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「死ぬほど嫌い」と言った3秒後に、俺たちは背中合わせで戦っている

掲載日:2025/12/03


「却下だ」


 放課後の生徒会室。西日が差し込み、舞い踊る埃さえも焼き尽くすような静寂を、氷点下の声音が切り裂いた。


 生徒会長、神崎蒼馬(かんざきそうま)は、手元の書類から視線を上げることなく、冷淡に言い放つ。指先で弄ぶ万年筆が、カチ、カチ、と無機質なリズムを刻んでいた。


「あぁん? 聞こえなかったんだけど、もう一回言ってみなさいよ。この軟弱(モヤシ)メガネ」


 対面に座る風紀委員長、赤城凛(あかぎりん)が、バン! と会議机を叩きつける。

 ミシミシと悲鳴を上げる合板。彼女の背後で、ハイポニーテールが怒りの形相で揺れていた。スカートの下に履いたジャージがチラ見えしているのが、彼女の粗野さを物語っている。


「何度言っても同じだ、野蛮なゴリラ女」


 蒼馬はわざとらしく溜息をつき、銀縁眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。レンズの奥、IQ200を誇る脳内では、目の前の猛獣をどう論破するかという計算式が、瞬時に数百通り構築される。


「風紀委員会の備品請求書、これを見たまえ。『特殊警棒(チタン製)×10』、『メリケンサック(トゲ付き)×5』……ここは戦場か? 君たちの仕事は校内巡回であって、生徒の制圧ではない」


「はぁ!? 最近の不良は強くなってんのよ! 丸腰でどうやって平和を守れって言うわけ!?」


「話し合いだ。文明人らしくね」


「あんたのその減らない口こそ、縫い付けてやろうか!」


 ギャンギャンと吠える凛に対し、蒼馬は柳に風と受け流す。

 二人の間には、目に見えない火花が散っていた。いや、実際にバチバチと音が聞こえそうなほどの殺気だ。


 部屋の隅で書記をしている1年生が、死んだ魚のような目で呟く。


「……また始まったよ。5分ぶり、本日12回目の開戦です」


「うんうん、夫婦漫才乙、って感じだねぇ」


 副会長が茶を啜りながら同意するが、当の二人には届かない。



(この単細胞(アメーバ)が……!)

 蒼馬は内心で舌打ちをした。


 神崎蒼馬には、誰にも言えない秘密がある。

 ネット上で絶大な人気を誇る覆面WEB小説家『ナイト』。それが彼の正体だ。書いているのは、胸がキュンとするような激甘なラブコメディ。


 そんな彼の目の前にいるのが、理想のヒロインとは対極に位置する、この暴力装置だ。


(僕の小説のヒロイン、アリスの爪の垢でも煎じて飲むべきだ。アリスは可憐で、守ってあげたくなる存在なのに。こいつときたら、守るどころか敵を殲滅しかねない)



 一方、凛もまた、ギリギリと奥歯を噛み締めていた。


(こいつの血は何色なの!? 青色!?)


 赤城凛にもまた、墓場まで持っていくべき秘密がある。

 『ナイト』の作品に惚れ込み、専属でイラストを描いている神絵師『ルナ』。それが彼女だ。


(ナイト先生は、もっと包容力があって、私の絵を『最高だっ』って褒めてくれるのに……。目の前のこの男は、いちいち理屈っぽくて神経質で、ホント最悪!)


「大体ねぇ、あんたのその予算配分がおかしいのよ! なんで『美化委員会』の洗剤代が倍増しなのよ!」


「校舎の清潔さは心の清潔さに直結する。君のような薄汚れた精神を浄化するには、塩素系漂白剤が必要だという判断だ」


「喧嘩売ってんのかテメェ!」


「買わないよ。君の商品は不良品だ」


 凛が身を乗り出し、蒼馬の胸倉を掴もうと手を伸ばした、その時だった。


 ――カァン!


