第六話 蜜
「可哀そうなリベル。人を斬った事など、まだ1度も無いだろう?よりによって最初に斬るのがこの愛しい僕だなんて」
夢想境駅の東側は廃墟のように荒れていて、隊員はおろか敵の姿も無かった。
どういう訳か戦地は移動し、敵は駅舎を拠点にして逃げ惑う市民を襲っていた。
ギムサ班長率いる2班のメンバーは二人が重傷を負い、軽傷のリゼックと、数少ない女性兵のサンディが、新任のアデルを庇いながら市民を避難させていた。
ラヴィエル隊長は・・・厳しい顔で駅舎に走っていくところだった。
「居た居た・・ラビ!お前何で無線に出ねえんだよ!」
「ハンス!すまない。時間が無かったんだ」
「ヤバいんじゃないのか?俺、敵は20も居ないって聞いたけど」
「市民に紛れていたんだろう」
「お前、もう現地に行くのやめた方が良いんじゃないの?安心しきって誰も気付いてなかったぞ」
「お前が勘づいたのか?」
「ううん。この子」
「あ、隊長・・あの・・・」
眼が合った。
軽装騎兵隊隊長の威厳は消え失せ、だた、藍髪の少年は純粋な驚きの表情を浮かべた。
その後,がっくりと膝を折り、顔を隠すように両手で押さえて、うぅ、と唸った。
「お前、あれほど・・・」
脱力して掠れた声で、地面に向かって嘆いている。おもわず『お気の毒に』と思ってしまったが、それは何かおかしい。
隊長はやがて顔を上げると、ハンスさんに渾身の睨みをぶつけた。
「何で連れてきたんだ!」
「何で?ダメだった?」
「当たり前だろ!何かあったらどうするつもりだ!」
「まーまー。最悪隠れてりゃ死にゃしないって」
「そういう問題じゃ・・・ああ、もう!」
「はははははっ!お前今日面白い!」
「あの・・ハンスさん、隊長、すみません。私は大丈夫ですから今は・・」
「おお、そうそう。なあラビ、何すりゃいいんだ?」
「もう・・・!俺は何とかなるから、2班を頼む。誰か怪我したと思う」
「わかった。死ぬなよラビ!」
「それは・・・お前の横のわからず屋に言ってやれ!」
すごい形相でハンスさんを睨み、また駅舎へ駆けて行った。
忙しかったのが幸いだった。思ったよりも怒られなかったので、第一関門クリアだ。
駅周辺は煉瓦張りの歩道で、北欧風のおしゃれなレストランだとか、綺麗でハイセンスなカフェ等々が駅を囲むように並んでいた。
2班の負傷した二人は、商店街からすぐ近くの歩道橋の下にいた。
ギムサ班長が、足を引きずりながら瀕死のピエットさんを護っていた。
ハンスさんの姿を見ると、班長は涙ぐんで歓迎してくれた。
「うわっ!ピエット、お前派手にやったな・・・」
「うぐっ・・いえ・・・大丈夫です・・」
グラハムさんが持ってきた救急キットは必要最低限で、班長の骨折は丈夫な当て木があれば良さそうだったが、ピエットさんは肩の切り傷が深く、ちゃちなガーゼと包帯では話にならなかった。早く縫合しないと、命を落とすかもしれない。
「ぼ、僕が手当てをします!グラハムさんはピエットさんを連れて戻って下さい!」
新任のアデルが駆け込んできた。新品の色濃い胸当てには、すでに大小様々なキズが付いている。
「ごめんなアデル。衛生兵も連れてくりゃ良かった」
ちなみに、こんな慌ただしい状況で何もできないのは、とにかく非常に辛いわけである。
「あ、あの・・アデルさん、私も手伝わせてください!」
腰が引けたが、どうにか申し出た。
「あなたは?」
「リベルです。あの、まだ戦いとかは全然ですけど、私にできる事があったら・・ん?」
朱い閃光に、目が眩んだ。
――ドォォォォォォォン
爆音に、全てが遮られた。
「きゃあっ!!」
「うわあぁあっ!!」
「おわわわ!」
これもテロの一種だろうか?煉瓦の歩道は爆心地に向かって反り返り、裂けたガス管が露出している。
「きゃぁぁぁぁっ!!」
爆風で吹き飛ばされた。背中に広げっぱなしだった、ウイングのせいだ。
必死で地面に踏み止まるも、地下街につながる階段を転げ落ちて、腰や頭を打った。
痛いが、さほどでもない。早く皆の居る場所に戻らないと。
それに、私には見つけなきゃいけない人が居る。
「リベル・・・」
幻聴、だろうか。
耳をくすぐるようなあの優しい声の主が、うかぶ。
しかし、今の声はどこか苦しそうで、とても近くで聞こえた。
