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2 御名 真(みな・まこと)

 目合ひ(まぐわい)


 古くは古事記にも「あれいましにまぐはひせむと思ふはいかに(私はあなたと結婚しようと思うがどうだろうか)」等とあるように、男女間の目配せ、結婚、性交を示す語。


 このことから、「目」は性器の隠語としての側面を持ち、江戸期の黄表紙や、目の属性を持つ妖怪の──。


「それじゃ、始めてちょうだい」


「お、おう」


「──って、ちょっと待ったぁ!」


 しまった、呑気に現実逃避してる場合じゃなかった。いつの間にか事態が進行している。


「出来るわけないでしょ! カズさんもなに気軽に応じちゃってんですか。なんなのこれ」


「だってよ、伊織(いおり)さんの頼みだぜ? 金持ちには弱いのよ、俺。深く考えないで気楽にいこうぜ」


「いけるかーっ!」


 何でも面白がる人だなとは思っていたけれど、ここまで何でもアリか、この男。伊織さんの手前、口には出さないが、悪趣味としか言いようがない。


「いいから俺に任せとけよ……マコト」


「いつもは御名(みな)君って呼んでるくせに、急に雰囲気出して呼ばないで下さいっ」


 こちらの意思など無関係に、しかも満更(まんざら)でもなさそうにカズさんが迫ってくる。


 一つ歳上のカズさんとは、半年ほど前に民俗学サークルで知り合ったばかりだ。口調はぶっきらぼうだけど妙に人懐っこくて、古くからの兄貴分のように接してくれるから急速に仲良くなったんだけど……。そういえば、時々何か言いたそうにこちらを見ていたような気がする。


 まさか、始めから狙ってた!?


「ちょ、まっ。話し合いましょうカズさん!」


「御名君……いや、マコト。俺の名前を言ってみろ」


「え? 一砂(かずさ)……(あい)さんですよね」


「そう、愛だ。つまり俺は趣味嗜好の垣根を越え、男女の垣根をも越えて、全ての人と愛し合う宿命にある男なのだ」


 知らんがな。


「アンタ、子供の頃は女みたいな名前が嫌で、ずいぶんひねくれたって言ってたじゃないですかっ」


 カズさんは何かを懐かしむように、ふ、と遠い目をした。


「遠い……昔のことさ」


 わけ分かんないオブジェ見つめながらナニ言ってんだ。


 ダメだ、完全に悪ノリしている。


 もしかしたら冗談で言っているのかも知れないが、この人の場合はその冗談を本気で実行しかねない。やると言ったらやる(イヤな)凄味があるのだ。


 ああ、故郷の諏訪を離れ、三年余り。都会は恐い所だという母さんの制止を振り切って出てきたけれど、まさかこんな所でこんな異常事態に直面する羽目になろうとは。


 思わず助けを求めて見た伊織さんは、デキャンタージュせずに直接ボトルから注がれた赤ワインのグラスを手に、嬉しくて仕方がない、という顔をしていた。


 誰がどう見ても状況を楽しんでいるのは明らかだけど、それでも訊かずにはおれなかった。


「伊織さん、どうしてこんな事を? 何が目的なんですか」


「さっき言った通り、楽しむためよ。それに御名クンも聞いてるんでしょ、私の噂」


 クン、のところが妙に鼻にかかっている。


 この街に来てすぐに知ったことだが、伊織さんは有名人だった。冗談みたいな財力と圧倒的な美貌、そして人々の囁く奇妙な性癖によって、である。


 噂によると伊織さんは、夜毎(よごと)自分好みのイケメンを集めては、この世に在らざる乱痴気騒ぎに興じているという。


「……噂は本当だったんですか……?」


「あら、だから前回は誘いを断って、今回はその気になったから来てくれたものと思っていたけれど?」


 違う、とは即答できなかった。その気になった、の部分ではなく、だから断った、ことについてだ。


 実はひと月ほど前にも、伊織さん直々にディナーのお誘いを受けたことがあった。


 以前から密かな憧れを抱いていた伊織さん。優美で上品な物腰、凛とした知性の光を瞳に宿した涼しげな目もと。初めて間近で見て、こんな綺麗な人がこの世にいるなんてという感慨をいっそう強くした。


 だけど。


 伊織さんが御名(みな)(まこと)という人間を知っていた、あるいは興味を持ったことが信じられなくて、大いに驚愕し、狼狽し、なんだか怖くなって──反射的に断ってしまったのだ。


 そしてその時、例の噂がちらりと脳裏をよぎったことは否定できない。


「だって、まさか本当だったなんて。なんでこんな」


 あれからずっと後悔してたから、今回カズさんづてで入ってきた話に乗ったのに。


「これは通過儀礼よ。さあ、勇気を出して新しい扉を開いて。ゴールは私よ」


「そうだぞマコト。俺と一緒にイこう」


 カズさんが迫る。だからなんで乗り気なの。


「一人で行って下さいよ!」


 背中が壁に当った。いつの間にか追い詰められている。


「なに言ってんだ、一人じゃイケないだろ。いいからやらせろよ」


 ヤバい。目がマジだ。


「ダメですって。む、無理矢理はよくないですよ!」


「あら、御名君が()でもいいのよ?」


 楽しそうな伊織さんの声に、ふとカズさんが真顔に戻ってそちらを見た。


「いや、そりゃ無理だわ。だいたい俺、ヤるのはいいけどヤられるのはイヤだし」


 最低だこの人。


 ああ、母さん、母さん。やっぱり都会は恐い所でした。


 親不孝な私をお許し下さい……。

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