 鋭い金属音が、校庭側から響いた。

 続けて、ヒュオッ! という風切り音。


 野球部の打撃練習。打球がネットを超え、一直線に生徒会室の窓ガラスへと向かってきていた。


 常人の反応すらできない速度。

 ガラスが砕け散るより先に、二人は動いていた。


 蒼馬は、凛から視線を外さなかった。

 口元の皮肉な笑みすら崩さない。

 ただ、右手の万年筆を、ノールックで左後方――窓の方角へ向かって、デコピンのように弾いただけだ。


 キンッ。


 空中で回転した万年筆が、飛び込んできた硬球の縫い目に正確にヒットする。

 物理法則を無視したような一点集中の一撃は、ボールの軌道をわずかに逸らした。


 逸れた先には――凛がいた。

 彼女もまた、蒼馬への罵倒を止めていなかった。

 蒼馬の方を見据えたまま、身体が反応する。

 万年筆によって軌道が変わったボールが、彼女の顔面直撃コースから、右手の位置へと吸い込まれる。


 バシィッ!!


 乾いた捕球音。

 凛は素手で、剛速球を鷲掴みにしていた。


「……チッ、邪魔が入ったな」


 蒼馬が何事もなかったかのように、手元の書類をめくる。


「あんたの防衛範囲(ディフェンス)が狭いせいじゃない? 私の方に弾くなんて、性格ねじ曲がってるわ」


 凛は捕ったボールを握りつぶさんばかりに力を込めると、窓の割れた穴に向かって、腰を捻った。


「――お返しするわよ!!」

 

 彼女の手から放たれたボールは、入ってきた時以上の速度で逆再生される。


 ドォォォン!!


 遥か彼方、校庭のバックネットに突き刺さる轟音が、数秒遅れて届いた。




「君の脳みそは筋肉でできているのか?」

 蒼馬は呆れながら、床に落ちた自分の万年筆を拾い上げる。ペン先は潰れていない。計算通りだ。

「もう少し論理的に動けないのかね」


「はぁ? あんたこそ、いちいち小細工してないで自分で止めればいいじゃない。非力なモヤシっ子には無理でしょうけど!」


 凛はスカートの埃を払い、ふんと鼻を鳴らす。



 お互い、全く認めようとしない。

 今の連携が、奇跡的なまでの阿吽(あうん)の呼吸であったことを。



 蒼馬がボールの軌道を変えなければ、凛は反応が遅れて顔面に直撃していたかもしれない。

 凛がキャッチしなければ、跳弾が室内の備品を破壊していただろう。


 一瞬のアイコンタクトすらなく、互いの行動を「信頼」していなければ不可能な芸当。


 だが、二人の脳内にあるのは「ムカつく」という感情のみ。


(……でもま、今のペンの弾き方だけは、ちょっとだけ綺麗だったかもね)


 凛は心の中で毒づきながら、自分の席にドカッと座り直した。


(……ふん。あの動き、無駄がないのだけは評価しよう)


