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宵の天秤  作者: 仲南砂上
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第三話 意味なき奔走

もしここに居るのが午前中だけだったら、もう帰ってしまうかもしれない。だとしたら、せめてもう一度だけ顔を見て、挨拶だけでも交わしたい。

2台あるエレベーターは、どちらも1階で止まっていた。

即座に下ボタンを押す。イジスタさんがまだ居ますように。


8帖ワンルーム、トイレ・シャワー付き

窓は大きく、南向きで程良く日が当たる良物件だ。キッチンは防災のため各部屋には無い。共同キッチンか、食堂で済ませるらしい。

クローゼットとベッドは造り付けで、簡素なビジネスホテルと言えば大体合っているだろう。


クローゼットは半分くらい埋まり、一目惚れして買った白い絨毯は部屋の中心に、その上の丸い折り畳みテーブルにはあらゆるメーカーの紙袋がうず高く積まれていた。その隣、バケツ型のブリキのゴミ箱には切ったタグやビニールがすでに溢れかえり、もはや何も入りそうにない。ベッドの宮には昨日、カエルの形をした目覚まし時計を置いた。大きく開いた口の中にデジタル時計が表示されていて、すでに昼近い時間だった。

昨日の夕飯が遅かったせいか、あまり空腹を感じない。

けれど私は、時間を見るや一目散に部屋を出た。


6番の天使が住まうこの広い寄宿舎は、造り全体が本物のホテルに近い。

最上階の8階は新人たちのフロアで、風紀が守られているのか男女の部屋の配置はごちゃ混ぜでも問題ないようだった。私の両隣はアデルという男性と、マリーという女の子らしい。

二人については昨日ラヴィエル隊長に聞いただけで、その事以外詳しくは知らない。

ともあれ部屋から出るとすぐ目の前は大きな吹き抜けになっていて、1階の食堂の様子が一目でわかる。この時間帯はほとんどの人が食堂に来るから、人探しにはうってつけの場所だった。

真鍮でできた手すりに乗り出し、1階の広大なフードテラスのテーブル一つ一つに視線を這わせるが、それらしい人はいない。

受付カウンターの行列の中にも、窓際のベンチで談笑する人の中にも見当たらない。

もしかしたら、6番の職員以外は入れないのかもしれない。

きっとそうだ。考えてみたらここは6番の天使専用の寄宿舎なのだから!

第一、何時に来るのかも聞いていない。ここでお昼をとるとは限らないのだ。

ああ、ぬか喜びだった。否、早合点と言った方が正しい。いやいや、それは別にどっちでもいい。


気が向かないが、ラヴィエル隊長に直接訊くしか無さそうだ。入口のロビーでずっと待ち伏せするほどの度胸は無い。それに、そんな奴がいたらストーカーだと思われるに違いない。誰とは言わず、全員に。

部屋のキーだけを持ち、早歩きでエレベーターに向かう。もしここに居るのが午前中だけだったら、もう帰ってしまうかもしれない。だとしたら、せめてもう一度だけ顔を見て、挨拶だけでも交わしたい。2台あるエレベーターは、どちらも1階で止まっていた。

即座に下ボタンを押す。イジスタさんがまだ居ますように。

 ポーン という音と共に、右のランプが先に点いた。

心臓は・・・言うまでもないが、もう高鳴っている。乗り込んで、迷わず1階を押す。

隊長室にラヴィエル隊長は居るだろうか?リンディさんは元々この事務所の人ではないため、昨日の夜に帰ってしまった。何かあったら隊長に、と言っていたけど、あのクールな隊長にまさか恋愛相談など持ち込めない。

眠れなかった事にしようか。ホントは案外眠れたけど。バレるかな?


1階に着く。


賑わう食堂を尻目に、寄宿舎を飛び出て事務所の本館へ走った。すれ違う人たちの顔も、一応確認するが、やはりいない。門の外にも車は無い。車で来るかどうかも無論知らない。本館の扉を開けロビーの中央にあるフロアマップを確認すると、隊長室はすぐ右のドアだった。昂っていたのか、駆け寄って躊躇も無くノックしていた。


「いいよ。開いてる」


幸い、隊長は在室だった。


「失礼します」


息を整えたつもりだったが、語尾が掠れた。鼓動は速いままで、どうすることもできなかった。

無垢材のドアをそっと開いて顔を出すと、深い藍色の瞳が見返した。意外、と言いたげな表情でノートパソコンを閉じ、何の用かと尋ねられた。


「ええと・・カウンセラーさんってもう帰っちゃいましたか?」


「・・え?」


普段の冷徹な表情が消え、眼を丸くしてこちらを見ている。

多分頭の上にはハテナマークが3つ位付いているだろう。しかしこっちは大真面目に訊いているので、もどかしくなるばかりだ。もう一度、今度は丁寧に尋ねた。


「すみません、ちょっと昨日夜眠れなくて。あの、ちょっと相談したいんですけど、まだ居ますか?」





   沈黙が降りた




何故か隊長はこちらを見たままで、眉を顰めて考え事をしている。

もうパニックになりそうだ。


「あの・・・」



「あ、そうか。そういう・・」


言うなり語尾が震え、隊長は突然くるりと後ろを向いて肩を振るわせた。

何故笑われているのか分からない私は、口をへの字に曲げて隊長を見据えた。

数秒後、もう一度こちらを向いた時はもう真顔に戻っていた。


「いや、申し訳ない。何曜日に来るのか伝えてなかったな。」


「え」


「非常に残念だが今日は来ないぞ。今月は月、水、木曜日の午後2時から、だな。メモを渡そうか?」


隊長の眼は、そう、眼だけは真面目に戻っていた。

ただし口元が緩んで、真一文字には保てず僅かに笑んでいる。しかし、馬鹿にされているとは微塵も感じなかった。見つめると、不思議なほど深く澄んだ瞳だ。こんな色の宝石があったら、きっと地球上で最も価値が付くに違いない。


