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使えない魔術士と、使えない道具との出会いと、結果

 

 イグドロス魔術学院は、名の示す通り、魔術の学び舎だ。

 「はぁ……」

 気怠げに嘆息をつく男子生徒が一人廊下を歩いている。

 「おー! おはようロスト! 今日も元気ないねー」

 「ブリジットか」

 背後から快活な少女――ブリジットの声が聞こえて、振り向かず返答する。

 彼女は、金の髪を一つに縛った小柄な容姿をしている。席が隣というだけなのだが、気がつけばやたらと構ってくるようになった少女だ。

 「そうだよ。悪い? 迷惑だった? そんなことないよね?」

 まくしたてるブリジット。

 「あー、鬱陶しい。オレは今日憂鬱なんだよ!」

 「いつも、の間違いじゃないの?」

 「余計なお世話だ」

 その指摘に一言置いてに歩みを早める。

 「ちょっとー。つれないなー……あ、わかった。魔導学の授業があるからでしょ?」

 含み笑うブリジット。ロストは黒い髪を乱雑に掻いて、

 「わかってんなら言うなよな……聞くだけでも吐きそうだ」

 魔導学というのは、近代魔術士が広く扱う武具、――魔導具について学ぶ授業だ。

 魔導具は、魔術に精通する人間ならば、誰もが扱う武具。

 「大丈夫だよ。ロストにだって一つくらい適正あるはずだからさー……たぶん」

 「あーうっせぇ。適正がなくて悪かったな。あと上げて下げんな」

 適正がない。言葉どおりの意味だ。ロスト・ヴォーグラムは、魔導具を起動させる適正を持たない――らしい。

 断言しないのは、実例が他ないからだ。稀有なゆえに、そのことを学園で知らない人間はいないのも、ロストの苦悩の種だった。

 チャイムが鳴る。

 「いそごいそごー」

 小走りで前方に躍り出たブリジットに手を引かれる。

 「かったりぃ」

 抵抗する気力もない。されるがまま教室へと駆けた。


 授業はなんとか乗り越えると、昼休みが訪れる。

 魔導学に関しては、端的に言って進展はなかった。

 成果なしだった。

 「そう落ち込まないでー。魔導具の数はごまんとあるんだから」

 机に突っ伏したロストの背をブリジットが叩く。

 「ああ……」

 慰めの言葉すらロストには届かないようだった。

 「そういえば、この前ロスト学校休んでた日あったじゃん?」

 「なんだ、藪から棒に」

 「その日ね、学校の保管室に保存されてる魔導具の説明があってね」

 「また魔導具の話かよ。今は気分じゃない」

 深く息を吐き出すロスト。

 「まあ、話は最後まで聞いて! その魔導具ね、一度も起動されたことがないんだって」

 「起動されない魔導具ねぇ……それにオレとなんの関係がある」

 「いやー……似てるなぁ、と思って」

 「使えない道具と、使えない人間ってか……我ながら言ってて虚しくなるぞ……」

 「なんでロストはそんなにネガティブなのかな!」

 負の呼気洩らすロストを、ブリジットが掴んで揺らす。

 「いや、半年もできなきゃそうもなるだろ……」

 入学して半年、授業回数にして百と少し、ロストは一度も起動できた試しがない。

 「あ、そういや飯食ってなかったわ……購買でパン買ってくる」

 ロストは、力なく立ち上がると教室を出た。

 「ロスト……」

 ブリジットは、終始活力の戻らなかったロストを憂いの瞳で眺めていた。


 購買は一階の校舎にある。

 ロストの一学年教室は、四階に当たるが、学院の校舎はとんでもなく広いので、まともに進めば一時間は掛かるだろう。

 その無駄を省くために、魔術がある。そう、日常生活に転用されるために、魔術は学問として認知されているのだから。

 廊下の端に設置された転移門に魔力を流す。

 使い方は単純だ。

 転移先を、イメージするだけでいい。脳裏に。

 そうして、魔力を流す。

 次瞬、音もなくロストの姿は廊下から消え失せる。


 「なんだ、こりゃ」

 一階に転移したロストは、思わず声を洩らす。

 購買に向かう途中で、やけに人集りが出来ていた。

 「なんかあったのか?」

 付近にいた男子生徒に、尋ねると、熱狂気味に答えた。

 「大有りだ! 学園一の才女ミルヒ・シュトラーセが決闘してるんだよ!」

 決闘とは、魔術の研鑽に励む学院ならではのシステム。両者が合意した場合に限って、校舎ないでの私闘が許可される。古くからの伝統文化らしい

 「ミルヒ……って確か」

 ミルヒ・シュトラーセ。ロストの一学年上の生徒だったはずだ。

 彼女の武勇伝はロストも伝え聞いている。

 なんでも、一学年の時点で、当時最高の実力を有していた最高学年の生徒を打ち負かしただとか、魔術名門家系出身者だとか、お金持ちだとか、目についた端から喧嘩を売るだとか、彼氏がいないだとか――などなど噂の尽きない人物だ。