 蒼馬もまた、眼鏡の位置を直しつつ、内心で小さく安堵のため息をつく。


 嵐のような一瞬が過ぎ去り、再び不毛な口論が始まろうとした時。

 生徒会室のドアが、ノックもなしに乱暴に開かれた。


「おーい、生徒会長と風紀委員長! 先生が呼んでるぞー」


 教員の呼び出し。

 これが、二人の「最悪な一日」の、本当の始まりだった。


 蒼馬は眉をひそめ、凛はあからさまに嫌な顔をする。その表情の同期率だけは、皮肉にも100パーセントだった。



  第2章 密室の共犯者、雷鳴のちデレ


「……おい、この廃墟、いつ崩落してもおかしくないぞ」


 渡り廊下を抜け、旧校舎の冷たい空気に足を踏み入れた瞬間、神崎は眉間の皺を深くした。


 カビと埃、そして長く人が立ち入っていない場所特有の、澱んだ空気。床のタイルはひび割れ、歩くたびにジャリ、ジャリと不快な音を立てる。


「文句言わないの。先生に押し付けられたんだから仕方ないでしょ。『最終点検』だって」


 先行する凛が、懐中電灯の光を無造作に振り回す。

 光の先で、壁に貼られた古びたポスター――『目指せ皆勤賞』の文字が、亡霊のように浮かび上がっては消えた。


「大体、なんであんたと二人きりなのよ。これ一種の罰ゲーム?」


「奇遇だな。僕も今、前世でどんな大罪を犯せばこんな目に遭うのか考えていたところだ」


「あぁん? 喧嘩なら買うわよ?」


 バッと振り返った凛の顔が、懐中電灯の逆光でホラー映画のように照らされる。


「無駄口を叩いている暇はない。指定されたのは三階のサーバー予備室だ。行くぞ」


「はいはい。……ったく、偉そうに」



 ◇ ◇ ◇



 三階の最奥。サーバー予備室。

 重厚な鉄扉を開けると、そこには無機質なサーバーラックの残骸と、埃を被ったパイプ椅子が数脚転がっていた。


「何もないじゃない。異常なし、撤収!」

 凛が踵を返そうとした、その時だ。


 ――カチャン。


 背後で、硬質な金属音が響いた。

 続けて、ガチャリ、とシリンダーが回る音。


「は?」


 凛が即座にドアノブを掴み、回す。

 動かない。

 さらにガチャガチャと乱暴に揺らすが、鉄の扉はビクともしなかった。


「……え、開かないわよ」

「貸してみろ」


 蒼馬が冷静に凛を押しのけ、ノブに手を添える。

 引く、押す、回す。そして、ドアの隙間に指を這わせる。

 数秒後、彼が下した診断は絶望的なものだった。


「外から施錠されたな」


「はあ!? 風で閉まったとかじゃなくて!?」


「この扉はオートロックじゃない。誰かが意図的に鍵を回した音だ」


「誰よ! ちょっと、開けなさいよ!」


 凛がドアをドンドンと叩き、叫ぶ。だが、廊下にはすでに誰もいない。


 蒼馬は溜息をつき、スマホを取り出した。


「騒ぐな、野蛮人。現代人には文明の利器がある」


 しかし、画面を見た蒼馬の指が止まる。


「……圏外だ」


「噓でしょ!? ここ学校の敷地内よ!?」


「旧校舎の壁は、遮音と断熱のために特殊な鉛材が使われているという噂があったが……事実だったらしいな」


 完全な密室。

 逃げ場なし。

 そして、隣にいるのは世界で一番相性の悪い天敵。


「最悪……」


 凛が壁に背中を預け、ズルズルとしゃがみ込む。


「あんたと密室とか、酸素が腐るわ」

「同感だ。酸素の無駄だ、少し黙っていろ」


 蒼馬がパイプ椅子をハンカチで拭いてから腰を下ろす。

 その時だった。


 ピカッ!


 窓の外が、強烈な閃光に包まれた。

 一拍遅れて、空気を震わせる轟音。


 ――ドォォォン!!


 建物全体が揺れるほどの落雷。

 途端に、激しい雨音が窓ガラスを叩き始めた。バケツを引っくり返したようなゲリラ豪雨だ。


「ひっ……!」


 短い悲鳴。

 蒼馬が視線を向けると、そこには信じられない光景があった。

 あの「ゴリラ女」こと凛が、膝を抱え、小さく震えているのだ。

 鋭い瞳は閉じられ、顔面は蒼白。肩が小刻みに揺れている。


(……は?)


 蒼馬の思考が一瞬停止する。


「……おい」


「な、なによ……」


 返ってきた声は、いつもの威勢の良さが嘘のように弱々しい。


「笑いたきゃ……笑えば……」


 ゴロゴロ……と遠雷が響くたび、彼女の身体がビクンと跳ねる。

 

(……調子が狂う)


