第十一話 銀の雨
「あいつは追放処分で済むだろうな。逆恨みされなきゃいいけど」
「・・・すみません。こんな事になっちゃって」
「いいよ。リベルが言いだした訳じゃないだろう?さぁ、もう行け。絆創膏貰って来い」
寄宿舎の屋上は、四方と天井が針金のフェンスに覆われ、飛行用ウイングによる外部からの侵入を防いでいた。
しかし今、このような場合では、それはさしずめ窮屈な鳥かごであり、飛び降りることも、誰かに助けてもらうことも出来ない、文字通り八方ふさがりの空間だった。
―――髪を引っ張られた部分が痛む。
喉元に刃を突きつけられている恐怖はもちろんあるが、私の頭を埋めているのは、違う。
言いようのない嫌悪感だった。
特別良いシャンプーを使っているとか、ヘアセットしているとか、そういったことは全然無いのだけれど、好きでもない人に髪を触られるのは、昔から大嫌いだった。
こんな要求を出せる立場では無いが、せめて掴むのは肩辺りでお願いしたい。
私たちが居る反対側、屋上のドアがガチャリと音を立てて開いた。
訓練を終え、私服姿に着替えたラビさんが背筋を伸ばしたまま、無表情で入ってきた。
ドアを後ろ手に閉め、ジョルジオさんを真っ直ぐに見る。瞳は、やはり澄んでいた。
カン、と音がして、何かが足元から向こうへ滑って行った。私が取り落としたレイピアだ。
「これで錠をかけて壊せ」
ラビさんはもちろん素直に拾い上げたが、手にした瞬間、ジョルジオさんは鋭く忠告した。
「錠を壊したらこっちに投げてよこせ。逆らったら、こいつは死ぬ」
あまりの剣幕に、ラビさんは怖がるどころかあきれ返っていた。
「ドアを壊し、武器を奪えば俺に勝てると思っているのか、ジョルジオ」
良く通るこえだった。
挑発というよりは、純粋に疑問をぶつけたようなニュアンスで僅かに首を傾げた。
すぐ後ろで小さく、舌打ちが聞こえた。
どんな状況でも、いや、むしろこういう緊張感のある場面だとラビさんはそうであるのか、
眉ひとつ動かさずに、相変わらずの表情で淡々と剣の柄で錠を叩き、破壊した。
「こっちに投げて、ここに跪け」
ラビさんは肩をすくめて、笑ったような声を出した。
「構わないが、お前はいつからそんなに偉くなったんだ?」
髪を掴んでいる腕が、ピクッと緊張するのを感じた。
きっと顔を見たら、怒りに歪んでいるだろう。
いらついた声の主が、すぐ後ろで命令した。
「喋るな。早くしろ」
言うとおりにラビさんは低い位置からレイピアを放り、地面に転がって、それをジョルジオさんが拾うのをじっと見ていた。
それから思い出したように近くまで来て跪くと、一瞬だけ私を見て、それからジョルジオさんを見上げた。
深い藍の瞳が空を美しく映し、私は思わず見とれた。
「ラビエル・・」
ジョルジオさんはもう完全に呼び捨てにしていたが、流れ的には間違っていない。
もう、二度とラビさんを隊長と呼ぶ日は来ないだろう。
「お前はいつも偉そうだったな。今まで散々上司面してボクに嫌味を言いやがって」
「上司だからな」
ラビさんは、にべもなく答えた。
「ボクはお前が一番嫌いだった。そして」
髪をもう一度後ろに引っ張られる。
顔が真上を向き、苦しくなってうっ、と声が出た。
「こいつもお前にそっくりだ。ボクを馬鹿にしている」
やっと髪を離したかと思うと、今度は胸当てを引っ掴まれて、思いっきり地面に叩きつけられた。
体の左側を強く打ち、一瞬息が止まった。今度は声も出なかった。
痛みを堪えて起き上がろうとする前に、また、今度は両腕を掴まれた。
しかし今度は――
その手は、手袋をしていなかった。温かい手の感触。
確認する前に、ラビさんだと気付いた。
騎兵隊の皆と比べて決して背の高い方ではないラビさんは、