 「誰と闘ってるんだ?」

 「スカッド・レイヴンハルトとか言う一年の男子生徒だ」

 「誰だそいつ」

 同じ学年だが、全く耳に挟んだことがない。

 「先週転校してきた自称名家出身者らしい」

 「そうか……ありがとう」

 礼を言うと、男子生徒は雑踏の中へ消えていった。転校生に関しては、残念な雰囲気がしたので、あえて 深くは追求しなかった。

 ほどなくして、辺りがざわめき立つ。

 人垣が崩れ、散り散りになっていく。

 ロストは、人の流れと対局に晴れた道を通って、校庭に向かった。なんとなく学園一の実力者ミルヒを拝みたくなったのだ。

 燦然と輝く日光の下で、彼女は凛、と佇立していた。

 腰まである銀の長髪。雪のごとく真白の肌。紅の瞳。

 その手には、荘厳な装飾の施された一振りの剣が握られていて、

 「キミは、なに?」

 玲瓏とした声で、彼女は言った。

 ロストは辺りを見回す――と、自身以外に誰も残っていなかった。

 「あ、オレ、ですか……?」

 「痴愚な子ね。他に誰か見える?」

 挑発を含んだ冷厳な言葉に、思わずロストは眉根を寄せた。

 「ミルヒ先輩、ですよね」

 「そうよ」

 「口、悪いですね」

 ――何いってんだ。オレ。

 発してから内心で呻吟する。とはいえ、時間は巻き戻らない。間違いなく、自分は次の犠牲者になるだろうと思った――が、しかし、

 「ふふっ」

 現実は違った。ミルヒは小さく笑みを零した。ロストは救われたと、安堵する。

 「キミ、名前は」

 「ロスト、ですけど」

 「うん。覚えた。今日の放課後ワタシと決闘してもらうわ」

 その言葉は、口の端に笑み湛えたまま、放たれた。 窮地を脱せたと思ったがぬか喜びだったらしい。

 「勘弁してくださいよ。オレ、そんなに強くないですよ?」

 「弱い、とは言わないね」

 ミルヒの試すような視線。ロストの衷心が、仄かに疼く。

 「……わかりましたよ……放課後、闘りましょう」

 「魔術実験室で会いましょう。楽しみにしているわ」

 言下に、ミルヒは銀の髪を翻して校舎のうちに消えた。

 「やっちまった……」

 取り残されたロストが、苦々しく呻く。

 見計らったように、終わりを告げる鐘が鳴った。


 予冷の後、間一髪遅参せずに済んだロスト席に着くと、小声で隣人に囁いた。

 「やべぇ」

 「ん、どうしたの、ロスト。なにかあった?」

 昼休み前と悩み方が異なるのを察してか、ブリジットが怪訝そうに尋ねる。

 「ありもあり、大有りだ。聞いて驚くなよ、オレ、……決闘することになったんだ」

 「ええ……、誰と?」

 「ミルヒ・シュトラーセと」

 空間に沈黙が走る。

 教師がチョークを走らせる音だけが、耳朶に届く。

 「まじなの?」

 「まじだ」

 「成仏して……」

 「始めから諦めてんじゃねぇよ!」

 思わず声を荒げたロスト。

 周囲の生徒の視線を集めてしまう。

 「静かにしろ、ロスト・ヴォーグラム」

 「ッ!」

 黒板に魔術式を記していた男性教師が、指を鳴らす。と、チョークが眉間に直撃した。

 「すいません……」

 謝罪し、椅子に腰を下ろす。なぜ自分だけが、と悪戯な笑みを浮かべる隣人に視線を送りながら。


 一時間が経ち、授業が小休憩に入る。

 ロストは意を決した風にブリジットに告げる。

 「というわけで、お前に頼みがあるんだが」

 「どういうわけなのか全然わからないんだけどー……あ、もしかして葬儀の手配とか?」

 「いやいや、前提がおかしいだろ!」

 おどけるブリジットに、ロストは必死に否定する。

 「って言ってもさー。勝つ算段がないでしょ? 魔導具もないし」

 ロストは無慈悲な通告に、ぐうの音も出ない。

 「きっと、明日には生きてないよ。……絶対」

 ブリジットの言葉は事実だ。魔導具を持った魔術士と、無手の魔術士では、勝負にならない。

 魔導具は、所持者に様々な恩恵を与えるからだ。

 それらに総じて共通しているのは、身体性能の底上げ。単純にして最高の補助術式。

