第六話:期限の反動、眠りの前の約束
冬の空気は、ある日突然、刃物みたいになる。
その日も朝は普通だった。パンを焼いた香り。湯気。鈴の音。
――昼過ぎ、胸の奥が急に冷たくなった。
「……っ」
息を吸うと、喉の奥が痛い。
灯り籠の炎が、小さく震える。
セドリックがすぐに近づいた。
「リラ」
「だいじょうぶ……」
「大丈夫ではない」
彼の手が、私の肩ではなく、背中の“支える位置”に添えられる。
触れ方が、いつも通り慎重だ。
医師が駆けつけ、呪術師の老婆も来た。
老婆は印を見て、舌打ちする。
「反動だ。期限が近づくほど、印が名をほどこうとする。冷え、眠気、視界の滲み……だが、死にはせん。怖がらせるな」
私は笑おうとしたが、唇が震えた。
「……怖いです」
「怖くていい。だが、おまえは折れん」
老婆がセドリックを見る。
「呼べ。今日も。何度でも」
セドリックは頷いた。
「リラ。リラ。……リラ」
呼ばれるたびに、冷えが少しずつ引く。
私は涙が出そうになって、必死に瞬きをした。
「……そんなに呼んだら、喉が枯れます」
「枯れてもいい」
「建前?」
「建前じゃない」
その言い方が、私の心を温めた。
夜。私はベッドに横になり、天井の模様をぼんやり見つめる。
眠気が深い。底へ引っ張られるみたいだ。
「……眠ったら、起きられますか」
私が小さく言うと、セドリックが椅子に座ったまま答えた。
「起きる」
「……約束です」
「約束する」
私は鈴を握りしめる。
銀の冷たさが、今は頼りない。
「ねえ、セドリック」
「何だ」
「私、もし……名前が薄くなったら」
「薄くさせない」
「……でも、もし」
私は息を整えた。
「そのときは、鈴を鳴らします。あなたが私を見てくれる合図」
セドリックは頷いた。
「見て、呼ぶ」
「うん。……それで、私も呼ぶ。セドリックって」
彼の指が、膝の上でぎゅっと握られた。
「……リラ」
「はい」
「眠れ。俺はここにいる」
私は目を閉じる。
暖炉の音が遠い。
セドリックの声だけが、近い。
「リラ」
その声が、最後の灯りみたいに、私を守ってくれた。




