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冬、様々

第十話 謹賀新年の時


 クリスマスが終わって、あっという間に大晦日がやって来た。クリスマスムードだった商店街も、一斉に年越しを迎えようとしていた。


「いやー、この前までクリスマスだったのが信じられない位正月ムードだな」


 久比人は言った。久比人は愛美と買い物帰りだった。


「ホント、人っていうか、日本人は見境ないわね。正月だけ祝っとけばいいのに。本物の日本人ならね」


 愛美はこうは言うものの、クリスマスにあやかってバイトをしていた愛美も、人の事は言えないと思っていた。


 愛美と久比人は、寮の食堂が正月休みに入るため、その間の食事のための食材を買いに出ていた。

 

みんな考えることは同じなようで、スーパーマーケットの棚は売り切れて空になっていた。


「貧乏学生は、正月は巣籠もりだな。どこも開いてないんじゃ、お家で勉強だな。まあ、オレはそんな必要ないんだけどな」

「あんたのその頭脳だけは羨ましいわ。交換してほしいわね」


 三日かかって物にする愛美と違い、久比人は一時間で覚えてしまう。これも神の力であった。


「何でもすぐ分かるってのも意外と退屈なもんだぜ? ああ、正月はなにしようかなぁ……ラノベ読むのにも飽きてきたし、いっそラノベ書くか? 作家デビューか?」


 久比人は、大体なんでもこなしてしまうので、その気になれば作家デビューも夢ではなかった。


「そんなに暇なら、また勉強教えてくれない? 数Ⅱ、今度は軌跡のところ」

「数Ⅱ苦手だなぁマナ。まあ、人に優しくするのも『慈悲の心』か。時間はたっぷりあるし、じっくり教えてやるぜ」

「頼もしい限りね、じゃあさっさと寮に帰りましょう」


 二人は急ぎ帰路に着くのだった。


 勉強も一通り進めた後、二人は休憩の時間を取った。


「ふう……数学なんて考えたの誰なのかしら。こんなの文系学生にとっては目の上のたんこぶでしかないわ」

「タレスって哲学者だ。文系学生でも倫理で見かける名前だと思うぞ?」

「倫理、ね。数学の次に嫌いな科目だわ」

「なんでだよ?」

「綺麗事の羅列だからよ。実際の人生は倫理の教科書通りにはいかないのに、あたかも倫理こそ正しいって事に、世の中できてるのが気に入らないのよ」


 愛美の送ってきた人生を振り返ると、生まれて良かったと思ったことなど、ただの一度たりともなかった。


 物心つく前に父親は自殺、母親は愛人の男と蒸発と父母に恵まれず、親戚にはいらない子同然の扱いを受けた。正しい倫理観からすれば、愛美は全く当てはまっていなかった。


「……と、大晦日なのに湿っぽくなっちゃったわね。夕食にしましょう。あんた年越しそばなんて食べたことないでしょ? 私が作ってあげるわ」


 愛美は、普段料理することはないが、そばを茹でるくらいの事は何とかできる。


「心配だな。寮の食堂でしか飯食ってないのに、料理なんか本当にできるのか?」

「失礼ね。私だって本気を出せば……」

 愛美は、煮だった鍋にそばを投入した。

「茹で時間は二分間ね。ほぐしながら茹でて……!」

「おいおい、かき回しすぎじゃねぇのか?」

 見かねた久比人は、台所に立った。

「いいわよ、手伝わなくっても!」

「水が多いし、火加減も強すぎだ。吹きこぼれ寸前じゃねぇか。ああ、言ってるそばから吹きこぼして……」

 ジューっ、と吹きこぼれた湯が、ガスレンジの火を消してしまった。

「これくらい私にだってできるわ! あんたは座ってなさい!」

「いや、見ていられねぇ、オレも手伝う。マナはめんつゆを温めてくれ」


 久比人にこれ以上は危険と判断され、そば作りの担当は久比人がやることになった。


「ああ、めんつゆは三倍に薄めてくれ。目分量だと失敗するから、ちゃんと計量カップを使うんだぞ」

「……分かったわよ」


 そばを茹で、めんつゆを温め、ねぎを切り、海老の天ぷらをのせて、年越しそばは完成した。


「おいマナ、このねぎ繋がっているじゃねぇか」

「仕方ないでしょ、あんまり包丁使ったことないんだから……」

「やれやれ、たかがこれくらいの料理もできないんじゃ、嫁の貰い手もいねぇぞ」

「私は結婚するつもりはないから別にいいの!」

「結婚するつもりはなくても、恋人は作ってもらわなきゃオレが困る。簡単なものくらい作れなきゃ恋人に逃げられちまうぞ?」

「逃げてもらって結構よ。恋人もいらないから」

「相変わらずだな……まあ、今日くらいごちゃごちゃ言うつもりはないけどよ」

 久比人は、丼を持った。

「早く食わなきゃそばが伸びるぞ。オレたちで作った年越しそばだ。きっと旨いぞ?」

 愛美は、お腹が減っていた。

「そうね、伸びちゃったら美味しくないものね。食べましょう」


 そばの丼をテーブルに置き、二人でいただきますを言ってから、二人はそばをすすった。


「このそば、美味しい!」

「そりゃそうだろう、このクピド様が作ったんだからな」

「愛の神とそばって全然あってないと思うんだけど……」

「曲がりなりにも神だからな、大体の事はできるのさ」


 久比人は、学業優秀、スポーツ万能で料理までできる、愛美が普通の少女であれば十分惚れる能力をもっていた。


 愛美は、そばをすする。何度口にしても美味であった。


「こんだけ美味しいそばを作れるなら、いっそあんたがお嫁に行けばいいのに……」

「オレは男だ。まあ、魔法を使えば女神に変身する事はできるけどな」

「そんなことができるなら、やっぱりお嫁さんになればいいのに」

「おいおい、勘弁してくれよ。いくら女になれるとは言っても、野郎とくっつくなんざぁ鳥肌が立つぜ……」

 久比人には、そっちの趣味は断じてなかった。

「まあ、そう言ってる私が言うのもアレだけど、あんたに同性愛者の気があったら引くわね。襲われる心配がなくてもね……」


 愛美は、そばのつゆを飲み干した。そばの一本、ねぎの一欠片一つ残さず完食した。


「ごちそうさま、美味しかったわよ」

「きれいに食べたな? そんなに腹減ってたのか?」

「うーん、まあまあね。ただ単にそばが美味しかったからかしら?」

「そう言ってもらえると、作ったかいがあるってものだ……ずず、ふう、オレもごちそうさん」

 久比人もそばをきれいに完食した。

 

 二人がそばを食べ終わるとほぼ同時に、近くのお寺の鐘がゴーンと鳴り始めた。


「おっ、これが噂のジョヤのカネってやつか?」

「相変わらず日本の事に詳しいわね」

「オレ知ってるぜ。煩悩を払うために百八回鐘を鳴らすんだろ?」

「よく知ってるわね。まあ、私もそれくらいは知ってるけどね」

「しかしまあ、日本人はやっぱり節操がないよな。年明けと同時に寺に行ってジョヤのカネを聞いて、初日の出を見て、その後は神社でハツモウデだろ? 正月くらい大人しくしていればいいのにな、たまの休みなんだからよ」

「言われてみるとそうね。今まで気にしたことはなかったけど、日本人はおかしいかもね」

「ついこの前までクリスマスパーティーやって洋風感を醸し出してたかと思ったら、正月は和風に戻る。おかしいってより、現金なんだよ……」

 ふあ、と久比人は欠伸をした。

「……そろそろ寝ないか? 明日から早速バイトだろ?」

「そうね。正月だからあまり混まないと思うけどね。バイト終わったら初詣行かない?」

 愛美と久比人は、明日のバイトのシフトは朝からであった。故に明るい内に帰ることができる。

「あー、それなぁ。オレは他国の神だ。神社っていう日本の神の住まう場所に土足で入り込んでいいものかって心配でな」


 天界には日本の神も棲んでいる。下界の地球と同じように天界にも国があった。


 しかし、久比人の住まう天界の国から、天界の日本に当たる国とは全く通信がなかった。故に、いくら神仏習合をするほど懐の深い日本の神が、久比人の立ち入りを許してくれるか分からなかったのだ。


「へぇ、天界にも日本に当たる場所があるのね?」

「知らなかったのか? まあ、知る由もないか。下界の人間が天界のものを認知する事は、こっちからアピールしないとできないからな」

 天界は、下界の世界と同様一つの世界から成っていた。

「私、天界の存在を知ってるから、日本の神様に会えるってことかしら?」

「それ以上にお前は、オレという一柱の神と接している。天界のものならもう、認識できるぞ」

「じゃあ、尚更行きたくなっちゃった、初詣。日本の神様にも会ってみたいし!」

「あんま期待しない方がいいぜ? オレが起こした不祥事とは言え、異国の神がその尻拭いをしている。日本の神々は自分のシマで起きた不祥事の後始末をしようとしない。会えても逃げられるだけかも知れないぜ?」

