死んだらポケモンの世界に行きたい
お寺さんの話を聴いて、死後の世界に思いを馳せた。
あなたは死んだらどんな世界を見たいですか?
祖母が亡くなった後、四十九日の法要に参加した。
お寺さんのお経は、7日ごとにあった法要よりもロングバージョンだったようで、両足が痺れに痺れた。
終了後、ジンジンする脚を伸ばしながら、お寺さんのありがたいお話を聴いた。
この世には様々な創作物がある。その中でも、小説は過去形で、詩は現在形で書かれることが多い。
小説が過去形なのは、過去にあった出来事を、現在の我々に向けて語るから。それに対して詩は、これから起きる未来の出来事を、現在の我々に向けて書いているのだ。
例えば、どこかで夕焼けについての詩を目にしたとする。頭のどこかにはその詩が残っているが、日常生活の中では思い出さないだろう。そして、ずっと時が経ってから、旅先でふと美しい夕日を見る。そこで初めて、過去に読んだ詩を思い出す。すると、詩と風景が重なり、より一層の感動が得られることだろう。
過去に読んだものが、自分の中でドカンと響く体験。
これは「悟り」と同じような感覚らしい。
お経も現在形で書かれていて、浄土という未来の光景を描写している。家の壁は一面が宝石で、木の実も宝石のように輝く。そんな美しい世界で、我々はお釈迦さまの弟子となり、説法を聴いて修行する日々を送るのだ。
この話を聞いた時、私は「死んでからも楽できないのかよ……」と思った。父は隣で「ワシは別にお釈迦さまの弟子になりたい訳じゃない」と言っていた。信心の足らん親子ですまんな。
ともかく、浄土の様子を描いたお経に触れておくことで、死後、実際に浄土を見た時、それが自分の中でドカンと響く。この体験こそが、悟りなのだという。
え?じゃあ、悟りって死んでからじゃないとできなくね?
だって、厳しい修行で死後の世界に行き、その光景を見て「すげえ!お経の通りじゃん!」と感動して、また現世に戻って来てるってことですよね。普通は無理じゃん。いや、だからこそ、悟りの境地に至った人が凄いとされているのか。
こんなに大変なことなので、「一般人はお経だけ唱えておいて、死後に悟りを開きましょうね〜」って考えもあれば、「いや、今から修行を積んで、少しでも悟りに近づこうぜ!」って考えもある。その多様さが、宗派の違いに現れているというわけだ。
先述の通り、私は信心の足らない人間なので、本当に死後の世界があるとは信じていない。しかし、おばあちゃんは今頃お釈迦さまの弟子になったのかぁ、なんて考えていると、燃えて骨粉になったという味気ない事実を噛み締めるよりは、幾分か心が救われる。
家族と別れて悲しい。死ぬのが怖い。死への悲しみや恐れを慰める拠り所として、宗教は存在する。そこにまつわる数々のお話は、もちろん非科学的だ。でもここで大事なのは信憑性ではなく、その作り話が古来より人間の心を救ってきていること。だから宗教はなくならないんだよね。
死後の世界は非科学的で、実在するとは思わない。そう考えていようとも、その非科学的な作り話を心の拠り所にしている。この相反するような信条は、私の中で確かに両立しているのだった。
祖母が亡くなる2日前、呼吸状態が変化したという電話を受け、お世話になっている施設へ行った。思えば、これが祖母との最期の面会であった。
祖母は何年も寝たきりで、声をかけても反応せず、目も見えていない。しかし、ぼんやりとした人影くらいは分かるのか、面会してから去って行く私たちを、ぼーっと目で追っていた。焦点は全く合っていなかったけど。
視力も意識もはっきりしない人には、この世界がどう見えるのだろう。何とか脳内で補完せざるを得ないから、案外自分の想像した通りのものが見えるのかな?その時にお経がしっかり身についていたら、脳内では本当に浄土を見れるのかもしれない。
今の私が、慣れ親しんで身についてるものって何だろう。当然お経は覚えてない。普段はSNSや掲示板に入り浸り、下らないネットミームばかり学んでいる。特に好きな話題は、進撃の巨人、鬼滅の刃、呪術廻戦、チェンソーマン。
……いや、浄土どころか地獄じゃないか。
このままでは、私の死後の世界がダークファンタジーものになってしまう。
どうにかして理想郷を創らなきゃ。死後に見たい光景を想起させるような創作に、今から触れておくのだ。
そう考えると、私にはひとつ、叶わぬ理想がある。
それは、ポケモンのいる世界。
特に好きなのは、バシャーモとサーナイトとインテレオン。寡黙で世話焼きなバシャーモさんに温めてもらい、優しいサーナイト姉さんのお膝で眠りにつくのだ。インテレオンは……まあ、見てるだけでかっこいい。側にいてくれ。
ここまで語っておきながら、私はポケモン本編をプレイしたことがない。ポケモンスリープとポケモンGOの知識だけでポケモンを愛している。だが、ポケモンとの共同生活を、具体的に想像できないのだ。先ほどの妄想だけでも、解像度の低さが伝わっただろう。ポケモンがいる世界をしっかり我が身に浸透させるために、本作品を遊ぶのもアリだな、と思ったのだった。
それにしても、世代の違う御三家をひとつのタイトルで遊ぶって難しいな。ポケモンレジェンズ、次作はアチャモとメッソンが来てくれないかな。
親友の結婚式が、あと2週間に迫っています。
友人スピーチの練習や、式中に渡すお手紙の用意など、やるべきことはあるのに!
こういう時に限って筆が進むんだよねぇ〜!
これ書くのは今じゃなくていいだろ!!
テスト前に部屋の掃除をしちゃう的なアレです。
†悔い改めて†




