第十三話 剣技と情
「戦場に出て、万一死ぬとき、最期に見るのがジョルジオの顔なんて俺は絶対嫌だな。
看取ってくれる奴は、どうせなら信用できる仲間がいい」
「リベルはいつからラビさんって呼ぶようになったの?」
遂に、口に出した。タイミングは、ばっちりだ。
わざとラビさんがコーヒーを口に含んだ瞬間を狙って、訊いた。
漫画みたいにコーヒーを吹き出すラビさんの図を、イジスタはちょっと期待していた。
しかしやはりと言うべきか、淡い期待は粉微塵に砕け散った。
ラビさんはカップの底に伏していた視線を上げて、上目遣いにイジスタを見ただけだった。
今日は何曜日?と質問した時と同じリアクションだ。
カップで隠れていた口元も、笑みすらしていなかった。
「気になるんですか?イジスタさん」
愛想のない顔で、さらりと言い放った。
いやはや、流石だ。軽騎隊長をなめていた。
いや、セイント・ラヴィエルという男を、だ。
「そりゃ、気になるよ。可愛いクライエントであり、友人だからね」
朝の光溢れる事務所1階の隊長室に、カチャ、とカップソーサーの音が響いた。
賑やかな寄宿舎の食堂と違い、ここは静かにコーヒーを飲むにはうってつけの場所だった。
ふたりは向かい合って、デスクの前の応接セットでコーヒーを喫していた。
「朝早くからそんな事を訊きに来たんですか?」
「ふふ、まさか。それだけじゃないけど」
「リベルなら、多分寝てますよ。今日は非番にしましたから」
「本当?訪問しちゃおっかな」
「勝手ですけど、部屋を間違えないで下さいよ。騒ぎになりますから」
完敗を悟り、イジスタはその話題から離れる事にした。
相手が悪かった。どうせ同じことを訊くなら、リベルの方が面白い反応をしてくれるだろう。
「ジョルジオ、あれからどうなったの?」
「もう収監されました。来週あたり、裁判だと思います」
「リベル、淡々と説明してたでしょ?」
「はい・・・意外でした。普段もあれくらい落ち着いていれば良いのに」
「はは、元気でいいじゃない。で、結局、どうするの?リベルは」
「ああ、班ですか?」
「そう。だってもう無いんでしょ?5班・・」
ラビさんはカップを片手に沈黙していた。
顔つきから察するに、あまりいい知らせは聞けそうに無かった。
「・・・大変なの?」
頷き、そのまま顔を伏した。
ふー・・・、と、細く長いため息が聞こえる。
ゆっくり身を引き、目を伏して背もたれに身を沈めると、暗いトーンで事情の説明を始めた。
「昨日、結局聴収が終わったのは8時近くだったんです」
「うん」
「事務所を出たら、ギムサが居たんですよ。サンディも、アデルも、リゼックも・・・ピエットも」
「勢揃いだね」
「はい・・。2班全員で・・・頭を下げられたんです」
「えっ?」
「リベルを下さいって」
「えぇっ?!」
そう、それはまるでプロポーズだった。
2班のメンバー全員が、リベルの2班編入を申し込みに来たのだった。
「言い出したのはギムサだそうです。
リベルはあいつが今まで育てていましたから、あいつの良さを誰より理解しています。
アデルもサンディも、リベルを半ば班員だと思っていましたから、二つ返事で賛成したみたいです。
リゼックも、ピエットも、アデルより戦力になるって・・・冗談だか本気だかわかりませんけど」
イジスタの脳裏に、その時のラビさんの顔が浮かんだ。呆れ返っていただろう。
「凄いね、何か・・・。それで、OKしたの?」
「無条件で許可するわけにはいきませんよ。戦力と人数のバランスも考慮しないと」
「条件、出したの?・・・どんな?」
「多分不可能な事です」
「気になるよ」
「本人に聞いてください。もうそろそろ起こしても良い時間ですし」
「ラビさん、起こしてくれる?」
冗談半分だったが、堅い軽騎隊長は、きわめて真面目に答えた。
「俺のモットーは、適材適所ですから」
何処から突いてもいつものラヴィエル隊長で、
別に面白い事など何もないと理解したイジスタは、遅滞なく必要な書類を置いて立ち去る事にした。
だめだ。他の冗談なら乗ってくるけど、今回は斬り捨てられてしまった。
あれは自分の勘違いだったかもしれない。少し不穏当な質問だった。
「ごちそうさま。ちょっと、兵舎を見てきていい?」
「どうぞ。女性兵が張り切りますから」
真顔でからかうラヴィエルに苦笑を向けて、ドアを開ける。
朝の冷たい空気が入り込んだ。
この事務所は、四季を通して朝は寒い。真夏ですら前日のエアコンの冷気がそのまま残っていて、何かを羽織りたくなるのだ。朝8時くらいまでは。