「きっと何か事情があるのよ。それよりも、あんたは謝らなきゃならないんじゃない? 日本の神々の住みかで私を殺してしまった不祥事に対してね」

 愛美の言うことは、もっともであった。

「それを言われるとぐうの音もでねぇな……分かったよオレも行くよ」

 久比人は初詣に行くことにした。


 そして次の日。

 機織学院高校のすぐそばには、七幡(しちまん)神社という神社があった。正月の間には、神社へと繋がる道の街路樹に、提灯が吊るされている。


 クリスマスのイルミネーションとは、全く趣が違っており、純和風の道になっていた。


「この前までクリスマス一色だったのになぁ」

 久比人は、ギャップを感じていた。

「そう言わないの。これが日本のあるべき姿なんだから」

「あるべきねぇ……」


 久比人は、日本の正月と言うものを全く知らないわけではない。エロゲー内のイベントで一応経験がある。しかし、実体験してみると、やはり違和感しか湧かない。


「ね、そろそろ神社につくわよ」


 愛美は、日本の神に会えるのではないかとわくわくしていた。

 久比人は、愛美を見て違和感の正体が分かった。


「神社に行く前に、ちょっとそこの陰に行くぞ」


 久比人が愛美を連れ込んだ場所は、廃屋の裏手であった。


「何よ? 神社の手前でこんなとこに連れ込んで?」

「ハツモウデに行くのに、なんか足りないと思っていたんだが、それが分かったんだ」

「足りないもの? お賽銭の五円玉?」

「そんな細かい事じゃねぇ。もっとでっかいもんだ」

「分かんないわよ、普通に言って」

「説明は後だ。行くぞマナ」

「ちょっと、何する気……」


 久比人は指をパチッ、と鳴らし、魔法を使った。

 中学校から着ている、たった一着愛美の私服が、白い振り袖と金の襟巻きという晴れ着に変わった。


「こ、これって!?」

「服が丸々変わる魔法だったからな。一目につかない場所である必要があったんだ」

「足りないものって、まさか晴れ着!?」

 愛美は、着慣れない服に変えられて困惑していた。

「そうだ。エロゲーのイベントでも正月は晴れ着と相場が決まってる」

「私が着てた服は!?」

「その晴れ着の元になっている。オレが魔法を解けば元に戻る」

「それならいいけど……こんなりっぱな晴れ着、十万は下らないんじゃないかしら……?」

「バカか。オレが魔法で作ったものなんだからゼロが一個足りねぇよ」

「百万円もするの、この晴れ着!? 絶対転べないじゃない!」

「なんで転ぶこと前提なんだよ。お前曲がりなりにも柔道部員だろ? バランス感覚はしっかりしてるだろ?」

 さて、と久比人は愛美に手を差し伸べた。

「神社に行くぞ、足元不安なら、オレが支えてやる」

 愛美は、恐る恐る久比人の手を取った。

「じゃ、行くか」

 二人は神社の鳥居をくぐり、境内へと足を踏み込んだ。


 愛美は、百万円の晴れ着を着させられ、足元もいつものスニーカーではなく草履であり、転ぶことは絶対に許されない緊張感に、久比人にくっつきっきりだった。


「おいおい、そんなにくっつかれてちゃ、歩きづらいだろ?」

「だって百万円の……」

「価値の話だ。脱いだらお前の一張羅に戻るから、百万円ゲットなんてことはできねぇんだぞ」

「でも、着物なんて着慣れてないし、動きづらいし……」

「……たくっ、仕方ねぇな。せっかく足りないものをつくろったのに」

 久比人は、自身の行動に若干の後悔をしていた。

「取りあえずあそこに座っとくか、それなら安心だろう?」


 久比人は、誰もいない腰掛け場を指差した。

 愛美は、ぶんぶんと首を縦に振った。

 愛美の了承を得て、久比人は腰掛け場へと歩み寄って行った。腰掛け場に行くと、愛美は我先に座した。そのとなりに久比人も座った。


「あぁもう、何て格好にさせるのよ、一歩一歩歩くごとに寿命が縮むわよ」

「寿命って、あのなぁ。お前もう死んでるじゃねぇか」

「誰のせいよ!?」

「まあまあ、そう怒るなって」

 久比人は、両手を縦に上げ下げし、愛美のイライラを抑えようとした。

「んっ?」

 久比人は不意に、眉値を寄せた。

「どうかしたの? 急に難しい顔して」

「神格を感じるんだ……」

「えっ? まさかゼウスさん?」

「違う、ゼウスのおっさんなら、時間停止してから登場する」

「じゃあ、ヴィーナスさん?」

「それも違う。母ちゃんの神格に似てはいるが、微妙に違う……」

「どこから感じるの?」

「うーむ、あそこで掃除してる、えっとマコ……?」

巫女(みこ)でしょ」

「そうそう、巫女さん。あの人から神格を感じるんだ」


 愛美は、巫女をじっくり見た。お下げ髪で、小袖の着物を着て、鮮やかな緋袴を穿いている。


 あまり見かけるものではないが、広く一般に認知されている巫女そのものであった。


「ただの巫女さんじゃないの?」

「いいや、違うな。間違いなくあの人から神格を感じる。日本の神の一柱かもしれない。ちょっと確かめてくる」

「あ、久比人」

 久比人は立ち上がり、巫女にむかって歩いていった。

「ちょっと邪魔するぜ」

「はい?」

「あんた神か?」

「えっと、突然なんですか?」

「隠す必要はない、オレはローマの愛の神、クピドだ」

「愛の神クピド、確かに神格を感じますね。分かりました。私も正体を明かしましょう……」

 巫女はひと息ついて、語り始めた。

「私は日の本の太陽の神、天照大神(あまてらすおおみかみ)。この国の主神に当たる神です」

 アマテラスは名乗った。

「久比人ー!」

 愛美は、転ばぬよう、それでいて急ぎ足で二柱の元にやって来た。

「すみません、巫女さん。私の連れが何か失礼なことしませんでしたか?」

 アマテラスは、驚きを見せた。

「貴女、亡者ではありませんか? なぜこの世に存在しているのですか?」

「えっ、巫女さん霊感あるんですか?」

「おいマナ、それは失礼だぞ」

「失礼?」

「このお方はアマテラス様と言って、この国の主神だぞ」

「アマテラスって、あの天照大神?」

「その通りです、人の子さん」

 神話で語られる主神でありながら、アマテラスは非常に腰の低い神だった。

「何でそんなすごい神様がこんな所に? ああ、日本の神様なら当然か」

 愛美は納得する。

「でも、どうしてそんなにすごい神様がこんな所でお掃除を?」

 アマテラスは、笑顔で答える。

「これは私の趣味なようなものでして。それに、社に溜まった(けがれ)を払うためでもあるのですよ」


 アマテラスは、穢を払うために下界の日本に降り立っていた。彼女によると、自分は分身であり、日本全国にアマテラス本体が分身を置き、本体は天界にあるとの事だった。


「じゃあ、アマテラスさん、今、日本全土にいるっていうことですか?」

 愛美は訊ねた。

「ええ、国中に私の分体が、今頃穢払いをしていることでしょう」

 それよりも、とアマテラスは話題を変える。

「亡者であるあなたが、何故下界にいるのですか? 亡者は、死したらすぐに黄泉の国に行くはずなのですが」


 アマテラスは、久比人による不祥事を認識していないようだった。


「それについては話すと長くなるが、聞いてくれるか? アマテラス様」


 久比人が説明をかって出た。


 昨年の夏に、久比人の弓矢で誤って愛美を死に追いやってしまった事。五百年前の薔薇戦争終結の実績により、罰を久比人に与えられるのに一年間の猶予を与えられた事。以来愛美に恋人を作ることによって、罰を帳消しにされる事、粗方全てを、久比人は話した。


「そんな事があったのですか。そのようなこと、高天ヶ原には伝わってはいませんでしたね」

 日本の神々は、天界の中で彼らが棲む地を高天ヶ原(たかまがはら)と呼んでいた。

「やっぱり、オレの起こした不祥事だから、管轄はオレたちの天界になるみたいだな……」

「お話は大体分かりました。それで、お二方はいつ祝言をあげるのですか?」

 アマテラスの言葉に、時が一時止まった。

「…………はい?」

 愛美と久比人の言葉が重なった。

「アマテラスさん、今の話ちゃんと聞いてましたか!?」

「愛美さんと申しましたね? 貴女様に恋人が出きれば、今の因果は絶たれるのでしょう? それに今もお二方は仲良く初詣に来ているではないですか。恋仲にあって然るべきであると思うのですが?」


