◆5.普通の高校生活、はじまりますっ?
ーー昔の偉い妖怪さんはこう言ったらしい。『早く人間になりたい!』と。
なら、私はこう言いたい。
「早く普通の女子高生になりたーーーーーーいっ!!」
ここはとある丘の上。
少し物悲しさを感じる秋空の下で、私は、普通の女子高生になると固く誓ったのだった。
……道行く人々から奇異な目で見られながら。
◆
「姫様、御帰陣なりーッ!!」
わが家の玄関を開けた途端、獅子の咆哮のような声が私の体を突き抜けた。
その咆哮の主である、目の前に居る屈強な体躯をした男性(以下、変態さんと呼びます)流の「お帰りなさいませ、ご主人様!」なのだろうけど、近所迷惑なんてものじゃない。
『ブオォ~! ブオォ~!』
更に法螺貝を吹き始めたので、慌ててドアを閉める私。
め、迷惑過ぎる! 新手の暴走族か何かなの?
「あ、あの~、近所迷惑なので、それは止めて貰えないでしょうか……?」
恐る恐る注意した私だが、変態さんの好きにさせた方が危ないことにはならないかもしれない。
なぜなら、触らぬ変態さんに祟りなしだからだ。
「なんとっ!?」
変態さんは注意されたことが意外なのか、大きく目を見開いて物凄い形相でこっちを見詰めてきた。
こ、怖すぎる。歌舞伎役者さんより迫力があるかもしれない。
「ヒッ!? ごご、ごめんなさいごめんなさいっ! やっぱり好きにしていいですっ!」
格好良い顔ではあるのだけど、とにかく怖い。迫力があり過ぎるのだ。
乙女ゲームに出るような爽やか系美男子成分が3割、某捧げる系大剣ダークファンタジーの主人公成分が7割といった感じの見た目なので、私には圧迫感がありすぎる。
私の謝罪を理解したのかしてないのか、変態さんはいきなり平伏すると、
「姫様っ! まっこと申し訳ございませぬっ!! 斯くなる上は、我が腹を切って御詫びをーっ!!」
あろうことか、何もない空間から取り出した短刀で、自身のお腹を切ろうとしたのだ!
何してんこの人!? ちょっぴり刺さって血が出てますよ!?
「ま、待ってください! 早まっちゃダメですっ! それに、玄関が汚れちゃいますっ!」
驚愕とも狐につままれたとも取れるような変な顔をする変態さん。何かを理解したのか、感極まって涙を流し始めた。
季節は秋だというのに、変態さんの暑苦しさが温度を上昇させている。
「姫様……。なんと、なんとお優しい……。このような失態すら、その広き御心で許して下さるとは……」
「あ、あははー」
こ、濃ゆい。一々リアクションが濃ゆい。
学校で疲れ切った体に、コッテリと脂の乗ったリアクションが染み渡り、私の疲労感を倍増させた。
「はぁ~~。つ、疲れたのでお風呂にします。変態さんは家から出ないで下さいね? 誤解されたくないですから」
「では、自分めは姫様の行水の警護を致しま……」
「私の部屋でおとなしくしていて下さいっ!!」
スケベ! 変態さんっ!! って言いたいけど、下心が無いのは確かなようだ。
本当に下心があるのなら、今頃悲しいお知らせを届けることになっていただろう。
とにかく、価値観の違いというか、時代の違いというか、有り得ない状況というか、それが疲れる。
「ひ、姫様……。怒らせてしまい、誠に申し訳ございませぬううううううっ! 斯くなる上は、斯くなる上は、この腹を掻っ捌いて、我が腸と首をご覧に入れまするううううっ!」
ループ!? ループなの!? 怒るのNGなの!? 戦国世代はガラスハートなの!? ほんとなんなの!?
「腸とか首とか欲しがる女子高生が、一体どこの世界にいるんです!? いいから部屋に戻って下さい!」
背後から聞こえる変態さんの嘆きを振り切って、プンスカとお風呂場に向かう私であった。
◆
ーー浴室の窓の向こうで、しとしとと雨が降り続いている。
今日は雨が降らないはずなのだけれど。今の不安定な私の心を映しているのだろうか?
「はあ……。何で、こんなことになったのかな……」
心做しか、お湯も冷たく感じる。そもそもの始まりは昨日。いつものように学校に向かう途中、萱之島駅にある御神木でお参りをした。
その御神木は、萱之島神社の樹齢2000年ほどの桜の木で、名を『神代桜』という。
駅のホームと屋根を突き抜けて生えている全国的にも珍しい駅だ。その不思議さもあって、私が小さな頃からのお気に入りの場所となっている。
そこにあるお社も変わっていて、一社両拝というお社の両側から参拝できる形なので、最近ではカップルをよく見かける。むむむ。
その昔、ある男女が向かい合って参拝し、そのお陰で結ばれた伝説があるので、私もそれにあやかって素敵なお嫁さんになりた……じゃなかった! と、とにかく、参拝したのだ!