信じられない力で私の腕を後ろに引き寄せ、まるで倒れた人形を直すような動作で私を立たせた。
「ドアを確認しろ。まだどうにかなるかも知れない」
にわか二刀流と化したジョルジオさんに注意を向けたまま、ラビさんは張りつめた声で言った。
まさか、立ち向かうのだろうか。
「隊長、武器は・・・」
隊長は、にやりと笑った。こんな悪戯っぽく意地悪そうな表情は、今まで見たことが無かった。
話をする時間は無かった。やむなくその場を離れて、壊れたドアノブを確認しに行く。
しかし、それはすぐに無駄だと分かった。
『隊長、一体どんな力で・・・』
おそらくさっき使ったレイピアの柄も潰れただろう。
ドアノブはドアとの接続部分がちぎれ、辛うじてくっついているだけだった。
閉じ込み防止のためについた外側のサムターンは、今やただのネジみたいにクルクルと回るだけで、意味がなかった。
途方に暮れラビさんを見ると、わずかな間で信じられない事が起こっていた。
いつの間にか、ジョルジオさんが持っていた2本のレイピアのうち1本を持っていた。
まさか、力ずくでもぎ取ったのだろうか?
しかし、それは余程の素人相手でないと難しい。じゃあ一体、どうやって・・・
気付くと、ふたりは鍔迫り合いになっていた。レイピアの刃はこすれて、互いの合わさっている部分が傷み、刃こぼれしている。
不意に、ラビさんの身が心配になった。
直感的に、ラビさんは相手に致命傷を与えないと思ったからだ。
それを裏付けるようにラビさんは体幹部を狙わず、顔にこそ出さずにいるが、かなりやりにくそうにしていた。
――怖くなった。一方ジョルジオさんは、完全にラビさんを殺すつもりで動いている。
次第に、ラビさんの額に汗が浮き、日差しのせいでいつもより少し明るく見える藍色の髪が張り付いてきた。息は乱れ、よく見るとラビさんの左耳の上あたりに赤い色が見えた。
我に返り、必死でドアを叩いて助けを呼ぶ。
ドアノブを前後にガタガタと動かす。
体当たりしようとしたが、引き戸だったのを思い出し、やめた。
恐慌をきたし、眼に涙が浮かぶ。
「隊長!西へ!!」
甲高い、それでいて凛々しい女性の声が突如響いた。サンディさんだと、すぐにわかった。
唐突過ぎて言葉の意味を理解できなかったが、ラビさんは瞬時に大体の事情を悟り、驚くジョルジオさんの胸ぐらを掴んで東側のフェンスに思い切り突き飛ばした。
がしゃぁぁんと大きい音がした。背中を強打したのか、呻いてその場にうずくまる。
即座に、ドアと格闘する私のもとへ走り、ラビさんは切羽詰まった声で短く警告・・・というか、ことわりを入れた。
「伏せろ。被さるぞ」
返事をする前に一も二もなく背中を押しこまれ、私は捕虜のような格好で地面に伏した。床に肘をぶつけながら縮こまる。
視界に影が落ち、背中が重くなった。息苦しくなり顔を横向きにすると、頬に柔らかい繊維が触れた。温かくて、布団に潜ったような錯覚に陥る。
耳元に苦しい息遣いが聞こえた。思わず涙が零れそうになった。
息をひと飲みし、ラビさんはありったけの声で叫んだ。
「―――打ち方、始め!!」
声は床に反響したが、階下に居るサンディさんにもばっちり届いただろう。
地上近く、なにかが小さく弾けるような音が複数聞こえる。
一瞬、銃でも撃つのかと思ったが、それは間違いだった。
―――屋上の東側半分、いや、見事なまでにジョルジオさんだけの上に、銀色の雨が降っているのを、私は見た。
それらは床に敷き詰められたタイルに落ちて、
金属の定規を教室に落とした時の音に近い、高く伸びるような音が共鳴した。
銀の雨の、そのうちの一つが、ジョルジオさんの右ふくらはぎに突き刺さった。
同時に背筋運動をするようにのけ反り、屋上を超えて辺り一帯に響くような悲鳴を上げていた。
――――ボウガンだ・・・!
