第十話 激昂
いや、まったく。お前の普段の行動を見てて、俺はてっきりノンケじゃないかと思っていたよ。あ、いやいや、こっちの話。べつに意味は知らなくていいけどさ。
屋上の白いタイルに太陽が照りつけ、思わず目を細めた時だった。
ジョルジオが入隊当初、支給金の半分以上を費やして注文した華やかな装飾付きのレイピアが、リベルの額を僅かに擦った。
反射的に目を閉じ、額を押さえる。汗のせいで少しヒリヒリと沁みたが、転んで擦りキズが出来るよりも痛くなかった。
急いで、再び構える。ジョルジオさんは、腕組みしていた。
「ああ、すまない。しかしここが戦場なら、君は死んでいたよ?」
それはそれは陰湿な笑みで、ジョルジオはリベルに警告した。
手合せを初めて5分。彼は、未だ無傷だった。
哀れにも、通常の、狂っていない神経を持ち合わせているリベルのお蔭で、本気の攻撃など一度も受けていないのだ。ここは彼の独壇場だった。
新人は、どんな者であれ、心のどこか、甘い考えで剣を握っている。
練習では鼻につくほど堂々とフルーレを振り回しても、いざ本当に出撃すると血を見るだけで腰を抜かし、班員に纏わりついて迷惑の塊と化すのだ。
まして、こいつは女だった。一体どういう経緯で志願兵になったかは分からないが、大方RPGかぶれの中二病だろうと予測していた。
だってこいつは、ボクみたいに、この剣に選ばれて戦場に立っている天使ではないから。
「大丈夫です」
それでも、リベルの声は凛としていた。
リベルの態度に比例し、ジョルジオのはらわたが、じわじわと熱くなる。
「棄権するのもいいだろう。いや、そうするべきだよ。ボクはそのうち本気になってしまいそうだからね。このレイピアを握っていると」
最後の警告だった。
今のかすり傷で泣いて帰ると思っていたが、思ったよりも根性だけはあるようなので、ジョルジオは焦っていた。これ以上のケガはまずい。明らかな刺し傷でもついたら、困るのはこっちだ。ばれたら何らかの処分を受けるだろう。いま、こうしている事すら、ひじょうにマズい事なのだ。本来なら。
しかし、リベルは引かなかった。
「構いません。それで5班に入れてもらえるなら。
でも、もしかしたら私もジョルジオさんに怪我をさせるかもしれませんよ?」
リベルにとっては真剣な忠告だったが、ジョルジオは、一瞬ぽかんと口を開けた。
何て言ったんだこいつ?頭、おかしいのか?
しかし、構わずリベルは続けた。
「・・・実はこの前、一度隊長が相手をしてくれたんです。でも、隊長はちっとも本気じゃなかったのに、私は一撃も出ませんでした。私、凄く・・・悔しくて。
ジョルジオさんとか、強い人とたくさん戦ってラヴィエル隊長に認めてもらいたいんです!
だから、本気でわたり合えるなら、私もそっちの方が有難いです!」
そのセリフで、ジョルジオの自尊心は深く傷ついた。
そして、思った。
ボクの真の敵はこいつだ。いままで頭に来るセリフはいくつか聞いたことがあるが、あからさまにボクを練習台と見なされたのは、初めてだ。
こいつの眼中に、ボクは居ない。あろうことかボクを踏みつけて上に登ろうとしているのだ。こいつはボクがどれだけ苦労してこの地位に居るのか、まったく知らない。知ろうとすら、しない。
ふざけやがって。いかに温厚なこのボクでも、もう手加減はしない。
事故に見えるように、腕の一本でも貰ってやる。
「わかった。もう良い。
・・望みどおりにしよう。但し、これから起きることは全て、事故だ。いいね?」
ジョルジオの眼は、いまや激しい怒りで充血していた。
一方、屋上の真下に見える室内訓練場に居た隊長補佐ハンスは、最近入隊した可愛い新人を探していた。久しぶりに稽古を付けてやりたくなったのだ。
「よぉ、ギムサ」
「あ、今日は早めですね。何かあるんですか?」
2班のギムサ班長は、後輩の指導を終えて部屋に戻るところだった。アデルとサンディもその後ろについて、ふたりで雑談していた。
「あれ?お前ら、リベルは一緒じゃねーの?」
いつもなら、この二人に交じってリベルもいるはずだった。
アデルが、嬉しそうに答えた。
「さっきフルーレを2本取りに来ましたよ。ジョルジオさん、やっとリベルを認めてくれたみたいです」
「へえ、良かったじゃん。どこでやってんのかな?」
「さあ・・。訓練場には居ませんでしたよ」
「そうだ!アデル、ハンスさん。あ、班長も!今夜お祝いやりましょうよ!
