四十六話 死にたい理由 後篇
記憶がない。
いつの頃か給仕の四ノ宮さんが言っていたが、心的障害が大きくなると、人間は本能的にその時の記憶に鍵をかけてなかったことにすることがある、と。
自分を保つために、と。
結月も、この症状に近いものだろう。
それほど、衝撃的で、屈辱的で、心をズタボロにされたのだろう。
だから記憶に鍵をかけて、なかったことにして……。 だけど、その前後の記憶までは鍵がかからなかった。
犯されそうになった記憶と人を殺したという記憶までは。 まるで、人間を怨むために、人殺しの罪を見せつけるために鍵をかけるのを邪魔されたように。
「人の死体を見た時、気が狂いそうでしたよ……。 殺した記憶はないのに、私の身体には血がべっとり付いてて、変なにおいがして、手に変な感触が残ってて……。」
結月の身体が震え、着物が汚れるのも厭わずにその小さな体を抱きしめるように丸まった。
刀から琴が出てくると、結月を起こして抱きしめた。
「大丈夫だよ」
「その優しさがつらいです……」
琴を突き放して言った。
「あんなことがあって、さすがに人間を怨めしく思いました。 その怨みを良いことに、人間の汚いことをいっぱい聞かされました。 けど、天城さんや琴さん、天文の人たち、あの町の人たちのことを思い出すとその恨みも消えてしまうのです……。 人間を殺せと散々言われても、天城さんたちを殺すのは嫌なんです! 優しくしてくれた人をなんで殺さなくちゃいけないんですか……。 きっと優しい人はまだたくさんいるはずなんです! それなのに殺さないといけないのは間違ってる! 間違ってるけど……、妖の生活を守るには、そんな人まで殺さないといけない。 人間は他種属に容赦ないから……」
「だから、死にたいのか……」
「もう嫌なんです。 頭の中で『殺せ、殺せ』と言われ、心の中で『それはだめ』と言ってくる。 私はどっちに従えばいいんですか……。 もう分かんないですよ……。 苦しいですよ、天城さん……」
地面に崩れた。
こんなに小さいのに妖のために悩んで、人間のために悩んで……。
僕は刀を手にするとなんの前触れもなく、結月を切った。
肩から腰にかけて深く、切りつけた。
結月は、涙を流しながら倒れた。
「悠、何やってるの!!」
琴に血を流している結月に近寄り、火を使って止血しようとしていた。 僕はそんな琴を引きはがして、結月に言った。
「違うぞ……、僕はこんなにも汚い人間だ。 仕事のために、かつての仲間を手にかけるほどにだ。 だから怨め! そして化けて、僕を殺しに来い!」
最後ににっこり笑うと、それっきり動かなくなった。
「琴、僕のした事は間違ってたか……」
「間違ってはないけど……、許したくない……。 けど、けど……、あんなに苦しんでる花ちゃんを、放っておくこともできなかった……」
「そっか……」とつぶやき、僕たちは寝ている結月に手を合わせた。
小さくも心の優しい、たった一人の少女に