「・・・イジスタさん?!」
振り返ると・・すぐ後ろに居た。
あまりに痛々しい姿で脇腹を抑え、歯を喰いしばるイジスタさんが。
「イジスタさん、血が・・どこをやられたんですか?!」
「リベル・・どうしてここに居るの?」
「ハンスさんが連れてきてくれたんです!・・お願い!死なないで!!」
「僕は大丈夫・・・。リベル、悪いけど、肩を・・貸してくれるかな?」
「はい!早く皆の所に・・」
ぐったりと四肢を預け、顔を蒼くしていた。一体どれほどの傷を負ったのだろう。白衣は赤黒く染まり、イジスタさんの体にべったりと張り付いていた。
お願い・・・!どうかこんな所で・・・
「・・・・っ?!っく・・」
突如、喉が千切れそうなくらいに締め付けられた。
何が起きたかわからず、反射的にそれを引きはがそうと掻きむしる。
「・・・・っう」
抵抗空しく、次第にぴりぴりと頬が痺れて気が遠くなってきた。
どうして、こんな事・・・
鋭い、湿った何かを切り裂く音がして、急に頸が解放された。
どたっ、と床に倒れて頭だけ持ち上げる。喉から上は燃えるように熱い。涙目になって振り返ると、そこには腰のあたりで一刀両断された異形の生物が、それぞれ上半身と下半身でバタバタと暴れていた。
「リベル大丈夫?!」
「あ、あれ・・・?イジスタさん??」
「悪魔には気を付けて。・・・君の心を読んで、付け入ってくるよ」
「・・・!すみません・・・」
「良いんだよ。とにかく無事でよかった・・・どうしてここに居るの?」
「すみません。役立たずですけど・・、どうしても、し、心配で来たんです・・っ」
「そうだったの。泣かないでリベル・・嬉しいよ。すごく」
「イジスタさん・・」
「でも、僕のために・・・こんな危険な目に逢うなんて」
有無を言わさず、抱きしめられた。イジスタさんの腕は、肩は、小さく震えている。以前肩に抱き留めてくれた時とは、何かが違った。
「・・・・・・」
顔と顔が近づき、微かに甘い芳香がした。イジスタさんの体温が全身を包む。
対抗など出来ずに固まっていると、柔らかな唇が頬にそっと触れた。
あまりに突然すぎて、ただ茫然と、切なく潤んだエメラルドに光る瞳を見つめた。
眉は悩ましく顰められ、胸を溶かされるようだった。
「・・・嫌いになる?」
イジスタさんの唇は、今度は私を試すように・・・数センチ前で止まった。
唇に、暖かく、甘い吐息がかかる。
誘惑
そう気が付いても、まだ半覚醒だった。
こんなに文字通りの捻りのない誘惑に、私はどっぷり嵌まりかけていた。
「・・・・・・」
「・・・リベル?」
「ふ・・ふざけないでよ!もう少しでホントにしちゃうとこだった!!」
「わっ!落ち着いて?!どうしたの?」
「離してよ変態!!イジスタさんが急にそんな事するはずが無いもん!」
「へ、変態って・・・傷つくなあ。僕は本気だよ?」
纏わりつく腕を乱暴に掴み、振りほどいて立ち上がる。
剣を掴み、鞘から抜いて構えた。完全に日本刀みたいな構え方だけど、最悪これで何とかなる気がする。
「そんなものを僕に向けないで・・・どうしちゃったの?リベル・・」
「もうやめて!すごく気分悪いよ!イジスタさんの真似なんかしないで!」
「・・・・僕を信じてくれないの?」
「嫌!もう喋らないで!!ホント信じられない!あんな事するなんて!」
激昂していたが、どうしても斬ることは出来ない。他の誰を斬るより、不可能な気さえした。
「どこかへ行ってよ!」
「それは出来ないよ」
「行かないと本当に斬るよ!」
「ふふ、できるの?」
――できない。
歯噛みする。私がやらなきゃいけない。きっと、後でもっと大変な事になる。
こいつを逃がしたら、本物のイジスタさんも殺されるかもしれない。それどころか隊員の皆も、それに・・・もしかしたら隊長も。
切っ先が震えていた。イジスタさんの声で、遂に悪魔が冷たく嗤いだした。
「可哀そうなリベル。人を斬った事など、まだ1度も無いだろう?よりによって最初に斬るのがこの愛しい僕だなんて」
「違う!」
「さあリベル、こっちに来て・・。永遠に良い夢が見られる場所を、教えてあげる。そこで僕と永遠に愛し合おう」
死ぬほど頭にきた。こんな方法でイジスタさんが穢されるのは、我慢できなかった。




