水の乙女
「嫌だぁぁぁ!」
私は叫ぶ。
髪を振り乱し、目は充血し、酷い格好で私は叫ぶ。
「ヤダッ!」
沢山、言いたいことが有るのに。
ごめんなさい、って。
ありがとう、って。
愛してる、って。
だから、お願い。
連れていかないで。
私を救ってくれた、私を愛してくれた、私の一番大切な人を連れていかないで。
お願い、神様。
この人を連れていかないで。
私のあげられるもの、全部あげるから。
私の心も、身体も何でもあげるから。
命だって、あげるから。
私がその人と会ったのは、私が生まれたとき。
私は俗に言う、精霊というものだった。
精霊は原始の力と願いの強さによって生まれる。
私が初めて生まれて始めて見たのは、青い空。
水、と呼ばれるものの中で私は生まれたのだ。
水から出ようと上へと進む私。
上へ上へと進んでいくうちに青さは、眩しさを加えていく。
水から顔を出したとき、見えたのは沢山の緑と眩しい黄色。
そこで見つけたのがその人だった。
水辺のほとりで、私の方を見つめるその人。
驚いたように、私を見つめる瞳は美しい。
「誰?」
その、澄んだ瞳に、
少し低めの声でも紡がれる言葉に、
私は魅せられた。
その瞳も声も私に向けられていることに嬉しさを感じた。
狂おしいほどに、その人を求める自分がいた。
生まれたばかりの私にとって、その人は全てになった。
「人じゃない?」
呟かれたその言葉に私は、言葉を返す。
生まれたときから、その身体に刻みこまれている私の存在を。
『セイレイ』
それが、私。
「精霊?」
驚いたように返すその人に私はまた魅せられる。
どんな仕草も、私は魅せられるのだろう。
クスリ、と笑いを返す私にその人は言葉を発する。
「名前は?」
『…ナマエ?』
名前とは何だろう。
私の存在のことだろうか。
『セイレイ』
「名前がないの?」
戸惑うように、言ったその人。
私は首を傾げる。
何を戸惑うのだろう。
精霊とは、私。
私は、精霊。
それだけのはずなのに。
「名前が無いなら僕がつけてあげる」
そんな申し出が私の心を揺らした。
ナマエ、名前。
それがあれば、私は近付けるのだろうか。
その瞳に。
その声に。
その存在に。
『ホシイ』
私に頂戴。
近付くための力を。
「うん、いいよ」
きみに名前をあげるよ。
そう言ったら、私をじっと見てきた。
何だろう。
私は人じゃないから珍しいのだろうか。
この、青の髪の毛と瞳が。
水から生まれたためか、髪の毛も瞳も青い色をしている。
それが珍しかったのだろうか。
それとも…
…気持ち悪かったのだろうか。
「よし、」
その人の声で、私は我に帰る。
変なことは考えない。
「決めた!」
だって、そんなことしない。
この人はそんなことしない。
「きみの名前は、」
会ったばかりでも、
何も知らなくても、
「セルヴィだ!」
信じているから。
『ナンデ、セルヴィ』
私には、似合わない。
「そんなこと無いよ!」
だってね、と言葉を続けるその人。
「きみは綺麗だから。僕と違って、此処みたいに綺麗だから」
私はキレイじゃない。
綺麗なのは、あなた。
本当に綺麗なのは、あなただよ。
「よろしくね、セルヴィ」
そうやって差し出された手を私が取ってもいいのかな?
そろりと手を伸ばす私に、明るい笑みで受け入れてくれる。
『ヨロシク』
手と手がふれ合うと、私の冷たい手は暖かいその手に包まれた。
そうして私は、名前をもらった。
私が生まれてから5日ほど過ぎたある日。
その日は、毎日来てくれたその人が来なかった。
一緒に覚えて上達した喋り方も、
水から出られない私に聞かせてくれる話も、
今日は出来ない。
そう考えると、少し心が重くなった。
何で来ないんだろう。
そう考えたが、何も出てこない。
昨日は帰るときに、
「また、明日」
って言ってたのに。
何だかそう考えると少し腹が立つ。
だって、約束守ってくれて無いじゃないか。
また、明日って、明日も来るよって言ったのに。
「馬鹿」
覚えた喋り方で愚痴を呟く私。
何で来てくれないのかな?
