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5 乙木 伊織(2)

 言った! 言えたわ!


 私は心の中で叫んだ。


 私、間違っていた。傷つくことを怖れているだけじゃ、何も変わらない。一砂(かずさ)君が、そう教えてくれた。


 話を持ちかけた時にはあんなに嫌がっていたのに、いざとなったら積極的に動いてくれた理由が、今なら分かる。一砂君は、家族を守るために辛い選択をしていたのね。


 その為なら何でもする、と一砂君は言った。そう、あんなに仲がいい御名(みな)君を傷つけ、嫌われる覚悟までして、今日この時に臨んでいたのよ。


 辛かったでしょうに。苦しかったでしょうに。あの笑顔は、その裏返しだったのね。本当に、ご免なさい!


 一砂君にここまでさせて、何も応えられなくちゃ女が、いや男が………あれ、どっちかしら。まあいいわ、とにかく女と男が廃るわ。


 本当は怖いけど、今すぐここから逃げ出したいくらい怖いけど、私、負けない。どんなに傷ついても、前へ進むのよ!


「す、好きって。え、だって。え?」


 御名君は信じられないとでもいうように、ただ狼狽している。


「ろくに話したこともないのに、おかしいわよね。でも本当なの。お願い御名君、私と付き合って下さい!」


 御名君は熱に浮かされたように、ふるふると首を振った。


 そうよね、こんな私なんか。でも、簡単には引きさがらないわ。野獣のように食い下がるのよ、伊織! 覚悟を決めたオカマは強いんだから!


「あなたがとてもモテてるのは知ってる。でも、私にもチャンスをちょうだい。きっといい彼女になってみせるから!」


 必死になって訴えかけると、一砂君が苦笑した。


「いやいや、それを言うなら彼氏だろうよ」


 もう、一砂君のイジワル!


「彼氏、彼氏でもいいわ。私、工事(・・)はしてないもの!」


「工事って、あんたな」


「じゃあ、改造でもいいわ!」


「それはそれで生々しいわっ!」


 ああ、自分でも何を言っているのか分からない。


「そ、そうですよ。そんなこと言われても」


 御名君が顔を真っ赤にして言った。


「無理じゃないですか、突き合うなんて!」


「お前はお前で、顔を赤らめてナニ言ってんだ! 明らかに違う字を当てただろ、いま!」


 一砂君が御名君の頭をすぱんと叩いて、それでやっと御名君が言った()()()()の意味が解った。


「え、え? やだあ、御名君!」


「だって、その気になったとか何とか言ってたじゃないですか!」


「いーから落ち着け、お前ら! ああもう、なんで俺がこんなこと言わなきゃなんねーんだよ!」


 一砂君がばりばりと頭を掻きむしる。


 そうだった、私がまずしなくちゃいけないのは、御名君の誤解を解くことだったわ。


「そうね、ご免なさい一砂君。私、いっぱいいっぱいで。ねえ御名君、聞いて。あの……あの噂だけど……あれはね、違うの」


「違うって……?」


「事実無根なの。さっきまでは自暴自棄になってたし、あなたを逆恨みして苛めてやろうと思ってたから利用したけど、私……そんなこと、してないから。お願い、信じて!」


 御名君が不安げに一砂君を見た。


「ああ、それについちゃ、たぶん本当だ。こないだ話を聞いた限りでは、な」


「そ、そうですか。そうですよね!」


「信じてくれるの?」


「もちろんですよ。良かった、やっぱり伊織さんはそんな人じゃなかったんですね」


 そう言って御名君は優しく笑ってくれた。それだけで私の心は幸せで満たされ、すぐにそれは溢れ出る涙となった。


「う、う……。ありがとう、御名君」


 嬉しい。嬉しい。嬉しさが溢れて、止まらない。


 ああ、やっぱり私は、このひとが好き。


 だからお願い、あとほんの少しだけ、その優しさに甘えさせて。


「私……私ね、これが初恋なの。私のことを、みんな綺麗だとか美人だとか言ってくれるけど、私が心を開こうとすると、どんな男の人も、それとこれは別って顔をするのよ。御名君だけなの、そんなに優しく笑ってくれたのは」


「え……伊織さん……?」


 御名君は困ったような哀しいような、とても複雑な表情をした。


 その隣では一砂君が渋面を作っている。


 ご免ね一砂君、きっとあの時のことを思い出してるのね。ううん違うの。責めてるわけじゃないのよ。あの時は私もやけになってたから、それが嫌だったのよね。だってあなたは、私のことをいい女だと思ってたって言ってくれたもの。


「だから御名君。私のことを好きになってなんて言わないわ。でもせめて、あなたのことを好きでいさせて。鬱陶しいかも知れないけれど、振り向いてもらう為の努力をさせて下さい」


 これが、私の精一杯の勇気。そして決して揺るがない覚悟。


「伊織さん……あの」


 御名君はとても居心地悪そうに目を伏せた。


「やっぱり、ダメ……かしら」


「いや、あの、言いにくいんですけど……もしかして……」


 そう口ごもる御名君の代わりに、一砂君が渋面のまま言った。


「あのな、伊織さんよ」


「あ、もしかして、もう彼女がいるとか? そうよね、こんなに素敵なんですもの。私ったら──」


「いや、そうじゃなくてよ」


 私の言葉を一砂君が遮った。


「前に話した時から、薄々そうなんじゃねえかとは思ってたんだけどさ……」


 一砂君の表情はどこまでも暗い。なに、なんなの? やだ、怖い!


「あんた、たぶん誤解してる。こいつ、マコトは、……女だぜ?」


 …………え?


「え、だって、みんな御名君って」


「それは、諏訪にいた頃っていうか、なぜか子供の頃からそう呼ばれてたから、こっちに来た時に御名君と呼ばれてましたって自己紹介したら、それが定着しちゃったからで……。第一、自分のことを私って言ってますけど……」


 え、え?


 ──さらさらの髪、長いまつ毛、知的好奇心にキラキラと輝く瞳、ハスキーで落ち着いた声、女の子みたいに繊細な指先。小柄な体で、きびきびと立ち回る──。


「それじゃ、本当に──」


「女、なんです」


 そんな、そんな。そんなそんなそんな!


(いや)。……イヤあぁぁぁぁ!」


 私の決して揺るがないはずの覚悟は、その土台からガラガラと音を立てて崩壊した。

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