第八話 夜更かし
「隊長って、休みの日何してんだろうね?」
「どーーしたのアデル?隊長の事好きなの?私はイイと思うよっ!」
深夜。俗に言う、草木も眠る丑の刻だった。
セイント・ピエットは気が付くと、月明かりをたずさえる純白のシーツが掛かったパイプベッドに、体を横たえていた。
塩基系の、あの例の消毒臭さで、自分の居場所は大体想像がついた。
確か、グラハムに運ばれている途中で気を失った筈だ。
それが昨日のことなのか、一昨日なのか、判然としないが、ともかく肩は縫合されており、腫れて痛むが、神経が傷ついた様子は無かった。
どうにか擦り傷で済んだ左腕に体重を掛け、起き上がる。
明り取りための、開かずの窓から外を見た。
寄宿舎の明かりは大半が消え、明日仕事がないか、計画性のない者の2、3室だけ明るかった。
ウチの兵舎は、それは名ばかりで、そこで寝起きする兵士など殆ど居ない。
一階の室内訓練場以外は、倉庫や治療施設と化していて、上階は他の病院に行く必要が無いほど、医療器材が潤沢だった。つまり、どちらかというと病院兼訓練場、と呼称するのが正しい。
何の気なしにエンドテーブルを見ると、手前側の端っこに、手のひらサイズの白い紙切れが二つ折りになっていた。
見た目から言って、多分メモだろう。そして、わざわざ枕元のテーブルに置いてあるという事は、起きたら直ぐに見ろという、静かな主張に違いなかった。
メモを開く。
目が覚めたら報告待つ。深夜でも、早朝でも、すぐに。
ラヴィエル
一体今は何時だろう。部屋を見回して時計を探す。ふと思い出してエンドテーブルに視線を戻すと、さっきメモが置かれていた位置のすぐ近くに携帯があった。ああ、と半笑いしながら手に取る。ボタンを押し、パチ、と開いた。
4月30日、午前1時32分。気を失って、まだ半日も経っていなかった。
多分、今日の疲れもあり、この時間なら隊長は寄宿舎で眠っているだろう。
起こすのはかなり気が引けたが、すぐに、と念を押されては、その通りにするしかなかった。
―同じ頃、寄宿舎の最上階の一室では、やけに能天気な集会が開かれていた。
全102室。見張り塔の次に高いこの寄宿舎は、この事務所に勤める大多数の天使が生活している場だ。
秩序正しいこの居住空間でも、新人たちのフロアだけは、どこか修学旅行を思わせるような雰囲気だった。
「隊長って、休みの日何してんだろうね?」
真新しい、オフホワイトのふかふかなラグには、隣の部屋のアデルとわざわざ3階から参加してくれたサンディが座っていた。すっかり、各々の楽な姿勢に崩している。
これも新しい、白い折り畳みテーブルには夜中に禁忌とされているチョコレート菓子と、ポテトチップスが宴会に興を添えていた。
「どーーしたのアデル?隊長の事好きなの?私はイイと思うよっ!」
お酒のせいで少々舞い上がり気味のサンディさんが、ふざけてアデルの肩を抱く。
アデルは鬱陶しそうに顔をしかめたが、邪険に退かすことも出来ずにおとなしくされるがままになっていた。
私とアデルは、ジュースの缶を手に持ってご機嫌なサンディさんと他愛もない話をしていた。
「そうじゃないですけど、何か謎の人ですよね。隊長って」
「なぞぉ?」
「隊長、自分の事全然喋らない人じゃないですか。
年齢もそうだし・・僕17ですけど、隊長も同じに見えませんか?」
「あ、それは私も思った!高校生位に見えるよね?」
「あのねー、あんたら。ここじゃあんまりカンケーないのよ。見た目年齢って」
「えっ?」
「え?!」
「死んだ年齢で止まってンのよ。成長が」
驚愕の新事実。特に女性の皆さんには大変な朗報だ。
「みんな若死になんですね・・」
あなたもだよ、と突っ込みたくなるほど、アデルはしみじみ発していた。
思わぬ所で、この世界の不可思議が一つ解決された。が、それはまた新たな疑問を生んだ。
「じゃあ、普通の・・って言うか、若死にじゃない人は何処に居るんですか?」
にわかに、サンディさんがこの世界のプロに思えてきて、この際疑問のすべてをぶつけてみたくなる。酔っぱらってはいるが。
「しらなーい。所長が言うにはね、生前の業で行く場所が決まるみたいだけどー・・。
んー、私たちは、まだ判断材料になるものが少ないじゃない?だからこうなっちゃってる感じじゃないのかなー??」
「小さな子供は?」
「わかんない。とにかくここに居ない人たちはどっか別の所に居るんだよ。
あーーー。眠い。アデル、ちょっとここに座って。このラグ良いね。温かくて」
「あっ!ダメですよ!体痛くなりますよ?」
「そうですよサンディさん、僕らそろそろ部屋に戻って寝ないと・・・ああ、ダメだ。もう爆睡してる」
「もう・・・。どうしよう、アデル」
悲しいかな、アデルは全く男と見なされていないようで、膝の上に頭を乗せて、気持ちよさそうに寝入ってしまった。
尤も、アデルの方だって彼女を『女性として』というよりは、気の良い快活な先輩として慕っているのだろうけど。
「運ぼうか。脚の方、持ってくれる?エレベーターの近くで良かったね」
「うん。・・わ、ホントに熟睡してる。
―――疲れてたんだね・・やっぱり」
女性のわりに意外と背が高いサンディさんは、二人で運んだ方が安全だ。