 アマテラスは、当たり前の事を言ったつもりのようで、むしろアマテラスのほうが、はてなマークで頭を一杯にしていた。


「私とこいつは、そんな仲じゃありません!」

「そうだぜ、アマテラス様。それは笑えない冗談だぜ」

 アマテラスは、はて、という顔をした。

「言葉を発する息もぴったりではありませんか。それで恋仲でないと……?」

「ありえません!」

「ありえねぇよ」

 また二人の言葉はハモった。

「ふむ、それもまた一つの愛なのですね。私はまた一つ愛の形を知ることができました。さて、私はお勤めに戻るとしましょう。お詣りでしたら奥へどうぞ」

 アマテラスは、別の場所の穢を払いに行った。

「どうするのよ!? 日本の神様まで誤解させてしまったじゃない!」

「知るか。アマテラス様が勝手に思ったことだ。尊重するしかないだろ。で、ハツモウデはどうする? 白けたし、帰るか?」

「帰らないわよ。こんな格好までさせられて、このまま帰ったんじゃ穢が払われないわ!」

「別に憑き物はないが……」

「いいから行くわよ!」


 二人は境内の奥へと進み、拝殿まで行った。

 五円玉を用意し、賽銭箱に投げ入れ、鈴をならした。


──何て祈ろうかしら? いけない、色々ありすぎて考えてなかった──


 二拍して今年の願いを願う所で、愛美は肝心の願いを考えていなかった。形だけでも、とお詣りをする久比人を、愛美は横目で見る。


 久比人を見て、一瞬にして願いは決まった。


──ウジ虫に転生しませんように……──


 もう死んでいる愛美にとって、何より願うことは、転生先がマシなものであると言うことだった。


「あぁ、何かいい気分だ。願いなんて、願えばすぐ叶えられるけど、こうしてオマイリしてみるのも悪くないな」


 思えば、久比人は神であった。神が神社でお詣りとは、ものすごいことが行われていた。


「一応訊いとくわ。何を願ったの?」

「春子と結婚できますように、だ」

 叶いようがない願いであった。訊いた自分がバカだったと愛美は思った。

「お?」

 久比人は何かに気がついた。

「おい、あれってオミクジってやつだよな?」


 久比人の指を指す先には、いくつか紐が張られていて、そこに紙がたくさん結ばれていた。


「そうだけど、あんた神様でしょ? あれも引けば大吉確定でしょう?」

「わかってねぇなぁ……いくら結果が分かりきっててもあの箱を振るのがオミクジの醍醐味じゃねぇか。ってなわけで一回やりにいこうぜ」

「ああ! ちょっと待ってよ久比人!」


 愛美は、ようやく慣れてきた足元に気を付けながら久比人を追った。


「おっさん、オミクジ一回」

「はいよ、二百円ね」

 久比人は、代金を支払い、おみくじ箱をガラガラ振った。

 筒状の小さなクジが出てきた。

「さて結果は……?」

 ばっ、と紙のクジを開く。

「そんなバカな……」

「久比人待ってよ。ってもうおみくじ引いたのね。結果は当然大吉よね?」

 久比人は答えず、ただクジを持って驚愕していた。

「んん?」

 愛美はクジを覗き込んだ。結果は末吉であった。

「ええー! あんたが大吉じゃないの!?」

 愛美も驚愕してしまった。クジにはこう書かれていた。

 待ち人既に有り、ただ心を決めるべし。さらば道は拓かれん。

「やっぱ、消えるってことなのかな、オレ……?」

「ま、まあ、凶じゃないからいいじゃない?」


 おみくじの結果一つで絶望する久比人を、愛美は励ました。


「……でも末吉だぜ? 吉の中で一番ランクが低いんだぜ」

「けど、おみくじなんだし、神にも平等に相応の結果が出るようになってるんじゃない?」

「結果の文だけど、待ち人はマナで、マナと恋仲にならないといけないって解釈できないか?」

「私もやってみるわ。おじさん、おみくじ一回お願いします!」

 おみくじ代二百円を支払い、愛美も箱を振る。出てきた結果は。

「吉?」

 平々凡々な結果であった。紙にはこう書かれていた。


 運命人あり。離れること能わず。


「何かオレと似てないか? 結果」

「そうね、八百万(やおよろず)の神様は分かってるのかしらね? 私たちの状況」

 愛美は、はあっ、とため息をついた。

「……お詣りは済んでるし、おみくじは結んで帰りましょうか」

「そうだな、そう長居する場所でもないしな」


 二人はおみくじを、吊られた紐に結びつけ、神社を後にした。


「そうだ、私の服、元に戻してくれる? 戻せるんだったわよね?」

「ちょっと人目につく場所だからな。さっきの廃屋まで戻るのもアレだし、マナ、足元慣れてきてるようだし、帰るまでそのままでいてくれないか?」

「まさか、戻せないなんて言うんじゃないでしょうね?」

「違う、戻せる。人目のつかない場所がないだけだ」

「じゃあ、早く帰りましょ。たった一着の私服を晴れ着にされたんじゃあ、どこにも出掛けられないからね!」

「似合ってると思うけどな、その晴れ着……」


 久比人の言葉は、近くを走り去った車に遮られてしまった。


「なにか言った?」

「なんでもねぇよ。さあ、さっさと部屋に帰ろうぜ」


 足元が慣れてきたとは言っても、まだバランスがおぼつかない愛美に手を貸して、久比人は歩いていった。


「晴れ着よ、戻れ、はあっ」


 部屋に着き、久比人が魔法を解くと、晴れ着になっていた愛美の私服が元に戻った。


「ふわ、戻った!? よかったーこれで出歩けるわ……」

「言ってくれればその服をベースに晴れ着にでも、ドレスにでも変えてやれるぞ?」

「絶対頼まないわ。礼装には制服があるからね!」

「そうか? そりゃ残念だ」

「そんなことより今日の夕食だけど、お雑煮がいいわね」

「作るのはオレか? 雑煮なんて作ったことないんだが……」

「平気よ、私作り方知ってるから」

「手伝うってのか? ねぎもまともに切れないのに」

「失礼ね、ねぎは……確かに苦手だけどその他の野菜なら切れるわ」

 愛美は豪語する。

 材料は、年末の内に買い置いていた。大根に人参、そしてパックの切り餅である。

「久比人、スライサーは持ってない? 穴ぼこの」

「持ってるわけねぇだろ」

「じゃあ、魔法で出してくれる?」

「お前最初からそのつもりだったろ。もう一度言うが、オレの魔法は万能じゃない。一応やってみるが、上手く行くかは分からんぞ……」


 久比人は、失敗の可能性があることを注意し、パチッ、と指を弾き鳴らした。


 空間に出現したのは、愛美がリクエストした通りの穴ぼこのあるスライサーであった。


「おっ、上手く行ったか?」

「そうそう、これよこれ、分かってんじゃないの久比人!」

 愛美は、宙に浮くスライサーを手に取った。

「それじゃあんたはお餅を焼いてちょうだい。焦げ付かせないようにね」

 愛美はテキパキと指示をする。

「お、おう……」

 久比人は、もう一口のガスレンジで餅を焼き始める。

 愛美は手慣れた感じで大根のヘタと尻を切り、二等分に切った。そして大根の皮を剥き、スライサーで大根を刺身のツマのようにした。


 愛美が次に取りかかったのは、人参を同じくスライスすることだった。


 大根のようにヘタと尻を切って皮を剥いた。そしてやはり、二等分にすると、スライサーでツマ状にする。


 ツマ状にした大根と人参を沸騰したお湯で煮て、醤油で味付けした。


「久比人、お餅はどう?」

「六個焼いたぞ」

「後二個焼いて。一人四つづつ分けるわよ」

「ずいぶん食うなぁ……オレは三つでいいよ」

「そう? じゃあ私が五個いただくわ」


 久比人が餅を焼くと、それを野菜と一緒に煮込んだ。


 汁が餅でトロトロになった所で、愛美作の雑煮ができあがった。


「うーん、美味しそう!」

 愛美は、唾が出る気持ちで、大きめのお椀に雑煮をよそいだ。

 久比人は、普段の愛美からは想像できない料理の出来映えに、呆然としていた。

「ん? どうしたの久比人」

「いや、圧倒されててな。いつも料理しないのに、こんな汁物作れるなんて思ってもいなかったんでな」

「私お餅が好きなのよ。だから、お餅を使うメニューは作れるようにしたのよ」


 この雑煮は、苦労して生きてきた愛美の努力の賜物であった。


「さっ、食べましょ」

 二人は、お椀を持ってテーブルに行った。

「いっただきまーす!」

「……いただきます」


 二人それぞれ食前の挨拶をすると、雑煮をすすった。


 一口食べただけで、醤油汁の旨味が口一杯に広がった。


 大根と人参は、餅が絡んで柔らかくなって、餅はどこまでも伸びるほどによく煮込まれていた。


「……旨い」

 久比人は、率直に言った。

「そうでしょう? この私が作ったお雑煮よ。不味いはずがないわ」

 愛美は自信に満ちていた。

「前に嫁の貰い手もいないって言ったけど、これなら嫁に行けるかもな」

 久比人は、言いながら餅を口に運んだ。

「恋人なら、作らないわよ?」


 褒めたのに考えが変わらない愛美に、久比人は心の中でちっ、と舌打ちした。


「しかし、十六の娘が作ったとは今でも信じらんねぇな。オレは餅を焼いていただけで、味付けには手を出してねぇからな」

 愛美は、お椀をテーブルに置いた。

「……実はね、私にはお祖母ちゃんがいたのよ。優しくて料理上手のね」


 愛美は、祖母だけは家族のなかで、唯一心を許していた。


「ばあさん?」

「うん、お祖母ちゃん。私が中学一年生の時に死んじゃったんだけどね」

 愛美は、幼いながらも祖母の料理を手伝った事があった。その時一緒に作ったのが、この雑煮餅である。


 愛美の雑煮は、愛美の祖母の味がルーツだった。


 愛美の祖母が亡くなる半年前、愛美は祖母から雑煮の味付けのコツを教えてもらっていた。

 それを忘れることなく、今もこうして美味しい雑煮餅を作ることができている。


 決して忘れられない味がそこにはあった。


「そうか、そんな事情があったんだな。だからこの雑煮はこんなに旨いんだな」

「お祖母ちゃんが作ってくれたものに比べれば、まだまだよ。でも、料理下手な私でもこれだけは胸を張れるわ」

「ああ、オレもそう思えるぞ」

「……お正月からしんみりしちゃったわね。食べましょうか」

「ああ」

 二人は雑煮を味わうのだった。


第十一話 バレンタイン乱舞


 時は一月十四日。冬休みも終わり、学校に生徒が続々と戻ってくる。


 そして行われるのは、休み明け試験である。


 愛美は、バイトに明け暮れていたが、試験の準備をちゃんとしていた。


 試験の範囲は、ほとんど冬休みの課題からだった。故に、愛美にとっては難度が低い試験であった。


 久比人も、休み中はバイトを行っていたが、愛美と違い、勉強は一切していなかった。しかし、神の力で試験を順調にパスしていた。


 そしてその日の放課後。


「愛美愛美ー!」

 百合子が、愛美の席まで駆け寄ってきた。

「何よ百合子。テストは良くできたの?」

「まぁさぁかぁ、いつも通りに決まってるじゃん!」

 これは、結果が悪すぎて開き直っているようだった。

「……百合子。もうすぐ学年末よ? それなのにその体たらくじゃ留年するわよ? りゅ・う・ね・ん」

 愛美は念を押す。

「や、やだなー! 愛美ったら。まだ学年末テストがあるじゃない? そこで赤点回避すれば大丈夫よー」

 百合子は、若干の自覚があるようだった。

「本当……危機感持ちなさいよね。で、何? 私になにか用があったんじゃないの?」

「そうそう、それよそれ! 愛美、今日は何月何日?」

「ええと……」

 愛美は、ブレザーのポケットからスマホを取り出した。そして画面に映る今日の日付を確認する。

「一月十四日?」

「そう、それで一ヶ月後は?」

「二月十四日」

「そうそう、それでその日は?」

「学年末試験一週間前」


 ずるっ、と百合子はズッコケた。


「もー、そうじゃないでしょ!? 女の子にとって一大イベントでしょ!」


 そうは言われても、愛美はまだピンとこない。特待生を維持するための学年末試験だけが、愛美を待ち受ける一大イベントだった。


「まさか、本当にわかんないとか……?」

 愛美は、こくりと頷いた。

「ちょっ! 信じらんなーい! 本気でわからないなんて!」

「そんなこと言われても、分からないものは分からないんだもの。もう答え教えてよ」

「バレンタインデーでしょ!? バ・レ・ン・タ・イ・ン・デー!」

 先ほど愛美にやられたように、百合子は念を押して言った。

「ああ、そう言えばあったわね、そんなのが……」


 男嫌いの愛美には、全く無縁のイベントであった。


「愛美にもあげる人がいるでしょ? 藍木くんとか、桜井先輩とか」


 久比人はともかく、世話になっている霧二郎にならあげる筋合いがある。


「そうね、霧二郎さんにはあげなきゃね。コンビニの板チョコでもあげるわ」

「いくら義理でもそれはひどくない?」

「チョコはチョコでしょ? ならそれでいいじゃない」

「いーや、よくないっすよ。マナさん」

 久比人は突然、姿を現した。

「久比人、一体どこから湧いて出たのよ!?」

 愛美は驚き、まくし立てるように言った。

「話は半分ほど聞かせてもらったっす。バレンタインデーは、愛を伝えることが全てじゃないんすよ。日頃の感謝を伝える日でもあるんす」

「藍木くんの言う通りだよ、愛美。感謝の気持ちが大切なのよ。もちろん愛情を込めてね」

 百合子は、便乗した。

「まあ、あんたたちの言いたいことは分かったわ。でも義理チョコを手作りすることはないんじゃないの?」

 久比人が言う。

「さっきも言った通りっすよ。感謝の気持ちが何より大切なんす。手作りチョコに心を込める事で、より相手に気持ちが伝わるんす」

「あんたらの気持ちは分かったわ。でも今からバレンタインだってはしゃぐのは早いんじゃない? まだ一ヶ月も先の話じゃない?」

「一ヶ月後に慌てないように今から練習するのよ! あたしは要っちに本命チョコ作ってあげなきゃならないからね!」

 百合子はどうやら、二連敗の後にできた彼氏とはうまく行っているようだった。


「そのやる気をもう少しでも勉強に向けてくれれば、私は幸せなんだけどねぇ……」

 向けるわけないか、と愛美はため息をつく。

「と、言うわけで早速家で練習しない? 今日バイトないでしょ?」

「百合子の家で?」

 愛美が百合子の家に行くのは、実に中学二年生の時以来であった。

「マナさん、マナさん」

 久比人は手招きをする。

(何よ?)

(バレンタインの裏側は男子禁制だ。オレはついていけない。そこで神格を込めた薬を渡しておく。三日は離れてても平気になったとは言っても何が起こるかわかんねぇからな)

 久比人は自身の血、もとい薬の入った小瓶を愛美に渡した。

(こんなのいつ用意してたのよ?)

(こんなときのために前々から用意していた。ストックはまだある)

「どうしたの? 二人でこそこそと?」

「何でもないっすよ。お二人で存分に練習してきてくださいっす。それじゃボクはここで失礼しまっす」

 久比人は帰っていった。

「第三者の意見が欲しかったんだけどなー。あっ、ひょっとしてアレかな? 義理チョコでも当日まで楽しみにしたいとかかな? だとしたらガゼンやる気が出てきたー!」


 その後、愛美と百合子は、材料を買うべく、近所のスーパーに来ていた。


 まだ一ヶ月も先のイベントであるのに、売場には関連商品がずらりと並んでいた。


 湯煎に使う板チョコは、棚に所狭しと詰められている。トッピング用の粒チョコや、文字を書けるデコペンなど、様々なチョコレートの他、ハートや星の型、金銀のカップが置かれていた。


「どれがいいのか迷うわねー」

「どれも一緒でしょ。形が違うだけで全部同じチョコレートじゃない」

「愛美ったら、名前に愛があるのに、心に愛がないわねぇ……」


 愛美は、名前に愛が付いているが、まともに愛を受けずに育ってきた。故に愛美は、自分の名が好きではなかった。


「百合子、私の名前の事は言わないでちょうだい」

「……ごめん、気に障った?」

「ちょっとだけね……」


 愛美は、棚から星の型と板チョコを二枚、デコペンを一つを買い物かごに入れた。


「それだけでいいの?」

「義理チョコしか作らないから、これだけで十分よ」

「ふーん、愛美の腕ならキレイなチョコレートを作れるのに」

「ただ溶かして型にはめて、デコレーションするだけじゃない」

「あっ、それ言っちゃうの? 確かにやることはそれだけだけど、それが意外と難しいものよ?」

「いいから、早く選んじゃいなさい。黒井くんのための本命チョコ、作るんでしょ?」

「急かさないでよ、今日は練習だからこそじっくり選びたいのよ」

「じゃあ、待っててあげるからじっくり、だけど早く選びなさい」

「なんかあんまり変わらないような……」

「早くしなさい!」


 その後、十分間ほど悩んだ末、百合子は買うものを決めたのだった。


 買い物を終え、愛美と百合子は、百合子の家を目指して自転車を走らせた。


 百合子は、愛美と同じく一人っ子だった。一人っ子だったからこそ、意気投合したところがあった。


 愛美と百合子違うところは、両親ともに健在である所だった。


──おばさん、元気かな?──


 愛美は、百合子の母親の事を、親しみを込めて『おばさん』と呼んでいた。


 特待生になるために勉強に集中するようになってから、百合子と遊ぶことはなくなっていた。


 小学生の頃は、愛美と百合子は毎日のように一緒に遊んでいた。その度に、おばさんは温かく迎えてくれて、毎回美味しいホットケーキを焼いてくれた。


「なんか久しぶりだね。愛美とこの道行くのは」

 愛美の前を走りながら、百合子は行った。

「そう、ね……」


 百合子の家は、閑静な住宅街にある。愛美の寮と違って道路に面していない。愛美の寮に面する道路ではたまに、爆音を立てて走るバイクがいるので、そんなものがいない百合子の住まいが、愛美は羨ましいと思う。