 所持の有無は、有り体に言って天と地ほどの実力差を生む。

 「……今のままなら、まあそうかもな」

 「そうだよ」

 「お前ほんと隠さないよな」

 「そこが良いでしょ? 可愛いでしょ?」

 「あー、はいはい」

 戯言をテキトーに流してから、ロストは表情を精悍なものへと変える。

 「真剣に頼みがある」


 学院校舎地下一階にて。

 ロストは授業を抜け出して、螺旋状の階段を下っていた。

 手すりのない左右には、不定形の闇が蠢いており、其処此処に、歪んだ扉が配置されている。空間湾曲魔術の応用だろう。一学生であるロストには高度過ぎて理解出来ないが。

 余計な思考を追い出して、ロストは握った半紙を開く。

 「感謝しなきゃな」

 そうして、脳裏に金の快活な少女を浮かべてごちる。

 紙には、番号が書かれている。

 眺めながら、視線を行き来させる。付近に浮遊するいくつもの扉と、紙とを。

 ふと、視線と足を止めた。

 「ここ、か」

 六六六の部屋番号。観音開きの扉の前。

 そここそ、例の物の保管室。ブリジットにもらったメモに書き記されたままだ。

 そう、この奥に、目的の物がある。未だかつて誰にも起動されたことのない魔導具が。

 すんなりと扉を抜ける。施錠は施されていなかった。

 舞踏場のように広い部屋の中央に、”ソレ”は祀られていた。

 台座の上に、小さな指輪が鎮座していた。

 なにか仕掛けがないか慎重になりつつ、ロストはそれを手に取る。

 「これが、《叡智の(パンドラ)》」

 感慨深く声を洩らして、ロストは、魔力を流す。

 ――接続……成功。

 ――構造……把握。

 ――領域……確保。

 ここまでは、平時と相違ない。頓挫するかは、この後にかかっている。

 ――適正……確認――始まった。

 想起する。いくつもの武具に触れて、拒絶され続けた記憶を。

 歯噛みする。期待はしていない。これまで動かなかった魔導具だ。それを自分如きが扱えるなどという奢りは、都合のいい幻想だとわかっている。それでも。

 指輪を握る力が強くなる。

 ……

 …………

 数秒のはずの沈黙が、永劫にすら感じられた。

 「頼む」

 無意識に本心が、零れる。そして。

 ――源泉一致。

 ロストは、それまで固く閉じていた瞳を瞠ると、指輪を見やる。

 幾度と試してきて、一度も耳にしたことのない文言。

 「――よし」

 ロストは、歓喜の快哉を上げた。


 ロストが教室ついたのは、全授業が終了してからだった。

 放課後の校舎。

 教師が去り、各々が帰り身支度をしているなかで、ブリジットに声を掛けた。

 「戻ったぞ……」

 「おー。どうだった? ……お、まさか」

 ロストを見咎めたブリジットは何かを察したように言った。

 「そのまさか、だ」

 「まじですか! やりましたね! ギネス記録ですよ!」

 「そうだな! その前に窃盗とか諸々で捕まると思うが」

 咳を一つして、気を持ち直す。

 「それはさておき、オレはこれから決闘に赴くわけなんだが」

 「ついてきて欲しいの?」

 「いいや、その、なんだ……魔導具の使い方がわからないんだ……即興でいいからレクチャーしてくれないか」

 「えぇ……。また頼み事ですか」

 「頼む。学食二日分奢るから」

 切実に訴えかける。控えめに述べて友人の少ないロストが頼れるのは彼女くらいだからだ。

 「冗談だよー。て言うか、ボクにもわからないんだ。起動方法は魔導具によって違うからね……」

 「まじかよ」

 そういえば、教わったような気がする。朧気なのは、へそを曲げて真面目に授業を受けなかった弊害か。

 「ぶっつけ本番で頑張れ、ロスト」

 他人事のようにエールを送るブリジットを尻目にロストは今日一番のため息を吐いた。


 ロストは単身で、転移門を使って指定された場所へ移動する。ブリジットは補修があるらしい。

 魔術実験室の前まで来ると、そこに、白銀が背をもたれていた。

 ミルヒ・シュトラーセだ。

 「来たわね」

