九十日の、中ごろ
とある一室で、怒った様な声が響く。
「まったく! 何なんですかあの人は! ユウリ、あなたの妹とは到底思えない!」
先生と呼ばれる男は、目の前の黒くて短い髪を持った、少年のような少女に声をぶつける。
声をぶつけられた事によって、ユウリと呼ばれた少女は狼狽えるように体を動かす。
「え、えと、あの」
眉を下げてユウリは、戸惑いの顔を見せた。その顔に、先生は少し咳払いをして一度落ち着いた。だが、まだ溜飲は下がらないようで。
「確かに、勉強も運動もお得意ですよ! 素晴らしい才能だと思います」
その言葉を聞いて、ユウリは思わずという感じで笑みを溢す。決して褒められているようなものでも無いのに、ユウリはひどく嬉しそうだ。
「ふふ」
その優しげな顔に、先生は目を奪われた。そして少し目もとを赤くしたが、誤魔化されはしなかった。
「そこ! 嬉しそうにしない! ですが、なんなのですかあの鼻につく話し方、行動! ああ苛立たしい!!」
言葉の通り苛立たしげに言う先生に、嬉しそうな、申し訳なさそうな複雑な顔をした。
「きっと、あの子まだはしゃいでいるんですよ。すいません。皆さんが話してくれる所を聞くと、元気そうで嬉しいです」
嬉しそうに、楽しそうに話すユウリ。それを見て先生は言葉を止めた。
「貴女の深い愛情は素晴らしいと思いますがね。男という男にどんどん声をかけていくあの人は、どう贔屓目に見ても好意的には思えません」
その言葉に、ユウリは眉を下げる。先生は、どこまでも妹が好きなユウリの気持ちがわからない。辛く当たられているのを何度も見た。身内といえど、ここまで愛する理由がわからない。
確かに、ユカと名乗る少女の見目は美しい。先生ですら最初は目を奪われた。だが、最初に見た綺麗な笑顔は、なにか不安を掻き立てられた。
「私は、あなたが良い」
「え、なんですか?」
呟かれた言葉が、ユウリには届かなかった。
美しいユカと、少年のようなユウリ。城ではどちらを残すべきか、議論になっている。
汚い話で言えば、綺麗なユカが、国の巫女として飾り物になってくれるのが一番良い。この世界には今、異世界の巫女が不可欠だから。
だが、国に残って貰うには一つ、この国の神から願いが叶えられることになる。その時の願い事が、もし国を揺るがすモノとなったら?
巫女は、国にとって非常に影響力がある。
ならば、この暖かい空気を持つ少女に託したい。そう先生は考える。
――だが、先生の理由はそれだけではない。
ユウリの短い髪を指にからめ、先生はその美しい顔を甘く微笑ませる。ユウリは、その甘い顔に心を引き込まれた。優しい仕草に、ユウリの胸は高鳴る。
「貴女に帰ってほしくない」
そして先生は、ユウリに言葉を、甘く優しい言葉を贈る。
あまりに優しい声に、ユウリは何も答えることが出来なかった。
とある庭で。
「ああ、ユウリちゃん。久し振りね」
久し振りと口では言っているのに、声にユウリに対する興味が感じられない。
「ゆ、……か」
名前を呼ぼうとすれば、厳しい目で睨みつけられる。このところ、ユウリはユカに会える事が無かったためこうして会えるのはひどく久しぶりだ。
「ユウリちゃん。先生から求愛されたって本当?」
そう言われてユウリの顔が熱くなる。何でその話を。
自分はそんな事言ってなかった。だって、会う事ができなかったから。
ユカはいつも、いろんな人に囲まれていて、どれだけ話したくても、話しかけられなかったから。ユウリは心底、ユカと話したかったのだと自覚する。
「ふうん。本当なんだ。調子乗ってるんだねユウリちゃん。もっと懲らしめないと」
ユカと会うことを切望していたユウリとは違い、ユカはそれだけ聞くとユウリに背を向けた。
「どういうこと? 本当に、どうしちゃったの? こっち来てから、おかしいよ!」
