異質の証明
推敲した、そんなことは読み手にとっては報告の価値もないことだ。
人間の争いというものは昔から絶えないものである。その争いの理由には「考え方の違い」がよく挙げられる。
しかし、それは実社会に当てはまるのだろうか。これは、それについて実際に考えるものとする。
仮にAとBという2人の人間があるとしよう。
そのAとBには真逆の性格を与えるとする。ただし、一般程度の性格であればそれは同じ性格になるものとする。
この仮定において考察すると、二人が争いが想定される場面はさほど多くないことに気付く。
例えば、Aが性格に難があったとしても、Bでカバーができているので衝突は起こらない。つまり、一方が悪というだけでは、少なくともこの仮定においては衝突は起こらないのである。
ならば、AとBが争い合うというのはいつ起こりうるか。それは、一方が正義をかざし、もう一方も正義をかざしている場合だ。実例を挙げるとすれば所謂右翼と左翼と呼ばれる政治的スタンスの違いか。
その場合において、人間が争い合う理由というのは実は考え方の違いではない。相手を悪だと決めつけるその自分の態度である。勿論、現実でこの仮定が当てはまらないのは皆様もご存知の通りである。しかし、現実においても、自分自身と考え方が違うというだけで相手を全否定し、双方での話し合いにおける解決を求めることをしない、そんな態度が争いを生むというのは理解していただけるのではないか、と思う。
そして、私は貴方に自分自身に問いかけてほしい。
その考え方は自分の都合の良い世界を、自分のエゴで作ろうとしているだけではないのか、ということを。
証明ということの難しさ。