 蒼馬は舌打ちをした。


 憎まれ口を叩き、殴りかかってくる姿こそが赤城凛だ。

 こんな、雨に濡れた捨て猫のような姿は、彼女じゃない。

 そして何より――そんな彼女を見て、胸の奥がざわついている自分自身に腹が立った。


 蒼馬は無言で立ち上がると、制服のブレザーを脱いだ。

 そして、震える凛の頭に、ファサリと被せる。


「……え?」


 視界を遮られた凛が、ブレザーの下から声を漏らす。

 蒼馬の体温と、微かに香る高価な柔軟剤の匂いが、彼女を包み込んだ。


「この部屋は空調が切れている。風邪を引かれて、明日の業務に支障が出ると迷惑なだけだ」


「……なにそれ」


「それに、君のその情けない顔を見ているとIQが下がりそうだ」


 減らず口。

 だが、凛は襟元をギュッと掴み、深く被り直す。


「……ありがと」


「聞こえないな」


「なんでもないわよ! バーカ!」


 その時、再び閃光が走り、プツンと音がした。

 世界が、闇に染まる。


「停電か」


 非常灯すら点かない。窓の外も厚い雨雲に覆われ、真の闇が訪れた。


 ガシャン、と何かが落ちる音がした。

 蒼馬が、暗闇でバランスを崩したのだ。


「眼鏡が……」


 蒼馬の最大の弱点。

 彼は裸眼視力0.01以下のド近眼である。

 光を失い、さらに眼鏡を落とした彼は、IQ200の頭脳を持ってしても、ただの無力な迷子だ。


「どこだ……」

 手探りで床を這う蒼馬。その手つきは心許ない。


 ――ガシッ。


 不意に、闇の中から温かい手が伸びてきて、蒼馬の手首を掴んだ。

 力強く、迷いのない手。

 凛だ。


「……凛?」

 思わず、名前で呼んでしまう。


「右、30センチ。椅子の脚の横」


 凛の声は、もう震えていなかった。

 暗闇――それは、彼女の野生の勘が最も研ぎ澄まされる領域。


 凛に誘導され、蒼馬の指先が眼鏡のフレームに触れる。

 拾い上げ、掛け直す。視力は戻ったが、暗闇であることに変わりはない。

 だが、手首を掴む凛の手は離れなかった。


「……見えないんでしょ、鳥目」


 凛の声が、すぐ耳元でする。


「私が目になってあげるわよ」


「……君に介護される趣味はない」


「強がり言わないの。ほら、掴まってなさいよ」


 グイ、と手を引かれる。

 蒼馬の掌に、凛の体温が伝わる。

 それは予想以上に熱く、そして、微かに汗ばんでいた。



 蒼馬は、繋がれた手を握り返すことはしなかった。

 だが、振りほどくこともしなかった。

 ただ、彼女の導くままに、暗闇の中に身を委ねる。



 闇の中で、凛の足がピタリと止まる気配がした。

 数秒の沈黙。

 心臓の音が、やけに大きく響く。


「…………貸しだからね」


 凛の声は、少し上擦っていた。


「ここから出られたら、1回ジュース奢りなさいよ。高いやつ」


「ああ。最高級のフルーツ牛乳でも何でも奢ってやる」


「子供扱いしないでよ!」


 軽口を叩き合いながらも、二人の手は離れない。

 密室の闇と、雨音のカーテン。

 世界から切り離されたこの空間でだけ、二人は「敵」ではなく、「共同体」になれた。


 だが、その甘美な時間は長くは続かない。

 廊下の奥から、複数の男たちの足音と、下品な話し声が近づいてきていた。


「おい、ここの部屋か? サーバーの直結回線があるのは」

「ああ。警備員は片付けた。ゆっくりデータをいただくとするか」


 二人の表情から、一瞬で甘さが消え失せる。

 繋いでいた手が、パッと離された。


