第5話 長湯のドン・キホーテ
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「わははは!!」
長湯の町営温泉は今日も地元の年寄り達の笑い声が響き渡る。
広い浴槽には10人以上がゆったりと浸かっているがそれでもまだゆとりが十分にあった。
「それだけじゃねぇんじゃ!下ン田の横を通り過ぎよったらのぅ、水を次の田に抜く関ん所でこげな大きな鯉が3匹もツッカえて出れんで居る。」
その年寄りの中でもとりわけ声の大きな爺さんの話をみんなは身を乗り出すようにして聞いている。
「そこでワシは竹を切ってきて槍にして投げたら鯉を取れるんじゃねぇかっち考えたんじゃ。そん通り先を研いぢぃち『えいやっ!!』っち投げたら、どげえしたことか、ブスブスブスッっち3匹まとめて串刺しになったんじゃ!」
そんな馬鹿な!などという野暮なことは誰も言わない。
それどころか『ほ~ら始まった!ムーちゃん節じゃあ!』と爆笑に混じって野次が飛ぶ。
気を良くした爺さんは更に口角泡を飛ばすように話し続ける。
「おろ?!よう見たらこりゃ鯉のぼりじゃわい!ほらぁ肩に担いで持って帰るか!っちぃちそこの旅館に卸したんじゃあ。」
デタラメな話もここまで来ると桁違いである。
風呂場は割れんばかりの笑い声が木魂して誰が何を言ったか聞こえないほどに成っていた。
「ほらぁ食いでがあったやろう。鯨とどっちが身が取れたかえ?」
誰かがからかう。
「あほぅ!ワシが取った鯨は桁が違うぞ!」
どこまで本気か分からない真顔で答える人気者の『ムーちゃん』爺さん。
「いつの間にか鯨も取ったことになっちょらぁ!」
さらに別に人がツッコミを入れると益々風呂場は爆笑に包まれるのだった。
長湯する以外の楽しみの少ない田舎町である。
朝風呂のつもりが、そのまま昼過ぎまで浸かって行く常連ばかり。
長湯温泉の午前は、毎日がこんな風にゆっくり時間が過ぎてゆくのだ。
「そらそうと、今夜は満月やけんカッパと相撲を取らんといけん。そろそろ釣りの準備をしに帰るか。」
長湯温泉郷のドン・キホーテことムーちゃん爺さんはそう言うと湯船から立ち上がる。
これにも反応して笑う年寄りたちを適当にあしらうとサッサと着替え始めたのだった。
これだけの大法螺吹きではあるが酒を飲んでいる訳ではない。
実は彼には誰にもいえない秘密があったのだ。
「とにかく今日は急がんと。」
曲がった背中も最近ではすっかりトレードマークとなった老人は、覚束ない足取りながら家路を急ぐのだった。
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どこをどう通って来たかなど分かろうハズもなく、岩穴から飛び出した河童のタク君は、とにかく転げるように道なき道を駆けてゆく。
「うひゃっ!」
不意に足元の地面が無くなって宙に舞う。
少しの後、嫌というほど道路に尻から叩き付けられたタク君。
「イッタア!!」
それでも逃げなければと道路の反対側の木々の影を目指し拙い足取りで何とか歩き出す。
そこへ一台の車が猛スピードでやって来た。
「・・そ~れでもぉ僕らは回るぅ~~♪」
伊東氏と古澤氏はサビの部分を熱唱しながら通り過ぎてしまった釣りポイントを目指して疾走中。
クネクネと曲がる山道を器用にハンドルを切りながらも伊東氏は歌の世界にドップリ浸かっていた。
そして大きなカーブを抜け切ろうとした瞬間、道路の真ん中に立つ人影のような物を発見し、慌ててハンドルを切った。
キュキュキュキュキュ~~~~!!
物凄いスリップ音を立てて車はクルクルと回転しながら対向車線を滑ってゆく。
カーブの向こう側はガードレールも無い杉の木の林であり、そのすぐ下を芹川が流れているのである。
車は何度目かの回転の後、ギリギリのところで杉の木にぶつからずに止まった。
「あっぶねぇ~~!」
思わず野太い『女言葉』になる二人。
恐る恐るミラーでさっきの人影を探す。
「・・・あた、当たってないよね?」
もともと優しい性格の伊東氏は相手に怪我をさせなかったか心配している。
まだ震えている手でゆっくりと車のドアを開け、蹲る(うずくまる)人影の方へ近寄ってゆく。
古澤氏も車の横に立ち伊東氏の背中を見守る。
「だ、大丈夫ですか?」
怖さ半分、心配半分といった面持ちで人影に声をかける伊東氏。
しかし近づいてみて何かに気がついた。
その人影は服を着ていなかったのだ!
「きゃっ!」
思わず両手で顔を覆う伊東氏。
後ろで古澤氏が悲鳴を上げた伊東氏に驚く。
「ど、どうしたの!?」
声を潜めながら叫ぶ古澤氏。
そんな二人の心配をよそに全裸の人影はゆっくり立ち上がった。
「あぶなかったぁ。はっ!それよりも逃げないと!みなさんも逃げた方がよいですよぉ!」
急いでいるのだろうが、なぜかのんびり聞こえる彼の声に、少し安心したのか伊東氏は顔を覆っている手を下げた。
「ごめんなさい。大丈夫でした・・・か??」
全部言い終わる前にタク君の姿を見て絶句する伊東氏。
「ど、どうしたんですか?!だ、大丈夫ですか!?」
後ろで古澤氏が慌てだす。
何かあったらどうしようと右往左往している。
「じゃあ僕急ぐんで!」
そう言うとタク君は林の中へ姿を消し、そのすぐ後にドボンッと川に飛び込んだ。
「・・・何?・・・今の・・・河童?」
呆然とする伊東氏のそばには、いつの間にか古澤氏がどこかから拾ってきた棒を握って立っていた。
「何?何が居たの?」
伊東氏の顔を覗き込みながら尋ねる。
「・・・河童・・・?」
どこかから狼の遠吠えが聞こえてきた気がした。
第1巻 「洗濯船航海日誌 進化への挑戦」はこちら
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