戸惑うユウリにユカは顔だけ向けて、笑った。
「そう? ユウリちゃんが鈍感だっただけじゃない? はい、もうコレで終わりね。私忙しいから。ばいばーい」
話は終わったとばかりに背を向けなおして去ろうとするユカの手首を、ユウリは強く掴んだ。
「お願い……ユカ。話をしよう。私に悪い所があるなら直すから!」
「いーや。ユウリちゃんしつこーい」
「ユカ!」
「うるさっ。いい加減にして!」
前の頬とは反対の場所に、また衝撃が走る。だが叩かれた頬は痛いなどとは思わず、ただユカの態度の方がよっぽど痛い。
「ユウリちゃん? 調子に乗っちゃだめよう? 先生だって、私のモノにするんだから」
「え、だって、ユカには王子様が」
王子とユカは美しいもの同士、どう見ても相思相愛に見えた。美しいユカに一目惚れしたのだと、ユウリは王子本人から聞いていた。
ユカは王子の名前が出ても顔色一つ変えない。ただ、笑みをいっそう深めた。
「だから、皆私のなの。ユウリちゃんにはあげないよ」
涙が出る。ユカが望むなら、ユウリにはそれを拒めない。
「ね。ずうっと言いたかったの。いつも、ユウリちゃんばっかりズルイって。みんな、最後は絶対にユウリちゃんを好きになるの。だから私、もうユウリちゃんにはなーんにもあげない。全部盗っちゃうから。居場所も、名前も、人も物も」
何を言われているのか、ユウリには解らなかった。ただ、気が付いたらそこに、ユカは居なくなっていた。風が冷たく感じ、肌寒い。
どれほどそうしていたのだろうか。急に肩に大きな布をかけられる。
「大丈夫だったか? ……すまん、俺が止められてたら」
「え、お、王子様……」
「名前でいい……って言えるような雰囲気でもねえな」
力なく笑う王子に、ユウリの胸はまた痛くなる。
ユウリが何も言えなくても、王子は気にしなかった。ただ、信じたくない現実を受け入れるように語る。
「ほんとは、さ。聞いてたんだよ、皆に。お前が辛く当たられてるってことも」
「ユカの媚と、他の女たちの媚、どう違うんだって、言われたし」
「信じられなかったんだ。……自分から、初めて好きになったヤツだったから」
「こんなだから俺、親父から半人前って言われるんだよな」
「お前が叩かれてるとこ見て、目が覚めたよ」
本当はユカはそんな子じゃないと言いたかった。たが、王子が笑いながら話しているのに、泣いているように思えて。
王子が目を閉じて、呟くように言う。
「ああ、もう駄目だな。もう、欠片も愛しさが沸いてこねえ」
「王子の気持ちも決まったようで、良かったです」
そう言ったのは、美しい少女。それに男の人の声が続く。
「全く、やっと目がさめましたか」
「先生、聖女様」
ただ、何も話すことなく立っていた二人に、先生と聖女が声を掛ける。その急なことに、ユウリは酷く驚いた。……どこから見ていたのだろうか。
「ああ。もう、迷う気持ちはねえよ。……待たせて悪かったな」
王子も、見られていたことは知っていたようだ。いや、むしろあの二人が王子をここへ連れてきたのかもしれない。
三人が、ユウリを見据え、膝を曲げる。
「ユウリ、私たち三人ともども、ユウリ様をこの世界に欲しいと決めました」
「え、あの」
ユウリは酷く戸惑う。真実味の無かった故郷を捨てる、という事が、頭に強く叩きつけられた。そんな覚悟を、ユウリはまだ持てていなかった。
だが、
「あなたが、必要なんです。私の、たった一人のお友達」
「貴女と、未来をともにしたいと思っています」
「今度はお前を、全力で守るよ」
平凡で、何もできない自分が、これから先、ここまで必要とされるときが来るのだろうか。
こんなにも、美しく優しい人に求められる事は、きっと無いだろう。
守るという言葉が、ひどく心地良い。
ユウリは戸惑いながらも、淡い笑顔で、薄く頷こうとした。
けれど、そうするとあの子は?