 蒼馬の瞳に、冷徹な作戦参謀の光が宿る。

 凛の瞳に、好戦的な猛獣の炎が灯る。


「……聞こえたか、ゴリラ女」

「ええ。掃除の時間みたいね、モヤシ眼鏡」


 闇の中で、二人は獰猛に笑い合った。


  第3章 ふたりの暴力的なユニゾン


 ガチャリ。

 重苦しい音と共に、ロックが外された。

 鉄扉が軋みを上げて開き、数本の懐中電灯の光が、暗闇の部屋を無遠慮に切り裂く。


「あ? なんだ、ガキがいんのかよ」


 入ってきたのは、作業着姿の男たちだった。四人、いや五人。

 手にはバールやスパナ、そしてスタンガンのようなものが握られている。明らかに、ただの泥棒ではない。


「おいおい、見られちまったな。……運の悪いガキどもだ」


 リーダー格らしき男が、下卑た笑みを浮かべて近づいてくる。


 蒼馬は、瞬時に状況を演算した。

 逃げ場なし。通信手段なし。相手は武装した成人男性複数名。勝率は限りなくゼロに近い。


(僕の頭脳も、物理的な暴力の前では無力か……)


 だが、蒼馬は一歩前に出た。


「ここは部外者の立ち入り禁止区域だ。警察には通報済みだぞ」


 ハッタリだ。だが、少しでも時間を稼げれば――。


「警察ぅ? この嵐で回線が死んでんのは調査済みなんだよ!」


 男の一人が苛立ち紛れに手を伸ばす。

 その太い腕が、蒼馬の細い首を鷲掴みにしようとした、その刹那。


 ドゴォッ!!


 鈍い打撃音が響き、男の巨体が「くの字」に折れ曲がって吹き飛んだ。


「――その軟弱(モヤシ)に触っていいのはなぁ!」


 闇の中から飛び出した凛が、蒼馬の前に立ちはだかる。

 ポニーテールが怒りの形相で逆立ち、その瞳は猛獣のように爛々と輝いていた。


「喧嘩相手の私だけなんだよ!! 気安く触ってんじゃないわよ、三流悪役が!」


(……こいつ)


 蒼馬は目を見開いた。

 圧倒的な劣勢。それなのに、彼女は微塵も退こうとしていない。



「このアマ……! やっちまえ!」


 逆上した男たちが一斉に襲いかかる。

 凛は凄まじい反応速度でバールを回避し、スパナを持つ腕を蹴り上げる。

 しかし、多勢に無勢だ。凛は徐々に追い詰められる。


「ぐっ……!」


 背後からの蹴りが、凛の脇腹に入る。

 彼女の動きが鈍った隙を、男たちは見逃さなかった。四方から武器が振り下ろされる。


(……詰んだか)


 だが、その文字を焼き尽くすように、腹の底から熱い感情が湧き上がった。


(ふざけるな。僕の目の前で、僕の『喧嘩相手』が袋叩きにされる? そんな筋書(プロット)は認めない!)


 蒼馬は、おもむろに眼鏡に手をかけた。


「……あーあ。見たくないものまで見えすぎて、鬱陶しいんだよな」


 カチャリ。

 銀縁のフレームを外し、胸ポケットにしまう。

 視界がボヤけ、世界が曖昧な色彩の塊へと変わる。

 だが、それでいい。


 余計な情報は遮断された。今の彼の脳内には、先ほどまでの光の動き、足音、空気の流れから構築された『完全な3Dマップ』が展開されている。


 IQ200の脳が、戦闘モードへと切り替わる。

 蒼馬は大きく息を吸い込み、叫んだ。


「凛! 3時方向、ローキックだ!」


 その声に凛の身体が、思考するよりも早く反応する。

 見えないはずの右後方へ、鋭い回し蹴りを放つ。


 バキィッ!


「ぎゃあっ!?」


 忍び寄っていた男の向こう脛が砕ける音がした。


「はぁ!? あんた、何指図してんのよ!」

「文句は後だ! 次は10時方向、上段避け!」

 

 ヒュンッ!