「登り坂だよ。どうする、自転車降りる?」


 二人は、百合子の家路の最大の難関、内田(うちだ)団地の入り口に差し掛かった。


 内田団地は長い坂道にあり、これを登りきらなければ、百合子の家のある住宅街にはたどり着けない。


「足腰には自信があるわ。このまま登るわよ」

「愛美ったらつよーい……」

「あんたも毎日この坂登ってるでしょ? 先導してちょうだい。どんな坂でも付いていくわ」

「ひえぇ、愛美の先導とか鬼の道だよ……」

「いいから、行くわよ!」

「ふぁーい……」

 百合子を先に行かせて、愛美はその後を追った。この坂は急だがそれほど長くないのが救いであった。


 二人は登って坂のてっぺんにたどり着いた。


「はあはあ、あー、つっかれたー!」

「軟弱ね、この程度の坂に息を切らすなんて」

「愛美はアスリートでしょう? だからこれだけの坂でも楽々と登りきれるんでしょ」

「ぶつくさ言ってないで行くわよ。家はもう少しでしょう?」

「そうだね、あたしの家はどこか覚えてる?」

「何となく覚えてるけどあまり自信ないわ。なんせ数年ぶりだからね。百合子、最後の先導をよろしく」

「了解、後少しだからすぐに着くわよ」

 百合子の言う通り、百合子の家まで数分とかからなかった。

「着いたよ」

「案内ありがと、思い出したわ、あんたの家の道のりを」


 愛美は、百合子の家が、おぼろ気ながらも記憶にあった。家を見たとたんその記憶が鮮明に戻った。


 百合子の家は、少し古めかしい趣だった。


 玄関は引き戸で、二階建てだが、部屋数は多くない。しかし、一人っ子の家庭としては、それでも十分であった。

「ただいまー! お客さん連れてきたよー」


 廊下の奥から、とたとたと玄関まで百合子の母親が姿を見せた。


「おかえりー、百合子。お客さんって?」

「んふふー、みたらきっとびっくりするよ? さあ、入って愛美」

 愛美は、おずおずと家に入る。

「……お久しぶりです、おばさん」

 百合子の母は、愛美を見るなり驚きを見せた。

「まぁ、愛美ちゃんじゃないの!? 元気してた? ちょっとキレイになったんじゃない?」

 百合子の母は、愛美の手を取り、ぶんぶん振った。

「おばさん、ちょっと痛いですって……」

「あらいやだ、あたしとしたことが懐かしくて。ごめんなさいね。でも、百合子、どうしてまた愛美ちゃん連れてきたの?」

「来月の今日、何があるかお母さん分かる?」

「来月の今日……? ええと、今日は十四日だから、ああ! バレンタインデーね!」

 百合子の母は、察しがよかった。

「その通りよ、お母さん。今日はチョコレート作りの練習のために愛美を呼んだのよ」

「と、言うことは愛美ちゃんにも大切な人が? きゃー、あんなに小さかった愛美ちゃんにも恋人ができたのね!?」

「ち、違いますよおばさん! わたしのは全部義理で……」

「あっと、いけない。こんな所で立ち話はいけないわよね。さあ入って入って、お茶を淹れるわね!」

 愛美と百合子は、居間に入った。

「さっ、お飲みなさい」

 百合子の母は、紅茶を淹れてくれた。

「あ、お母さん。ホットケーキはいらないからね。あたしたちチョコ作りするのに、お腹いっぱいになっちゃいけないからね」

 百合子は断りを入れた。

「あらぁ……残念ねぇ。愛美ちゃんにおばさん特製のホットケーキ食べて欲しかったのに……」

 百合子の母は、キッチンから返事をした。

「愛美、この紅茶飲んだら、さっそく取りかかるわよ」


 愛美は、うん、とだけ返事をすると紅茶をすすった。


 愛美と百合子は、紅茶を飲み終えると、百合子の母のエプロンと三角巾をして、狭いダイニングキッチンに立った。


「さぁ、作るわよ!」

 百合子は気合いを入れる。

「ここまで準備してから訊くのもアレだけど、あんたチョコ作りしたことあるの?」

「ないわ!」


 愛美は心の中でギャフンと言った。


「そこまで言いきるなんて、いっそ清々しいわね……」

「いいこと、愛美。料理は愛情よ! 愛情が込もってれば形が悪くても美味しいものなのよ!」

「……愛情一点張りじゃ、さすがに無茶だと思うんだけど」

「愛美ちゃんの言う通りよ、百合子」


 百合子の母が会話に割って入ってきた。見ると愛美らと同じく、エプロンと三角巾姿であった。


「料理は愛情と言えるのは、ある程度料理の心得がある人が言うものよ……」

 百合子の母は、愛美たちの間に立ち入った。

「おばさんが見せてあげるわ。チョコ作りの何足るかを……!」

 百合子の母は、どうやら手伝ってくれるようだった。

「まずはチョコレートを切るのよ、細かくね」

 百合子の母は、キャベツの千切りをするかのように、チョコレートをひたすら細かく切った。


 愛美と百合子は、真似てやってみる。しかし、キャベツの千切りのようには上手く行かない。


 百合子の母と比べると、歪で不揃いのカットチョコレートになってしまった。


「あらら、これじゃ湯煎の時に上手く溶けないわねぇ……」

「ねえねえ、お母さーん。チョコレートの千切り難しいよ!」

「板チョコ一枚まるまる細かくしようとするから難しく感じるのよ。三等分にしてから、少しずつ切れば、上手く行くわよ」


 二人は、言われたようにやってみる。すると、さっきとは違い、上手く千切りにすることができた。


「できたみたいね。それじゃあ次は湯煎にかけるわよ」

 百合子の母は、鍋に水を汲み、火にかけた。

「手作りチョコを作るのに一番難しいのは湯煎よ。一回溶けたチョコレートは水気が入って固まるともう溶けなくなっちゃうなっちゃうから、スピードが大事よ」

 百合子の母は、アドバイスをくれた。

「おばさん、詳しいですね。今も旦那さんにチョコレートあげたりしているんですか?」

 愛美は訊ねた。

「いやぁねぇ、うちの人甘いの苦手だからあげてないわよ。でも、ご近所さんと月一くらいで作ってお茶会を開いてるのよ!」


 百合子の母の、お菓子作りの上手な理由であった。


「さっ、さっきも言ったけど、チョコレート作りはスピードが命よ。今のうちにトッピングどうするのか考えておいて」

「あたしはもう決めてるよ。デコペンで、アイラブユーって書くわ! ごたごたしたデコレーションよりシンプルに行った方が気持ちは伝わると思うから」


 一見、面倒くさがりの百合子の楽したい気持ちかと思ったが、十分に考えられていた。


 一方の愛美は、義理チョコらしく、ほどほどのデコレーションをすることにした。


 色々話し合っているうちに、湯煎用の湯が沸いた。


「お湯が沸いたわ。それじゃあ、百合子、あんたから湯煎しなさい」

「う、うん……」


 百合子は、先程細かく切ったチョコレートをボールに入れ、湯につけた。湯につけた瞬間、チョコレートは瞬く間に溶けていった。


「お母さん、チョコが溶けていくよ! どうすればいいの!?」

「慌てないの、ヘラでよくかき混ぜるのよ。溶けきったら型に流し込みなさい」


 百合子は、チョコレートを溶かすと、買ってきたハート型にチョコレートを流し込んだ。思ったよりも上手く行ったと、百合子は思う。


「じゃあ次、愛美ちゃん。百合子のようにやってみましょう」

「は、はい、おばさん」

 細かく刻んだチョコレートをボールに入れて、ボールを湯に浸す。


──ここでヘラを使うんだったわね──


 愛美は、百合子がやっていたのを思い出しながら、ヘラでチョコレートをかき混ぜる。


「愛美ちゃん上手ね。もしかして作ったことあった?」

「い、いえいえ! さっき百合子がやってたのを真似ただけですよ!」

「あらそう? あっ、そろそろ型に入れないと固まっちゃうわ」

「あっ! いけない!」

 愛美は急ぎ星の型にチョコレートを流し入れた。

 チョコレートを入れるタイミングが遅れ、塊がボールに残ってしまった。

「あらあら、お湯の温度が低かったかしら? 気にしないで、最初はみんなこんなものだから」


 しかし、百合子にできて、自分にできないのは何だか悔しいと思う愛美であった。


 最後に二人は、チョコレートにトッピングをした。愛美はチョコスプレーやホイップクリームを乗せ、百合子は"I love you."と文字をデコペンで書いた。


「できたわ!」

 百合子はチョコレートを完成させた。

「ん?」

 愛美は、百合子が作ったチョコレートに違和感を感じた。

「……て、愛美どうしたの、あたしのチョコじっくり見て?」

 百合子のチョコレートには、デコペンで"I love you"と筆記体で書かれていた。

「百合子、ラブの綴り間違ってるわよ? aじゃなくてoよ」

 綴りを繋げるとき、oの頭から線が伸びていればラブと読めるのだが、百合子はaの文字のようにしていて"lave"に見えてしまっていた。

「あぁ! しまったー!?」

「百合子、ラブって中学生で習う単語よ? まさか知らなかったとかじゃないでしょうね?」

「知ってたもん! ただ書き間違えただけよ!」

「まっ、何にせよ今日は練習でよかったわね」


 愛美も人のことは言えなかった。湯煎に失敗してひび割れたチョコレートになっていた。トッピングで上手く隠したつもりだったが、全体的にごわついていた。


「まま、二人とも。バレンタインはまだ一ヶ月先よ? 週一で練習すればキレイなチョコレート作れるようになれるわ。いいこと? バレンタインは気持ちを伝える日なの。チョコレートばかりに集中するのは良くないわ」

