26.捕まえてみて
「そう簡単には殺せない、よっ!」
とばりは大きくバックステップを踏む。ひなたが肉薄したことで銃弾が止み、とばりにとっては逃げる絶好のチャンスだ。けれど、それはもう何度も見た動き。ひなたも同じ手には乗らない。ぶつかるつもりでとばりに迫る。重力を無視したとばりの爆発的な跳躍力まで計算に入れて。
「捕まえてみて」
とばりは体をひるがえし駆ける。からかうような彼を、ひなたと国防局の人間が追う。その間もひなたの後方から仲間たちの援護射撃がとばりを狙う。とばりはそれらを器用にかいくぐって人工島を縦横無尽に疾走する。三年前、とばりの背中にはまだ、目はついていなかったはずだけど。
一瞬の隙、とばりが街灯へ向かってジャンプした。ポールを両手で掴むと軽やかに体を回し、かと思えばひなたに向かって一直線、彼の足裏が飛んでくる。しなやかな飛び蹴りは理一が教えてくれたものによく似ていた。
かわす。ひなたは沈めた体をそのままに、アスファルトへ手をついた。とばりの着地点に回し蹴りを入れる。足をかけられれば体勢を崩せる。だが、とばりの反射神経か危機感か、どちらかが彼の体をひねらせ、ひなたの蹴りは空振りに終わる。
互いに隙が生まれる。ひなたもとばりも、咄嗟に後方へ下がる。
およそ二メートルの距離。顔がよく見える。とばりは楽しげな笑みを浮かべていた。自由を手に入れたみたいな、新しい世界を知ったみたいな、クリスマスプレゼントを手に入れた無邪気な子供みたいな。そんな笑みだった。
その表情は、いつかの訓練を思い起こさせた。
とばりは、いつ自らの能力に気づいていたのだろう?
彼と初めて戦ったとき、とばりの戦闘センスは壊滅的だった。理一の教えを完璧なまでにコピーするひなたとは真逆。いつも体をボロボロにしていたのはとばりだった。
ある日、とばりはコツをつかんだと言って、ひなたとの一対一を挑んできたことがある。
とばりが国防局から脱走するちょうど一年前のこと。十四歳の夏だった。
思い出を辿っている間にも攻防は続く。とばりの手から現れるナイフ。やはり、手品師にでもなった方がいい。ヘビのように空を切るランダムな刃を受け流して、ひなたはとばりの懐に入る。とばりの手首を掴めば今度はとばりがひなたの懐に入り込んできた。一歩。踏み出された瞬間にとばりの肘が飛んでくる。掴んでいたはずの手首が外され、ひなたは再び距離を取った。ひなたの影に入り、とばりは射線も切っている。簡単に銃は打てない。ひなたのイヤフォンには別の部隊が到着すると知らせが入る。三六〇度。とばりを包囲できれば、更に追い込める。
「さすが国防局、賢いね」
専用回線も傍受しているのだろうか。とばりはふっと微笑んで、ナイフをひなたに向かって投げつけた。一本ではない。二本。ひとつめの軌道に混ざり追撃するナイフをギリギリでかわす。だが、瞬間、視線を移動させられたと気づいた。顔を戻したときには、とばりの姿が視認できなくなっている。ひなたの口から舌打ちがついて出た。
「世界の理を壊す力……」
銃撃音によって彼の足音も聞こえない。ひなたは慌てて病院の方へ駆ける。
とばりの狙いは、最初から理一だ。ならばとばりの姿が見えなくなろうとも関係ない。
「病院へ向かって!」
ひなたが声を上げると、処理班の車が動き出す。待機していた班員たちは、とばりの痕跡を探しながら病院へと移動する。ひなたもまた、近くの車両に飛び込んだ。免許など持っていない。だが、ここは人工島だ。私有地として登録されている。ひなたがハンドルを握ると、車がポォンと呑気な音を立てた。
「認証、自動運転を開始します」
「マニュアルに切り替えて」
