87話 願いへと続く道(前編)
「我が森の者、そして帝国からの支援者、感謝の意を示そうーーよくぞ成し遂げてくれた」
巫女はいつもより気持ち低めの声で言った。その横には巨大な木のようなーー首が一つ。
幻の竜の討伐を成し遂げた僕達を、獣王が直々に命令を下して神殿の中に招待してくれたのだ。指揮長は全快していないからと渋ったらしいが、それでも会いたいと言ってくれたという。
巫女は彼の言葉を僕達に伝えてくれている。
「獣王様との謁見が叶った上、そのようなお言葉を頂けるとは恐悦至極でございます」
僕達は跪き、セレーナが代表して述べる。アゲートとの戦いを経て大怪我とは聞いていたが、正直首から上しかない姿だとは思ってもいなかった。しかし一目見ただけでこの方が獣王だと理解してしまうような風格でーー
「面を上げよ。そして案ずるな。我は肉体こそ欠けど、自身の存続と我が森の維持に問題はない」
(それなら、良かったわ。心残りなく旅立てそうね)
「最後の雷、良かったのか? 結果として草木を消し飛ばす事になったが……」
「し、師匠!?」
「おい、ゼクシム! 獣王様の御前だぞ。礼を尽くせ!」
師匠は立ち上がり、獣王に問う。ラドが焦って指摘するが、彼は変えようとはしなかった。
サキもいつも通りの口調だし、この状況で、この師弟は気にならないのだろうか。僕達は息を飲む。そして続く言葉を待つ。
「許す。声を荒げるな。我は獣王、平穏を守護する者。我が森の草花や木々は我の現し身。再会の約束さえ交わせば許してくれよう。しかし民は一度失えば再会は叶わぬ。アゲートに遅れを取り、多くの民の命が失われた。今なお我が加護の元にある全ての民への、せめてもの贖罪である」
「そうか。その活躍で創作の蛇神の実現が完全な形で叶った。民を守護する結果に繋がったし、俺達も助かった。感謝する」
彼は伝え終えた後、頭を下げた。獣王はその行為を最後まで見守り、
「しかと受け取ったーー」
と伝えた。
「獣王様はお怒りになられていないのでその点も安心して良いですよ。元々気になさらないですし、彼も会うのは二度目ですから」
「そ、そうですか……寛大なる対応ありがとうございます……!」
(怖がっていたの? そんな下らない事で獣王は怒らないわ)
「それはそうとして、ゼクシムには後でお話があります。輝の森に行く途中にでも時間を取りましょうね」
巫女は笑顔でそう言って、
「了解した。どんな重大な内容でも耳を塞がずに聞こう」
彼も悪びれず淡々と答えた。
「我が招集した理由は感謝の言の葉を捧げるためだけではない。汝等に伝えなければならぬ事があるーーかの少年の処置である」
表情、声調変わらずに獣王は述べた。
(イリューゲの事ね)
(う、うん……)
一瞬不安がよぎったがーー
「かの少年は我が森で預かる。巫女ーー私が責任を持って保護します」
「ーーそれなら安心です。お願いします」
「我は連邦の王、如何なる種族であろうと民と迎え入れる。我は守護の憑魔、民を護る事こそが存続理由である」
その言葉に巫女、導師、指揮長は頭を下げた。
「して勇敢なるメイジスの騎士よ。汝等の活躍、素晴きものであった。守護する立場としてその苦難は承知している。故に先程も言の葉だけではないと伝えた通り、我は報酬を与えなければならぬ」
「勿体無きお言葉。その言葉のみで他の何にも変えられぬ報酬でございます。それに我が主と巫女様の間で契約を交わしており、報酬は既に頂いておりましてーー」
「騎士。その謙虚さは帝国において美徳とされるやも知れん。しかしティマルスの王たる我は、加護を与え、守護し、見守る者。望むがままに願い、受け取るが良い」
「し、しかし!」
「では獣王、俺が今、最も欲するものを乞うとしようーー」
「ゼクシム……! お前まだそんな……!」
全員が師匠を注目する。
「憑魔について教えてくれ。具体的に述べると、魂の移し方ーー魂が一度離れてしまった者の身体に戻す方法を知っていれば聞きたい」
「師匠、それってーー」
(……私に関する事ね)
言葉を聞いた獣王は、
「かの少女の事か」
僕の方を見ながら言った。サキの事を認知しているようだった。