 凛が頭を下げた直上を、鉄パイプが通過する。

 

「そのまま懐に入れ! 鳩尾に一撃!」


 凛は地を這うような低い姿勢から飛び込み、男の腹に拳を突き刺す。


 完璧な同期(シンクロ)

 蒼馬が「脳」となり、凛が「凶器」となる。

 視界の悪い乱戦において、俯瞰で戦場を支配する蒼馬の指示は、凛にとって最強のガイドラインだった。


「12時方向、二人来るぞ! そこにある消火器を使え!」

「人使い荒すぎんのよ!!」


 凛は悪態をつきながらも、足元に転がっていた消火器を蹴り上げた。

 空中に舞った消化器が男たちの態勢を崩す。

 

 こうなれば野生の勘だけで生きる女、赤城凛の独壇場だ。

 

「……ここよ、バーカ」


 楽しげな囁き声が、男の背後でする。

 あとは一方的な蹂躙だった。

 悲鳴、打撃音、何かが崩れる音。

 そして、最後のひとりが崩れ落ちる音がして、静寂が戻った。


 ハァ、ハァ、ハァ……。

 荒い呼吸音が二つ、暗闇の中で重なる。

 

 二人はいつの間にか、背中合わせになっていた。

 お互いの背中の温もりと、激しい心拍の振動が伝わってくる。


「……はぁ、はぁ。あんたの指図を受けるなんて、人生最悪の屈辱だわ」

 凛が、肩で息をしながら毒づく。


「……ふん。君の野蛮な暴力を利用するなんて、僕の美学に反する」


 蒼馬もまた、背中で体重を預け合いながら、乱れた呼吸を整える。


 けれど、離れない。

 背中から伝わる相手の存在が、今は何よりも安心できた。


「「……でも、悪くない動きだった(わ/ぞ)!」」


 二人の声が、完全に重なった。

 シンクロしてしまったことに気づき、二人は弾かれたように背中を離す。


 顔を見合わせることなく、そっぽを向く二人。



 しかし、運命の悪戯はここからが本番だった。

 遠くから、パトカーのサイレン音が近づいてくる。

 そして――彼らのポケットの中で、それぞれのスマホが震えだした。

 この事件の「真の結末」を告げる、残酷な通知と共に。



  第4章 正体、そして世界は色を変える


 赤橙が、雨上がりの校舎をチカチカと照らす。


「いやぁ、お手柄だよ君たち! まさか生徒だけで凶悪窃盗団を制圧するとはね!」


 駆けつけた刑事の称賛を、蒼馬は能面のような無表情で聞き流していた。

 隣では、凛が救急隊員から差し出された毛布にくるまり、不機嫌そうにストローでジュースを啜っている。




「それで、被害状況は?」


 蒼馬が事務的に尋ねる。


「ああ、サーバーのHDDは無事だ。ただ……」


 刑事は少し言いにくそうに頭を掻いた。


「連中、特殊な機材を使って、校内Wi-Fiの通信ログを一部抜き取っていたみたいなんだ。生徒のプライベートな閲覧履歴や、SNSのログインセッションなんかが漏れた可能性がある」


 ピクリ。

 蒼馬と凛の肩が、同時に跳ねた。


(……待て。僕は生徒会室で、執筆中の小説のプロットをクラウドに保存した記憶がある)


(……嘘でしょ。私、美術室で隠れて『ナイト先生』のイラストを共有クラウドにアップロードしたかも)


 二人の顔色が、サーッと青ざめていく。


 社会的な死。


 もし、あの甘々ラブコメ作家『ナイト』の正体が、この冷徹生徒会長だとバレたら?

 もし、あの妄想全開の神絵師『ルナ』の正体が、この暴力風紀委員長だとバレたら?


「……け、警察の方で、データは回収できるんですよね?」


 凛の声が震えている。


「努力はするが、解析には時間がかかる。各自、念のためパスワードの変更を推奨するよ」


 刑事が去った後、現場には重苦しい沈黙が残された。

 パイプ椅子に並んで座らされた二人。

 距離は50センチ。

 だが、二人の意識はそれぞれの掌の中にあるスマートフォンに釘付けだった。


(確認しなきゃ……! クラウドが無事か!)

