第九話 臨戦
「真の実力は、本物の刃でないとわからない。レイピアを1本持って、寄宿舎の屋上に来なさい。誰にも見つからないように」
四肢が軋む。顔が歪む。
さすがに部活程度だとは思っていなかったが、やはり辛かった。
訓練場を出る頃には脚を引きずり、壁を頼って歩かねばならなかった。
しかし、若さというのは有難いもので、1ヶ月もすると騎兵隊を自称できる程度の体力は付いた。
ついでに言うなら小さな勇気も、それにもっと小さな、けれどとても尊い、自信も湧いた。
僅かでも成長した今、自分の力を試すのに、もう、あまり恐れは無かった。
「あのー・・隊長」
「何だリベル?フットワークはもう終わったのか?」
「はい、終わりました。それで、班の事なんですけど・・・」
それは、もう1週間は言い続けたセリフだった。
『またか』という言葉すら声に出さず、ラビさんは無表情のままで、愛用のトマホークを再び研ぎ始めてしまった。
「あのう・・」
「しつこいなぁ、お前は。
もう今回は折れないぞ。ハンスに言ったって、こればかりはダメだからな」
これもまた、1週間聞き続けた。
私はまだ、どこの班にも所属していなかった。
所属の班が無いというのは、つまり出撃する機会が無い、という事だ。
もう季節は変わり始め、カレンダーの絵柄は、雨に濡れたカタツムリとアジサイが共演していた。
「でも、ギムサ班長は十分なレベルだって、言ってくれました」
「ギムサの班には入らないだろ。お前の候補班は5班なんだから、ジョルジオが認めないと」
「でも、ジョルジオさんは・・」
ジョルジオさんは、滅多に訓練場に顔を出さなかった。
ほんの二日前に、5班のミーティングのためにここへ来たが、けんもほろろに断られた。
大体の場合、班長は候補の新人と手合せをして、一定のレベル以上だと判断したら、自分の班に入れるものだ。
しかしジョルジオさんは、手合せどころか、構えすら見てくれずにひと睨みして背中を向けてしまった。5班のメンバーに話しかけても、苦笑いして他所へ行ってしまうだけだった。
「私、ジョルジオさんに嫌われてるんでしょうか?」
「そんなの知るか。何か嫌われるような事をしたのか?」
「いえ・・。身に覚えは無いですけど」
「じゃあそれは無いだろう。忙しかったんじゃないのか?」
「そうでしょうか?」
「変な心配をせずに訓練しろ。
いっそジョルジオを打ち負かしたら、お前を班長にしてやるさ」
相変わらずの真顔できっぱりと言い、いま水洗いした刃を目の高さまで持ち上げ、片目を瞑った。
斧は鏡のようにきらりと光って、室内訓練場の天井を映した。ラビさんの表情が、眩しく輝く。
ハンスさんが言っていた『ラビの恋人は手斧』という揶揄が、身に染みた。
結局何も解決せず、渋々トレーニングに戻る。
稽古を付けてくれるのは、アデルを除く2班の先輩達だった。
もちろん、2班に入れたら言う事なしだった。
しかしそれは無理だと隊長から聞いたばかりだ。現時点で女性兵と新人兵を抱える2班に、もう一人の女性兵、しかも新人を加えるのは、あまりに酷だと釘をさされた。
いくらギムサ班長が屈強な大男とはいえ、それでは負担が掛かりすぎる・・と。
「あ、おかえり。どうだった?」
アデルは、私の顔を見ると全てを察し、同情の眼差しを向けてきた。
未だ入隊4ヶ月目の彼にとって、この苦境は自分の記憶にも新しいところだろう。
後に聞いたが、あの駅での紛争の3日前だったらしい。アデルが2班に入ったのは。
「ねえリベル、僕何か変だと思う」
「なんで?」
「だってジョルジオさん、僕が入りたての時は普通にここに来てたよ」
「・・・そうなの?」
「うん、なんか怖くて喋れなかったけど。僕さ、ちょっと思うんだ。その・・・」
急に声を落としたので、急いで耳を近づける。
「リベル・・・嫉妬されてるんじゃないかな」
「・・・え?」
「だから、リベルはジョルジオさんに嫉妬されてるんじゃないかって」
「な、何で?」
アデルの瞳に狼狽の色が映り、ちょっと、と手を招いて皆の死角に座り込んだ。
「何?」
「ごめん、ちょっと変なこと訊くけど・・・リベル、死んだとき幾ら支給された?
