初恋
中学一年も終わろうとしていた春の日。学校の靴箱に手紙が入っていた。
『話があるので、帰りに一本桜まで来て下さい。 健太』
一行きりのそっけない手紙だった。
健太は中学の同級生だった。同じ小学校から来ていたので、昔からよく知っている。中学生になって、あの頃よりも背が伸び、少しだけ大人っぽくなっている。
多少大人っぽく成っていても、私の中で健太を異性として意識した事は無かった。だから、こんな手紙をもらっても、それが告白をする為の呼び出しだとは気付かなかった。
何の下準備もしないまま、私は一本桜の下に立って健太を待っていた。満開の花びらが私の髪や肩に舞い降りている。
十分ほどして健太が現れた。
「ご、ごめん。待った?」
妙に真面目くさった顔につい、私は吹きだしてしまった。
「ハハハハ、どう……したのよ!」
いつも陽気な健太の真剣な顔が私のツボにはまってしまった。笑いが止まらない! 笑い過ぎて涙が出てきた。
「わ、笑うなよ!」
「だって、……健太が……真面目な顔……おかし……い」
「笑うなって言っているだろう!」
「ちょ、ちょっと待って……」
私は深呼吸をして、何とか笑いを封じ込めた。
「はぁ、はぁ、ごめんね。……はい、もう大丈夫……」
「…………」
健太は黙ったまま、私を見つめている。私はまたしてもこみ上げて来る笑いを必死で押さえ込んでいた。
「な、夏海。お、俺……、俺と付き合ってくれないか?」
私の笑いは驚きへと変化した。健太は小学校の時から知っている所謂幼馴染みだ。私の感覚の中では、私たちは仲の良い子供同士のままなのだ。それがいきなり「付き合ってくれ」って言われてもピンとこない。
「…………」
私が返答に困っていると、健太が私に質問を始めた。
「夏海は今、付き合っている奴がいるのか?」
「いないよ」
「じゃあ、好きな奴はいるのか?」
「それもいないけれど……」
「じゃ、じゃあ、俺と付き合ってくれないか?」
「…………」
私は戸惑っていた。自分の事も、健太の事も、まだ子供だと思っていたのに……。いきなり大人の世界に連れ出されたような気がしていた。
そう言えば、この一本桜には言い伝えがある。『この木の下で告白をされると幸せになれる』らしい。ここで健太の申し出でを断る事も出来る。しかし、言い伝えの事を思うとそうする勇気が出ない。言い伝えは告白された者が断り難い状況を作り出す為にある様に思えてきた。
私は健太の事が好きなのだろうか? 少なくとも嫌いでは無い。どちらかと聞かれれば好きな方だろう。
しかし、『付き合う』とはどんな意味かを考えると、私が思っている『好き』とは違った『好き』が必要になるのではないだろうか?
私が答えに迷っていると健太が言った。
「俺の事、嫌いじゃなかったら付き合ってみてくれないか? まあ、お試し期間みたいな感じで……」
「お試し期間?」
「俺、恋人とかって良く解らないんだよなぁ。だけれど、夏海と一緒に居たいし、夏海が他の男と付き合ったりするのを見たくないんだ。だから……、夏海がまだ誰とも付き合わないうちに告白しようと思ったんだ。俺と居るのが嫌じゃなかったら、とりあえず付き合ってみないか?」
何だか良く解らなくなってきた。お試し? とりあえず? 本来ならばこの様な言葉に対して怒るべきだったのかもしれない。でも、中学生の私は、「そうか、そんなに真剣に考えなくても良いんだ」と思ってしまった。
「うん、それなら良いよ」
そう答えていた。
私と健太は『付き合い』を始めた。付き合いと言っても、放課後一緒に帰る程度の付き合い方だった。一本桜の下で肩を並べていろいろな話しをした。
一本桜はそんな二人を優しく見つめている様だった。
春には桜吹雪で二人が付き合い始めた事を祝ってくれた。
知っているつもりだった健太の知らない面をいっぱい知った。
夏には緑の葉で木陰を作ってくれた。
健太の優しさが心地よかった。『好き』の意味が変わった気がする。
秋には葉を落とし、何かをささやいている様だった。
健太の温もりが暖かかった。『好き』の替わりに『愛』と言う言葉を使う様になった。
冬には北風を遮る様に立っていた。
それでも、健太と私の間に冷たい風が吹き抜けるのを感じた。
そしてまた、春が来た。
一本桜が満開を迎えた頃、桜の下には健太と一学年下の可愛い女の子がいた。