それから、いつものように授業を受けて家に帰ると、私の部屋で全裸の変態さんが寝ていたという訳だ。うん、本当に訳が分からない。
その時は身の危険を感じすぎてどうにかなってしまいそうだった。
家に帰ったら、全身に刀傷痕のある屈強な体付きの男が、全裸で寝ている。私が女じゃなくても恐ろしいと思える状況だろう。
「そんな漫画みたいなことが、本当に起きるなんて……」
勿論、起こさないようにそっと逃げ、警察を呼ぼうとした。したのだけれど、アッサリと気付かれてしまい……我が目を疑うような速度で私を捕まえたのだ。そして、そして。
ーー弄んだのだ。たっぷり、ネットリと。
そう、コチョコチョされたのだ! 30分も。変態さんは、何度も私の体を弄ん……くすぐったのだ! こんな感じで。
『ハァッ……ハァッ……。私っ……もうお嫁にいけない……うぅぅ』
『それで、話す気にはなったか? お前はどこの間者で、なぜ俺を攫ったのだ。俺の服はどうした。なぜ、俺を見て変態と叫んだのだ?』
『ハヒ、ハヒッ……。ですから、いつの間にかあなたが居てっ、変態と言ったのは、私の部屋にあなたが裸で、その……』
『まだ言うか、女ッ! 懲りない奴には武芸百般くすぐり責めを見せようぞッ!』
『あっひぃぃいーっ!』
……というような地獄のやり取りを繰り返しつつも、何とか説得に成功したのは私の人生で一番の快挙かもしれない。自分で自分を褒めてやりたい。
説得の鍵は、私の名前が『武田夏音』であることと、お父さんが集めた武田信玄グッズだ。
この変態さんは、かの戦国大名『武田信玄』関係者であったらしく、私を武田家の子孫で、その姫であると勘違いしたのだ。少し天然さんなのかもしれない。
戦国時代の人だという話は今でも信じられない。信じられないけど、この異常な状況と、変態さんの異常な身体能力と、何もない空間から刀を取り出す姿を見せられたら……。
「もし通報して、変態さんとお巡りさんの争いが起きたらどうなるのかな……」
考えただけでゾッとした。だって、変態さんのあの速度は尋常じゃなかった。目にも止まらぬ速さなのだ。きっと、多くのお巡りさんが死んでしまうだろう。
お巡りさんの命か、私の平和か。それを天秤に乗せると、傾くのはどちらか。
「うぅ~。なんで、こんなことにぃぃ……」
今日だけでもう10回は同じ台詞を言った気がする。言った所で解決はしないが。
もし家族が私を差し置いて旅行に行ってなければ、もっと大変なことになっていたと思う。
私を置いて旅行を提案したお父さんに感謝だ。ありがとう、お父さん。私を置いて行ってくれて。
これでお土産が微妙なら、生まれて初めてお父さんの頭に噛み付くかもしれません。
「お父さんのおばかぁー……」
浴槽の中に顔を沈めて、恨みがましい声でなじる私。噛み付くのはともかく、これくらいは許されると思う。
そうそう、なんで変態さん呼びのままかというと、哀願されたからだ。罰としてそう呼んで欲しいと。
一瞬ただのドMの変態さんなのではと疑ったけど、本当に反省しているだけのようだ。
変態さんの名前は歴史の授業でも聞いたことがないし、きっとマイナーなのだろう。
それに、弄ばれて悔しかったし。変態さん呼びはちょっとした仕返しのつもりだ。
「はぁ。もう出よ……。考えても仕方ないよね。実はちょっと長ーい夢を見ているだけかもしれないし。……うん。絶対そうだ! これは夢!」
気持ちが前向きになってきた私は、少し軽くなった足取りで自室へと向かった。
◆
「臭っ!!」
なななっ、なにっ!? 何が起きたの!?
「姫様、お帰りなさいませ! おや、鼻をつままれてどうされたのです?」
お風呂から戻った私を待ち受けていたのは、猛烈な『汗』の臭いと熱気であった。
「どうされたもなにも、私の部屋で何をしてたんですっ!?」
「は。鍛練にてございます。家臣たるもの、これくらいはせねば姫様を御守りできませぬ故」
「た、鍛練!?」
ああ、なんということでしょう。
昨日までは野花のような爽やかな香りに包まれていた私の部屋が、たった1日で汗臭い男性の部屋のように変わったではありませんか。
床に敷かれた可愛らしい熊さん柄のカーペットも、今では大量の汗でドロドロになって、野生の熊さんのようなワイルドさになりましたね。あ、頭痛い。
「……うっぷ。す、すとれしゅで、胃酸が、おえええええーっ」
「ひ、姫様!? ごごご、ご懐妊でございますかっ!? おおーい! 産婆、産婆はおらぬかー!? 産婆ー!!」
……お父さん、お母さん、ごめんなさい。私、生まれて初めて人を叩いちゃうかもしれません。
後書き
モデルは萱島駅と山梨県の神代桜です。