私はまだ知らない方がいい
拓哉は私を家まで送ってくれた。その間は本当に会話が驚くほどなかった。沈黙なのに全然平気だった。
お母さんが夕飯に誘ったが拓哉は断って帰って行った。帰り際に
「じゃあ明日な」
「うん。楽しみにしてる」
「それと・・・」
私は言葉の続きを待ったが少しだけ顔を横に振って『いや、なんでもない』とだけ言って歩いて行ってしまう。
私は振り返って何か言うのかもしれないと思ってしばらく後ろ姿を見送っていたけれど結局そのまま角を曲がって行ってしまった。
「せっかく来たのに食べていけば良かったのに」
「明日も朝から部活だって。早く帰ってゆっくりしたいんじゃないかな」
「美有はいいの?」
「なにが?」
「部活。何もしないつもり?」
急に私のこと言われても考えていない。今は気になることがあり過ぎる。
どれもがちょっと先は煙に巻かれているみたいで解決の糸口を見つけることなんてできない。むしろ追えば追う程迷路は深くなってゆくみたいに感じる。
実際部屋に戻ると封筒はあったけどカードはどこにもなかった。もう一度封筒の中を確認しようとしたら、信じられない、だけど目の前で起こったのなら認めるしかない。封筒は私の手の中で焦げ臭い匂いをさせながら消えていった。
不思議と驚きもしなければ悲鳴をあげることもなかった。ただ封筒が消えただけ・・・
「ちょっと美有。ご飯美味しくない?」
「え?ううん、そんなことないよ。ちょっと考えごと」
ずっと手にしたまま止まっていたお椀を口元まで運んでナスの味噌汁を飲んだ。
「私、好きだな、なんでナスってこんなに美味しいのかな」
「あんたって昔から好きだもんね。ナスならなんでもいいんでしょ」
「そんなこと、あるかな」
「それで?部活どうするの?どこかに入らないといけないんじゃなかったっけ?」
そうなのだ。私の高校は帰宅部は許されない。もちろん絶対ってわけじゃない。事情があれば考慮はしてもらえることもあるのは知っている。
そう言えば入学式の後、沢渡先生から呼び出しあったんだよね。そのことが今さらながら思い出した。
♢♢♢♢♢♢♢♢
「失礼します」
ドアをノックしてから職員室の中に入ると先生は自分の席から手を振った。私は周りの先生方に気を使いながら先生の元まで行くと
「悪いな。帰るところだったか?」
「まあ、そうですね」
「少し時間、いいか?」
頷いて答えると先生は立ち上がって
「なら、こっちに来てくれ」
歩き出す先生の後についてゆく。そして扉の前に来ると、おお、これって
「ここで話そう」
案内されたのは校長室だった。先生はノックもせずに入ってゆく。そんな無礼いいのかな?なんて思って中に入ると校長先生は不在だった。
「お茶でいいか?」
「他に何があるんですか?」
「いや、お茶しかない」
じゃあなんで聞く?そんなことを思いながら勧められるまま豪華な革張りのソファーに腰を降ろした。ほどなくティーバッグがそのまま入ったお茶が目の前に置かれた。なんだか熱そう。
先生は私の正面に座ってフーフーしながら一口飲んだ。やっぱり相当熱かったんだ。それ以降はチャレンジすることはなかった。私も火傷なんてしたくないから同じように冷めるのを待つことにした。そのことを確認した先生は話し出そうと姿勢を正し眼鏡の位置を直した。
「どうだ?やっていけそうか?」
それって私のこれからの高校生活のことを言っているんだよね。
「はい。多分。それと、先生、今回の件本当にありがとうございます。こうやってみんなと高校生になれたことは全部先生のおかげです」
やっと面と向かって先生にお礼を言うことができた。病院では試験が終わったと同時に手渡されたのは合格通知だった。
そしてその日の夜に試験結果をお母さんのスマホに送ってくれていた。実際自分でも驚くほどの出来だった。私ってやればできるじゃん、なんて大喜びしたんだった。
「お前は今のままで生きてゆくと言ったのは覚えているな。その決意は変わらないか?」
「はい。変わらないし変わりたくありません」
私は即答した。それ以外の言葉なんて存在していない。私はずっとこのまま。
「これから話すのは『もし』の話だ。俺が勝手に話している『もし』の話として聞いてもらってもいいか?」
「・・・はあ・・・聞けばいいんですね?」
「ああ。それを聞いてもらった上でもう一度同じ質問をする」
一体何を話そうというのだろう。お茶は少しだけ冷めていた。だから一口飲んで先生の話を聞く体勢を整えた。
「正直俺はまだ信じられない。お前が全くの別人格になったという事実を。確かに医者のいうように精神的な疾患が原因なのかもしれない。時間が経てば昔の相楽に戻るなんてことだって起こるかもしれない。そうなったらあの時言ったお前の言葉のように今のお前という人格というか個人はどこに行ってしまうのか。人魚姫のように泡となって消えてしまうのか。それは今のお前にとって一番恐れることだろう」
そこで先生もお茶を飲んだ。
私は泡となって消えるなんて絶対に嫌だ。それに消えた後は?私はどうなってしまうの?それって死ぬってことと一緒のような気がするし怖い。
「俺は少し見方を変えてみた。今のお前がここにいるなら昔の相楽はどこに行ってしまったかと。それこそ泡のように消えたというのか?聞いていると思うが敢えて言う。あの頃のお前は見た目はほとんど男子と変わらなかった。髪も短いし学ランを着ていたしな。言葉使いだって。だから一見すると誰でも男に見えていただろう。今はそういう性不一致というのは少しずつだが世の中に浸透していると思う。けど深い所まではどうだろうな。言葉だけがあってそれ以上はみんな知ろうとしていない。だから未だに認められていない権利がある。国によっても地域によっても何も統一なんてされていない。だからデモも起こる」
性不一致・・・確かに昔の私はその言葉通りの存在だったかもしれない。でも今は違う。身体も心も一致している。だから私はもう普通の人間になれたと思っている。こんなことが起こったのはきっと意識をなくしている間。その時今の私と昔の私が入れ替わったの?