 百合子の母は、フォローをしてくれた。

「愛美! 一緒に練習するわよ! バレンタイン当日までに完璧なチョコレートを作るわよ、……ポリポリ!」

 百合子は失敗作のチョコレートを食べていた。

「ん? 美味しい! 愛美も食べてごらんよ」

「それじゃあちょっと……あ、ホントだ、美味しい」

 百合子のチョコレートは失敗とは言っても、デコペンで文字を書くのを失敗しただけなので、味は悪くなかった。

「愛美ちゃんも自分の食べてみたら? 捨てるのはもったいないでしょう」

「そ、そうですね。いただきます!」

 形が悪いだけで、味は普通のチョコレートだと思い、愛美はかじりついた。

──ん! これは……!?──


 悪いのは形だけかと思いきや、愛美のチョコレートは食感も悪かった。


 何が悪かったかと言うと、とにかく固かった。板でも噛んでいるかのような感じがした。それでも残していくのはもったいないと思い、何とか噛んで喉に流し込んだ。


 完全に水気が入った失敗チョコレートだった。


「二人ともお疲れ様。どう? もう一回お茶でも飲んでいかない? 愛美ちゃん」

「いえ、せっかくのお誘いですけど、遠慮しておきます。そろそろ寮に帰らなきゃならないんで」


 時刻は夕方の六時半である。まだ門限には余裕があるが、チョコ作りに失敗して居たたまれなくなったため、愛美は帰ることにした。


「そう? 残念ねぇ。またいつでも練習にいらっしゃいね」

「はい、その時はまた色々教えてくださいね、おばさん」

 愛美は、玄関まで見送られた。

「じゃあね、愛美、また明日!」

「練習、遠慮せずにいらしてね」

「はい、お邪魔しました」


 愛美は、百合子の家を後にすると自転車にまたがった。そして、寮を目指して自転車を走らせるのだった。


    ※※※


 学生寮に帰り、自分の部屋に入る愛美。

「おかえり」

 久比人は、当たり前のように部屋にいた。

「おぉ、甘い、いい匂いがするな。チョコ作り上手く行ったのか?」


 愛美は、鞄からラッピングした星形のチョコレートを取り出した。


 愛美は、百合子の家でチョコレートを作っていた時、久比人に味見させようと、こっそり二つ作っていた。


「……これ、食べてみてくれる? それから感想を聞かせて」

「キリーにあげる予定のチョコレートだしな。バレンタインまでにいいものを作れないとな。さて、今のマナの実力はっと……」


 久比人は、愛美の作ったチョコレートを口に運んだ。


「ぎうぅ、かったい。なんだこりゃ?」

「食感は私も分かるわ。味はどうなの?」

「味なんか感じられないくらい固ぇよ。板で作ったオモチャかこれは?」

 久比人は、愛美のチョコレートを口から放り出した。

「……感想は?」

「見本用のオモチャだ。チョコレートですらない」


 最早食べ物としても見てもらえなかった。


 百合子の作ったチョコレートは、味は悪くなかった。それ故に食べ物と認められなかったのが、愛美には悔しく思えた。


「まさかこんなのキリーに食わすつもりだってのか? 冗談じゃねぇぞ。いくらマナを好いているとはいっても、こんなん、百年の恋も冷めるぞ」


 久比人の言葉は、愛美の心にグサグサと突き刺さった。


「……教えてくれる?」

「ああ? なんて?」

「私にチョコレート作りを教えてくれない!? このままじゃ悔しくて堪らないのよ!」

 愛美は藁をも掴む思いだった。

「オレなんかから習って、余計悔しくならないか?」


 久比人は、神様である前に男である。男からチョコレート作りを習ったら、余計に愛美の立つ瀬がなくなるのではないかと思われた。


「できない方が悔しいのよ! この思い、払拭するためには、あんたにだって頼るわ! だから、チョコレート作りを教えてちょうだい!」


 愛美の悲痛な願いであった。


「マナ……」

 愛美の必死な願いは、久比人の心を揺さぶった。

「分かったよ。お前がそこまで言うなら手を貸してやる。ただし、オレの指導は厳しいぞ?」

「望むところよ!」

「よし、じゃあ今日はもうすぐ晩飯の時間だから、明日から教えてやる」

「そうね、今からじゃ遅い時間になっちゃうわね。でも材料は買っておかない? まだ門限は先だし」

「そうだな、材料から教えてやろう。絶対に失敗しない材料選びを伝授してやる」

 二人は、スーパーへと出かけた。

「百合子と来たのはここなのよね……」

「ひなびたスーパーだなぁ。本当に大丈夫か?」

「大丈夫よ、少なくとも品揃えはよかったわ」

「ならいいけどよ……」

「さっ、時間ないんだし、行くわよ!」

「お、おう……」


 二人はスーパーへと入っていった。


 そこには変わらず、ワゴンの上に大量の板チョコが積まれていた。


「まだ一ヶ月前だってのに、こんなにチョコ売ってんのか。バレンタイン様々だな……」

 日本の節操なさに、圧倒される久比人だった。

「何枚買う?」

「四枚もあれば十分だ。溶かしたら増えるからな」

「トッピングはどうする?」

「デコペンで、"I love you"でいいだろ?」

「それだと本命チョコになっちゃうでしょ!? 私のは義理チョコだって!」

「ちっ、キリーに本命チョコ渡して付き合わせようと思ったのに……」

「心の声だだ漏れよ。作らないからね、そんなチョコ」

「まあ、義理チョコでも飾り気がなきゃ、もらった側もがっかりだろうしな。ようし、オレが簡単かつ豪華に見えるトッピングを選んでやる」


 久比人は、デコレーションのコーナーに行った。


 久比人が選んだのは、色とりどりのチョコスプレーと銀紙のカップ、デコペンであった。それからチョコレート作りに欠かせない調理器具を買い物かごに入れた。


「ホイップも欲しいな。ちょっと取ってくる」

 久比人は、乳製品が置いてあるコーナーへ行く。

「あったあった、これだ。あとは型なんだが、マナ買ってあるよな?」

「うん、星形の型は買ってあるわ」

「星形かよ……そこはハートだろ?」

「だからそれだと本命になっちゃうでしょ」

「うーん、まあ、星形でもいいか。大事なのは気持ちだからな。キリーの他に渡す相手はいるのか?」

「そうねぇ、可奈にはあげようと思うけど」

 可奈には、霧二郎同様柔道の稽古で世話になっている。そのため、友チョコを作るつもりでいた。

「カナって、あいつも女だろ? まさかお前、そっちの趣味があるのか……?」

「なんですぐそういう話になるかな……可奈には友チョコあげるのよ」

「なんだ、友チョコかよ。安心したぜ。マナが女好きじゃなくて」

「それから、三葉さん。バイトでものすごくお世話になっているから」

「女ばっかりじゃねぇか。バレンタインの意味分かってんのか?」

「バレンタインは本来、大切な人に感謝する行事でしょ? 男女の変わりなんてないわ」

 愛美の意見は、至極真っ当であった。

 ぐうの音もでない久比人だった。

「さあ、材料も決まったし、会計して帰るわよ」

 二人は家路に着くのだった。


    ※※※


「違う、湯煎の時は水気が入らないようにゆっくり溶かすんだ」

 愛美は、久比人からチョコレート作りを教えてもらっていた。

「ヘラを使え。まんべんなくチョコレートを溶かせ」

 愛美は、言われた通りに、ヘラで溶けたチョコレートかき混ぜる。

「よし、型に流し込め」


 愛美は、星形の型に溶けたチョコレートを入れる。前日に失敗してごわごわになった時と違い、表面がつるつるである。


「冷やして固めてからトッピングだ……ふう、少し休憩するか」

 チョコレートが冷えて固まるまで、一休みする二人。

「……あんたの指導、的確だけど本当に厳しいわね」

「言ったはずだぞ、オレの指導は厳しいって」

「私じゃなかったら挫折するところね」

「でもお前、やればできるじゃねぇか。昨日のベニヤ板チョコになってねぇじゃねぇか?」

「ベニヤ板って、そこまで言う?」

「言うね、ありゃベニヤ板だ」

 最早食材として見てもらえず、愛美は少しヘコんだ。

「いや、岩石かもしれないな」

「岩石は言い過ぎ」

「そうだな、お前にもプライドがあるだろうからな。これ以上は言わないでおこう。そんな事より、チョコ固まったんじゃねぇか?」

「ああ、そうみたいね」


 愛美は型からチョコレートを抜いた。キレイな星形のチョコレートができ上がった。


「キレイ……」

 愛美の口から思わず言葉が洩れてしまった。

「もう一枚作っとくか、トッピングも一緒に練習できるようにな」

 久比人は、星形の型に湯煎したチョコレートを流し込んだ。

「それにしても、チョコ作りが初めてなんて、一体今まで何をして来たんだ?」

 チョコレートが固まるまでの間、久比人は雑談をした。

「何をしてって、何よ?」

「色恋沙汰がなかったのかって、訊いているんだ。今時小学生だってもう少しマセてるもんだぜ?」

「勉強しかしてこなかったわ。親の世話になれないから、特待生になるのに一心不乱だったわ」

「やっぱりか、クリスマスも正月も、バレンタインも楽しむ余裕がなかったって事か。哀れだな……」

「別に、私は恋人を作るつもりはなかったから、そんな行事はどうでもよかったわよ」

「マナ。今幸せか?」

「何よ藪から棒に?」

「オレのせいで今、いろいろな事をしている。そん中で少しでも幸せを感じた事があったか?」


 愛美が完全に生き返るためには、恋人を作る必要がある。さもなくばウジ虫転生になることは、二人共よく分かっていることである。


「幸せかどうかは分からないけど、中学生の頃よりはマシな人生送ってると思うわ」


 百合子と言う親友がいて、可奈と言うライバルもいる。人付き合いはこれで十分だと思える。人付き合いに関して言えば、幸せかもしれない。


 逆に、辛いと思う事は、やはり勉強である。低偏差値の高校と言えど、特待生を維持するには成績は上位をキープする必要がある。


 上位陣の中には、通学時間をも勉強に当てようという者がいる。そういった人にも勝てなければいけないのがプレッシャーである。


「少なくとも不幸ではない、と考えてもいいんだな?」

 久比人は訊ねる。

「まあ、そう言うことになるのかしら?」

「何で疑問文なんだ?」

「そんなことよりチョコレート、固まったんじゃない?」

 久比人が星形の型に入れていたチョコレートは、冷えて固まっていた。

「おお、本当だ。じゃあトッピングするか」

 久比人は、チョコレートを型から抜いた。

「それで、どうトッピングするの?」

「まずはデコペンで縁を囲むんだ」


 久比人はやって見せた。ただ白い線で縁取りしただけなのに、チョコレートが明るく見える。


「デコペンで縁を……ってあれ、難しい……」

「絵心ないなぁ」

「うっさいわね、細かいことは苦手なのよ……」

 愛美は、つい力が入ってしまい、チューブを握ってしまう。

「ああっ!」

 はみ出してしまった。

「おいおい、不器用すぎやしないか?」

「うるさいわね。慣れてないのよ、仕方ないじゃない!」

 愛美は、逆ギレぎみに言った。

「はいはい、取りあえずこの布巾で拭け」


 愛美は、布巾を引ったくり、こぼしたデコペンのホワイトチョコレートを拭き取る。


 そして、はみ出した部分から続きを囲った。


 約五分後、かなり歪だが、なんとかチョコレートを囲い終えた。


「できたわよ!」

「でき、た?」


 久比人が作ったものと比べると、愛美の作った方は、デコペンの太さが一致しておらず、とても完成したものには見えなかった。


「こりゃあ、まだまだ練習が必要だな……」

「だから、今日は練習なんでしょ。次の工程、教えてくれるかしら?」

「えぇ。こんなのにトッピングするのか? 材料もったいなくね?」

「取りあえず全工程やっておきたいのよ。教えなさい!」

「わ、分かったよ。このチョコスプレーをさっき縁取りした部分にかけるんだ。少しずつな」


 久比人は、チョコスプレーを一つまみ取ると、デコペンで縁取りした部分にまぶしていく。


 愛美も真似をするのだが、一つまみが多く、まぶし方が雑であった。


 でき上がりは、久比人はカラフルに縁取りを変化させることができたが、愛美は、部分部分にしかかけられず、白い部分が目立っていた。


「……えぇっと、続けるか?」

「もちろんよ!」


 次は全工程で一番難しいであろう、デコペンで文字を書くことであった。


 文字は"Happy Valentine!"と筆記体の文字列である。


 愛美は、筆記体を書くことは一応できたが、デコペンで書けるかというと、そう上手くは行かなかった。


「これで最後だが……」


 最後の工程、それはホイップクリームをチョコレートの右肩に乗せることだった。


 さすがにこれくらいは、愛美とて失敗はしないだろうと思われたが甘かった。


 久比人は程よくホイップクリームを立たせることができたが、愛美は、ホイップクリームの山を作っていた。


 全工程終了し、チョコレートは完成した。


 久比人のものは、見た目も美味しい可愛らしいできばえであったが、愛美の方は、料理下手な中学生が一生懸命に作ったが、実力が伴っていないようなチョコレートになっていた。