そう思うと同時に背中に掛かっていた重力は消え、目の前に白い日差しが戻った。
隊長は迅速にフェンスに駆け寄り、下の狙撃者たちを確認していた。
「打ち方やめ!ありがとう、恩に着る!」
辺りに散らばる30センチくらいの金属棒には、小さな尾翼が付いていた。
思ったよりも数は少ない。刺さった矢も含めて5、6本というところだろうか。
いつまでも足を押さえて喚き続けるジョルジオさんを、隊長が睨みつけた。
「うるさい!兵士がそんなもので騒ぐな!」
至極、シンプルな言い分で一喝すると、隊長はこれ以上ややこしい事にならないように、2本のレイピアと散らばった矢を残さず回収していた。
しかし、未だに手負いの(きっと、元、になるだろうけど)部下は荒れ、騒ぎ、
今までの上品キャラを跡形もなく崩壊させていた。
「うあああああ!死んでやる!その前にお前らも殺してやる!!
下で撃った連中も、皆ぶっ殺してやる!!」
何かの漫画からコピーしたように工夫のない暴言をまき散らすも、右脚が痛くてもう立ち上がれない様子だった。私ですら、もう怖いとは思わなかった。
刹那、すぐ隣のドアに、大きな何かがぶつかってくる音がした。
数秒置いて、次に破壊されたドアノブの部分が、破壊音とともに弾け飛んだ。
ドア枠と鍵の間から、分厚い斧の刃が覗いている。しかしそれは、どうやらラビさんの物ではない。
「ギムサ!!!」
まだ姿が見えないにも関わらず、ラビさんはギムサ班長の名前を呼んで、こちらに駆け寄った。
もう一度ドォンと音がして、勢いよくドアは開いた。錠前の部分を蹴り飛ばしたのだろう。
内側にはバランスを崩してよろけるギムサ班長と、矢を装填したボウガンを持ったアデルが、戦慄の表情で立っていた。ラビさんが安堵の息を吐いた。
「安心しろ。もう落ち着いた」
言いながら、ラビさんが歩み寄る。
アデルが無意識に持ち上げていたボウガンをゆっくりと手で押さえて制すると、二人の間を通り抜けてさっさと階段を下りて行ってしまった。
「リベル、何てことに・・・僕、知らなかったんだ!ジョルジオさんがこんな・・・!」
「アデル、落ち着いて。もう大丈夫だから」
「血が出てるよ!大丈夫?!どうしてこうなったの??なんでレイピアで・・」
「アデル」
ギムサ隊長がたしなめるように低く言うと、アデルはとりあえず黙った。
しかし相変わらず目を白黒させて、口は震えていた。
「怪我はそれだけか?」
「・・はい。私は」
「大したもんだ。そのうち色々聞かれるだろうから、今のうちに少し休むといい。
後の事はやっておくから」
「皆は・・・ハンスさんが呼んでくれたんですか?」
「そうだ。下にもサンディと、他の班からも数人連れてきてくれたよ。何せクロスボウなんか滅多に使用者が居ないからな。サンディは完全に素人だが、よくやったよ」
そこまで聞くと、私は忘れ掛けていた反逆者(?)をちらりと見た。
すっかりおとなしくなり、座り込んですすり泣いている。
ふくらはぎに刺さった矢はそのままで、狭い範囲に暗い赤色の染みができていた。
「あいつは追放処分で済むだろうな。逆恨みされなきゃいいけど」
「・・・すみません。こんな事になっちゃって」
「いいよ。リベルが言いだした訳じゃないだろう?さぁ、もう行け。絆創膏貰って来い」
大きな口で微笑み、ギムサ班長はこれまた大きな手で背中を押した。
アデルを振り返ると、もう幾分落ち着いた様子で、頷いてくれた。
私は部屋に戻らず、即、エレベーターに乗って1階に向かった。