ユウリは、ユカと離れ離れになる未来なんて考えた事も無かった。九十日は、過ごしてみると思っていたよりも酷く短い。
もしかすると、離れ離れになってしまうのではないか。ユウリには頷く事ができなかった。
頷くよりも先に、ユウリは倒れてしまったから。
――――
ユウリが倒れてから、いろいろなことが発覚した。
食事の事、対応の悪い侍女、それから数々の嫌がらせ。
王子や先生、聖女の働きにより、それらの原因が露見されていった。
だが、それらは公にはされず内々で処理されていく。
全ての原因が、ユカにあることがわかったからだ。
食事を運ぶ人間や侍女に対して、ユウリのあらぬ話をし、評判を貶めた。
多くの男に、ユウリに苛められていると嘯き、嫌がらせに繋げた。
叩けば叩くほど埃がでてくるユカに、ほとんどの人間は嫌悪の感情とともに距離を置き、遠巻きにするようになる。おそらく、今までとは天と地ほど差のある待遇をされているだろう。
だが、ユカ自身その状況に全く関心を持たずどこ吹く風という顔で、それがユウリを守ろうとする先生たちにとって不気味だった。
おそらくまだなにかあるだろう、そう思わせるには十分なほど、ユカは静かだった。
極力ユカとユウリを引き離し、ユカの動向をに気を付ける。そうして穏やかな日を過ごしていた、が。
どれだけユカを気にしていても、守られるはずのユウリがユカと会うことを望み、行動するとすれば。
「ユカ」
「ふふ、ユウリちゃん、やっときたぁ」
先生たちにも言わず、隙を狙ってやっと作れた時間だ。ユウリがこの時ユカに会いに来るなんて、ユカも含め誰もわかるはずのないことだった。
それでもユカは驚くことも動じることもなく、ただわかっていたようにユウリを部屋に迎えた。
ユカに変わった様子はない。いつも美しいままだ。だが、居るはずの侍女も護衛も、ユカの部屋にはユカ以外の誰もいなかった。
ユウリがどれだけ嫌われていた時でも、部屋に自分以外の人間が居ないことはただの一度もなかったのに。
「ねぇ、ユカ」
「ユウリちゃんも慣れたよねぇ」
ユウリの言葉を遮るように、ユカは言葉を出した。主語はなかったが、ユウリには何に慣れたのか、自覚もあり複雑な顔をして「そうだ、ね」と答えた。
「ねえ、いま嬉しい? 皆からユウリユウリって言われて、愛されて、幸せ?」
悔しそうでも、楽しそうでもなかった。ただ唇が弧を描いた顔でユカは尋ねている。ユウリにはなにも答えられなかった。
「皆から守るって言われて、幸せだよねー。嬉しいよねー」
「どう? ずっとなりたかった私にはなれた? 昔言ってたもんね、私になりたいって」
そこまでユカが言葉にした時、甲高い音が響いた。
一瞬驚いた顔をしたが、ユカはとても鮮やかに笑う。
「図星だからって、叩いちゃやーよ。まあ、私も二回叩いちゃったからいいんだけどね」
ユウリはその言葉も聞こえないように自分の手を見て愕然とした。何を言われたって、悲しみ以外感じなかったはずだった。
その動揺を見透かしたように、ユカは言う。
「思わず手が出たのは図星だったからだよね? ほら、ユウリちゃんはね、本当は私のことなんて好きじゃない」
「ちがっ!」
「違わないよ」
無表情になったユカはもう一度「何も違わない」と静かに否定して、唇をつり上げた。ユカの頬からは爪がぶつかった所に切り傷ができ、口端には血が滲んでいた。
「ずっと、 私を蔑んできたんでしょ? 私に同情して周りに私を大切っていうことでほんと無垢で一途みたいな顔して、周りから好意をもらって。ずっとユウリちゃんはそうだった。ずるいよねユウリちゃん」
疑問でもなんでもなく、それは断定だった。ユウリは否定したかった。違うと言いたかった。
だが、ずっとそう思われていたのかと、絶望する気持ちが強すぎて。
ユウリはただ、ユカが好きで、それだけのつもりだった。
だが、ユカに、一番大切なユカにそう言われると、足元から全て崩れていくようで。
自分は本当にユカが大切だったのか。ユウリにはもうわからない。なにも。なにも。
表情は変わらなかった。ただ、ユウリは壊れたように涙を流す。頬から顎へ。顎から床に。
そんなユウリを見てユカは歪んだ笑顔。美しいユカの、醜い笑顔。
「私がなんでこんなことしたのか、知りたかったんでしょ? 教えてあげる。