「……笑いなさいよ」

 愛美は、恥の頂点にいた。

「笑わねぇよ」

 ポーカーフェイスだからと言う理由でなく、本気で久比人は哀れんで笑わなかった。

「私、才能ないのかしら……?」


 愛美は、思えばこれまで、雑煮以外まともな料理を作った事がなかった。故に手作りチョコなど作れようはずがなかった。


「料理は才能でも愛でもない、努力だ。まだバレンタインまで一ヶ月ある。その間に練習すればできるようになる。大丈夫、オレも協力する」

「久比人……」

「不幸中の幸いか、チョコレートの湯煎は上手くできている。土台作りはできるってことだ。トッピングに神経を使えば大丈夫だ」

「……ありがとう、久比人!」

 愛美は、悔し涙を流した。

「今日のところはこのチョコ食うか。そうだ、どうせだからチョコ交換しねぇか? オレのチョコの味を覚えて舌でも学ぶんだ」

「えっ? こんなチョコレートでも食べてくれるの?」

「ああ、食ってやるよ。マナはオレのを食うんだ」

 愛美は、久比人の言うようにお互いのチョコレートを交換した。

「いただきます」


 愛美は、久比人のチョコレートを噛った。噛った瞬間、鼻腔が甘さに満たされた。


 甘いことには甘いのだが、それでいて甘すぎない。ホイップクリームと味がかぶっていない。程よい味だった。


「うん? これは……?」

 愛美のチョコレートを噛ったとたん、久比人は眉根を寄せた。

「旨いぞ」

 見た目こそ悪いものの、味はよかった。

「えぇ!?」


 愛美は驚かざるを得なかった。縁取りは失敗し、チョコスプレーも偏っており、ホイップクリームは盛り過ぎているのにも関わらず、だ。


「本当に旨いぞ、マナも食ってみろって」

「本気で言ってるの? 私が作ったチョコレートよ?」

「自分の味に自信をもてって、ほら、食ってみな」

 久比人は、愛美にチョコレートを差し出した。

「そこまで言うなら……」

 愛美は、久比人が噛った所を避けて噛ってみた。絶対不味いと思ったが、そんな事は全くなかった。

「ホントに美味しい……」

 自画自賛するようだったが、本当に美味しかった。

「な、旨いだろ? ベースの星形チョコが甘さ控えめだから、トッピングの甘さと上手く噛み合ってるんだろうな」

 これで形もよければ、完璧なチョコレートであった。

「下地のチョコはこのままに、トッピングに気を付ければ最高のチョコになるぜ? 練習の方針は決まったな」

「そうね、トッピングね! 私頑張るわ!」


 愛美は、すっかり自信に満ちていた。


 それから、バレンタイン当日までの一ヶ月間、週二回、愛美はチョコレート作りの練習をした。


 一回は百合子の家で、二回目は寮の部屋で練習した。


 チョコレートの湯煎は真っ先にマスターした。繊細なトッピングを練習するのが愛美に必要な事だった。


 まずはデコペンでの縁取りである。線の太さを等しく統一し、はみ出さないようにゆっくりと線を描く。力の入れすぎで、どうしても一部分が太くなってしまっていた。


 久比人のアドバイスで、どうにか力の入れすぎとそれに付随する手の震えを抑えた。それにより、はみ出しをだいぶ抑える事ができるようになった。


 チョコスプレーのまぶし方は、百合子の母からコツを教わった。一ヶ所ではなく全体に広めるようにまぶすのがコツであった。愛美は見事に指摘されるようにやっていた。


 ホイップクリームの乗せ方は、これもまた久比人から教わった。力をいれるのではなく、ペンを持つように先端を握り、縦に絞り上げるのがコツだった。


 ホイップクリームは、チョコレートの右肩に乗せるつもりだったが、彩りを重視して星形の先端五ヶ所に乗せることにした。


 五ヶ所にホイップクリームを均等に乗せるという事に、難度がはね上がったが、負けず嫌いの愛美は妥協しなかった。


 百合子の母と久比人のお陰で、約二週間でだいぶ形がいいチョコレートを作れるようになった。


 残り二週間、愛美は練習に明け暮れた。そんなある日、百合子の家。

「百合子、これ、食べてみてくれる?」

 愛美は、箱に梱包したチョコレートを百合子に渡した。

「これ、愛美が作ったの!?」

 キレイに縁取りされており、チョコスプレーも程よくまぶされていて、先端の五ヶ所のホイップクリームも均等に立てられていた。

「まだ、どこか足りない所がないかしら?」

「ううん、ないよ。完璧だよ!」

 百合子は絶賛した。

「じゃあ、食べてくれる?」

「うん、いただきます!」


 百合子は、パリッとチョコレートを噛った。香ばしいチョコレートとホイップクリームの甘さ重なりあい、とても美味しいチョコレートになっていた。


「美味しい、愛美、これ美味しすぎるよ! 完璧なチョコレートの完成だよ!」

「よかったわ……」

 練習の成果が出て、愛美はひと安心する。

「あたしの本命チョコよりも美味しいかもしれないわ。義理チョコにしておくのがもったいないよ」


 愛美は、ついムキになって本命並みのチョコレートを作ってしまった。星形でなければ、十分本命と言える。


「みんなに感謝の気持ちを伝えるんだから、これくらいは作れなきゃ。百合子、あんたにも感謝してるわ。バレンタイン当日にはもっといいチョコレートをあげるわね」

「え、バレンタインにも作ってくれるの? ありがとう、お母さんと一緒に食べるわ。楽しみに待っているわね」


 寮に帰ってからも、愛美はチョコレート作りの練習をした。


 湯煎をし、型に流し込み、固まったら型から抜く。チョコレートの土台を作ってその上にデコレーションをする。


 デコペンで縁取りをし、チョコレートの面に"Happy Valentine"と、これまたデコペンでキレイな筆記体で書き付けて、チョコスプレーを縁取り部分にまぶす。


 最後にチョコレートの先端にホイップクリームを乗せる。


 完璧なものができた、と愛美は満足する。


「ただいま……お、今日もやってるな?」

「あ、あんたのお陰で本命チョコにも負けない義理チョコを作れるようになったわ。ありがとう、一応礼は言っておくわ」

「お前から礼を言われるとは……明日は猛吹雪か?」

「どういう意味よ、それ?」

「冗談だよ。それよりチョコレート、見せてもらえるか?」

 久比人は、部屋のキッチン部分に歩み寄る。

「おお、こいつは旨そうだ。形もいいし、トッピングもグッドだ。これでキリーのハートも射貫けるんじゃないか?」

「だから、義理チョコだって、ただの」

「まあ、それ以前に、キリーはマナに惚れてるから、これ以上は変わらないよな」

 久比人は、愛美と霧二郎が更に仲良くなることを示唆した。

「それよりそのチョコレート食っていいか? ちょうど腹減ってたところでな」

「いいわよ。味の感想も聞かせて欲しいし」

 久比人は、気色を浮かべた。

「ありがとよ。それじゃあ、いただくぜ」

 久比人は、ポリっとチョコレートを噛った。

「おお、これは旨い。形が悪かったときも味はよかったが、今のこれは十二分に旨いぞ」

 久比人は、十二分と太鼓判を押した。

「本当に……?」

「オレは食い物に嘘はつかない。オレが旨いって言ったものは旨いんだ」

「なにその謎理論……?」


 久比人の理論は分からなかったが、美味しいと言って食べてくれるのは嬉しかった。


「で、これ義理チョコなんだろ? 何人に渡すつもりだ?」

 久比人は訊ねる。

「え? ええと、三葉さんでしょ、百合子でしょ、可奈でしょ、霧二郎さん。四人ね」

「なんでほとんど同性なんだよ? バレンタインの意味分かってるのか?」

「バレンタインは、大切な人に感謝の気持ちを伝える日でしょう? 男女に区別はないわ」

「くそ、余計なこと知っちまったな。でもあれだな。ちゃんとキリーには渡すんだな?」

 ほとんど同性への友チョコしか作らない愛美だが、霧二郎にだけは渡す予定であった。

「霧二郎さんが私に惚れてるかそうじゃないかは知らないけど、柔道部の稽古には感謝してる。霧二郎さんには義理チョコというより、いつもありがとうの感謝チョコね」

「感謝チョコと来たか……あくまで本命にはならないんだな……」


 愛美に気がある霧二郎に贈るのが、本命ではなく感謝というところに、久比人は、愛美の無知ぶりに残酷ささえ覚えた。


「お前、罪な女だなぁ……」

「え、何が?」

 バレンタインまで、のこり一週間を切った。


    ※※※


 バレンタイン三日前。


 愛美は、これまでの練習の成果を発揮しようとキッチンに立っていた。


 水気の入らぬよう気を付けながら、ヘラを使って均等に湯煎し、よく溶けた所で型に流し込む。冷えて固まった所で型から抜き、デコペンで縁取りする。


 デコペンで縁取った上にチョコスプレーをまぶし、中央に"Happy Valentine!"っとこれまたデコペンで筆記体で書き付ける。


「ふう……よし」


 愛美は、最後の工程、ホイップクリームを立てる作業を前に一息つく。


「おっ、やってるな?」

「久比人! 急に入ってこないでよ!」


 愛美は、チョコレート作りに集中していたために、久比人が入って来たことに気付かず、驚いてしまった。


「驚かせちまったか? 悪ぃ悪ぃ、それで、出来映えはどうだ?」

 久比人は、愛美のチョコレートを覗き込む。

「うん、完璧だ。オレが教えることはもうないな」

 これは誰に渡すのか、久比人は訊ねた。

「百合子よ。あれでも私の親友だからね」

「百合子はありがとうチョコじゃねぇのか? お前がチョコレート作りするきっかけになった奴じゃないか」

「これからも何かと世話になりそうだからね。普通に友チョコをあげる予定よ」

「ふーん、そうか。オレがいたらチョコレート作りに集中できないよな? オレはちょっと出掛けてくるとするよ」

 久比人は気を利かせ、部屋から出ていこうとした。

「あんまり遠くまで行かないでよ? 神格がなくなっちゃうから」

「心配いらねぇよ。南上書房(みなみがみしょぼう)で立ち読みするだけだからよ」


 じゃあな、と一言残し、久比人は部屋を出ていった。


 愛美は、神格の心配をするふりをしたが、本当は久比人に見ていて欲しかった。


 どうした訳かは、分からない。ただ共にいて欲しかった。


──って、何考えてるのよ私は!?──


 愛美は、自らの思考に疑問を持った。

 久比人の神格がなくなれば、愛美は病に倒れるようになっている。


 百合子に要という恋人を作ったことにより、ゼウスの計らいによって、三日間なら久比人と離れても大丈夫になった。


 前の愛美であれば、離れていられる時間があるなら、離れて過ごしていたであろう。


 しかし、今は片時も離れていたくない。病気になりたくないという思いだけではない。何かそれ以上の心があるような、そんな気分である。


──久比人は神格をくれるだけの存在よ、それ以上の事はない。それ以前に恋人はいらないし!──


 愛美は、思い込むのだった。久比人はただの同居人であり、恋人候補ではないと。


 そんなことより、と愛美はチョコレート作りを再開するのだった。


 そして訪れたバレンタイン当日。


 箱に梱包したチョコレートを紙袋に入れて持っていった。少々大荷物になってしまった。


「おはよう、百合子」

「おはよう愛美。ん、その手に持ってるのって?」

「バレンタインの友チョコよ。チョコレート作りでは世話になったからね」

 愛美は、友チョコを百合子に差し出した。

「そんな、気にしなくていいのに。あたしたち親友でしょ?」

「親友の証でもあるのよ、これは。いいから受け取りなさい」

「うん。それじゃあ遠慮なくもらうわね。あたしは要っちに本命チョコ作るのに集中して、友チョコ作る余裕がなかったから、ホワイトデーにお返しするね」

「まあ、期待しないで待ってるわ。それじゃね」


 愛美は、百合子に友チョコを渡した。愛美は他の仲間にも渡しに行った。


 愛美が次に向かったのは、可奈のクラスであった。


──可奈、いるかな──


 となり町から機織学院高校に通っている可奈の事だから、まだ学校に到着していない可能性があった。


 まだ、静かな教室内にて、可奈は読書していた。


「可ー奈」

「うん? 愛美ちゃんじゃない。珍しいね? こんな朝早くからあたしのクラスに来るなんて」

「ちょっと渡したいものがあってね」

「渡したいもの?」

 愛美は、チョコレートの入った紙袋を渡した。

「それって?」

「友チョコよ。可奈にはライバルチョコの意味もあるけどね」

「あたしにチョコくれるの!? ありがとー、愛美ちゃん。嬉しいよ!」

「喜んでもらえてこっちも嬉しいわ」

「でもごめんね。あたしの方からあげられるものは何もないんだ。部活で疲れたところに電車に揺られる追い討ちをかけられるから、バレンタインなんて考える余裕がなくて……」

