2:37
相楽はもう眠っているのだろうか?
廊下に用意してあったのは俺が完全に眠らないようにクッションと毛布という簡素なものだった。時計を見ると零時を廻ったところだ。
少し前のことだ。
「もしなにか異変を感じたら遠慮なく入ってきて」
パジャマ姿の相楽は俺にコーヒーがたっぷりを入ったポットとラップを掛けたサンドウィッチが盛られたお皿を渡す。
「おい。俺には徹夜をさせてお前は眠るつもりなのか?」
「うん。多分寝ないようにしていても眠らされるような気がするんだ」
「嘘じゃなく?」
「嘘言ってなんになるの?」
「明日確実に教室で眠るな」
「休めばいいよ」
「簡単に言ってくれるな」
「ホント悪いって思ってる。でも拓哉にしか頼めないことなの。これは私のせいだって分かってる。けど、あの封筒のこと相談した時からこうなる運命だって思って欲しい」
「あのことは俺も気になっている」
「でしょ。だからさ、もし無事朝を迎えられたらお礼してあげる。何がいいか考えておいて」
「お礼・・・ねぇ・・・今は思いつかん」
「キス以外でお願いね」
相楽は耳元で言う。お前には分からないだろうな。滅茶苦茶こそばゆいんだよ、吐息が。
「親友ならしない、だろ」
相楽は笑って部屋の中に消えていった。ドア越しに耳を立てているとモソモソ音がする。
どうやらベッドに入ったみたいだ。本当に眠るらしい。俺は諦めてポットからコーヒーをカップに注いで飲んだ。
「・・ゔ・・濃過ぎだろ・・・」
想像を越えた味が俺の脳天を直撃する。本当に眠らせないようにしたいらしい。
時計を見る。まだ十五分しか経っていない。スマホもない。テレビも音楽もない。ただ時の流れる静かな音だけを静かに聞いているしかやることがない。
またドアを見る。静かで物音一つしない。
試しに耳に神経を集中させるとドア越しだが微かな寝息が聞こえてくる。本当に寝息なのか、それとも空気が流れている音なのか、俺には判断がつかないが相楽もうぐっすりと夢の中だろうと予想して再びコーヒーを一口飲んだ。
「・・・苦すぎ・・・お礼って言ってたな。なら甘いものが欲しいな今は」
そう言えば駅前のカフェに行こうと言われた。ならそこで奢ってもらうくらい許されるだろう。悪くない選択だな。
またあの日のことを思い出す。
『ずっと好きだった』
アイツは言った。その時の相楽はどっちだった?男だったのか、女だったのか。人格がコロコロ変わっていた様にも見えた。でも最後は絶対に男だった。
こんなこと考えるのは間違っているのだろうか。ずっとトランスジェンダーだと思っていた。でも単純にそれだけではないような気もしてくる。
相楽の身体にはどっちも存在していた。そんなことってあるのだろうか。しかし、そう考えると不思議と腑に落ちるというか納得するというか。一番しっくりくるのではないだろうか。
・・・どうにも深夜って馬鹿なことを考えがちになる。
なら今の相楽はどうなんだ?もし二つの存在があったなら男が消えて女が残ったとしたら今の女の相楽は納得できる。けれど入学式のアイツは昔の記憶をほとんど失っていた。いや、失っていたというよりは持っていなかった。
初めて顔を合わせたような視線を思い出す。俺の名前が出てくるまで時間が掛かった。意識不明だったのを考えると忘れていても仕方ないことだと思っていた。
けれどアイツは言ったんだ。俺の名前を。
かつての相楽の記憶を辿るように答えを探し当てた。ならアイツは誰だ?
まただ。考えたくないことを考えてしまう。
ちょっと待て・・・考えたくないことを考える。そうした方が正解に近いのではないだろうか。
アイツは俺の知っているかつての相楽ではない全くの別人。意識不明ってことが隠れ蓑みたいになって真実が見えなくなっていた。
仮にそう考えてみる。ならかつての、というか本来の女の相楽はどうなってしまったのか?
俺の頭で考えられる答えは
今、相楽の中には二人の女がいる。
バカバカしいにも程があるのに妙にしっくりくる。
どうせバカな考えだ。この際もっと追求してみるか。眠気覚ましにもちょうどいい。
二つの人格、魂、なんでもいい。とにかく相楽が二人いるという現実を検証してみよう。
俺は男だった頃の思い出が多過ぎるせいなのか女の頃だった記憶がない。もし女として今まで生きていたらどんな性格になっているのか分からない。だから今の相楽のことを受け入れていた。割とサバサバしているのも気にならなかった。
あいつはずっと今のままで生きてゆく。昔には戻りたくないと言っていた。それは男の戻ることを言っているのかと思っていた。
実際は違うのではないだろうか。男じゃなく本来の女の相楽と変わりたくないって意味だったのかもしれない。だとしたらやっぱり誰なんだ?
