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31.わたしの勝ちだよ

「ひなたちゃん」


 とばりのやわらかな声に、ひなたは目を開ける。

 夜が降りていた。霊園の奥、木々や草花にひっそりと紛れた小高い丘。海と夜景がチラチラと星のように輝いている。

 その中で、とばりはひとり座っていた。


「……とばり」

 ひなたは丘を登り切って、先客の隣に腰を下ろす。いまだに左足は重く、むしろこの足でここまで歩いてこられるなんて夢みたいだと思った。

 背中の痛みが思考を鈍らせているせいか、どうやってここまで来たのか、どうしてここにとばりがいるのか、まったく思い出せない。けれど、そんなことはどうだってよかった。

 とばりの黒髪は海風に吹かれ、毛先を宙に躍らせている。頬をくすぐる穏やかな薫風。潮の匂い。

 世界のすべてが、ここにあるような気がした。

「わたしの勝ちだよ」

 とばりの真似をして、ひなたは笑みを作ってみる。決して上手に笑えたとは言えなかったけれど、少しだけ気分がすっとして、悪くないと思えた。

「はは、残念」

 とばりは諦めたように笑う。ほんの少しの悔しさをにじませながらも、とばりはすでに負けを受け入れているようだった。そうなることを切に願っていたようにも見える。


 ひなたととばりの未来を賭けた勝負は、あっけなく三日で終わった。

 それでも、ひなたにとってはこの三日間が、いや、とばりと再会してからのおよそ一週間が、十八年の人生において最も長かったと言える。これから先も、おそらくこれより長い一週間なんて存在しない。世界がそう告げている。


国防局(こくぼうきょく)に戻ってきて」

「うん、わかってるよ。そういう約束だったしね」

「局長には、わたしから言う」

「厳しいお仕置きが待ってそうだなあ」

「罪は償うものだよ」

「そこは少しくらい同情してくれたっていいのに」

「理解はしてあげる」

 ひなたがきっぱりと言い切ると、とばりは今度こそ声を上げて笑った。

「まったく、ひなたちゃんらしいね」

「何が?」

「そういうところだよ」

 どんなところだ。ひなたはつい先日も似たような会話をした気がする、と追求をやめた。不服を表す視線だけはしっかりと送っておく。とばりはひなたを見ようとはしなかった。まったく性格の悪い。


 ひなたの視線を感じ取ったのか、とばりは

「そうだ」

 と話題を切り替えた。

「僕がいなかった三年の間、ひなたちゃんは何をしてたの」

 とばりとの世間話なんていつ振りだろう。世界掌握だの、誰を殺すだの。そんな物騒なことを考えずに話をするのは、それこそ三年ぶりではなかろうか。

 ひなたはようやく、とばりと幼馴染に戻れたような気がした。

「わたしは……」

 何をしていただろうか。国防局の仕事以外のことはあまり思い出せない。国を揺るがす大事件なんてそう何度も起こっていないはずなのに、仕事以外の日に何をしていたのかは記憶がすっぽりと抜け落ちている。

 とばりがいたころは、ふたりでゲームもしたし、映画だって見に行ったし、プリクラも撮った。買い物に行って、お気に入りの本を交換しあって、理一(りいち)や国防局の人たちを呼んでクリスマスパーティなんかもして。

 でも、とばりがいなくなってからは。とばりを探すために、国防局の仕事に勤しんだ。そうしていれば、いつかとばりと会えると思ったから。がむしゃらに、悪人と呼ばれるような人たちを捕まえていた。結果、とばりとは望まぬ再会となったけれど。