まさか、ケガでもした?
そうだったらどうしよう。
不安
何で来てくれないのかな?
私のところに来るのが嫌になったりした?
そうだったら許さない。
怒り
何で来てくれないのかな?
来るのが遅れているだけ?
そうだったら嬉しい。
希望
色んな感情がぐちゃぐちゃに入り交じる。
こんなに沢山の感情を感じるのも、その人のおかげ。
朝が過ぎる。
それでも、来ない。
昼が過ぎる。
それでも、来ない。
日が沈む。
それでも、来ない。
夜になり月が空高く昇る頃、その人は来た。
その人の顔を見たとたん、いままで考えていたことが吹き飛ぶ。
どれも当たっておらず、どれも当たっている。
ケガはしていない。
けれど、私を見つめるその瞳に澄んだ光は無く、濁った光が輝いている。
不安
来るのが嫌になった訳じゃない。
だって、来てくれたから。
けれど、私の好きだった声は優しい言葉では無く、きつい暴言を吐き出している。
怒り
私のところに来てくれた。
けれど、風貌が同じでも違いすぎる心。
希望と…
……絶望
「何で…」
私の頬を伝うのは、涙。
へたりこむ私に、その人は冷たく笑みを浮かべる。
いや、違う。
その人の心を乗っ取った私の仲間。
私と同類の精霊、と呼ばれるもの。
『アイタカッタ』
そして、私とは違う負の感情に形作られた精霊。
その精霊が…
笑う、愉う、ワラウ。
『ワタシ』
嬉しそうに笑う。
笑わないで。
その人はそんな風に笑う人じゃない。
そんな暗い笑いかたをする人じゃない。
もっと明るい、そう昼の木漏れ日を強くしたような人なの。
『カエシテ』
私が心を引かれたのは、
私に名前をくれたのは、
私といてくれたのは、
『ソノ人ヲ、カエシテ!』
あなたのいる身体の持ち主なんだから。
『イヤダ』
唇が大きくつり上がり、
『コレハ』
目の奥に冷たい光が宿る。
『ワタシノ、モノ』
愉しそうに嘲笑う精霊に初めて、明確な殺意を…負の感情を抱く。
ふざけるな。
ふざけるな。
ふざけるな。
その人は、私の獲物だ。
その澄んだ瞳も、
聴いていて心地よい声も、
笑顔も、髪も、全てが私の心を掴んだ。
私が狙いを定め、狩るための獲物。
『オマエニナド』
他の誰にもあげるものか!
私の獲物なんだ!!
『ワタサナイ!!』
私の存在であり、私の力の源でもある水が、ソイツを襲う。
高く高く、持ち上げられた水の柱が水飛沫をあげ、ソイツに迫る。
驚いた顔をする、ソイツに私は悦ぶ。
なんて滑稽な顔をしているんだ、と。
戦いたいと私に求めたのはオマエだろう?
挑んだのは、
奪ったのは、
オマエだろう?
水の柱はソイツを呑み込む。
あぁ、なんてなんて愉快なんだ。
あの恐怖に歪んだ顔を見ることがこんなにも、愉しい。
「………け…て」
敵を打ち倒すことに快感を覚える、そんな私に届いたのは声とも言えない小さな小さな声。
しかし、それは私を正気に戻した。
私を正気に戻したのは、
大切なあの人の声。
私が襲わせたのは、
あの人だ。
誰よりも……もしかしたら自分よりも大切だと思う唯一無二の人。
「……ッ…」
私はその人を、
「あ、ぁぁぁ………っ…」
この手で襲った。
気持ちが散ったことで、水の柱は力を失う。
水の柱はその勢いを失い、あの人は空中に身を投げ出される。
そのまま、あの人はその重力に逆らわず墜ちてくる。
助けよう、という気持ちが湧いてこない。
ただ、上から墜ちてくる、と分かっただけ。
このままだと、頭から突っ込むって分かっただけ。
動けなかった。
ザブン、と案外軽い音がする。
「………ぁ」
ぷくり、ぷくりと小さな泡が生まれる。
「………っ…ぁ…」
その泡が少なくなって
「……ぃ…や…………っ…」
ぷくり、と最後の泡が出来て
「…ぁぁ…ぁ…………っあ……………」
ぱちんっ、と割れる。
そうして、あったのは静かに凪ぐ湖。
もう、何も浮いて来ない。
もう、何も変わらない。
「イヤァァァァァッ!!!!!!!!!!」
そこで、動く。
助けなきゃ、助けなきゃ、助けなきゃっ!!
