8.いつか、こうなってたさ
「三、二、一……」
ゼロ。救急車の後方扉が開く。ひなたと理一は隠れていた柱から飛び出した。とばりとの戦いで消耗した銃弾も、国防局の救急隊員を脅すだけなら必要ない。
「動くな」
ひなたが銃を向けると、とばりの遺体へと手をかけていた男たちがギョッとひなたの方を振り返る。救急隊員とはいえ国防局の人間だ。有事の際の対応はきっちりと体に叩き込まれている。隊員たちはひなたを認識しながらも、真っ先に両手を上げ、動きを止めた。動揺が顔に出ているものの、しかと黙している。余計なひと言が命取りになる。そのことをよく理解した優秀な救急隊員たちだ。
だが、甘い。
「はい、みんな死にたくなきゃ車から降りて~」
ひなたにばかり気を取られ過ぎだ。のんびりとした理一の声が救急車の前方、運転席から聞こえる。運転席に座っていた救急隊員は、すでに縛られて車の外、地面に転がされていた。可哀想に。そこまでしなくたっていいのに。ひなたが一瞥すると、理一がパチンとウィンクを投げてよこす。
「キモ」
ひなたの声が聞こえたのか、車から降りた数名の救急隊員がビクリと肩を揺らした。
「りぃくんのことだから」
フォローになったかはわからない。だが、誤解してほしくなかった。ひなたは従順な駒へと成り下がった救急隊員たちに
「じゃ」
と小さく会釈して救急車へ乗り込む。扉を閉めると理一が救急車を発進させた。
向かう先は決めていない。すでに人工島の中だ。とばりがかつて過ごした家。そう言えば聞こえはいいが、とばりにとって国防局の敷地内というだけで牢獄か地獄だろう。死んだとばりに墓を選ばせることはできないけれど。
「……出来るだけ、静かなところへ行って」
ひなたの呟きに、ウィンカーの音が答えた。
ストレッチャーに固定されているとばりは、不思議なほど穏やかな顔をしている。誰が見ても死んでいる彼の体には、医療器具などひとつもついていない。さすがと言うべきか、恐ろしいほど大量に流れていた血液はすでに止められている。それとも、干からびて枯れてしまったのか。
「とばり……」
こんなことなら、捕まえてしまえば良かった。
連れ戻すための交渉をしたかったはずが、結局戦って、とばりは死んだ。あっけなく。
ひなたは捕縛者だ。国家の脅威となる人間を捕縛することが仕事で、その生き方しか知らない。交渉なんて、端から向いていないと知っていたのに。
ひなたは唇を強く噛みしめる。理一に殴られて腫れた頬の痛みすら、噛んだ唇に滲むかすかな痛みに負けてしまう。とばりがいなくなった空白も、三年前のように、いずれ。そう思うとゾッとする。
「ひな」
声をかけられ、ハッとする。運転席から理一が顔をのぞかせていた。赤信号の隣に見えた標識番号から行先を推測する。ひなたの予想通りなら、五分とたたずに到着するだろう。
「降りる準備しといて。もしかしたら、局長サンのお迎えがあるかもだし」
「来ないよ」
「なんでそう思う?」
「今頃、わたしのために尽力してるからね」
救急隊員を脅し、世界的テロリストである了輪とばりを乗せた救急車を強奪した。普通なら、ひなたと理一に対して国防局が動いてもおかしくはない。局長自らやってくるとは思えないが、彼女の優秀な部下たちがひなたたちを捕まえて説教する可能性はある。
だが、今回は特別だ。了輪とばりが東京タワーで事故死した。あの野次馬の多さなら、そろそろ情報が出回っているはず。国防局は、いつでも捕まえられる人工島内のひなたたちより、マスコミ対策を優先する。とばりは死んでいる。これ以上深追いする必要もない。
「ひながそう言うならいいケド」
理一は納得と不満を半分ずつ吐息に混ぜると、ゆっくりハンドルを切った。カーブに沿って車が坂道を登っていく。
この島唯一の霊園。人工島を作る際に余った土を盛って出来た小高い丘は、国防局に尽くして命を落とした人々の墓石を乱立させている。その数を知る人はいない。小高い丘は年々拡張され、今や人工島より敷地面積は広いのではないかと思う。
その更に奥。百年かけて自然に出来上がった雑木林の前で理一は車を停めた。
「行くか」
救急車後方の扉を開けて、理一がゆっくりととばりを抱える。本当に死んでいるらしい。生まれたての赤ん坊のようにすわっていない首がガクンと垂れていた。
「丁寧に扱ってよ」
「これでも丁寧な方だってば。誰かさんのおかげで死体なんてほとんど扱わないんです~」
理一はとばりを抱えなおし、雑木林へ向かって歩く。ひなたは霊園の倉庫からふたり分のスコップを盗んで理一の後に続いた。
時折、とばりの体からまだかろうじて残っていたらしい血液がこぼれ落ち、道を濡らしていくから、理一を見失うことはない。ひなたはそれらを土や枝葉で消しながら進む。国防局の人間は、とばりをよくは思っていない。脱走し、テロリストとなった彼を受け入れる場所はここにない。荒らされぬようにと入念に証拠を隠滅したひなたは、雑木林を抜けたところで足を止めた。
人工島の北部に広がる海が見える。丘の頂上だ。いつかとばりと星を見た場所。もう、何年前のことだったのかも忘れてしまったけれど。
地面にとばりを寝かせた理一は、静かに手を合わせた。だが、その別れもそう長くはない時間で、理一は黙々と土を掘る。ひなたも。
死んだ人間をひとり埋める。その労力は想像以上だ。火葬文化が効率的なシステムであると実感して、ひなたは辟易とする。
だから、人は簡単に死ぬのだ。死んだあとのことが、簡単に過ぎ去ってしまうから。
ひなたはひたすら土を掘った。
結局、国防局の人間は誰ひとりとしてひなたたちのもとには現れなかった。
深く掘られた土の中にとばりを埋める。死体を埋めるなんて、殺人犯でもめったにしない。まさか、こんな日が来るなんて思わなかった。ひなたは出来る限り、何も考えないよう手を動かし続けた。彼が死ぬなんて、思ってもみなかった。
「不死身のテロリストだって言ってたくせに」
とばりが足元に埋まり、完全に見えなくなった。ひなたは掘り返した土を再度盛ったせいで変色した地面を踏みつける。何度も、何度も。完全なる八つ当たりだとわかっていても、止められなかった。
「いつか、こうなってたさ」
理一はただ静かに海を見つめる。こういうときばかり、海は穏やかで憎らしい。
「いつか、親友はテロリストになったって?」
「ああ」
「いつか、戻ってきて、死んじゃったって言うの」
「ああ」
ひなたはついに踏み鳴らしていた足を止め、乾いた笑みをこぼす。自嘲の意味しか持たず、無様に漏れた息は潮風にさらわれた。
「バカみたい」
とばりに向けてか、ひなた自身に対してか。その言葉の真意は、呟いたひなた本人にもわからなかった。
中途半端じゃ何もかも失う。生きるか死ぬか、その二択しか選べない。
理一の言葉を思い出し、ひなたは息を飲む。こぼれそうになった涙を止めるために。
ひなたは国家を守る捕縛者なのだ。ひとりの命と国民の命。天秤はいつだって明瞭に傾いている。出来ることはただひとつだ。捕まえる。命を懸けて。
生きるか死ぬか、その二択すら選べなかったバカは、わたしだ――
「……りぃくん、行こう」
もう二度と、迷わないために。
ひなたは振り返ることなく足を進める。
小高い丘の上にひとつ、誰も知らない墓が出来た日だった。