言いたくないなら、言わなくても良いけど」
「一番最初に?」
「うん、そう」
金額が金額なのでかなり躊躇したが、アデルが何か悪いことをするとも思えないので、とりあえず正直に伝えた。ちなみに端数は覚えていないので、切り捨てた。
アデルは目が点になり、ちょうど初めて金額を聞いた時の私と、同じ反応をした。
「せ・・1200万?!本当??一桁間違ってるんじゃない?」
「アデルは?」
「僕なんて180万円だよ!それでもビックリしたのに・・・
リベル、生前そんなに苦労したの??」
「そんな事ないよ!私も多すぎると思ってリンディさんに言ったんだけど、間違いないって」
「やっぱり、そうだったんだ・・。それで、そのウイングを・・・」
「これ?」
初日に注文したウイングだ。
リンディさんが進めてくれたモデルで、一生モノなら、このくらいの値段が良いわね、とも言っていた。
今やそのセリフは、不吉なものに思えて仕方なかった。
「それ、リンディ士官も同じの付けてた?」
「う、うん。だけど私、値段、訊いてなかった・・・」
「多分だけど、それ・・飛行用ウイングの中で一番高いやつだよ」
今更、目が飛び出た。
何でそんなものを選んでくれたんだろう。猫に小判にも程がある。
「い、いくらなの?」
あきれたことに、私はあの日の買い物の後、一度も通帳を確認していなかった。
レシートも確認していない。
「僕、これカタログでしか見たこと無いけど・・・たぶん、550万くらいだった」
驚きのあまり、頭がくらくらした。
それだけあれば一体何が買えるだろう。立派なグランドピアノが買える。豪華な世界旅行もできる。兄の大学の費用も、それくらいだったかもしれない。
それと同等の価値のものを、今、背中に装備しているのだ。
「知らなかったの?」
全然知らなかった。こんな、ファンタジックで、仕組みが謎だらけな機械の価格など想像も付かなかった。思い返せばやたら豪華な包装だったが、ウイングは皆そういうものだと思っていた。
「そっかぁ・・・・」
「でも、どうして何も言ってくれなかったの?サンディさんも、ギムサ班長も」
「多分、気付いても黙ってたんだと思う。支給金の話なんて、誰もしたがらないし」
「・・・でもきっと、とんでもない額ってことは皆にバレてる、よね」
「・・・・僕が勘づくくらいだから」
あの、思ったことを何でも口にするハンスさんでさえ、私のウイングについて一言も言わなかった。
隊長だって、私にこのウイングは分不相応だと、なぜ一言言ってくれなかったのだろう。
加えて、アデルは注釈を述べた。
「ジョルジオさんは家がお金持ちだったみたいで、今の環境に納得してないらしいよ。
でもウイングだけは高級品を最近買って、いつも自慢してた。って・・・姐さんが」
それで、全てを了解した。
私の入隊とほぼ同時に訓練に来なくなったのも、それが原因と考えて間違いなさそうだ。
「どうしよう・・話せば何とかなるかな?」
「何とかできるの?」
それはこっちが訊きたいぐらいだ。しかし、何とかするしかない。
他の班はすでに新人が居たり、使用武器が偏ってしまったり、とてもすぐに入れてもらえる状況ではなかった。
レイピアみたいに扱いやすい武器だと、それに人口が集中して、すぐ満員になってしまうのだ。
「・・・なんとかするよ」
自分の居場所は、自分で確保しなければならない。いわゆるセルフ・マーケティングの指南書など一度も読んだことは無いが、そう感じた。
自分の苦境に甘えてフテ腐れるなど、少なくともここでは、皆の前では絶対にしたくなかった。
「ジョルジオさん、どこに居るのかな」
