第1章 婚約破棄された公爵令嬢 3
前回のあらすじ:フィーアさんからサボ第二王子に婚約破棄されたという過去を聞いた。
8月が終わってしまいました。けれども、夏は終わってない……はず。
町の郊外に設置されたほどほどの大きさを持つ空き倉庫。ウェスタン家所有のその倉庫の中で俺は目の前に置かれた"火薬"を眺め見ていた。俺の斜め後ろではウェスタン家の執事であるセバスチャンさんが直立不動で俺の一挙手一投足を観察している。
フィーアさんに火薬の取り扱いに関する許可をお願いしたところ、「前向きに検討する」という回答が返ってきた。日本においてこの返答はどちらかというと否定を意味する言葉であるのだが、フィーアさんは本当に前向きに検討してくれたらしい。
この世界でも火薬はやはり危険物の取扱になるということで、簡単な試験を受けることになった。これに関しては、日本で花火師を志すために勉強していた俺にとっては簡単な問題ばかりだった。何なら、扱いに関してはこっちの世界の方が甘いようで、「そこまでしなくても」と試験官に言われてしまった。
事故を起こした場合、許可を出したウェスタン家の責任になる可能性があるので、フィーアさんの父親であるベンさんが監視のために送ってきたのが執事のセバスチャンさんということだ。
あまり時間がないので、さっそく準備に取り掛かる。まずは、異世界の火薬が元の世界の火薬と同じものなのかを確認しなくては。
俺がせっせと作業する中、セバスチャンさんからの視線が背中に突き刺さる。非常に気になるものではあるのだが、きちんと集中していないと危ない。俺は目の前の火薬の方に集中を向けた。
作業がひと段落したので、俺はぐぐっと背を伸ばす。
まず、この世界の火薬についてだが、ほとんど日本にある火薬と同じような成分であるということが分かった。おそらく硝石、硫黄、木炭が混合された一般的な黒色火薬だ。そして、都合の良いことにこの黒色火薬というのは日本で今でも"花火"の原料として使われている。
この火薬であれば、花火を作ることはできそうだ。ただ、花火に色を付けるための発色剤、つまりいろいろな金属の粉末については今のところ手に入っていない。だから、日本の色鮮やかな花火を最初から作るというわけにはいかなさそうだ。
「ヒカル様は何を作ろうとされているのですか?」
背後から声がかけられる。俺が作業している間、離れることなくじっと監視を続けていたセバスチャンさんだ。俺はセバスチャンさんの方に向き直る。
「俺の世界にある"花火"というものです。なんて言ったらいいんだろう。……爆発を使った芸術作品とでもいうんでしょうか。」
「それは興味深いですね。全く想像がつかないんですが、それはどのようなものなんです?」
花火というものが存在しない世界で花火を説明するのは意外に難しい。特に、火薬が主に兵器のために使われているとしたら、どうしても攻撃的なイメージがついてしまっているだろうから。
「芸術といっても敷居が高い物じゃありません。上空で色とりどりな爆発を起こすんです。それをみんなで見て楽しんだり。祭りの時に打ち上げて祭りを盛り上げる役割なんかもあります。」
「"ハナビ"……。私には全然想像がつきませんね。ヒカル様はそれを作る職人なのですか?」
「いいえ。俺は単に、その職人の孫というだけです。いずれはその職人になりたいとは思っていますが。」
まだ未成年の俺にはじいちゃんの手伝いすらさせてもらえていない。まだ火薬を取り扱う資格すら取れていないのだから当然なのだが。この世界では火薬を扱うのに特別な資格は必要ないし、年齢の制限もない。そういう意味ではこの世界で火薬を取り扱う経験を積めるのは大きいかもしれない。もちろん安全第一。絶対に爆発事故など起こさないようにしないと。
「なぜ"ハナビ"職人に?」
「それは話すとちょっと長くなるかもしれません。」
俺は頭をかく。それは俺が物心つき始めたころまで振り返らないといけない。しかし、セバスチャンさんはぜひとも聞いてみたいという有無をも言わせない雰囲気を醸し出している。その雰囲気に後押しされて、俺は話し始めた。