「彼女の魂の事……分かるんですか?」
「我は憑魔であるが故、それが見える。前は二人が並んでいた事も覚えておる。何があったかは分からぬが問わぬ。そして残念だが我は汝の願いの助けとなる手段を持たぬ」
「……そうか」
残念そうに師匠は答えた。
「我は生者を守護し、癒す事で死から護る。しかし死者に干渉する事は叶わぬ。我が憑魔となったのも大戦後に自然と偶然が重なった末の出来事故、汝が見て、求める憑魔とは異なる」
「僕達と知っている憑魔と異なる……ですか?」
「憑魔に関する事ならどんな小さい事でも何でも良い! 頼む! 教えてくれ!」
師匠は立ち上がって一歩前に出て言う。
「ゼクシム、落ち着いて……!」
「だが!」
「メイジスの女の言う通りだ。我は逃げぬ。声を荒げるな」
「……そうだな。すまなかった」
セレーナに止められ、獣王の言葉を聞き入れ、一歩下がった。
「憑魔ーー強い同種の感情を持つ生物が長い期間集中し続けた結果、その発露した感情が魂の形を成して物体に憑依して出来た存在。ここまでは知っておるか?」
「細かい定義は分からないが、大体同じような認識をしているつもりだ」
「我の場合、ティマルスを成す前の森の魔物達が、古代大戦の時に抱いた守りたいという感情を発端として誕生し、今も継続して供給されている故、尽きず存続している」
「怨恨の憑魔が恨みの感情といったように、他の感情でも起きうるという事か……」
「では憑魔に必要な魂の鎖について教えてください。確かその鎖で魂を繋ぎ止めているとーー」
僕が獣王に尋ねる。
「我は魂の鎖を使用せぬ。そこが汝等が知る憑魔との差だ」
「憑魔なのに鎖を使用しないのですか!?」
驚きを隠せず声に出してしまう。周りの人も驚いているようだった。
「汝は元来の憑魔の定義を理解しておらぬ。憑魔とは先程の条件の時に自然発生するもの。雨や地震のようなものに等しい。それを鎖を用いて繋ぎ止めるという事は即ちーー」
「魔法で雷を落とすように、意図的に憑魔を作り出していたという事か」
「如何にも。メイジスは魂の鎖という特殊な魔法を編み出し、人為的に憑魔を作り出したのだ。だがそんな事が出来る者はそうそういない。当たりをつける事も可能であろう」
「教えてくれ。その口ぶりから分かっているのだろう?」
(やっぱりサキなんじゃないの?)
(違うから! 魂の鎖はあの時初めて使ったし、真似しただけって言ったでしょ!)
まあそうだとは思うけどーーふと疑問に思う。
(誰の真似をしたの? その人が憑魔を作ったんじゃないの?)
(えっと、えっと……それは……)
彼女は言葉に詰まっているとーー
「現実を見ればそこの魔女も可能であった事になるが、我が知る範囲では、一人しかいない」
「その人物とは?」
表情を険しくした後、
「アゲートである」
と答えた。
「アゲート! こんなところでまでその名が……!」
「汝等も既に見知っていたか。人の身でかの者に目をつけられるとは、称賛に値するが、同時に難儀であるな」
「……獣王様も戦ったと伺いました」
「ーー如何にも。我がこの姿と成り果てたのも、アゲートとの戦いが原因だ。竜が出現した際、我が出ればやつも出現する事は承知していた。ただやつは強者のみを狙う。我のみが戦い、勝てると踏んで出た。しかし、あれ程長くなるとは想定していなかった」
「一週間大戦……」
「我とやつは果てるまで休む事なく戦い続けた。引かせる事は叶ったが、我はこの様だ」
見下ろして自分の身体を見て言った。
「だか故に、俺達の前に現れたあいつは魔力を使い果たし、弱り切っていた。あなたは、俺達を守ってくれた」
「私には随分余裕がありそうに見えたけど……」
セレーナは余裕がありそうと言った。しかし、ティマルスで会ったアゲートは、師匠の魔法が通用していた。サキの杖から魔力を得る事が出来ないと言っていたし、あれでも弱っていたのだろう。
「強いのは当然だ。かの男こそ古代大戦指折りの名将。境界線の守護者であるだけでなくーー現在も残る『ルムンの結界』と『魂の鎖』の発案者の器を持つのだから」