それに、アデルだけででサンディさんの部屋に(それも酔いつぶれた彼女を背負って)入るところを誰かに見られたら、色々と波紋を呼びそうだった。
3階に着く。
各部屋のドアには名札を差すプレートが付いていて、どこが誰の部屋なのかすぐにわかる。
アデルが目配せをして、私はそっとサンディさんの下半身を床におろした。
早歩きで、しかし極力足音を立てずに一つ一つプレートを確認する。“St.Sundy”の文字を探して、随分奥に来た。
不運にも、部屋はエレベーターと真逆の方向にあった。
急いで戻り、伝えると、アデルも滅入った様子で頷いた。
ドアは施錠されていなかった。
運送業者と化した私たちは、服がはだけて、やたらセクシーないでたちになってしまった運送物を(ごめんなさい)ベッドに置いた。私たちの額には、汗が滲んでいた。
アデルは顔色一つ変えずに捲れたTシャツを引っ張り、お腹を隠してあげていた。
ここまで落ち着いている所をみると、どうやらこんな事は今初めて起こったわけでもなさそうだ。きっと今までに二度や三度はあったのだろう。ふたり粛々と、部屋を出る。
帰りのエレベーター、突然アデルが沈黙を破る。少しだけ、打ち明け話を聞いた。
「僕、ここへ来てまだ2ヶ月なんだ。・・・最初はワケわかんなくてさ。
踏切に飛び込んだのに、次に目が覚めたら無傷で白い部屋に居て。最初病院かと思って、すごくヘコんだ。失敗したかと思って」
何と相槌すればいいかわからず、黙ってアデルの横顔を見ていた。
最大級に重い話なのに、何故か懐かしむように遠くを見つめ、淡々と語っていた。
「僕、グズだよ。もっと強くなりたい。
たまに・・今でも思うけど、何であの時、母さんに何も言って来なかったんだろう。
お礼ぐらい言えばよかった。もう・・遅いけど」
8階のランプが点いて、ドアが静かに開いた。
私は2、3歩進んで、エレベーターの前で立ち止まった。アデルも、つられて立ち止まる。
「アデルはなんで志願兵になったの?」
「・・・僕は単なるミーハー心だよ。引きこもりのいじめられっ子だったし、剣とか触ってみたかったから」
バツが悪そうに笑っていたが、それは単なる照れ隠しの自虐に見えた。
「そう・・本当に?」
「ホント。夢も何もないし。
もう寝よう、リベル。明日は8時に合同訓練だから、早く寝ないと」
「うん、今日はありがとう。また皆でやろうよ。次が非番の時に」
「いいね。でも、サンディ姐さんにあんまり飲ませないようにしないと」
笑いながら、アデルは自室に戻った。自分の頬も緩んでいるのが感じ取れて、ゆるい幸福感が満ちた。
ぼんやり、階下のホールを覗く。
自分も早く戻って眠ろう。明日7時には起きないといけない。
ふと、遠く一階から、ガチャリ と鍵の音がした。
こんな深夜に、誰か外出していたのだろうか?身を屈めて、真鍮造りのフェンスの間から下のホールをこっそり見回す。入口からエレベーターまで行くのに、ここを通る筈だった。今自室に戻れば、ドアの音でバレる。先生に・・・じゃない、先輩に見つかったら怒られるかもしれない。
あれ、と奇妙なことに気が付いた。
寄宿舎のホールの鍵を持っている。警備班の人たちは、こんな時間に交代するのだろうか?
ゆっくりカフェテラスを横切る姿は、警備員ではなかった。
『・・・ラヴィエル隊長だ』
私服だった。ジーンズに淡い空色のカッターシャツという格好で、下を向いて歩いていた。
表情は見えないが、歩く姿はどことなく落ち込んでいるような、元気がないふうに感じ取れた。
息を潜め、隊長が視界から通り過ぎるのを、待つ。
エレベーターに乗ったのを確認して立ち上がり、素早く部屋に戻った。
ドアをそっと閉め、ほう、と息をつく。
明日は早いのに、見つかったら大目玉だ。危なかった。
散らかったテーブルを片付けようとして・・・リベルは電話の音に飛び上がった。
ベッドの真上、壁に取り付けられた内線だ。初めて鳴ったが、少し音量が大きい気がする。
近隣住民の静かな夜を守るため、素早く、1コールで出た。
「はい。セイント・リベルです。どうしました?」
まるっきり消防隊員みたいな決まり文句をつけてしまった。自分の名前の部分を、救急救命センター、としたら完璧だ。それはともかく・・・
受話器の向こうで、押し殺したような低い声がした。
「入隊早々、夜更かしするな。明日遅刻したら、除隊処分にするぞ」
エスパーみたいだ。
さっきは全くこちらを見ていなかったのに、どうして起きていたのが私という事までわかったのだろう?
「すみません・・・もう寝ます」
「ちゃんと疲れを取れ。手加減無しでやるからな。それじゃ」
「あ、隊長」
「何?」
「さっき、何かあったんですか?落ち込んでませんでした?」
訊いた後で、これは訊くべきだったのか、と疑問が湧いた。先に考えるべきだった。
受話器の奥、細かい、小さなノイズが聞こえる。型も古いし、建設当初から設置されていたのだろう。
サーーー・・と、波が永遠に引いているような音を、3秒くらい聞いた。
・・ともあれ、隊長は涼しげな声音で、さらりと答えた。
「別に何も。今は自分の心配をしたらどうだ?」
「は、はい・・。おやすみなさい」
「おやすみ。本当に寝ろよ」
最後の短い付言が、妙に弱々しく聞こえた。
ベッドの上、目覚まし時計の表示は、午前2時きっかりになっていた。