 ひなたが黙っていると、とばりが隣で

「国防局の仕事以外でね」

 と付け加える。そのせいでひなたはますます話すことがなくなった。沈黙を貫いていると、

「まさか、何もないなんて言わないよね⁉」

 とばりがびっくりしたように言う。ひなたは思わず顔をしかめた。それもこれも、とばりのせいなのに。その言葉を飲み込んで、仕返しとばかりにひなたは口を開く。

「……とばりは、何してたの」

「あはは、ひなたちゃん、ほんとに仕事以外は何もしてなかったの?」

「うるさい。とばりは何してたの」

 そっちこそ、テロ活動以外で答えてみろ、とひなたはとばりを睨む。

「うーん、最初は日本全国を点々と? 富士山も登ったし、北海道でマリモも見たし、あ、鳥取砂丘も良かったよ」

「はあ?」

「中国の広州で食べたチャーシューが最高だったなあ。ひなたちゃん、エジプトのピラミッドは死ぬまでに見たほうがいいよ。そうだ! 僕、アメリカでハリウッド映画にも出たんだよ。もちろん、エキストラだけどね。リオのサンバカーニバルも好きだったなあ。それから、シチリア半島のご飯も……」

 数える指が足りなくなるほどの思い出を話すとばりに、ひなたは信じられないと目を丸める。もちろん、あえて良いことだけを話しているのは明白だったけれど。

 とばりは少し考え込んで、

「でもね」

 と困ったように笑った。

「結局、僕は、ひなたちゃんが幸せになれる世界を考えてばっかりだったよ」

 つまり、それはテロ活動だろう。

 過去をつついてもしょうがない。これ以上は時間の無駄だ。ひなたが呆れをため息に混ぜ込むと、それを察したのか、とばりはカラカラと笑った。

「お互いさまだね」


 とばりは草の上に寝転がる。気持ち良さげに目を閉じたとばりは、すべてから解放されたみたいにリラックスした表情を浮かべた。

 とばりも、ひなたと同じく、世界の在り方を、自らの正しさを、与えられた力によって現れた選択肢を、悩み続けてきたのかもしれなかった。

 しばらくの無言。その間を埋める波の音や風の音が夜に満ちる。

 このまま、ずっと。ひなたはそう願わずにはいられなかった。

 だが。

「ねえ、ひなたちゃん」

 無情にも、これが最後だと世界は唐突に告げる。

 最後? 何が?

 ひなたは自らの心に訴えかけるその予感に大きく首を振った。胸をよぎった痛みを追い払う。

 まだ。

 ひなたは何かに願う。未来を。けれど、時間は待ってはくれない。ひなたには、とばりのような時間を巻き戻す力はない。できるのは、正すことだけだ。正しく刻まれている時間を、正しく見届けるだけ。

 とばりもわかっているはずなのに、それでも彼は終わりを告げる。性格が悪い。本当に悪い。

 彼は、悪い人だ。

 これで、最後だなんて。

 募る想いもむなしく、とばりがひなたに問いかけた。

「僕の命は正しかったと思う?」


 ひなたは、できる限りゆっくりと息を吸う。イエスかノーか。せめて、その二択では答えられない質問にしてくれれば良かったのに。最後まで文句が止まらない。でも。

「うん」

 ひなたは素直に答えた。正しくあるためには、そうするしかなかった。

 目を伏せ、口を結ぶひなたの隣で、とばりは信じられないとでも言いたげに肩をすくめる。

 もしも、とばり自身が自分のことを間違っていると思っていても、正しさを信じられなくても。ひなたにとっては、生きて、生きて、生きて、苦しんででも生きることだけが、唯一の正しさだった。

 世界は、生きるためにある。

 けれど、ひなたがそれを伝える前に、とばりが笑った気配がした。

「ありがとう、ひなたちゃん」


 今、とばりの笑顔を見たら、泣いてしまう。

 そんな気がして、ひなたは海を見つめる。交わらない視線。夜の闇がとばりの姿を淡く消していく。波の音がとばりの声をさらっていく。

 とばりが、いなくなる。


「……とばり?」

 ひなたはあたりを見回した。けれど、隣にいたとばりの姿はやはりなくて、ただ、夜だけが目の前に広がっている。

「とばり!」

 ひなたは声の限りに叫ぶ。

 とばり、とばり、とばり。とばり。

 けれど、彼はもう二度と、ひなたの前に戻っては来なかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 世界を正す力。彼女にとっての正しさではなく、本当に世界に必要かそうでないかという尺度で図られていそうな力。そこにとばりがいることは、出来なかったのでしょうか。そうかあ……。 ( 一一)
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