だ!!」
混乱していた群衆が、次第に視線を騎士たちの方へと向けていく。
「サイファー様って、偉い人?」
「この国の前の騎士団長です。まあ、魔王の四天王の一人くらいなら差し違えできるんじゃないですかね」
「それ、凄くない!?」
「だって、能力値カンストしてるチート勇者に勝てるわけないじゃないですか」
いやまあ、確かに俺は能力値カンストしてるわけなんだけど、能力値上限突破してるんだけど。
「いや、勝てる気がしないんだけど」
騎士たちの中で、はっきり格が違うとわかる奴がいる。赤毛の厳しい面をしたごっつい騎士、あれがサイファー前騎士団長のはずだ。とてもではないが前世が一般人の俺に勝てるような相手には見えない。その周りにいる騎士たちだって、みんな俺より強そうだった。
「ひとりだけ、なんか他のよりヒョロイのいるんだけど、アイツが一番弱いのかな」
「見る目がないですね。あれは現騎士団長のエイブルです。前騎士団長の息子で、あの中じゃ二番目にレベルが高いですよ」
ひょっとして、この世界の能力値ってバカとアホしかないのだろうか。さっきから俺って恥をかいてばかりな気がするんだけど。
「それにヒョロイとか言いますけど、赤毛の美青年じゃないですか。彼って王国一モテモテのキャラですよ」
「あ、ぶっ殺しっていいってことか、それ」
代々騎士団長のボンボンでモテモテでそこそこ強いとか、まさに勝ち組じゃないか。
「僻みまるだしのところ申し訳ないですが、サイファーさんが来ましたよ」
シャーベットに言われてみれば確かに、赤毛のいかつい騎士、サイファー前騎士団長が俺の目の前にいた。
「……」
凄い威圧感だ。黙っているだけで迫力がある。まるで嵐が人の姿をしているかのようだ。
「勇者様とお見受けします」
口を開いたのはサイファーではなく、一団の中央にいるヒョロイのこと、エイブルだった。
「我が名はエイブル・ヒルトン。レミ王国の騎士団長です。貴方は勇者様とお見受けします」
「いや、雑魚はひっこんでろよ」
サイファーに比べればレベルが下だというから、ついエイブルをぞんざいに扱ってしまった。なッと優顔を凍りつかせたエイブルに代わり、今度はサイファーが前に出る。
「貴公が、大神サトーが遣わした勇者殿であらせられるのか?」
口調こそ丁寧だが、態度はとても友好的ではない。あ、いくらなんでも無礼だったか。
「とても勇者らしい態度にはみえませんね。精々が偽勇者でしょうか」
「お前は黙ってろ!」
ついシャーベットのツッコミに怒ってしまった。けど、この場でシャーベットの姿や声がわかるのは俺しかいないわけで。
「ほう……」
ますますサイファーの表情が怖くなる。
「あ、いや、その、こっちにも色々と都合があるというか……」
「ビビって卑屈になってますよ。能力値カンストが聞いて呆れます」
シャーベット。お前をぶん殴れるなら今すぐぶん殴りてえ。この迫力とか、俺が能力値カンストとか信じられないんだけど。
「貴公が神託の勇者とは、信じられん」
「……俺も信じられなくなってきた」
あの爺さんとシャーベットに、俺たちみんな遊ばれているんじゃないかって気分だ。
「聞こう。貴公の勇者の証とは何か?」
「へ? この場の誰よりも強いことじゃないの?」
もう投げやりに、能力値カンストなんだからと、当たり前の結論を言った。言ったというか、投げやりに自棄っぱちに叫んだともいう。
「信じられんな」
ザワッと広場に動揺が広がる。
サイファー前騎士団長の言葉が人々には意外だったようだ。
「父上! 神託を疑うのですか!?」
「なら確かめればいいだけだろ。ほら、剣貸せよ」
もうどうにでもなれとばかりに、俺はエイブル騎士団長とかいうらしい優男に剣を要求した。
ついでによく自分の身なりを振り返ってみれば、俺はいつものリクルートスーツの姿だった。そりゃこんなファンタジー世界には浮いている。
「剣だけで父上と戦うおつもりですか!?」
「いいから見てろ、優男」
文句を言いながらも律儀に剣を差し出したエイブルに悪態を吐く。
「急に強気になりましたね」
シャーベットの耳障りな実況。誰のせいでこんな苦労をしていると思ってんだ。
「もう自棄だ」
「貴方の事情は存じあげませんが、命を無為に散らすことはありません。父、サイファーは王国一の騎士。いま謝罪をすれば──」
「黙れエイブル!」
サイファーの一喝に打たれて、しょぼくれながらエイブルが引き下がった。
「王国一の騎士なんだって?」
能力値カンストが無意味なら、まず勝てない相手だ。もう笑うしかないくらいのピンチに俺は自棄気味に腹をくくる。
「その通り。過分にも王国一の誉れを受けている。故に我は、勇者を名乗るものの器を見極めなければならん」
馬から下りて、スラリと剣を抜いたサイファーが俺の前にそびえ立った。剣はサイファーのゴチゴチな気質らしく、飾り気はなく使い込まれた実用本位のものといった感じであった。
「じゃあ、見せてやるよ。勇者の実力を」
「応ッ!」
死んだら化けてでるとシャーベットに愚痴る間も無く、サイファーが剣を振るう。
反射的に俺の剣でサイファーの剣を受け止めようとした。しかし、
「え──」
それは誰の悲鳴だったのか。
俺の剣は、サイファーの剣を砕いて、そのままサイファーの鎧に食い込んで、勢い衰えることなく更に奥へ奥へと食い込んでいく。
(こんな馬鹿力で斬りつけたら、胴体真っ二つだぞ!?)
慌てて剣を振るう手を押しとどめる。剣はサイファーのプレートメイルをバターのように切り裂いて、その下の鎖帷子をバラバラにして、ギリギリ止まってくれた。
そんな無理な戦い方に悲鳴を上げて、俺の剣もバラバラに砕けた。剣と鎧を裂いた俺の身体には、なんの影響もなかった。ただ傘でチャンバラをする程度の疲れがあっただけで。
「流石は能力値カンスト。まあ、サイファーを斬り殺さなかったのは慈悲でしょうか」
危うく人一人を斬り殺しそうになったというのに、シャーベットのコメントが氷のように冷たかった。
「父上!」
鎧を切り裂かれるほどの斬撃を受けて吹き飛ばされたサイファーに、息子のエイブルが駆けつける。
「しっかりしてください!」
「案ずるな。この通り、身体には傷一つない。流石は勇者殿……」
殺されかけたというのに、サイファー前騎士団長は怒るそぶりひとつみせず、その身体を引きずって俺の前に来ると、膝を屈して両手も地につけた。こういう作法には詳しくないが、服従のポーズなのはよくわかった。
「無礼をお詫びします。勇者殿。貴方様こそ、このサトーランドを救うため、大神サトーが遣わされた勇者であらせられます」
「あ、いや、うん。よろしく……」
「しまらない勇者様ですね。今の返事、この国の歴史書に永久に残りますよ」
口に手を当てて、ケケケと笑い出しそうな女神シャーベット。
ああ、俺は本当にチート勇者になったんだなと、嫌でも自覚するしかなかった。使いこなせるのか不安なぐらいチートな能力値のせいで。
「以上で第1話の実況を終えます。ご視聴ありがとうございました」
「てか、よくよく考えたら実況以外にも色々と助言もできるはずだよね!?」