 酷薄な相を向けられて、ロストは総毛立つ。本能が理解する。彼女が圧倒的な強者であると。

 重圧に抵抗して、ロストは言い紡ぐ。

 「……始めましょうか」

 返答はない。代わりに、扉が開かれる。

 魔術実験室は、名の通り魔術を行使するために整備された空間だ。

 物理的な強度は当然、如何なる魔力の暴威であれ受け止めるという。

 なにより特筆すべきは、使用目的に応じて編纂が可能だということだ。

 此度は、決闘。よって必然的に闘技場(コロシアム)の形式で具現する。

 扉の奥、空間が歪み、拡張される。

 瞬くうちに、魔術で模倣された土が敷き詰められた円の場が構築された。

 両者が中央で向かい合う。

 「よろしく、お願いします」

 ロストは声を絞り出す。喉が不自然なほどに、乾く。

 対顔するミルヒは、すげなく告げた。

 「何処からでもどうぞ」

 開戦の合図。好機。ロストの脳裏に、撃鉄が落ちる。

 魔術式を起動する。

 魔術は、体内に宿る魔力を用いて、自然に存在するあらゆる要素を歪める力だ。

 ロストが得意とするのは、再構成。それは、物質を分解し、形状を変化させ、新しい形を与える。

 幸いなことに、この空間は膨大な魔力によって構成されている。資源は尽きない。

 とはいえ、どれだけ数を擁しても、魔導具の所持者には匹敵し得ない。そう、如何に破壊に優れた魔術であろうとも、鋭利な凶刃であろうとも、だ。

 しかし、現今のロストは先日までとは異なる。

 右中指に嵌まる銀の指輪。

 魔導具パンドラ。自身に呼応してくた力。

 起動にこそ至らないが、恩寵――能力の底上げがある。


 瞬時に、大気中の魔力を剣に変換する。

 速度、硬度、精度。どれをとっても自分史上最高の魔術行使。

 ――やれる。

 眼前の敵に刃を向け、袈裟懸けに薙ぐ――が、

 「それだけ?」

 対敵は始めと変わらぬ位置、変わらぬ挙措で、退屈そうにぼやいた。

 「ッまだだ!」

 後方に飛び退って幾本も剣を構築し、投じる。一抹の不安を拭うように。

 数にして、十と三つ。ロストが展開できる最大値。点ではなく面と形容できる剣の嵐。

 それを、放つ。繰り返す。何度も、何度も。

 ――しかし、それらもってしても彼女を一挙として動かすこと能わず。

 手加減などしていない。微塵も。――それなのに、

 「……あんた、どうなってるんだ?」

 焦燥と疲労を押し殺しながら、疑念を洩らす。

 「どうもしないわ。ただキミが弱すぎるだけ」

 淡々と告げると、真紅の瞳がロストを射抜く。

 「武器を使いなさい。あるのでしょう?」

 ロストは二の句が継げない。この緊迫の只中で、否定など出来るはずかない。

 「そう、見せてくれないの。なら残念だけど、早々に終わらせるわ」

 ミルヒの手中に、微光が現出する。

 光が収まるのと同時に、それは姿を表した。

 十字を象った剣。神気を纏った銀色の。

 「フェーニクス」

 その言辞は、剣の銘か。呼びかけに応ずるように、切っ先が煌めいた。

 ロストは、身動きが取れなかった。それは、鈍重な神気に当てられてか、格の違いを解してか。

 ミルヒは、露を払うように剣で虚空を薙ぐ。

 その刹那、視界を外してもいないのに、見失った。

 焦燥に焼き尽くされそうな思考をねじ伏せて、平静を保つ。

 ――割り切る。仕方がないと。だが、諦めることはしない

 極限まで神経を研ぎ澄ませて、防御に徹する。

 窮境に迫ったロストの集中は、神速の一撃を捉えた。

 「――ッ」

 苦悶を吐き出す。全力で展開した魔術の防壁でも衝撃は殺しきれなかった。

 軋む総身を強引に駆動させて、敵対者の立つであろう位置に、思い切り魔力を叩きつけた。

 「へぇ」

 ほんの数歩身を反らした体制で、ミルヒは感心した風に呟く。言葉とは裏腹に、その声音はまるで意に介していない。

 「……ックソ」

 悲痛な面持ちで、悪態をついた。全身に虚脱感。たった一撃防いただけで、七割以上も魔力を消費した。信じられない。

 仄見えた挙動から察するに、ミルヒは単純に剣を揮っただけなのだろう。その威力が、人外地味ているだけで。