腹が鳴った。いよいよ目の前のサンドウィッチを手にする。
玉子サンドとハムとチーズの二種類がある。ラップを外して特に考えもなく玉子サンドを口に入れた。
「ゔ・・・」
パンも玉子の味付けも普通なのにカラシが通常の三倍は入っているくらいの衝撃が走る。
涙目になりながらコーヒー・・・これも強烈だったんだ。
「・・・ホント、眠らせる気がない・・・」
腹減りに抗えず玉子サンドをなんとか食べ終わる。今度はハムとチーズだ。これは安全圏だろう。見た目だって普通だ。さて安心して味わうか。
「ゴア・・・・・・・・こ、これもか」
隠れるようにマヨネーズの中にカラシが仕込まれていた。この気合いの入れよう。
相楽よ。朝になったら覚悟しておけよな。
密かな復習心に眠気なんか訪れるはずもなく、俺はなにしてやろう、なんてことを考えていた。なんか楽しくなってきた。同じものを朝から食べさせるのもありだな。それともコーヒーか?夜が深くなる度にテンションがおかしくなってくる。
ゴト・・・ドン・・ドン・・トン・トン
「な、なんだ今の?」
俺は反射的にドアノブに手を掛けた。『なにかあったら・・・』その言葉を思い出してゆっくりドアを少しだけ開けて中の様子を見た。
部屋は暗く静かだ。何の変化もないように見える。おまけに寝息が聞こえる。ぐっすり眠っている。異常はない・・・が、音の正体が分かった。
ドアのすぐ近くにサッカーボールが転がってきた。そうか。これが棚から落ちたんだ。その音に気がつかないなんて、どんだけ深く眠っているんだ。
俺はそっとボールと手にしてもう一度相楽のことを見る。変わらない寝息を確認してドアを閉めた。
「お前か。びっくりさせやがって」
話し相手が出来たな。一人だとロクなこと考えないからな。
俺は時計を見る。一時を少し廻ったところだ。目標の時間まではまだ一時間以上ある。
「さて、なに話して時間潰すかな」
ボールはあっちこっちに小さい傷や汚れこびり付いていたがキレイに拭いてある。
俺は男だった相楽とのことを思い出す。
「懐かしいな。もう十年は経つのか。 そう言えば最近お前と遊んだな」
俺は『佐藤元』のことを思い出した。なんだか変わったヤツだった。初めて会ったはずなのに妙に懐かしくも思った。それはどこか男だった頃の相楽に似ていたから・・・・
男の相楽・・・・・・・・・・・・・
まさか相楽なのか?あの頃の相楽なのか?
「バカだな俺は。変なことばっかり考えてる。お前はどう思った?アイツのこと」
当然だがボールは何も返してはくれない。
「相楽とは不思議な距離感があった。昔からの知り合いじゃないのにずっと昔から繋がっているみたいだった。なあ、お前はアイツに蹴られた時、なにか感じなかったか?」
やはりボールは沈黙したままだが俺は言葉を掛け続ける。そうすることで自分が本当に思っていることの輪郭がはっきりしてゆく感じがする。
赤いカードには一言だけ書いてあった。それがなぜ相楽に、ではなく俺だったのか。あれは俺に向けてのメッセージだったのだろうか。ならなぜ覚えていない。
そして消えた。もしかして相楽が手品でもしたのか?その可能性はないだろうな。そんなことする理由がない。
考えても答えは出ない。
ボールをじっと見つめていると男だった相楽の最後のシーンが蘇ってくる。
「・・・あいつ、最後に言ったよな・・神様に文句、だっけ。なんであんなこと言った?あいつは神様に会うことができたのだろうか。会ってどんな文句を言ったんだろうな。俺には何も言ってないから分からない。神様か・・・ホントにいると思ってたのか」
時計を見る。あと三十分・・・もある、しかない。どっちで捉えたらいいのだろう。時間になってもしがあったら俺は何をしたらいい?何ができる?アイツを起こせば良いのか?それとも俺一人でなにかをしなければならないのだろうか?
急に不安になってくる。考えてみれば俺は裸同然の丸腰じゃないか。守るものもなければ反撃するものもない。
時間が急に重く身体にのしかかってくる。それに静か過ぎる。この辺りは幹線道路の抜け道になっているから夜中でも車の音がする。なのに相楽の家に来た時から車が一台も通過した記憶がない。まだある。ボールが棚から落ちた。結構大きな音がした。それなのに相楽の親はどちらも気がついていない。それだけ深く眠っている可能性もあるが俺には不自然にしか思えない。娘の部屋の目の前に俺がいるんだ。それだけでも心配で眠ることだってなかなかできないんじゃないのか?
もう一度時間を確かめる。
「おい・・・なんだこれ?」
腕時計のデジタルがどんどん進んでいる。ストップウォッチ機能じゃない。試しにボタンを押してみても反応はない。時間だけが異常な速度で進んでいる。そんなことあるはずがない。時計が故障したに違いない。
2:37
時計の表示はピタッと停まる。
俺は呆然と見ている。時計はそのまま進むことをしていない。秒すら動いていない。
周りの闇が一層濃くなった。分かるのはそれくらいだ。
汗が床に落ちる音で自分が汗をかいていることに気がついた。
バン!!!