「古代大戦の名将……! かのルムン領主と名前が同じだけではなく、同一人物なのですか?」
「我は戦時中のあやつも知っておる。同一の身体である」
ラドの質問に淡々と答え、
「ルムンの結界は封印する時に帝国が使用したものではなかったのですか?」
「ルムンの結界は使用者しか解く事が出来ぬ。それは発案者でも例外ではなかったという事であろう」
セレーナの質問に間髪入れずに答え、
「千年前と同一の身体ーー『器』という表現を使用していますが、では一体、どこが違うのですか?」
「大戦時とは中身、即ち魂が異なるーー奴もまた、憑魔である」
「やはり、人間ではなかったか……」
「それで、アゲートは何の憑魔なんだ?」
これまで即座に答えていた獣王が、黙った。
「獣王様……?」
巫女が不思議そうに彼の方を見る。そしてーー
「我には分からぬ」
そう答えた。
「我は憑魔。生きる者と感性を異にする存在。我ら憑魔は魂ーー即ち元となった感情が持つ衝動がまま、それを果たすためだけに行動する。それに生きる者が名を与え、我はその名を語るに過ぎぬ」
「つまり、守護、怨恨は他者に呼ばれているから知っているだけで、直接憑魔の元の感情を読み取る力はないという事ですね」
「その認識で差異ない」
角を揺らしながらゆっくりと頷いた。
「あれは普段どこにいる? 俺は、あいつを追わなければならない……!」
「詳細は分からぬ。だが、ルムンを根城にしている可能性はある」
「だが、ルムンは封印されて……そうか。空間を裂く魔法か」
「あっ、確かにそうです! その魔法さえあれば封印結界を壊さずに中と外を出入りの可能かも知れません!」
「でもゼクシムーーそれって、私達は追えないって事よね……?」
「……そうだな」
悔しそうに握った拳を下ろした。
「アゲートは我と同時期ーー千年以上前に発生した憑魔であるが、我が知る限り、活動が見られたのは最近だ。故に我が特段詳しいわけではない。力になれず、残念に思う」
「……いや、助かった。お陰で憑魔について大分理解が進んだ。感謝する」
「色々話してくださってありがとうございます! とっても助かりました!」
僕達は感謝の意を示すと、少し優しい顔になった。
「そう言ってもらえると少しは気も晴れよう。此度は我が森を救ってもらって助かった。また会う日を願う」
「こちらこそ危機迫る多くの命を救う事が出来た事に喜びを感じます。獣王様との対談を含め、多くの事を知る事が出来ました。感謝致します」
お互いに感謝の言葉を述べ、頭を下げた。
「ーーでは以上で宜しいですかね?」
「はい」
彼女の言葉に全員が頷いた。
「獣王様、これで失礼致します」
巫女の言葉に再度礼をした僕達は王の間を、そして神殿を後にした。
「兄ちゃん達帰ってきたー!」
「お、本当だ」
「思ったより長かったから心配したゾ」
イリューゲとザック、パロが僕達を見て言った。
「皆様神殿まで来ていただいてありがとうございました。騎士の皆様は絆の森に戻っていてくださいーーザック、バロン、案内は任せて良いですね?」
「お任せください」
バロンも頷いていた。
「では私達は輝の森へ行くので、一足先にこれで失礼しますーーそれではゼクシム、覚悟は良いですか?」
「ああ、分かっているさーー飛んでいくか? 抱えて行けばすぐ着くぞ」
「……本当に分かっているんですか?」
「忙しいのだろう? よし、行ってくる。また後で会おう」
「ちょっ! お願いするとは言ってないですってー!」
叫び声も一緒に飛んで行ってしまった。
「まったく最後まで騒がせてばかりだ……どうするか? 騎士団に置くにしても、首輪でも付けておかないとアメリア様に許してもらえないぞ」
「騎士団じゃなくても、リューナで暮らせるように頼んでみようと思うわ。骨は折れるでしょうけど」
ラドは溜め息を吐き、セレーナは困ったように言った。それでも二人は来たばかりとは打って変わって明るい声で、その表情もどこか嬉しそうだった。
「オレ達も行くか。ではまたな。見送りは行ってやるーー行くぞパロ!」
「了解だゾ!」
そして彼らも飛んでいく。
「導師様、ありがとうございました!」