「気にしないで、これは私の感謝の気持ちだから。いつも稽古に付き合ってくれてありがとうってね」


 頃合いを見計らって愛美は、じゃあね、と可奈のクラスを出ていこうとした。


「ホワイトデーには忘れずお返しするから!」

「ありがと、期待してるわ」


 愛美は、可奈のクラスを後にした。


──後は霧二郎さんと……──


 霧二郎には、部活の時に渡すとして残りは三葉に渡して終わりであった。


 愛美は、自分のクラスに戻ってきた。となりの席にはいつも通り久比人がいた。


「よ、朝っぱらからチョコ配りか? 一生懸命頑張ってたもんな、チョコ作り」

 久比人はちゃかした。

「……で、キリーには渡してきたのか?」

「まだよ、放課後部活の時に渡す予定よ」

「まっ、それが確実か。キリーの事だ、さぞかし喜ぶことだろうよ」

「あんた、私に気を遣って付きっきりだったけど、バレンタインなんてカップルでき放題なイベントじゃない。愛の神としての仕事はしなくていいの?」


 愛の弓矢なしで、魔法で恋人を作る。これが久比人に、ゼウスから課せられた試練である。


「したさ、もう十組はカップル成立させたぜ。『慈悲の心』ならもう十分に積んだ。あとはこれをゼウスのおっさんがどう判断するかだ」


 愛美にチョコレート作りを伝授しつつ、愛の神としての仕事もこなしている。久比人はかなりタフだと愛美は思った。


 しかし、十組もカップルを作ったのであれば、久比人の罰も無罪放免となってもおかしくはない。


 そうすれば、久比人は愛美のそばにいる必要がなくなる。恐らくゼウスの事であるから、愛美も生き返らせてもらえるだろう。


 だが、そうなったら久比人との別れを意味する。


 以前の愛美であれば、お役御免となった久比人とすっぱり別れていただろうが、今は違う。離れたくないという気持ちがあった。


 これを恋心というのかと自分に問いかける愛美であったが、答えは違う。


 自分には恋人なんかいらない、とはっきりと言い切る事ができる。これは絶対に変わらぬ事実だ。


 それでも心にひっかかる何かがある。もしかすると、と思ってしまうが、それは違うとすぐに否定する。


 始業のチャイムがなった。その音にはっ、となる愛美。


「どうしたマナ、そんな難しい顔して?」

「なんでもないわ。ちょっと考え事してただけよ」

「考え事?」

「学年末試験が近いからね、これで順位を落とすようなことがあれば、特待生下ろされちゃうからね。どう勉強していこうか考えていただけよ」

「勉強なら教えてやれるぞ? 数Ⅱか? お前三角関数苦手だもんな」

「久しぶりに数Aがいいわ。教えてくれるならね」

「オッケー、オレにまかせとけ」

 その日の夜は、久比人から数学を教えてもらうことになったのだった。


    ※※※


 放課後がやって来た。

「霧二郎さん、ちょっといいですか?」

「山村さん、何かご用ですか?」

「霧二郎さんに渡したいものがありまして……」

「自分に?」

 愛美は、チョコレートの入った紙袋を、霧二郎に差し出した。

「これ、いつもお世話になっている感謝の気持ちです!」

「これは……開けてみてもいいですか?」

「どうぞ!」

 霧二郎はふたを開けて驚いた。

「こ、これがかの有名なバレンタインチョコ?」

「はい、私が作りました! どうぞ食べてみてください!」

「これは、食べるのがもったいないですよ。ですが、腐らせるのはもっともったいない。家でじっくり味わって食べることにします!」

 バレンタインにチョコレートをもらったことのない霧二郎は、喜びの絶頂にいた。

 霧二郎はもらったチョコレートを大切に持って部室へと入っていった。

「久比人!」

 愛美が叫ぶと、掃除用具入れが揺れた。

「そこに隠れているのは分かっているわ、さっさと出てきなさい」

「完璧に気配を殺していたつもりだったんだが、どうして分かったんだ?」

 久比人は、掃除用具入れから出てきた。

「あんたの神格を感じたのよ。もう半年以上一緒にいるから分かったのよ」

「神格が分かるようになったか。もう普通の人間じゃなくなったな、マナ」

「そんなことより、これ、渡しておくわ」

 それは、つい先程霧二郎に渡したものと同じ柄の紙袋であった。

「何だ、これ?」

「チョコよ。開けてごらんなさい」


 久比人は言われたとおり、紙袋から箱を取り出し、ふたを開けてみた。


 中身はバレンタインチョコだった。


 形は、ずっと練習してきた星形であるが、チョコレートの面にデコペンで書かれた言葉が違っていた。"Thank you"と書かれていたのだ。


「勘違いしないでよね。本命でも義理でもない、感謝チョコよ。あんたにもいろいろ世話になっているから……」

「マナ……」


 愛美は、久比人にサプライズを用意していた。しかし、いざ驚かそうとしてみたものの、照れが先行してしまい、素直になれずになってしまった。


「可愛くないけど、可愛いな、マナ」

「どっちよ、それ?」

「まあ、気持ちは嬉しいよ。それだけは受け取っておく」

「もう作らないからね、せいぜい味わって食べることね!」

 愛美は、言い残し、女子部室に駆けていった。


──今のマナ、春子よりも可愛かったかもな……──


 久比人はチョコレートを噛った。


──うん、旨いな──


 久比人は愛美に、もう作らないと言われた。それが惜しいと思う久比人であった。


第十二話 特設テスト部


 バレンタインのゴタゴタも終わり、ついに一週間後に、全てが決まる学年末試験が、愛美に待ち構えていた。


 ここで得点を落とすようなことがあれば、特待生は終わる。バレンタインにチョコレート作りに集中していたことで、勉強の時間があまり取れなかった。 


 そのため愛美は、久比人から教えをこうていた。


 試験に危機が迫っているのは百合子も同じであった。


 百合子の場合は、留年するか否かという、重大な問題があった。


 学年末試験対策の勉強会は、いつものファミレスで行おうかと思ったが、外は吹雪で、移動が大変なため、空き教室で行うことにした。


 空き教室には、愛美、久比人、百合子、可奈の四人が集っていた。


「このメンツで集まるのは久々ね」

 愛美は言った。

「ホントだねー。夏休み以来かもね」

 学年末試験一週間前という事で、柔道部も部停止になっていたため、可奈もこうして勉強会に参加していた。

「可奈さん、わざわざ勉強会に参加しなくてもいいんじゃないっすか? 赤点取ってないっすよね?」

「うん、赤点は回避してるけど、ホントギリギリだから、もっと余裕を持って臨みたいと思ってさ」

 機織学院高校の赤点は四十点以下である。可奈は四十点代を取っているので、本当にギリギリだった。目標としては六十点代を取りたいところだという。


「可奈っちすごいね。ぶんぶりょーどーの女の子だね!」

「百合子。あんたにはもう時間がないのよ? くっちゃべってないで勉強に集中したらどう?」


 このグループで、一番の問題児が百合子であった。


 これまでのテストは二十点代で、零点を何度か取ったことがあった。今回こそは本気を出さなければ留年目前だった。


「や、やだなー? さすがのあたしも今度こそ頑張るよ?」


 百合子は苦笑する。


「ふーん、じゃあこの文読んでごらんなさい」


 愛美は教科書の一文を指さした。


「えーと……もしも明日? えーと、うーんと……」


 愛美が課した問題文は、時と条件のIf節の文だった。


「どうしてこれしきの文が読めないのよ? 仮定法の基本じゃない」

「その文は、『明日晴れたら、私はハイキングに行くだろう』っすよ」

「えっ? ヒーキングって書いてあるけどハイキングって読むの?」

 文法以前の問題だった。百合子は、語彙力が全く足りていなかった。

「百合ちゃん、それはさすがにまずいよ……」


 英語が別段得意ではない可奈でさえも引くほど、百合子の英語の能力は低かった。


「さよなら百合子。来年からは後輩になるだろうから……」

「そんな! 見捨てないでよ愛美!」

 百合子は、愛美に泣きついた。

「留年する気はない?」

 愛美は訊ねた。百合子は、激しく首を縦に振る。

「勉強する気はある?」

 百合子は、変わらず首を縦に振った。

「じゃあ、久比人に見てもらいなさい。悔しいけど私より頭いいし、教え方もうまいから、さすがのあんたでも理解できるでしょ?」

 久比人もいいわね、と愛美は訊ねた。

「構わないっすよ、ボクが手取り足取り教えまっすから」

「お願い、藍木くん! 留年だけはいやなの!」

 久比人は、百合子を宥めつつ指導に入った。

「可奈には私が教えてあげるわ。っと言ってもあんまり教えることはないでしょうけど」

「そんなことないよー。愛美ちゃんに教わりたいよ。愛美ちゃん教え方上手いから」

「ありがと、可奈。可奈は英語が苦手だったわね? 英語にしましょうか?」

「うん、お願い」

 

特待生二人がそれぞれ、劣等生を教える形になった。


 百合子と可奈は、どちらも英語を教わっていた。


 可奈の方は飲みこみが早く、すぐに長文問題を解けるようになった。時折、意味の取れない単語があったものの、その都度調べて文章を読み解いていった。


 百合子の方はやはりというべきか、圧倒的に足りない語彙力と文法能力で、なかなか次に行けないでいた。


 しかし、指導者が神であるので、百合子に足りないものを正確に探り当てて指導する事ができていた。


 百合子は、普段では考えられないほど集中していた。改めて久比人の指導力を知らしめられる。


──神様、か……──


 久比人は、人間とほとんど違わない姿をしているが一柱の神である。なんでもこなしてしまうのは当然の事だった。


 愛の神というだけあって、外見もいい。愛美が恋人を作らない人でなければ、すぐに惚れてしまう事もあったかもしれない。

──惚れ、て?──


 何故だか愛美は、久比人に特別な想いに似たものを感じた。

「愛美ちゃん? おーい、愛美ちゃん」

 可奈に呼ばれ、愛美ははっとなった。

「え、何? ごめんね、ちょっとぼんやりしちゃってた。何か質問?」

 可奈は心配そうに愛美の顔を覗き込んだ。

「愛美ちゃん、上の空だったよ。大丈夫? どこか具合が悪いの?」

「大丈夫よ! 平気平気! 心配させてごめんね」


 久比人の事を考えていたとは、愛美には到底言えるはずがないことだった。


 久比人の事は、気のせいだと捨て置いて、愛美は指導に集中することにした。


「それで、何か質問かしら?」

「うん、仮定法過去完了について分からないことがあってね」

「あー、そこは確かに難しいところね。一緒にじっくり考えましょ」

 可奈に質問された所は、愛美にとっても少し難しい問題であった。

「仮定法過去完了は、なんとかだったら、その後なんとかだったのにって言う風に、If節の中に大過去があってその後主節に助動詞の過去形が出てくるのよ……って言う答えでいいかしら?」

「ふむふむ、大過去がIf節にっと……」

 可奈は、真剣にノートにメモをする。

「なるほど! やっぱり仮定法には主節に助動詞の過去形がくるんだね! その他の問題も同じようになってるしね」

「お分かりいただけて光栄だわ。百合子と違って飲み込みが早くて教えがいがあるわねぇ」

 愛美は、素直に褒めた。

「英語はこれくらいでいいかな。次は世界史教えてくれないかな?」

「うん、いいよ」


 愛美は、世界史を教えるのだった。


 やがて下校時間となり、見回りの先生に注意され、一同は帰り支度をした。


「明日以降も勉強会しない? 残り一週間で行けるところまで行きたいし」

 可奈が提案した。

「あたしも、今日一日だけじゃまだまだ不安だわ。可奈っちにさんせー」

 百合子は、提案に賛成した。

「それがいいっすね。マナさんもボクも、テスト期間って事でバイトを休みにしてるっすから、体は開いていまっすよ」

 マナさん、と久比人は愛美に同意を求めた。

「そうね、可奈はともかく百合子、あんたは今日一日で点が取れるとは思えないし、教えることで自分の勉強にもなるし、いいんじゃないかしら?」

 愛美にも、特に拒む理由がなかった。

「じゃあ、あたしたち四人でテスト部の発足だね!」

 いかにも今つけたばかりと思われる安直な名前の部に、ポーカーフェイスの久比人を除いて、愛美と百合子の二人は苦笑した。

「一週間で終わりでしょう、そんな部……」

 愛美が静かなツッコミを入れた。

「一同が一ヶ所に集まることが大切なんだよ! 部活然り、文化祭然り。みんなで成し遂げる事こそ重要なんだよ!」


 可奈は、迫り来る学年末試験を前にしても底抜けに明るかった。


「あたしは、柔道部員だから分かるんだ。団体戦の大切さがね! 柔道も受験も団体戦だよ!」

「受験は団体戦だって確かに聞くけどどっちも戦うのは一人じゃないの?」

 愛美は言う。

「可奈っち良いこと言うね。あたしみたいなバカでも何かでみんなの役に立てるって思えば心が楽になるよ」

「いや、百合子。あんたは死ぬ気で勉強なさい」

「愛美ったら、どうしてあたしにはそんなに冷たいの?」

「別に冷たくしてるつもりはないわよ。ただ事実を言ってるだけ。勉強しなきゃ留年が待ってるわよ。手招きしながらね……」

「ひー! 留年はいやー!」

 百合子は頭を抱える。

「百合子ちゃん、大丈夫! 明日も特設テスト部の活動はあるから! 一緒にガンバろ、団体戦だよ!」

「可奈、あんまり百合子を甘やかすようなことは言わないでよ」

 付け上がるでしょ、と愛美は加える。

「大丈夫だよ、愛美ちゃんと久比人くんがいれば

百人力だよ!」

「……そろそろ帰らないっすか? 寒くていられないっすよ……」


 久比人は、ガタガタと震えていた。


 確かに、廊下には火の気がなく、外にいるのとあまり変わらなかった。


「ああ、また吹雪いてきた! 電車が止まっちゃう! じゃあ今日のテスト部は解散、また明日、じゃーねー!」


 電車通学の可奈は、雪に慌てて真っ先に帰っていった。


「愛美、藍木くん、またよろしくね。じゃあねぇ」

 百合子も去っていった。


 特設テスト部の部員二人が去っていき、特待生二人がまだ廊下にいた。


「私たちも帰りましょうか?」

「おお、帰ろうぜ。凍え死んじまうよ……おー、寒々……」

 愛美と久比人も帰るのだった。


    ※※※


 愛美と久比人は、いつも通り同室へと帰ってきた。


 神格がなくなれば病気になる愛美は、神格を久比人から受けるため、仕方なしに久比人と一緒に過ごしている。


「ああー、暖けえ部屋……生き返るぜー」


 久比人はコートを着たまま、自分の布団の上に大の字になった。


「コートくらい脱ぎなさいよ、みっともないわねぇ……」

 愛美はコートを脱いでクローゼットに入れた。

「ああー、布団から出たくないぜぇ……」


 コートも脱がずに布団にくるまる久比人。まるで猫のようだった。


「あんた、百合子に勉強教えてたけど、どう? 赤点回避できそう?」

「んー、正直あんまりよくないが、基礎は教えてやったぜ。後は百合子自身がどれだけしっかり勉強するかどうかだな」

「やっぱりそうよねぇ……」

 いくら人から教わろうとも、最終的にできるようになるかは、本人の努力次第であった。

「そんな百合子の心配をしてる場合か? マナも数学ににてんてこ舞いだろ?」


 今日の勉強会では、可奈に英語を教える傍ら、自分の勉強もしていた。苦手な数学が足を引っ張り、他の科目でフォローが効くとは言っても、やはり数学も得点を取りたいところだった。