 「やる気になった?」

 そんな内情を知らないミルヒは涼しげに言う。

 「さあ、な」

 「そう、ならもう一度――」

 瞼を閉じる。身構える。

 と、その時だ。

 「嘘よ。キミ、もう限界が近いでしょう。降参しなさい」


 ――降参すれば、楽になる。


 脳裏に浮かぶのは、甘言。しかし、そんなことなら最初から決闘など受けなければよかった。惨めでも、取り消せばよかったのだ。


 ――なぜ決闘を受けた。


 自問する。そうして、想起する。自身の初志を。


 ――心の奥底で認めたくなかったんだ。自分自身が弱者だということを。


 ただそれだけ。それだけの意地。我ながら稚拙な。

 「断る」

 去来する負の妄念を跳ね除ける。

 「そう、なら倒れて」

 興味を失ったように言い置くと、ミルヒは視界から消えた。

 同時に、理解する――あの卓絶した暴力が、逃れようのない敗北が来る、と。

 その時、――鈍麻された思考の最深部に、文字が浮かんだ。

 『《開放(アンロック)

 ――太古から閉ざされていた、情報の窯が開く。

 時間の感覚が、緩慢になる。

 《パンドラ》から、無数の、無限に等しい情報が、頭蓋の内側に雪崩れ込む。

 魔術だけではなく、世界や、人物に至るまで、絶大な規模の。

 数多の情報から、現状の突破口を検索する。

 敵対者の能力――検索、該当。

 魔導具――フェーニクスの特性を開示。

 その恩恵は、縮地。具現するは、死角への転移。

 ――道理で、捉えられないはずだ。

 対抗策を検索。

 ――……該当三件。

 選択の時間が惜しい。

 ――自動選択。

 情報の海から、意識が表出する。

 「魔経津鏡(まふつのかがみ)

 あるだけの魔力を注ぎ、裡から拾い上げた文言を、紡ぐ。

 それは、失われた太古の呪詛。その効力は、反響。

 すなわち、如何なる理不尽をも跳ね除ける、


 ――

 ――――


 「……あれ」

 口をついて出たのは、そんな言葉だった

 ――あれから、どうなった。

 不自然に霧がかった意識と、全身に絡みつく倦怠感。それは、間違いなく死戦の余韻だ。

 何度か瞬いてから、ロストは視界の下方に銀色が映っていることを知覚する。

 視線を下すと、銀の長髪を散らばらせ、ミルヒが倒れ伏していた。

 「まさか、オレが?」

 「他に、誰が居るの」

 ロストは思わぬ人物の応答に、後ずさる。

 「ミルヒ先輩……」

 ミルヒはうつ伏せのまま首をだけを横に巡らせていた。顔には仄かな笑みを貼り付けて。

 「さっきのは、なに」

 ミルヒの問いかけに、ロストは、思案をする。窮地の間隙に起こった、なにかが、脳裏にちらつく――まるで全てを透徹するような。だが、明瞭には思い出せない。

 「……さっき、と言いますと?」

 ロストは、誤魔化すことにした。

 「質問に質問を被せないで」

 「いや、そう仰いましても……覚えてないんですって」

 髪を掻きながら目を泳がせる。嘘は言っていない。

 「キミ、隠したがりなのね。いいわ。そういうことにしておく」

 口にするミルヒの横顔は、喜色を帯びていた。それは年相応の少女の笑みだった。

 ロストが不思議そうに眺めていると、

 「ところで、わたしを運んでくれないかしら」

 予想だにしない要望が耳に届く。戸惑うロストに、

 「キミのせいで起き上がれないの」

 ミルヒは追い打ちをかける。

 「敗者の面倒を看るのは勝者の義務」

 「なんだその理屈」

 至極当然と言い放つミルヒに、ロストは素で返す。

 「敬語。わたし、先輩よ?」

 「めんどくさいな! あんた!」

 「嘘よ」

 「本当にめんどくさい……オレだって疲れてるんですから……全く」

 愚痴を零しながら、そっぽを向く。緩みそうな頬を無理くり留めたからか、精悍な顔つきになる。

 

 この日、双方の間に、友誼が結ばれた。



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