俺がまだ幼いころ、交通事故で両親を亡くした。家族で夏祭りに行こうとしていた最中だった。奇跡的に軽症で済んだ俺は両親の死を受け入れることができず、涙が枯れて疲れ切って眠ってしまうまで大声で泣き続けた。
父の兄弟が手配してくれた葬式。その会場でも、俺は泣き続ける。すでに声は枯れてしまっていたので、しくしくと目を真っ赤にはらしながら。葬式も終わりに近づいてきたときに、ある会話が聞こえてきた。
「僕だって子供を一人引き取るだけの余裕なんかない。自分の子供だってまだなんだぞ!」
「私だって無理よ。まだうちの子は3歳なのよ!長男である兄さんがやればいいじゃない!」
「無茶言うなって……。俺には二人子供がいるし、家のローンだってまだ十年以上残ってるんだ。それなら施設に預けた方が……。」
それは俺の押し付け合い。兄弟で誰が俺を引き取るのかについての議論。そして、誰もが俺を引き取りたくないと思っていたことを知って、「自分はいらない子なんだ」とそう思った。
俺を大事にしてくれた両親はもういない。他の誰も俺のことを大事になんて思っていない。
俺は葬式会場の隅っこに座り込む。もう、誰にも話しかけてほしくない。
もう葬式も終わる。そんなときにやってきた影が一人。葬式にやってくるような恰好ではない。明らかな仕事着といった装い。ずかずかと入って来て、両親の棺の前に立ち、手を合わせ始めた。
「と、父さん!?確か今の時期は繁忙期だから来れないんじゃ。」
「……息子の葬儀くらい来るさ。」
そう。それは父方の祖父。花火職人をしており、夏祭りが多いこの季節は忙しいなんてものではなく来られない可能性が高いと言っていたそうだ。その場にいた兄弟全員が驚いていたのは、あまり家族のことなど考えていなさそうな、仕事一筋の職人気質だと思われていたからだ。
祖母が亡くなってからは俺も会っておらず、ほとんど顔も覚えていなかった。
意外な人物の登場で少しざわついたが、そのざわつきはすぐに収まり、再び俺の処遇をどうするか議論を始めるのだった。
それを聞いた祖父は部屋の隅にいた俺を見つけ歩いてくる。
「光、うちに来なさい。」
その声色は有無を言わせぬ感じだった。どうすべきか議論していた兄弟たちも渡りに船といった感じで賛成し、俺は祖父に引き取られることになった。
俺は祖父に引きつられて河川敷を歩く。もっと小さい時に祖父の家に行ったことはあるはずなのだが、全く記憶にない。涙をすすりながら、祖父の荒れた手をしっかりと握って歩く。
祖父が時計を見て急に立ち止まった。道を外れ、河川敷に座り込む。俺は疑問に思いながらも、隣に座り込む。
その頃俺は、祖父の仕事のことを知らなかった。ほとんど会っていない祖父のことを全く知らないのも当然なのかもしれない。
「光。"世界で一番大きな花"って何か知っとるか?」
祖父の質問に俺は答えない。いや、答えられない。ただ悲しみに明け暮れて涙を流すだけ。
「図鑑にはラフレシアっちゅうもんが"世界で一番大きい花"って書かれとるらしいが、それは間違いじゃ。顔を上げい。」
祖父は俺の頭をつかみ、無理やり顔を上げる。その瞬間、夜空に"世界で一番大きい花"が咲いた。涙でにじんでいたからだろうか、その"花"はよく見えなかったはずなのに今まで見たどんな花よりもきれいで美しく見えた。
「あの花火はわしが作ったもんじゃ。日本には死者に花を手向ける文化があっての。わしはあの"花"を光の両親に手向けることにしよう。来年も、再来年も忘れることなく、"花"を手向けよう。……それを一緒に見よう。」
自然と俺の涙は止まっていた。いつの間にか、続けて打ち上げられている花火に俺は魅せられていたのだった。
そして、俺は決意した。いつか、俺もこの世界で一番大きくて、最も美しいこの"花"を両親に送ろう、と。
第1章3話いかがだったでしょうか。実は自分はまだ葬式の経験がなく、葬式の流れなどよく知らないのですが実際のものと異なっていたら申し訳ありません。光の過去はこの作品で最も書きたかったシーンの一つです。