第二話「契約の代償で名前を失うらしいので、無口な公爵様に毎日呼んでもらうことにした」
第二話:公爵様は合理的、でも手が温かい
「……寒いな」
馬車の中でセドリックがそう言ったのは、窓の外の冬風のせいじゃない。
私の膝の上で揺れる灯り籠から、熱が逃げているのが分かった。
「ごめんなさい。私の灯り、落ち着かなくて」
「謝る必要はない。……リラ」
名前を呼ばれるたび、胸の奥の冷えがほどけていく。
それが怖い。頼りすぎたら、いなくなったとき――。
私は視線を落とした。
「セドリック様。私を公爵邸に迎えるって、本気ですか」
「合理的だと言った」
「それ、建前ですよね」
一瞬、馬車の揺れが止まったみたいに静かになった。
セドリックは前を向いたまま、短く息を吐く。
「……建前がある方が、おまえは楽だろう」
「私のため?」
「そうだ」
短い。けれど逃げない答えだった。
公爵邸は、私の知っている家と違う匂いがした。
磨かれた木の床、乾いた石、甘くない香。
暖炉の音が、遠くでぱちぱち鳴っている。
「リラ様、ようこそ。私は執事のオルフェンでございます」
白髪の執事が、丁寧に頭を下げた。
私は反射的に背筋を伸ばす。
「わ、私は……」
「客人ではない」
セドリックが遮る。
「守るべき者だ。……部屋は俺の隣に用意しろ。廊下を挟むな」
執事の眉が、ほんのわずかに動いた。
でも口元は崩れない。
「承知いたしました」
え、隣?
「セドリック様、それは……」
「名を呼ぶ回数が増える。合理的だ」
「それ、絶対建前です」
セドリックは私を見ない。
でも、耳が少しだけ赤い。……気がした。
案内された部屋は、小さいのに温かかった。
窓辺に小さなランプ。毛布はふかふかで、乾いた陽だまりの匂いがする。
「……眠れるか」
「眠れます。たぶん」
「たぶん、では困る」
セドリックが部屋の椅子に座り、私の灯り籠を指さした。
「灯りを一つ、枕元に置け」
「それはいつもしてます」
「……俺が“名”を呼ぶ。毎晩」
心臓が、変な音を立てた。
「そんなの、重いです」
「重くない」
「私にとっては重いです。……だって、名前って」
言いかけて、止まった。
契約の代償の話は、まだ私の口に馴染まない。
セドリックは立ち上がり、扉の前で一度だけ振り返った。
「リラ。明日、医師と呪術師を呼ぶ。……嫌なら言え」
「嫌じゃないです」
「……なら、決まりだ」
扉が閉まる直前、彼がぽつりと言った。
「……今夜は、眠れ。俺がいる」
その一言が、暖炉の火より温かかった。
夜。
毛布の中で、私は枕元の灯りを見つめる。
そして、隣の部屋の壁の向こうから、低い声が届いた。
「リラ」
名を呼ばれた瞬間、胸の奥の冷えがするりと消えた。
怖いくらい、分かりやすい。
「……はい」
私は小さく返事をして、目を閉じた。
――そして気づく。
この人は最初から知っていた。私の期限も、恐怖も。
なのに、何も言わず、ただ“いる”。