私は黙ったまま先生の言葉に耳を傾ける。
「相楽、お前、自分がどうして意識不明になったか覚えていないよな」
そのことは未だに誰も、お母さんもお父さんも・・拓哉も・・本当に誰も教えてくれない。だから今は自分から聞くことなんてしていない。
それは知らなくてもいいことだからなのか、それとも本当に教えたくないか。でも当時者は私だ。知る権利くらいあるよね。
今は自分のことが楽しくて忘れていた。けど、あらためて言われるとやっぱり真相は知りたくなる。いや知るべきだと思う。先生は・・・その顔は・・・
「先生、知っているなら教えて下さい。私は知らないとならない。誰も教えてくれないんです。一体私に何があったんですか?」
先生はまた冷めたお茶を一口飲んで
「・・・・・」
黙ったまま空を見つめている。言うべきか言わないか迷っている。
「私、先生から聞いたなんて誰にも言いません。ここだけの秘密にします。だから教えて下さい。絶対、本当に誰にも言いませんからお願いします」
私はいつの間にか立ち上がっていた。その姿を見た先生は目を閉じて1回大きく深呼吸して
「・・・後悔しないと約束できるか?」
「後悔・・・するようなことしたんですか?昔の私は」
「その前にお前は自分が病気だったこと覚えているか?」
は?病気?そんなこと知らない。だって身体はどこも異常がない。健康そのもののはず。
「聞いてません。初めてです」
先生が『うん』というまで私は譲らない。譲りたくない。
「病院でお前の母親と話していたのは聞いているな」
「はい。確かトイレに行く途中」
「そうだ。実はあの時に『もし先生が嫌じゃなければあのことは先生からあの子に話してもらえると・・・・もちろん嫌なら断って下さい。でも私の口からは・・あの光景を思い出すのは今でも苦しいんです。それにうまく美有に伝えることができるか自信がないんです』
俺は言ってしまえば他人だからな。だから聞いたことを秘密にする必要はない。けれど家族の前ではその話はしない方がいい。まあ、真相は一部しか知らんからな」
「先生は知っているんですよね」
「目の前にいたからな」
「他に誰がいたんですか?」
「お前の両親と俺と日下部だけだ。もっとも日下部にはお前の前でも絶対に公言するなと釘を刺しているからな」
「拓哉・・・やっぱり知ってるんだ」
「日下部の前では話すな。終わったこと。そういうことにして忘れられるなら忘れた方がいい。でもさっきも言ったが全くの別人格なら他人の話にしか聞こえないかもしれんがな」
私は他人?そうなの?前の記憶だって日常の時々で垣間見ることだってあるのに?私は人格は変わったって言われても他人ではない。なんでこうなったか。なんてこと今さら真相なんて知ってどうするの?
落ち着け私。焦るな。私は私。いや、ちゃんと私にならないといけないんだ。
「・・・先生」
「気が変わったか?」
きっと先生はこうなることが分かって、分かった上で話したんだ。ほんと手の上で弄ばれているみたい。過去だって私の一部なんだ。覚えていないということは忘れたかったんだろうな。私は前の私の気持ちを感じる。病気になってきっと絶望したんだろうな。だからみんなが口を塞ぐような何かをしたんだ。
「・・・・はい。今はまだ早い、時期尚早ってことで終わりにしたいです」
私はすっかり冷めたお茶をイッキに飲んで
「もう帰ります。いいですよね」
「相楽」
「はい」
「もし本当に聞きたいと思ったら・・・待っている」
先生の顔はどこか優しく見えるのは何故だろう。
「その時はお願いします。でもこれから楽しい高校生活が始まるので忘れちゃうかもしれないです。そうなったらそうなったで良いのかなって思います」
「分かった。悪かったな呼び出して」
「いえ。でも答えはすぐに手に入るって分かったので少しホッとしてもいるんです。私の方こそありがとうございました」
「ところで本当に身体の方は何ともないのか?」
「はい。病院の先生も太鼓判押してくれました。いろいろ奇蹟だなんて言ってました。可笑しいでしょ。なんだか私の身体は奇蹟の塊みたいだって」
私が笑うと先生も小さく笑った。今はこれでいい。今は過去を振り返ることはしない。もっと時間が経ったら過去を振り返る余裕ができたら本気で知りたいって思うかもしれない。そうなったら今度こそちゃんと聞こう。だから今は辞めておくんだ。
「失礼します。さようなら、先生」
「気をつけてな。ああ、もう一つ。部活どうする?」
「・・・部活ですか。正直考えてなかったです」
「お前なら事情が事情だから帰宅部でも可能だが」
帰宅部か・・・正直今はその選択が正解のような気もするけど、やっぱりどこか考えた方がいいのだろうか。
「もう少し時間ください。もし帰宅部なら先生に伝えます」
先生は頷いた。そこでの会話は終わったので私は一礼だけして校長室を後にした。
あと一週間ちょっとで今年も終わるなぁ・・・
読んでいただきありがとうございます。
書き始めてまちまちですが20回以上も投稿していまいた。
毎日投稿するには限界があり、週二日のペースでのんびりやってきました。
これからも来年になっても終わりがくるまで物語に責任を持って着地させること。
つたない物語ですが次も読んでもらえると嬉しいです。
皆さま良いお年を(まだ今年は残ってるっつうの)