「受付のネルリーさんに聞くといいよ。あのひと、人を捕まえるのが仕事だから」
薄雲りの午後―――ベルベット地の上等なベストの右ポケットから、ボクは純金メッキされた美しい装飾の懐中時計を、優雅な手つきで取り出した。
本当ならボクが持っているのはメッキではなく純金製で、ダイヤをあしらった、もちろんスイス製の一級品、の筈だった。
しかしあの役立たずな運転手のせいで、(そう、あの爺はいつも親父からの電話にビクビクして、フリーハンズ機能で話していても緊張のせいで結局手が震えていた)このボクは今、いわれの無い困難と屈辱を味わっているのだ。
あのハゲ爺、もし死んでいたらきっと地獄に落ちているだろう。ざまあ見ろ。
とにかくどこに居ても気品が滲み出ているボクは、時計の蓋を開けて文字盤を見た。
長針と短針は、3の文字の上で美しく重なり、もうすぐあの下賤な、虚栄心の塊の新人女が訓練を終えて寄宿舎に戻る頃――――とボクに優しく囁きかけていた。
嗚呼、それでも・・あそこへ行くのは、やはり気分の良いものではなかった。
物わかりのいい連中も一応居るが、大概の馬鹿者はボクの振る舞いを理解しようとせず、コソコソ隠れて、物陰からエムヴィー・・そう、“嫉妬”にまみれた視線を、無礼にもボクに投げかけて来るのだった。
因みに軽装騎兵隊は、ラヴィエルという野蛮な斧使いのガキが何故か隊長をやっていて、まあ、どうせあの野蛮な斧を適当に振って、形だけの戦果を挙げたのだろう。下品すぎてボクには到底マネ出来ないが。
その形だけの隊長にも、流石にボクの能力の崇高さは理解できたらしく、この前やっと、遅すぎるが、やっと班長の叙勲をよこしたのだった。
憂えるボクは、重い腰を上げて部屋を出た。
訓練だけはしないと、いかに優秀なボクでも、剣の感触を忘れてしまう。5班の間抜け共にも、示しが付かない。
ドアを閉める。懐中時計をポケットに入れ・・・ボクは強烈に嫌なものを見た。
安っぽい絨毯敷きの廊下の向こう、わざわざあの至高のウイングを外して、セイント・リベルがボクに向かって歩いて来た。両の手に、練習用のフルーレを1本づつ持っている。手合せを申し込む心算だろう。
ボクが一番気にしている、大変デリケートなところを、あの女は抉り取った。
根拠の無い虚栄に満ちた、勢いだけはある、あの女の目は、こう言っていた。
―――アンタがバカみたいに気にするから、あれを外してやったわよ?
さあ、どうするの?これでも戦わないつもり?
「ジョルジオ班長」
ボクの名前を勝手に呼ぶな!汚らわしい!
・・しかし、温厚で賢いボクは、とても紳士的に振る舞った。
「おや、セイント・リベル。こんな所までフルーレを持ってきて、君は熱心だね」
「班長、手合せを申し込みます。
ウイングの事は・・・すみません。私、知らなかったんです。リンディさんに任せっきりで、値段とか見てなくて・・」
怒りに、身震いしそうだった。
成程ね、良くわかった。君は値段の事など気にしなくても好きなものが買える。今のボクと違って。
OK、もう良い。君の言いたいことは、よーくわかった。
「5班に入れて下さい!ジョルジオ班長!」
ボクを怒らせた罰を与えてやる。ボクにはそうする権利があるんだ。
「・・いいだろう。手合せする。但し、フルーレではダメだ」
「・・・・えっ?!」
驚いた間抜けな顔。いい気味だ。
「真の実力は、本物の刃でないとわからない。レイピアを持って、寄宿舎の屋上に来なさい。誰にも見つからないように」
お前みたいな能無しの生き死になど、ボク次第でどうにだって出来るんだ。
それを思い知らせてやる!
「防具は必ず付けて来なさい
何が起こるか、わからないからな」