私ちょっと、空き部屋貸し切ってきますから!!」
サンディが鼻息を荒くするのを見て、ハンスが笑った。
「お前、飲みたいだけだろ。ま、いいけど」
揃って訓練場を出ると、遠くから金属音が届いた。皆の顔が、明るくなる。
「ああ、やってる。どこだろう?」
「何か、初心に帰るね。懐かしいなー」
「あ、見ろ!あれ、上だ!いま赤いスカート見えたぞ!」
2班の3人は暫く寄宿舎の屋上を見ていたが、ここからでは見えるものが少なすぎて、見上げても首が痛くなるばかりだった。やがて口々に喜びと安堵のセリフを言いながら、祝杯の準備をしに事務所へ行ってしまった。
一人残ったハンスは、この状況を最も喜びそうな人物に、伝えてやることにした。
彼もちょうど訓練を終え、荷物を持って出るところだった。
「お、ラビ。帰るのか?まあ、待て待て。良い事聞きたくないか?」
「何だ、うるさいな。彼女ができたのか?」
「んー、まぁ、それはもうチョイ先になりそうだけどさ。
そうじゃなくてお前にとっての良い事、だよ」
ラヴィエルは片方の眉を吊り上げて、ほんの少しにやりとした。
「ろくな事じゃなさそうだな。お前が言うと」
「ろくな事だよ。リベルが今、ジョルジオと手合せしてるんだよ!見る?」
なんだ、という感じで、ラヴィエルの口元が一瞬にして元に戻った。
「それだけか。それがどうしたんだよ?」
「嬉しくねえの?」
「お前はうれしいのか?」
「そりゃ、そうだろ。めでたい事なんだし」
「そうか」
「ほら、見ろ見ろ。上。寄宿舎の屋上・・・ほら、あれ!!」
こちら側の端に、ジョルジオの背中が見えた。
足運びから見ると、ジョルジオは、あのリベル相手に苦戦しているようにも見えた。
「すげえ、リベル。けっこうやるじゃん」
再び、ジョルジオの姿が奥の方へ消えた。
激しい、鬩ぎあいの音が聞こえる。
余程本気のぶつかり合いなのか、音を聞くだけで殺伐とした気分になった。
しかし、ジョルジオの腕は確かだ。
どれだけ練習しようと、仮に天性の才能があろうと、1ヶ月で追いつく事は不可能だろう。
激しくなっていく音を暫く聞くうちに、次第に違和感が膨らんできた。
「ハンス・・。何かおかしくないか?」
「何が?」
音が、ちがう。違和感がある。
どうもここに似合わない。というか、ここで聞くはずの無い音だ。
これは、きっとフルーレではない。レイピアの音だ。
リベル達が今使っているのは、練習用のフルーレではない!
防護柵に押し付けられる背中が見えた。皮の胸当て、赤いスカートに、金のライン。ついさっき、ここを出て行った背中だ。
その向こう、遠目ではあるが、ジョルジオの顔も確認できた。
目を逸らしたくなる程―――これから起こる出来事に心を踊らせているように、サディスティックに笑っていた。
リベルは一応胸当てを付けているが、とてもご親切にそこを狙うとは思えない相手だ。例え、これが本当に公式な手合せだったとしても。
「お前等!!!何してるんだ!」
屋上のふたりは、肩を竦ませて止まった。
ほとんど怒号と言っても良いくらい、自分でも驚くほどの大きな声が出た。
隣に居たハンスが、驚いて後ろに仰け反っていた。
「隊長!」
段々色が抜けて茶色っぽくなった髪を揺らし、リベルが振り返った。
何処に居るのか分からないようで、裏庭を、事務所のエントランスを、見回している。
やがて眼が合った。
そこでラヴィエルは初めて気が付いた。リベルの額から口元にかけて、くっきりと赤い筋が流れている。
「どういうつもりだ!今すぐ降りて来い!ジョルジオ、お前もだ!!」
しかし、リベルは一歩も動かなかった。動けなかったのだ。
そう。ジョルジオのように、卑劣な戦い方も厭わない者に・・・リベルは背中を向けてしまったのだから。
―――しまった
自分の浅はかさに反吐が出そうだった。最悪のタイミングで声を掛けてしまったのだ。
ジョルジオはリベルに切っ先を向けたまま、少しも怯まず、それどころか愉悦の表情でこちらを見下ろしていた。
突然、ジョルジオが殴るようにリベルの頭を掴み、髪を引っ張って引き寄せた。
リベルの顔が苦痛に歪む。さらに顎を上に向け、レイピアの刃を、(細く軟弱な刃だが、この距離、この状況では、十分な切れ味の刃を)ドラマのワンシーンのようにリベルの喉に突きつけた。
それからすぐに、あの見栄っ張りで坊ちゃん気取りのジョルジオから、聞いたことのないような大声で手短に要求を出された。
「ラヴィエル!武器を捨てて上がって来い!ボクはもうウンザリだ!!」
理由は分からないが、ジョルジオが自暴自棄になっているのは明らかだった。
除隊処分、事務所の追放も覚悟しているかもしれない。しかし、万一リベルを手にかければ、そんな生易しい罰では済まされない。裁判にかけられ、地獄に服役することになるのを、奴も知っている筈だ。そんな割に合わない憂さ晴らしなど、流石にしないだろう。
論理的に考えれば、大筋、それで間違い無い。
そう考えていたにも関わらず、ラヴィエルの肩は震えていた。
間近で、物珍しそうにハンスが観察する。視線をやや上げて顔を見ると、長年近くで見てきたどの表情とも違う、焦燥とも、怒りとも、懇願とも違う、或いはそれら全てとも受けとれるような複雑な顔で、サスペンスドラマの終盤よろしく剣で脅されるリベルを、苦しそうに見ていた。
―――ああ、お前、やっぱりそうか。
ハンスは・・・こんな状況で何だが、最近ほんの少し疑っていた程度のそれを、今をもって確信した。
頑固な軽騎隊長は、何も言わずに元恋人のトマホークをベルトから外し、ハンスに手渡した。ラヴィエルが持つと妙に軽く見えるが、ハンスが持つとやはり重い鋼鉄製の、5キロ近くある重厚な手斧だった。
「雑に扱うなよ」
それだけ言い放つと、ラヴィエルは身を翻して囚われたリベルの救出に乗り出した。
頑張れラビ。もう一人の王子様には、まだ知らせないでやるから。