「もし急ぐなら番号教えるけど。携帯は昨日契約したのか?」


「あ、いいえ。時間無くって・・まだなんです」


「早めに持てよ。色々不便だから」


「はい。今週中には」


そうか、と頷き、再びパソコンを開いてキーを叩きはじめた。

お邪魔したかもしれない。部屋に静寂が戻る前に、空気を読んで退室しよう。


「ありがとうございます」


「・・・ちょっと待て。もう行くのか?」


「え??どうしてですか?」


隊長は立ち上がり、たった今刷った一枚のプリントを3つ折りにした。

すっ、と顔を上げ、今度ははっきりと笑顔が見えた。

釣り上げられていた眉は下がって、今は眼も笑っている。綺麗に締まった頬には笑窪ができ、少しだけ白い歯が覗いた。

隊長という地位がウソに聞こえるほど幼い笑顔だ。笑うと私より年下に見える。


「もう、馬鹿だなお前は。そんなんじゃ明日の2時にまた慌ててここに来る事になるぞ。次は場所を訊きに」


「あ!そうか。そうですよね!」


「色々疲れているかもしれないが、人の話は落ち着いて聞けよ。これは大事にしまっておけ」


「す、すみません」


プリントにはこれから先重宝するであろう各所の連絡先と、リンディさん、イジスタさん、そして事務所の所長の名前と番号が記されていた。

自分に相談しにくい事項が在るというのは、とっくに分かっていたようだ。全力で謝りたくなったが、それもどうかという気がした。


「ありがとうございます。助かります!」


手元のプリントから視線を戻すと、もう普通の、冷静な表情の隊長が腕組みしていた。しかし昨日よりは、もう怖くない。というか、もうあまり怖くない。


「もう行け」


「はい。失礼します」


「あまり勇み足になるなよ。早く元気にならなくたっていい。話し相手なんて、お前なら後でいくらでもできるさ。今のうちに、好きなだけひとりになれ」


「・・・・・はい」


思いがけず、どんな慰めの言葉よりも効いた。

そうだ昨日、ひとりになったら泣きたいって思っていたんだ。

今や追憶だけが寄り添い、放心して漂う自分が心のどこかに居る

お礼を言い、出来るだけゆっくりと扉を閉め、悩みを思い出してとぼとぼ帰る。


事務所のホールで、見知らぬ女性に声を掛けられた。


「・・・あなた、大丈夫?」


女性の方は、なるほど生き生きした表情の知的な淑女だ。


「大丈夫です。ありがとう」


とっさに笑顔になれたが、良い笑顔では無いだろう。誠に勝手だが、ついさっき心の扉のプレートはCloceにひっくり返してしまった。

本当はいつでもWellcomeにしておきたいのだが、もう暫くは準備中のままでいるだろう。

きっとコーヒーショップなら失格だ。今はきっとまずいコーヒーしか出せない。


哲学者気取になり、例え話を続けた。

もしも人生がコーヒーショップだったら・・・絶好調の時は繁盛して、何か悲しい事があると赤字になるのかな。

お客さんは美味しいコーヒーが飲みたいから、まずい時には来ないの。

でも、中にはマスターと話がしたいから、って言って毎日来てくれる常連さんもいるよね。

それが親友ってこと?

じゃあ家族は何なんだろう。思い浮かばないな。

豆でも無いし、従業員でもないし・・・マスターは自分だよね?あれ?マスターで合ってるよね?ミスター?


分からない。どうでもいいや、もう。バカバカしくなった。

帰って部屋の整理の続きをしよう。


春から初夏に変わりそうな景色を横切る途中で、足が止まった。遠くから大きな鳥が飛んでくる。

・・違う。人だ!誰かが背中の羽根を広げ、滑空している。

逆光が眩しく、両手でひさしを作ると背の高い男性が見えた。

どきり、とした。

羽根をはばたかせて着地の態勢になると、それは確信に変わった。

何故か、どこかに隠れたい衝動に駆られた。

脚が震えている気がする。ああ、まずい。見つかる。何で今日・・・


「こんにちは。僕の事、覚えてる?」


「はい・・・き、今日は来ない日じゃないんですか?」


「あれ、もう知ってる?ラビさんに聞いたの?」


「隊長ですか?・・・訊きました」


「どうしたの?眠れなかった?電話してくれればすぐに来たのに」


「いえ、大した・・・」


微風が吹くとイジスタさんの髪の香りが分かるほど、近い場所まで歩み寄ってきた。

緊張よりも、安堵の感情に呑まれて声が詰まってしまった。


「お・・思ったより眠れましたし・・・、皆、良い人ですから」


まずい、最低だ。違うんだって!

こんな泣き落としはいけない。泣くのだけは、それはダメだ。卑怯な気がする。

鼻をすすり、言い訳を思いついた。


「ごめんなさい。まだ鼻水出るんです!早く夏になりませんかねー??」


恐る恐る顔を見ると、少し眼を大きくして、じっと見つめられた。


「大丈夫?」


「はい、もうすぐ終わりますよ」


「本当に大丈夫?」


少し屈んで、顔を近づけられる。笑っていないイジスタさんは、むしろ隊長より怖い。

イジスタさんはごく近くで優しく、けれど怒るような口調で囁いた。


「花粉症になった事無いよね。陽ちゃん」


だから何でそんな事まで知っているんだ!と逆ギレしたくなったが、

気が付くと私は、風にはためく白衣を纏った王子様に抱き留められ、泣いていた。


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