水に飛び込む。
いつもは何処までも、泳いでいけるような気がしていた。
自由な世界だと思ってた。
でも、違う。
私は気付いた。
泳いでも、泳いであの人にたどり着かない。
ここは孤独の世界だと。
必死に探す。
見つからない、見つからない、見つからない
何処に居るの?
下に行くほど、暗くなって行く。
闇に飲まれてしまいそうだ。
見つけた。
闇に飲まれるようにあの人の身体が沈んでいく。
あの人に触れる。
冷たい。
急いで、陸にあげる。
呼吸を聴く。
呼吸が聞こえない。
心臓の鼓動を聴く。
とくん、とくん、と動いているものの弱く弱くなっていく。
死んでしまう
この人が、死んでしまう。
「嫌だぁぁぁ!」
死なないで、死なないでっ!
「ヤダッ!」
誰でも良いよ
この人を助けて……
その為なら何を差し出しても良いから。
お願いだよ、この人を助けて…
『キキイレタ』
荘厳な声がする。
光を放つ、丸い物体。
誰?
……誰でも良いか。
『オネガイ、タスケテ』
この人を助けて…
『ダイショウハ、オマエ』
そう言うと、物体が眩く光る。
眩しくて、目を閉じる。
身体が少しずつ、軽くなって行く。
代償だから、かな?
ふわふわと身体が浮くよう。
あぁ、気持ちが良い。
それは心地よく、思考さえもどろどろと溶けてゆく。
それでも最後まで残っていた僅かな思考であの人を考える。
出てくるのは思い出ばかりで。
目を開けたくなった。
でも、駄目。
今、目を開けたら名残惜しくなってしまう。
だから、駄目。
あぁ、時間が無い。
もっと、居たかった。
もっと、話したかった。
もっと、あなたを知りたかった。
それでも、悔いは無い。
最後にあなたに言葉を告げられるなら
ありがとう、と伝えたい。
『ありがとう、シア」
「お母さん、これなぁに?」
「ん?これか……」
僕は息子が持っている蒼い石を見て思い出す。
僕………シルヴィアは幼い頃に出逢った友達がいたんだ。
一週間と言う、短い間だったけれど。
精霊という、存在。
僕が、名前をあげたんだ。
出逢った湖の名前
毎年訪れる、大切な場所。
その場所は、『セルス』
そしてあの子の名前は、僕の名前と湖の名前合わせた
『セルヴィス』
最後のあの日、セルヴィのもとに行けなかった。
毎日毎日、湖に行っていて不審がられたからだ。
行けたのは夕方。
止められたけど、そんなの聞くわけが無い。
でも、途中で意識が途切れて………
起きたときに見たのは消えかけたセルヴィ
「セルヴィっ!」
セルヴィを引き留めるように鋭く声を発する。
それでも、消えていくのを止められない。
そして……ぶわりと風が吹く。
風の強さに、目を閉じる。
目を開けたときそこにセルヴィは居なかった。
代わりにあったのは、蒼い石
セルヴィの瞳や髪の毛ような綺麗な蒼
夢だと思うこともあった。
セルヴィというのは僕自身が作った妄想なんじゃ無いかって。
でも、石があったから。
それに、あの子がくれた言葉があったから。
僕は『シルヴィア』という人間でいられるんだ。
あの子と居た一週間は、今の僕を形作る大切な一部なんだだ。
最後に呟いたセルヴィの言葉
「ありがとう、シア」
今年もセルヴィと会った時期になる。
今年は、息子と夫と三人で行こうか。
「久しぶり、セルヴィ」
《因みに隠れ情報》
シア(シルヴィア)は僕口調の女性
旦那の名前は、ギル(ギルバード)
子供の名前は、ルナ(ルナード)
セルヴィ(セルヴィス)は私口調の男
ま、でも精霊は両性(又は無性)でもある。
シアが女だと気付いたのは何人かな( ´_ゝ`)