(ログイン履歴の確認だ……。不正アクセスがあってはならない)


 凛は震える指でフリック入力する。

 それは、彼女にとって唯一の心の拠り所である「彼」へのメッセージ。


『ナイト先生、こんばんは。ルナです。もしかしたら不正で共有クラウドにアクセスされる可能性があって……すみませんパスワードを変えてもらっていいですか?』


 送信ボタンをタップする。

 シュッ、という送信音が響いた。


 その直後だった。


 ブブブッ。


 隣で、低いバイブレーション音が鳴った。

 蒼馬の膝の上にあるスマホの画面が、パッと明るくなる。


 蒼馬は眉をひそめ、画面を覗き込んだ。

 そこには、見慣れたアプリの通知バナーが表示されていた。


【新着DM:ルナ】

『ナイト先生、こんばんは。ルナです。もしかしたら不正で共有クラウドに……』


「…………は?」


 蒼馬の思考回路がショートした。

 IQ200の脳が「理解不能」のエラーを吐き出す。

 ルナからDMが来た。それはいい。

 なぜ、今、このタイミングで?

 そしてなぜ、隣の女がスマホを操作した瞬間に?


 蒼馬は恐る恐る、首を回した。

 ギギギ、と錆びついた蝶番のような音がしそうだ。


 視線の先には、自分のスマホ画面を凝視し、口をポカンと開けている凛がいた。

 彼女の視線は、蒼馬のスマホ画面の『ルナ』という文字と、自分のスマホ画面の『送信済み』の文字を、高速で往復している。


「……え?」


 凛が、掠れた声を出す。


「……あんた、なの?」


 時が止まった。

 雨上がりの湿った風も、遠くのサイレンも、全てが消え失せる。


 蒼馬の脳内で、パズルのピースが爆音と共に嵌まっていく。

 『ルナ』の描く、力強くも繊細なタッチ。それは、凛が見せる武道の所作とどこか似ていた。


 そして、凛にとっても。

 『ナイト』の書く、理屈っぽいがどこか優しい文章。それは、先ほど暗闇の中で自分を導いてくれた、あの不器用な優しさと完全に一致していた。


「……嘘だろ」

 蒼馬が呻く。

「僕の最高に愛しい神絵師(パートナー)が、このゴリラ女……?」


「……信じられない」

 凛が頭を抱える。

「私の敬愛する推し(ナイト様)が、このモヤシ眼鏡……?」


 二人の視線がぶつかる。



 カァァァァァッ……!



 二人の顔が耳まで真っ赤に染まる。

 口を開こうとしても、言葉が出てこない。

 「好きでした」とも、「死ね」とも言えない。



 互いのスマホの通知ライトだけが、暗がりの中で¥二人の秘密を嘲笑っていた。



 ◇ ◇ ◇


 翌日。

 快晴の空の下、登校中の生徒たちは異様な光景を目撃することになった。


 廊下の曲がり角。

 東から生徒会長、神崎蒼馬。

 西から風紀委員長、赤城凛。


 いつもの「開戦場所」だ。

 生徒たちが「また始まるぞ」と道を空け、期待と恐怖の入り混じった視線を向ける。


 二人が歩み寄り、距離が縮まる。

 蒼馬が口を開いた。


「……昨日の、新作イラスト。……構図が、その……よかった、と思うぞ」


 対する凛も、顔を林檎のように赤くし、スカートの裾をギュッと握りしめていた。


「……あ、ありがと。……あんたの、えっと、新章の……ヒロインの心理描写も……良かった、んじゃない?」


 会話が成立していないようで、成立している。

 その空間に漂うのは甘酸っぱくてむず痒い、初々しい「何か」だった。


「……じゃ、じゃあな、あ、今日のラッキーアイテムはフルーツ牛乳らしいぞ」

「……うん、また後で」


 二人は逃げるようにすれ違い、それぞれの教室へと早歩きで去っていく。

 残されたのは、開いた口が塞がらない生徒たち。


「……え?」

「今、デレた?」

「あの二人が!? 天変地異か!?」

「いや、なんか……尊くない!?」


 校舎中を揺るがす大パニックの叫び声が、青空に吸い込まれていく。

 



((……次の更新、どういう顔して送ればいいんだよ/いいのよぉぉぉ!!))


 二人の心の絶叫が、美しくシンクロした。


【完】

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