89話 魔境イヴォル
「聞き間違いではないな。最後に再度確認させてもらおうか」
それを口にしたのは、厳格な声色、偉大なる者。その声に対し、氷の女は頷く。この場はいるだけで潰されるような威圧感と、声を聞くだけで切り傷が出来そうな空間だった。
「現在は北部の一都市であるリューナ=イヴォルは王国として独立し、我が宰相派と女帝派の両方から中立の立場となる。間違いないな?」
現在の女帝派は、リューナ=イヴォルが勢力の多くを握っている。それを中立の新勢力に出来るのだ。
「怨恨の憑魔の討伐協力を条件に、アムドガルド領の支配権の譲渡もお忘れなく。王国となる以上いざこざは起こしたくないのでーー」
重圧に臆することなく刺すように述べた。
「構わない。そちらの干渉さえなくなれば女帝派など敵ではないからな」
「今回もあくまで雑談。誓約書に血判は押しませんが、それでもよろしいのですか?」
「我々だけの話だからな。お互いの方針の確認というやつだ。何より娘のせいで気が変わって死なれては、こちらも困る」
「そうですか。それでは確認は取れたと思うので以上です。失礼します」
リオナの大伯は、帝国の会議室を後にした。
◆
「そろそろだな。降りた方が良い」
師匠は短く述べた。
(ちぇっ、面倒ね。まあ、当然だけど)
サキすら理由を知っているようで、諦めるように言った。
「イヴォルまで一気に飛んでは向かえないのですか?」
「この空を見てそんな事が言えるとは、一度雷を浴びた方が良いかも知れんな」
(夜でもないのにこの暗さ。雲の色。わかるでしょ?)
線を引いてまるで別世界みたいに、今までの雲行きとは全く違う黒い雲に覆われている。そのほぼ全てに雷が走っている。
「そうですよね……無駄な事聞いてすみません……」
「赤いのは当たりが強すぎるんだゾ。オレだって何が起きているかわからないんだゾ」
僕が謝ると傷ついているように見えたのか、パロも同じように聞いてくれた。
「この先は空の王の領域だ。しかも活発に活動している時間帯のようだな」
「空の王……ですか?」
「空の王ーー雷の鷹の姿をしていると言われているが、実際には見た者が少な過ぎてわからない。空を飛ぶ生物を食料とし、雷を落としては配下としている他の鳥類の魔物に餌を運ばせているというイヴォルを魔境としている魔物の一体だ。因みに海の王、陸の王も存在するが、相手にしないことが一番だ」
必要ならと師匠は解説してくれた。
「今は見張り……というか運び屋の魔物が見えないから通るだけなら大丈夫そうね」
「それでも地上を駆け抜けた方が危険は少ない。そうすることを提案する」
師匠は全員を見渡す。全員頷いた。
「流石魔境と呼ばれているだけはあるんだゾ。ティマルスに負けじと強力な魔物が蔓延っているって良くわかったゾ。皆教えてくれてありがとうだゾ」
そうパロが言って空気が和やかになった途端、ラドが手で静止する。
「空でなければ危険がないわけではない。むしろ数なら陸路の方がーー早速来たぞ」
毛むくじゃらで長い爪を持つ魔物が三体、目すら毛で隠れて見えないが、向き合ってしまった。
「大魔猿、中級魔物の中でも強敵か……! セレーナ! 頼む!」
そう言いながら師匠は向かってきた一体の爪攻撃を二、三度風の剣で受け止める。すると後ろの二体が爪をゆらゆらと揺らしてきた。
「完璧だ!」
そう言いながら風の剣を毛むくじゃらな胸部に斬りつけた。
「グオオオオオオオオオオ!?」
悲鳴を上げると後ろから回復魔法がかかり、傷を致命傷から塞ぐ。
「僕も加勢します!」
「止めておけ」
そう言って飛び出そうとしたところをラドに引っ張られる。師匠がもう一撃を入れた瞬間、
「グオッ、ギョエエエエエエエエ!!」
大魔猿は叫び声を上げながら背を向け、三体とも逃げていった。どうやら勝ち目がないと悟ったようだ。
「セレーナが体調を崩す魔法を防いだ時点で勝ち目がないと悟らせることが出来た。武者修行でもない限り、逃しておけば良い」
(なるほど、そういう方法があったわね。回復魔法まで使えて面倒そうな敵だったし)
「でしゃばってすみませんでした。ラドさんが正しかったです」
ラドは頷くと、歩みを進めていった。そして師匠に斬らせて逃す方法で、イヴォルまでかなり近づいてきた時、金属を擦るような鳴き声が聞こえた。そして僕たちを見た瞬間それぞれが飛びかかってきた。
「こいつらはかなり飢えているぞ……!」
姿を現したのは四体の三頭獣の群れだった。
「皆、力を貸してくれ」
「はい! 僕もいけます!」
「レノン、お前は前に出るな!」
「代わりにオレがいくゾ!」
ラドがそう言うと、師匠、ラド、セレーナがそれぞれの技で一撃で獣の三つの頭を貫いた。
「上級魔物の格の差を見せてやるゾ!」
三頭獣の足元に魔法陣を出現させ、球体のような風の刃で切り刻んだ。
(オウムって上級魔物だったのね!)
「す、凄い……」
その活躍を見ると、自分では強くなったつもりでも、僕の実力は他の皆と大きく離れていることを気付かされるしかなかった。
(私だったらあの人達にも負けないのになー)
「その通りだよ……」
(珍しい反応ね)
反論されるとでも思っていたのだろう。僕がそう呟いたのを聞いて、
(あの幻の竜で消耗していたから皆気にしているのよ。今は休ませてもらいましょ)
サキはそう言うが、師匠とセレーナという世界でも最上位の治癒魔法使いのおかげで今はもう戦えるくらいには癒えているはずなのだ。訓練も含めて戦わせてほしかった。
「レノンは後ろで魔法を使う役割だから無理に前に出なくて良いから、これで良かったんだよ」
フラウもそう言ってくれたが、疲弊したのは皆同じだ。後衛なら後衛の仕事をーーやっぱり僕はまだ弱くて足手まといとしか思えなかった。
そんな風に気持ちは落ち込んでいても時間と足は進む。僕達はイヴォルの門の前まで来た。
「お疲れ様です。ティマルスの指揮長殿から話は聞いており、我が君主からも許可が降りていますのでーー」
「君主って……シーザー様からですか!?」
フラウは食い気味に聞く。
「はい。シーザー・ダグラスイヴォル辺境伯からです。その為、パロメディス様も特例措置として認めます。ゼクシム様も旧友なので速やかに城内に迎えるようにと言われております。許可証をお渡ししておきますね。それではどうぞ中へーー」
こうして僕達はイヴォルの街に入っていった。