自動運転では最高速度制限がある。ひなたは短くペダルを踏みこむ。自動運転モードからマニュアルへとシステムが変更された。エンジンがうなる。理一の運転なら、隣で嫌というほど見た。レバーを引き、ハンドルをきる。
「急行する」
とばりも聞いているであろう専用回線へ情報を流す。逃がさない。その意志を込める。
ひなたは車を走らせ、他の仲間たちを追い抜く。広い車線横並びの車、ギリギリで車体を避けて直進する。途中で後方車両がばらけた。それぞれの道を行く。とばりを少しでも追い込むために、フォーメーションを変える。
とばりは車を使わない。おそらく、理というのは自らの体にのみ作用するのだろう。道具を使うとき、とばりはいつも姿を現している。
だからこそ、ひなたたちは彼を追い抜いて待ち伏せる。自分たちに都合の良いタイミングで仕掛ける。待機している処理班たちがとばりを先に見つけてさえくれれば、足止めの時間ができる。とばりが処理班に手を出せば、捜索班がすぐに場所を特定する。そうでなくても、この状況下ではとばりも自由には動けない。いくら世界の理を破壊し、自身の存在を消そうとも。ランダムに行きかう車の中を走り抜け、車が停まらぬ大通りに飛び込むには不死身でも難しい。一瞬でも傷をつければ、何かにぶつかれば、見えずとも存在を感じられるはずだ。
――とばりが病院にさえたどり着かなければそれでいい。
ひなたは病院へと続く十字路で車を乗り捨てた。とばりは必ずここを通る。世界が教えてくれる。とばりは、堂々とこの道を歩いて現れると。
十字路の真ん中、とばりを待つ。
イヤフォンから流れてくる情報ひとつひとつを精査しながら、ひなたの思考はとばりとの思い出を追想する。
十四歳の夏。とばりが、ひなたに初めて勝負を挑んできたあの日。おそらく、とばりが自らの能力に気づいた日。
とばりはまるで別人のようだった。地を駆け、空を舞い、飛び方を知った鳥のように自由になって笑っていた。今日のように。そうして、呆気に取られているひなたの手からやわらかいゴム製のナイフを奪った。直後、油断したとばりの手首をひなたが返して掌底を喰らわせ、投げ飛ばしたから、最終的に勝ったのはひなただったけれど。
思えば、あの日から、とばりは体の使い方を理解して強くなっていった。銃の腕だけは変わらず下手だった。世界の理を壊すと言っても、きっと自らの体から離れた銃弾を制御することはできなかったのだろう。
ダァン!
一発。ひなたは咄嗟に体を逸らす。
「やっぱりね」
自らの白髪が数本舞って輝くさまを横目に見つめ、ひなたは肩をすくめた。
イヤフォンから、とばりを止められないと情報が流れ続けていた。だから、すぐにでも再会すると踏んでいた。
とばりは、想像した通り、堂々と白線を踏んで現れる。
残念ながら、片手に銃を構えているところまでは想像に至らなかったけれど。
「今でも下手じゃん」
「三年で、ちょっとくらいはうまくなってると思ったんだけどなあ。ひなたちゃんにはまだまだ及ばないみたい」
「それは良かった」
上がった射撃の精度を披露するように、ひなたの後ろを守っている車のタイヤが撃ち抜かれていく。とばりの銃弾を避けながら、ひなたはとばりへ向かって走る。
止められるのは、ひなただけだ。
「ひなたちゃんは昔から銃が得意だったね」
「とばりの得意技はナイフでしょ? どうしたの」
「能ある鷹は爪を隠すって言うでしょ?」
さっきはナイフを投げつけてきたくせに。ひなたはその言葉を飲み込んで、背中に隠された銃を引き抜く。これではとばりを殺せない。だが、だから都合がいい。
もう迷わない。
ひなたは射線まっすぐ、目の前に迫ったとばりへ向かって引き金を引いた。