私は帰りたいのよ、ユウリちゃん。それにユウリちゃんから離れたかった。
こんな面倒な世界は嫌なの。
別に、ここで愛されなくても、私は愛されるもの。ちょっといいかな? とも思ったから色々したけど、やっぱりダメね。
安心して、最後までにはちゃんと全部返してあげる。だからその時まで代わりに貸してあげるね。『愛されユウリちゃん』を。じゃないと、私が面白く無いもの。
もう、会うこともなくなるしね」
「だから、ユウリちゃん。邪魔しちゃ、やーよ?」
畳み掛けるように言われる言葉が、すべてが刺さる。いっそ耳を切り落として聞こえなくなればいいのに。
ユカにこんな言葉を言われて傷つくなら、耳なんていらない。音なんていらない。現実味のない意識で、そんな事を思う。
「でもやっぱりあの人たちは駄目ねー」
付け加えるように言われた言葉に、やっとユウリはのろく顔をあげる。
「守るなんて、嘘ばっかり。そう思わない? ユウリちゃん」
自分のことなら良かった。何を言われても。
けれど、
「嘘なんかじゃない! 違う! あの人たちは本当に私を守って」
やっと声が出た。その声でユウリは力強く否定した。ユカに嫌われてユウリを守ってくれたのは、あの人たちだ。
だが、ユカは冷たく言葉を遮る。
「面白いこというね。全部起こった後じゃない。あの人たちはユウリちゃんに何かあっても気付いて無かったよ。ユウリちゃんが倒れるまで。それに今日だって私のせいで傷付いてる。守れやしないよ。今も、これからも」
ユウリは続く言葉をなくした。ユカはどこまでも楽しそうな顔をする。
「ほら、そこで何にも言えなくなっちゃう。結局ユウリちゃんは私の方が大切なんだよね。私が言った言葉を馬鹿正直に信じちゃう」
そんなところ、本当に綺麗で可愛いよ。ほんと馬鹿みたい。
ユカがそこまで言ったところで、ドアの外から扉を叩く音がする。そして、ユウリを呼ぶ声。
「やっときた。ほらね、やっぱり助けてくれるのは全部が終わった後。こんなに私に傷つけられてる」
この世界で誰もあなたを守ってなんかくれないよ。
その言葉はどこまでもユウリの思考について反芻された。
ひどい形相で、ユカの部屋からユウリを三人は連れ出した。目にうつるのはユカへの憎悪。そんな彼らにユカは臆すことなく言った。
「来たのはユウリちゃんの方からですよ。こっちだっていい迷惑です。ちゃーんと最後の日まで、手綱でも付けて守ってくださいよ。じゃないとユカ、頑張っちゃいますから」
なんて馬鹿らしい。守れてないのは自分達の力の無さではないか。ユカはひどく面倒な顔をする。一人になった部屋でユカは気だるそうにそのまま床に座った。
ユカの頭に残るのは、壊れたように泣くユウリの姿。安心するほど予想通りで怖いほど。
口から堪えきれない笑いがもれる。笑うしかない。それ以外どうしろと言うのか。
「ふふっ、あは、あはははははははは!」
全てがうまくいっている。本当に馬鹿ばかり。勝算はあまり高くないはずなのに、それでもこの賭けに負けるなんて思わなかった。
だがまだ油断はできない。終わるまではいくつも策は作っておかなければ。失敗や危険は許されない。
そうは思うも、ユカの頭からは泣いたユウリの顔が離れない。また少し、笑いが口から漏れる。
あの子は、本当に綺麗。真っ直ぐで一途で。
知らない訳ないじゃないか。どれ程大切に思われていたか。好かれていたか。
好きじゃないのに大切なんて、そんな矛盾にも気付かない。相変わらず私の言葉に騙されてくれる。本当に、馬鹿だなあ。
傷になった頬を撫でて、目を閉じる。
「もう少し。もう少しで終わるの。大丈夫。上手くいく、上手くいく。そうしたら、由香は幸せになれるの。由香が誰よりも幸せになれる。大丈夫、もう、邪魔な有理なんていない世界で幸せになれるから。由香に有理なんて必要ないから」
そこまでいって、ユカは姿勢を正し手を組んだ。そして祈りを捧げる。それはまるで、慈愛の巫女のように。
「由香が、誰よりも幸せになれますように」
ユカの手のひらには自らの爪でできた傷。そこから血が流れ、その傷の深さを物語っている。
美しい顔に、深紅の血がよく映える。
流れる血なんて気にせずに、ただユカは願い続けた。