ドアを閉めた。未だ誰もいない一階の冷涼な空気の中、不意にここに居た時の懐かしい自分を思い出した。
イジスタは暫く天井を見上げ、懐旧の思いに身を任せていた。
室内訓練場は、朝から質実な騎兵隊員の活気で満ちていた。
その一角、隊長補佐の無遠慮なダメ出しの声が、ひときわ大きく響き渡っていた。
「だーかーらー!体を真っ直ぐ向けるなって言ってるだろ?!」
「わ!す、すみません!!」
「こうだよ、こう!一回ギムサのマネしてみ?」
「こ・・こうですか?」
「違う!何か変!剣の持ち方、ぐちゃぐちゃになってるし」
ラビさんが出した条件はただ一つだったが、とても今の状態では、成し遂げられそうに無かった。
聞いた瞬間、2班の皆の顔がこわばり、ギムサ班長も抗議したが、ラビさんは譲らなかった。
「あ、そう!今の状態良いよ!!そのままフレッシュ(突き)!」
「はいっ!・・・・あっ」
「体重乗ってなかったよ!思いっきり行かないとダメだって!」
指導を申し出てくれたのは、ハンスさんだった。
剣技だけなら、ラビさんよりも上だった。多分、この隊の中で一番の腕前をもっている。
歯に衣着せぬ物言いで悪い所をあっという間に上げ連ねられ、ギムサ班長が慌ててフォローするほど散々に言われた。
しかしそれらを意識すると、不思議なことに、今まで困難だった動きが信じられないくらい、軽くこなせるようになった。
ハンスさんは朝8時から夕方5時まで、丸一日付きっきりになってくれた。
指導が終わる頃には、アデル位なら何度やっても負けないくらいに上達した。
途中でイジスタさんが様子を見に来てくれたそうだが、私は気が付かなかった。
何も見えていなかった。
隣でフットワークの練習をするアデルも、
その横に居たギムサ班長も、
飲み物を置いて行ってくれた、サンディさんの姿も。
「リベル、集中力あるな」
訓練場出入り口の段差に腰掛け、私たちは飲み物を片手に涼んでいた。
5時半になっても外は明るいままだったが、風は幾分冷たくなってきていた。
たった2ヶ月前の、遠い記憶が脈絡なく蘇った。
その時は、フルーレじゃなくて竹刀で、私は道着を着ていたけど。
「ハンスさんも、よくこんなに付き合ってくれましたね。大丈夫ですか?」
「へへ、俺をなめるなよ。まだまだギムサ位ならこてんぱんにできるぜ」
「・・・・班長も皆も、どうしてこんなに良くしてくれるんでしょう?」
「なんで?」
「私、今までこんな風に、自分の技能を必要とされた事なんて・・・
一度もありませんでしたから」
「ふーん。まぁ、将来性はあるしな、リベルは。
あと、しぶとい。いろんな意味で」
「でも、ギムサ班長が誘ってくれたのは、やっぱり情もあるんですよね・・・?」
「そりゃ、当たり前だろ」
ハンスさんは即答した。
「誰しも嫌な奴とは組みたがらないさ。
まあ、ジョルジオみたいに極端な奴は滅多に居ないけどな」
すでに忘れかけていた名前を出され、ハッとした。
あのウイングは今、自室にしまい込んでいた。実戦の時にしか、出さないつもりだ。
ウイングの価値など全く分からなかったが、今思うと、確かにイヤミな事にも思えた。
ジョルジオさんの言動を、『妬み』の一言で簡単に括る事は出来ないだろう。
「とにかくさ」
ハンスさんは、投げ出していた両脚を引き付けた。
右手に持ったペットボトルが、とっくに空っぽになっていた。
「剣技なんて練習で何とかなるんだから、性格の良い奴が最優先だな。
少なくとも俺はそうする。だって、死ぬかもしれないんだぜ。
戦場に出て、万一死ぬとき、最期に見るのがジョルジオの顔なんて、俺は絶対嫌だな。
看取ってくれる奴は、どうせなら信用できる仲間がいい」
至言だった。
2班の皆は、私をそんな仲間として迎えてくれているのだろうか。
私は、少なくともそう思っている。2班の仲間と戦場に出たい。
死に逝くときに、傍に泣いてくれる人が居ない辛さは、身をもって知っていた。
私も、アデルも。そして多分、それは多数派なのだろう。
ハンスさんが立ち上がりかけた。
「近い内に、やってみようぜ。明日とは言わないけど、来週ぐらいに」
「本当ですか?!大丈夫かな・・・」
「大丈夫だろ。ラビよりは簡単だからな。それに、一撃でいいんだぜ?」
「で、でも・・背も高いし、すごい兵士だったって、皆が」
「今は退役してるだろ。体格差は、ここまであれば利用できる。それにな、リベル」
ニヤリ、と笑った。赤みを帯びた瞳が、一瞬意地悪く光った。
「保障するよ。あいつはリベルに攻撃できない。例えフルーレでもな」




