第76話 アイス・シードル
アイス・シードルがその名を轟かせたのは、僅か五歳のときだった。
「何だこの氷魔法は……誰が、編み出したのだ!?」
「上級魔物を半永久的に氷結させるだと……循環魔法を術式に組み込んだというのか」
「誰だ、一体だれが!?」
街を突然襲った魔物を一瞬で凍らせ、大勢を救ったのは、自身が暇つぶしに作った魔法具だったのである。
それからアイスはメキメキと頭角を現していく。
「アイスがまた王都で表彰台に上がったらしいぞ」
「流石だな。我が街の誇りだ」
シードル家は男爵家で、貴族の中でも序列が高いわけではなかった。それでも、アイスを求める声は絶えなかった。
10歳になるころには、王都から直々にセラスティ魔術高等学校への招待状が届く。
そこからアイスの知名度はさらに加速していく。
「主席が男爵家? アイス? ……誰だ?」
「全科目満点? ……嘘でしょ?」
「またアイスが一位か。一体だれが勝てるんだ?」
「剣術に魔法も、誰もアイスには勝てないわね」
全校生徒がアイス・シードルの名を知るのにそう時間はかからなかった。
しかし卒業を間近に控えたアイスは、なぜか自主退学
理由は『面白い人がいたから、そっちとの時間を取りたくなった』
それから二年ほど消息を絶ち、またふらりと戻ってきたシードルは錬金術師としての道を歩んでいた。
それから数年で国家錬金術師となる。
普段は表に出ることのないアイスだが、年に一度の査定では世界最高峰の魔法具を作り上げていた。
数か月研究所にこもった後はふらりと旅に出たりと消息がつかめないこともしばしばあったが、アイスだけは国王から特別に許されていた。
国家錬金術師とは名ばかりで自由に生きていたアイスは、王都の行事ごとには殆ど参加せず、また政治にも興味がなかった。
しかし今回だけは違った。
「オラクル様のペアの相手が――アイス・シードル様だと!?」
「嘘でしょ……!?」
「……勝負は決まったようなものだな」
突然に参加表明をしたアイスは、その場を姿を現した。
そしてただ一言『すみませんが今回は本気を出します』。
そう言ってすべての妃候補、国家錬金術師に宣戦布告した――。
「……アイス・シードルか」
翌朝、リビングで熱いお茶をすすりながら師匠の言葉を思い出していた。
唯一、勝てないかもしれないと思った相手。
実際に調べてみると逸話はそれこそ伝説のようだった。
アイスは敗北を知らない。記録ではセラスティでただの一度も負けたことがない。
剣術でも魔術でも座学でも、そして錬金術師になってからも。
政治にも世界にも興味がないとのことだが今回はなぜか表に出てきた。
やると決めたからにはもちろん勝つつもりでやる。
けど、さすがに……。
「今回ばかりはなかなか骨が折れそうだな――」
「ベルク様、今日の収穫分も美味しそうでしたよ!」
すると頬を土だらけにしたレナセールが中庭から戻ってきた。
新鮮な野菜で朝食を作ってあげたいと、朝から元気に収穫していたのだ。
彼女を見ていると思わず笑みがこぼれた。
弱気になってはいけないな。リティアも不安がるだろう。
「ありがとう。ほら、汚れてるぞ」
静かに歩み寄り、頬の泥をぬぐう。
するとレナセールは野菜を置いて抱き着いてきた。
「ベルク様、今日の分がまだですよ」
今日の分とはキスの事だ。
ベッドが一つしかなかったので俺はリビングでサーチと一緒に寝た。
それから色々と忙しかったのでまだしていない。
毎朝、これは彼女のルーティンでもある。
背筋を伸ばすように上を向くレナセール、俺は、そっと唇を近づけた――。
「おはようござ――わわわわわ!? す、すみません!? 朝の楽しいお楽しみを!? 大丈夫です。ゆっくり楽しんでください!?」
するとそこに現れたのはリティアだ。
元気いっぱいに声をあげる。なかなかにボキャブラリーにとんだ言葉を使うな。
しかしさすがに彼女の前でするわけにはいかない。
泥を払おうとしただけだと嘘をつき朝食をともにした。
午後からはリティアの魔法を間近で見せてもらう。
今日もやることがいっぱいだ。
「……キスキスキスキス、まだキス、してない」
呪文のようにつぶやくレナセールが頬を膨らましていたので、食事の後、リティアに隠れていっぱいちゅっちゅっした。