僕を見た後に目を閉じると、導師も去っていった。
(導師は相変わらずね)
(きっとそれで良いんだよ。そう接してくれているだけで)
戦いの時は機敏に駆け回る導師が、ゆっくりと歩いて帰る様を見ながら僕は言った。
「では、私達も帰りましょうか」
セレーナが呼びかけて、
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
まずは二人が乗り、
「お願いしますね」
彼女もバロンに触れてそう語りかけ、馬車に乗った。最後に僕も乗り込んだ。
「全員乗りました。お願いします!」
「よし、発進だ」
僕達は為すべきことを全て終え、絆の森に戻っていった。
◆
「勝手な事を言っているのは分かっている。本当にすまない。許せとは言わない……だが俺は、族長代理を辞める」
「キュ、キュー……」
輝石獣達を集めると、ゼクシムは申し訳なさそうな顔で言った。その顔を見てか、彼らも不安そうな顔をしている。何かを感じ取っているようだ。
「ーーこほん」
(巫女様だ)
(巫女様が話される)
私は注目を集めるためにわざとらしく咳払いをしてみる。その音を聞くと、彼らは私の方を向いた。
「(皆様にお伝えしたい事があります。この度ゼクシムーー輝の森族長代理は、旅に出る事になりました)」
「キュキュッ!?」
「キュイッ!?」
騒然として顔を見合わせる。
(何故ですか!?)
(族長を失い、多くの犠牲が出て次を担う者も決まっていない、ティマルスの危機は去っても依然メイジスに狙われ続けます!)
(私達はどうしていけば良いのですか!)
私には伝心で様々な声が聞こえてくる。彼らにとっては死活問題。悲鳴のようなものだ。それだけゼクシムの強さと優しさ、竜を打ち倒したその実績から来る安心感は大きかったのだろう。
「キュ……」
一匹の輝石獣が彼の足元にまで近寄って上を向いて顔を見る。その様子を見てーー
「……だよな」
しゃがんで目線を近づけると、小さく呟いた。
「(私も残念です。彼が居てくれたお陰でこの森は無事だったと言っても過言ではありません。もし居てくれれば今後如何なる敵が現れようとも、救ってくれるでしょう。ですが……どうか、分かってもらいたいです)」
(ですが……)
暗い顔をする輝石獣にも私は諦めずに続ける。
「(彼は、今は亡き恩師に恩を返しに行くのです。このティマルスに来て族長代理になった時から、そのもっと前からずっと心残りだった事なのです。ですが今、ようやく進展しかけているんです。私は彼と恩師が一緒に過ごしている時を知っています。だから彼を応援してあげたいと思っています。どうか皆様、彼を応援してやってはくれませんか?)」
(……また、来てくれますか?)
「ゼクシム、また輝の森に寄ってくれますか?」
「ああ、勿論だ。ここが俺の居場所として許してくれるなら、また来たい」
(居場所として認めてくれるのであればまた皆様に会いたい、そう彼は言ってくれていますよ)
私は彼の言葉を伝える。
(私は……応援したいですーー)
彼に近づいた一匹が言った。
(多分、ゼクシムは行くよ。それを止めるのは違う。それならせめてまた来やすいと感じるようにしようよ。皆で背中を押して見送ったら、きっとここは帰りやすい場所になるよ! 巫女様も、導師様もいる。獣王様も私達を大事にして下さっている。それなら、私達も頑張ろうよ!)
(確かに……)
(辛いけどーー)
(辛いのは、ゼクシムも同じだよ)
皆はゼクシムの顔を見る。
(分かった。応援しよう)
(応援する!)
そして前足を挙げてそう言ってくれた。
「外に行くのを応援するって言ってくれていますよ」
「ーーありがとう。ここに過ごさせてもらった恩は忘れない。また会いに行くと誓おう!」
「(彼もありがとうって、また会いに行くと言ってくれていますーーでは最後に皆でご飯にしましょうか)」
「機会を設けてくれるのか」
「勿論です。ですので、お互いを、忘れないようにしましょうね」
「キュー!」
(やったー!)
その案に彼も含めて皆喜んでくれた。そして全員で準備して最後の食卓を囲んだ。