「わ、びっくりした・・・なんなんだよ」
置いていたボールが突然破裂した。
ゴト・・・ゴト・・・
今度は部屋の中から音がする。何の音だ?相楽の寝相が悪くてベッドから落ちたとか?
「開けるぞ」
ゆっくりとドアを開ける。中を覗き込む。俺が見たもの・・・
「な、なんだ、あれ」
相楽はベッドの上に立って・・・いや浮いているように見えた。
「おい相楽、入るぞ」
だが返事はない。顔を伏せているのは気を失っているのか、それとも寝ているのか、判断がつかない。ベッドから数センチのところを浮いていることしか分からない。
「俺達は親友だ。だから間違いなんてない」
俺は部屋の中に飛び込むように入った、が、その瞬間何かに拒否されたみたいに廊下に引き戻された。
「・・・いってぇ・・・おい、相楽、目を開けろ」
声は届いていない。こんな状況で寝ているとしたらどんだけ図太いんだよ。
「もう一回だ」
勢いをつけて部屋に飛び込む。でもやはり同じことの繰り返し。
「・・くぅ・・どうしたら・・・頼む相楽。俺の声が聞こえているなら答えてくれ」
咄嗟に破裂したサッカーボールを持って
「相楽、見えるか?誰かがお前の大事なボール壊した。俺達の思い出のボールを壊したんだ」
俺はボールの残骸を相楽に向かって投げつける。それは弾かれることなく相楽の肩の辺りに当たった。
「・・・た・・くや」
「起きたか。しっかりしろ。何が起こっている?」
「・・・助けて・・・身体・・から・・無理矢理・・」
「そこに誰かいるのか?」
相楽は顔を上げる。とても辛そうな顔があった。
「・・・・・・消えたく・・ない」
「部屋に入れねぇんだよ。どうすりゃいいんだよ」
それでも絶対に相楽の元に行くんだ。あんなに涙を零しているんだ。
また俺は一人の相楽を失うことになるのか?そんなのはもうたくさんだ。本当の相楽を返してくれ。
「相楽・・・いや、美有。聞こえるか。俺はもうお前を失いたくない。男だったお前はその身体にはもういない。親友としての相楽ともう一人。なら俺は・・・俺も・・・」
力一杯部屋の中に飛び込む、と同時に
「俺は・・・お前が・・・好きだ」
声を大にして部屋の中に入った。
「・・・チッ・・・失敗か」
声と共に目の前の強烈な光が現れる。
あの時見た嫌な夢を思い出す。俺は無我夢中でソイツに向かって行った。
「丁度いい」
すり抜けたと思ったら俺はソイツの首にいつの間にか手を掛けていた。
「約束は果たされた。なのに終わらない。終わらせるのはお前だ。夢のように」
「な、なに言ってやがる」
「天罰だ。魂を弄ぶからこうなる」
俺の意思とは関係なく腕に力が入ってゆく。これじゃホントに夢と同じじゃないか。夢では分からなかった。俺は誰の首を・・・
「さがら?」
目の前にいたのは相楽だった。
「・・・た・・・たく・・」
「や、やめろ・・・やめてくれ」
「ククク。これで主も満足されるだろう」
ますます力が入ってゆく。このままだと・・・
「相楽、頼む。俺を引きはがせ。手が勝手に・・・」
「・・・・・・・」
「くそ・・・手が・・言うこと聞かない。俺は相楽を殺したくない。俺は相楽と結婚するんだ」
相楽は声が出せず苦しいはずなのに嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「い、今、離す・・・すぐ・・終わらせる」
「無理だ。お前ではどうもできない」
「く、くっそ・・・相楽・・・相楽・・・」
ふと目元に感触がある。それは渾身の力を使った相楽の手だった。
声のない口元が微かに動く。
『泣かないで』・・・そう言っているように見える。俺は泣いていた。
それは一瞬で相楽の手はぐったりをそのまま床に落ちてゆく。
「さがら・・・さがら・・みう・・やめてくれ、だれか」
夢なら醒めてくれ・・・あの時の夢みたいに醒めてくれ。
「やめろ!ホントに死んじまう!相楽はお前の玩具じゃない」
声の限りに叫んだ。その瞬間ふと手が軽くなるのを感じた。
「勝手なことするのはいただけませんね」
だ、誰だ?他にもまだいるのか?
遠くから声と一緒に下駄の音が響いていた。
カフェ巡りが相変わらず日課の私です。
読んでいただきありがとうございます。
皆さまはプリンは何派ですか?
私は固め派です。スプーンを突き刺して崩して食べる。
この前も好みのプリンに出会えました。
春は出会いと別れの季節です。
私は何と別れるのかな?
それは次を書かないと分かりません。だから書く。
次回もよろしくお願いします。