「だいぶ回復してきた。晩飯前に数学、教えてやろうか?」


 久比人は、コートを脱ぎ、提案した。


 愛美にとって、ありがたい話であった。


「お願いできるのなら……」

「お安いご用だ」

 久比人と二人きりの勉強会が始まった。

「どれ、ノートを見せてみな」


 ふむふむ、なるほど、と愛美の回答を見る久比人。その横顔を見て愛美はドキリとした。


 これまで長く久比人の顔を見てきた愛美だったが、美の女神の息子である久比人も、その美を受け継いでいる事に、改めて知らしめられる。


 ウェーブのかかった煌めく金髪をしており、女と見紛うほど小顔で、そこに大きな目、小さい鼻、薄い唇がバランスよく配置されている。まさに美形であった。


 男嫌いの愛美が心揺るがされるほどの美を、久比人は持っていた。


──いや、私は恋人なんて作らない。特に久比人となんて死んでもゴメンよ。まあ、もう死んでるけど……──


 久比人と恋仲になれば、ゼウスの定めたウジ虫転生ルートからも解放され、生き返ることもできる。


 そこに、久比人となら、と考えてしまう自分もいた。


 バレンタインの日、チョコレート作りを親身になって教えてくれた感謝の気持ちから、チョコレートを久比人に渡したあの時以来、久比人に特別な想いに似た感覚を持った。


 あれが有ったからこそ、愛美は今、久比人の美を愛しいと感じてしまっている。


「マナ、おーいマナ」

「はっ、はひぃ!?」

「どうした、そんな変な声出して? 驚いたか?」

「ち、ちょっと考え事をしてしまってて……何の話だったかしら?」

「人がせっかく一生懸命に教えてやってたのに……一体何を考えていたんだ?」

「そ、それは……」


 言えるはずがなかった。久比人を好きになったかもしれないなどとは。


「す、数学についてよ! 当たり前でしょう? 自分の力でも考えていたのよ!」

 見苦しい言い訳であった。

「ほう、そうか。勉強熱心なことで何よりだ。こっちも教えがいがあるってもんだ」

 とてつもなく見苦しい言い訳だったのに、久比人はそれを信じてしまった。

「それじゃあ次、たまには数Ⅰもやっとこうぜ? 二次関数も苦手だろ?」

「あー、うんうん。関数と名の付くものは大体苦手だから、教えてくれるとすごく助かる」

「よし、じゃあ二次関数やるか」

 久比人は、二次関数の指導を始めた。指導は夕食の時間まで続くのだった。


 そして次の日。


「特設テスト部二日目の活動開始だよー!」

 可奈が開始を宣言した。

「可奈っち、テンション高いねぇ……」

 百合子は、眠そうに言った。

「なんだなんだ、元気ないぞー? 百合ちゃん。そんなんじゃテストに勝てないぞー?」

「だって、昨日徹夜しちゃって、あんまり寝てないんだ……」

「百合子が徹夜!?」

 愛美は信じられなかった。

「徹夜で勉強してたっての!?」

 愛美は追求する。

「さすがのあたしも危機感というものを感じて、初めて夜勉強してみたんだけど、これが意外とはかどってね。気付けば朝になってたってわけよ」


 言い終えると百合子は大あくびをした。


 愛美には嬉しいことだった。あの怠惰の百合子が勉強に向かって行ったのが、常々勉強しなさい、と言ってきた努力が実ったのだ。それが何よりも嬉しかった。


「百合子さん、さすがっすよ。ボクも指導してきた甲斐がありまっすよ」

「藍木くんのおかげだよ。初めて勉強が楽しいと思ったもの」

「百合子、ノート見せてよ!」

「うん、見て」


 愛美は、嬉々として百合子のノート開いた。そして喜びはぬか喜びだったと知らしめられた。


 ノートに書かれた答えが、半分以上間違いだったのだ。


「……百合子、これほとんど間違ってるんだけど、どう言うことかしら?」

「えっ、間違ってた!?」


 百合子は、驚きに目を覚ました。


 百合子が徹夜で解いた問題は英語で、時制の内容であった。


 過去形で良いところを過去分詞形で書かれていて、更には綴りも間違えていた。


 単語練習もした形跡があったが、それもほとんど間違えていた。


「百合子さん、ボク教えまっしたよね? 過去形と現在完了形の違い」

「そんなぁ……徹夜までして勉強したのにぃ……」

 百合子の勉強は質が伴っていなかった。

「一からやり直しまっしょう? ボクがテストの日まで教えまっすから」

「藍木くん。ありがとー」


 百合子に教えられるのは、最早久比人しかいなかった。


 必然的に、可奈に教えるのは愛美となった。


「勉強、教えてくれる? 愛美ちゃん」

「いいわよ。百合子のバカは、久比人の力でないとよくならないでしょうからね」

「愛美ちゃん、そんな言い方はかわいそうだよ」

「いいのよ、この位は言ってやらないとバカはよくならないわ。あのバカは!」


 愛美は、ぬか喜びさせられたことを根に持っていた。


「そういえば可奈も赤点ギリギリよね? 見かけによらず勉強は苦手?」

「お恥ずかしながら、勉強する体力が毎日残らないんだよねー。あたし、家でも稽古してるからさ」


 可奈の家は、地元ではそこそこ有名な柔道の道場だった。


 可奈の父が全国を制したことの有る柔道家で、部活の後に可奈の家の敷地内にある道場で、更に稽古を積むという生活を送っていた。


 学校から帰って更に稽古する時間は、夜の十時を過ぎるため、可奈は疲れはててしまうとの事だった。


「勉強しようとは思うんだけど、十分ももたずに眠っちゃうんだよね。全く、根性が足りないって話だよねぇ」

「家に帰ってまで稽古って、根性ありすぎだよ!」

 愛美は、自身が可奈に勝てない理由が分かった。

「あたし、オリンピック選手になることが夢なんだ。だから勉強時間も取らずに稽古に打ち込んじゃうんだ」


 可奈の強さの秘訣は、オリンピックに出るという大きな夢からだった。特特待生になるためだという目的で柔道を再開した愛美が勝てるわけがなかった。


「そうだったんだ……」


 学費も寮費も免除という、一見素晴らしいことをなそうとしているように見えるが、結局は金のためという俗にまみれた愛美は、恥さえ覚えた。


「あたし、愛美ちゃんの事を友達だという以上にライバルとして見ているんだよ。絶対負けたくないライバルってね」

「私なんかをライバル視するなんて、おこがましいよ。家でまで稽古するなんて、普通じゃできないことじゃない。それなのに、ライバルだなんて……」

「ううん。立派なライバルだよ! でも今は、友達として甘えてもいいかな? 勉強、教えてくれる?」

「う、うん! 私にできることはこれくらいだから。何から始める?」

「じゃあ、英語! オリンピック選手が英語できなきゃカッコ悪いからね!」


 こうして可奈発足の特設テスト部二日目の活動は更けていくのであった。特設テスト部の活動はその後も三日目、四日目と続いていった。


 可奈は、比較的できる英語を数回で覚えていき、百合子も赤点ギリギリを超えられるようになった。


 指導者に位置する愛美と久比人は、教えることで自身の学習とした。もっとも、久比人は神の力で何でもできたが。


 特設テスト部の活動も最終日を迎えた。空き教室の中央で愛美たちは、円陣を組んでいた。


「テスト部の活動も今日で最後。全員互いに感謝! 最後の最後まで諦めないこと。全員自分の力を信じて行こう! いくよ……!」


 可奈は手を円陣の中心に置いた。愛美らもそれに続き、可奈の手に手を重ねた。


「せーの!」

「おーっ!」


 四人は手を振り上げ、掲げた。


 そして、愛美たちは最後の勉強会を始めるのだった。


    ※※※


 学年末試験がやって来た。特設テスト部にて勉強を頑張った四人は、全力でテストに当たっていた。


 出題の範囲は教科書の内容であった。何度も読んだ内容だったため、愛美にとっては楽勝の問題ばかりだった。


 苦手な数学はヤマが当たり、数学Ⅰの二次関数と数学Ⅱの三角関数が主に出題されていた。


──ここ、久比人から教わったところね……──


 愛美は、解き方を思い出しながら一から解いていった。


──……できたっ!──


 愛美は、心の中でガッツポーズした。苦手だったのは数学だけだったので、数学で得点を取れれば、特待生を維持することができる。


 愛美はふと、となりの席の久比人をチラ見した。


「くかー……くかー……」


 テストは開始十分で終わらせ、残りの時間は爆睡していたようだった。


──百合子、大丈夫かしら……?──


 特設テスト部で久比人から勉強を教わっていた百合子だが、はたして赤点を回避できる点がとれるのか愛美は心配だった。


 自分からは遠い席でテストを受けている百合子を見る愛美。


 表情などは一切窺い知れないが、手は動いているのだけは分かった。


 百合子は、頑張って問題に当たっていた。残り時間は十五分だが、百合子は諦めてはいない様子だった。


──百合子、ガンバ……!──


 愛美は、心の中で百合子を応援するのだった。

 その後間も無くして、試験終了のチャイムが鳴った。


「愛美ー!」


 テストが終わるなり、百合子は愛美のところへ駆けてきた。


「どうしたのよ? まさかテストのできが悪かったとか?」

「違うのよ、手応えがあったのよ!」

「えっ、手応え……?」

「ここ数日のテストも全部答え埋められたのよ。今まで受けてきたテストの中で最高の出来だったわ」

「やりまっしたね、百合子さん」

 いつの間にやら目を覚ました久比人が言った。

「藍木くんのおかげだよ。藍木くんが教えてくれたところ全部解けたよ!」


 久比人の教え方が上手であったが故の出来ばえだった。


「ボクはただ教えただけっすから、できたのは百合子さんの実力っすよ」


 久比人が謙遜するように言った。


 学年末試験は、この時間数学で幕を閉じた。後は結果を待つのみであった。


 愛美の特待生維持、百合子の赤点回避は二日後に決まる。


「愛美ちゃーん、百合ちゃーん、久比人くーん!」


 可奈が、愛美のクラスの入り口で手を振っていた。


「可奈!」

 愛美が気がつくと可奈は、愛美のクラスへと入ってきた。

「可奈、その様子だと手応えあったようね?」

「うん! 愛美ちゃんが教えてくれた英語、久比人くんが教えてくれた数学のどっちもよくできたの! ありがとう二人とも!」

 可奈は、わざわざ礼を言うために来ていた。

「明後日結果がでたら、特設テスト部の打ち上げに行こうよ! どこ行こうか?」

 可奈は提案する。

「気が早いわねぇ、可奈。まだテスト終わったばかりでしょ?」

 結果は、みんなよい結果がでるかと思われたが、まだ油断はできなかった。

「じゃあ、こうしよう。明後日結果が分かったら、特設テスト部の空き教室に集まるの。そこで結果を見せあってから、打ち上げをどうするのか決めるの。これでどうかな?」

「いい、それいいよ可奈っち。あたしの進級祝いも一緒にやっちゃっおうよ」

 百合子は言った。

「あんたが一番結果が分からないでしょ。はしゃがないの」

 愛美は突っ込んだ。

「まあ、結果を待ちましょう。全てはそれからにしましょう」

 愛美が場をおさめた。


 そして二日後。


──結果は……お願い!──


 願いを込めて愛美は、試験結果通知書を開いた。結果は平均九十二点といった所だった。


 特待生更新される点数であった。


「やった……!」

 愛美は小さくガッツポーズした。

「できは……よかったみたいだな?」

 久比人は、ほれ、と自身の結果を愛美に見せた。

 愛美は、それに顔を近づけた。平均点百点と、満点だった。

「あんたの頭はどうなってるのよ……」

 神と人間の知力の差に、圧倒される愛美であった。

「愛美ー!」

 百合子が通知書を片手に駆けてきた。

「見て見て、これ!」


 百合子は、通知書を愛美に差し出した。


 愛美は受け取り、目を通す。平均点五十二点、赤点を回避することができていた。


 この結果は、愛美にとっても嬉しかった。


「よかったじゃない、百合子! 赤点回避じゃない!」

「うん……!」

 百合子は嬉し泣きしていた。

「おーい、みんなー!」

 愛美のクラスの前に、一昨日同様に可奈が手を振っていた。

「愛美ちゃん、これ、結果!」


 可奈は、愛美たちに駆け寄り、通知書を見せた。結果はなんと平均点七十五点であった。


「すごいじゃない、可奈! 大躍進じゃない!」

「愛美ちゃんと久比人くんのおかげだよ。ホントーにありがとー!」


 可奈の発足した、特設テスト部の部員はこれで全員得点アップに繋がった。


「じゃあ、空き教室に行こうか。打ち上げするとこ決めよ!」

 愛美、久比人、百合子、可奈の四人は、約束通り特設テスト部の打ち上げをするのだった。

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