82話 消えない幻
「竜がまた、現れる」
師匠はそう言い残した。魔力を察知したのか、すぐに僕を置いてどこかに行ってしまった。
嘘だろ。そんなの嘘だ。だって僕達は、しっかりと討伐したはずだ。逃してなどいない。皆がこの目に納めたはずだ。それなら一体、この騒ぎは何なのか。
「逃げろおおおおおお!」
「来やがった! ついに絆の森にまで来やがった!」
「なんでだよ!? 倒したんじゃなかったのかよ!」
逃げ惑いながら会話する人々の声がする。何匹もの狼が地面を蹴って逃げる音がする。
「おいメイジス! まだ生きているじゃねーか! 本当の事を説明しろよ! この大嘘つきが!」
「うぐあっ……!」
一人の男が僕の肩を強く掴む。それだけで激痛が走る。
「うわあ!? ちょっと触っただけで身体に血が……! なんだこいつ!」
「何やってんだお前! そんな事より早く逃げるぞ!」
「メイジスだろ!? 頼むからどうにかしてくれよ……!」
そう言い残して男達も走り去っていく。僕にはそんなに速く走る力も残っていないのに。
(本当、勝手な奴らーー傷口が開いているわね……痛む?)
「ちょっとだけね。でも、行かなきゃ……」
僕は杖を握り直し、人と狼の流れに逆らって進む。
(ねぇ、行って何になるの? こんな状態じゃ危ないわ。戻りまーー)
「だって……! 倒したんだ。皆で力を合わせて、何とか倒したんだよ? それなのに、それだから……!」
きっと嘘だ。何かの間違いだ。何かが暴れているとしても、それは幻の竜ではない。だとすれば、師匠が、守護騎士の二人が、導師が倒してくれる。だから僕は、何が暴れているのかをちょっと確認するだけだ。それだけで終わる。
僕は歩き続けて人の波から離れ、見通しが良いところまで辿り着くと空を見上げる。
「ーー嘘、だろ……?」
これは夢だろうか。そうでなければ、幻でも見させられているのだろうか。僕が見たのはーー
師匠が頭上から一撃を加えるも傷一つもつかない化け物の姿。騎士が扱う上級魔法に匹敵する程の炎を吐き、一面に絨毯が敷かれたような真っ赤に染める。
(あれで傷つかないなんて……やっぱり、こいつは……!)
幸いセレーナが防いだため、全員立っていられる。だがサキの考える通り目の前のこの化け物はーー
「幻の……竜だ……」
目の前のそれは確かに、あの時倒した竜の姿そのものだった。
(ど、どうすれば……?)
思考がまとまらない。何故あの竜がここにいるのか。今僕に出来る事は何だろうか。
(ゼクシム達が戦ってくれているから、すぐ焼き払われておしまいなんて事はないと思うけど……)
しかしそんな謎も、サキの言葉も、後から降ってくる謎に頭を埋め尽くされた。
(ーーどうすれば、あの竜を倒せるんだ?)
竜を倒す決定打はーーもうない。何故なら、最後の手段としてサキの力を借りて、身に余る威力の魔法を使って、ようやく倒せたからだ。サキの杖はもうないし、僕ももう戦えない。もうあの魔法は再現出来ないのだ。
ーーなのに、なのに何故、あいつだけ倒す前の万全の状態が再現されているんだ。その光景が信じられず、指を噛んでみる。
もしかしたら今、夢を見ているのかもしれない。それなら目覚めてほしい。こんな悪夢は見たくない。
もしかしたらあの時、夢を見ていたのかも知れない。それなら噛んだ程度では血など出ない。あれが予知夢なら、夢の通りに繰り返そう。
「くっ……!」
痛みで一瞬思考が麻痺する。柔な皮膚は鋭い刃物で切れ目を入れたように開き、血が溢れた。
(何やっているの! そんな事したってーー)
(……やっぱりーー)
これは、紛れもない現実なのだ。
「勝ち筋が、思い浮かばない……」
(どうしたら良いのかは……分からないけど……)
戦えない。だから戦場に行く理由はない。だけど、逃げたところで、今の僕に何が出来るのだろうかーー
遠くで羽ばたく竜は、僕の事など見向きもせずに戦い続ける。
「レノン! こんなところに……!」
「フラウ……ごめん……倒せてなかった。どうすれば……? どうすれば……!」
声がする。僕はその方向を振り向く。そして、彼女に謝って尋ねる。
「一旦落ち着こう。焦っているだけじゃ、何にもならないよ……!」
「そう言われたってーーじゃあフラウは焦ってないの? どうすれば良いか、分かるの?」
僕の問いかけに少女は首を振る。だが、ゆっくりとだった。昔のおどおどした振る舞いではなかった。
「大きな事は分からない。どうするのが正解かも分からない。だけど私は、何に変えてもレノンを守るよ」
「どうして? 僕はもう戦えない。それにフラウの実力なら皆を助けられるのに……」
「私がそうしたいからだよ。どんな状況でも、こうしてレノンと一緒にいたい気持ちだけは間違いじゃないもんーーレノンは今、どうしたい?」
彼女は僕に優しく語りかける。彼女の質問に対する解答は、正解でなくても良い。今僕のしたい事はーー
「何でも良いから幻の竜の事を知りたい。良い方法を思いつくまで観察したい。出来れば、もう少し近くで……!」
「うん! 分かった。私が走るから、乗って!」
少女騎士はそう言うと身を屈める。僕はその背中に覆い被さるように体重をかけると、彼女は立ち上がって走り出した。
「これくらいで良い?」
「うん、ここなら良く見える」
地上に立つ姿が見えるところまで近づく。斜め後ろを位置取ったとはいえ、相手に見つかる可能性もあるけどーー
「絶対に守るから」
「ーーありがとう。頼むよ」
その言葉だけで安心出来た。
(前と同じに見えるけど……)
確かに剣も魔法も弾く黒い光沢を放つ鱗も、まともに受けたら鎧ごと裂かれそうな前足の鋭い爪も、その巨体を持ち上げて飛び上がる強靭さを持つ翼も、正に幻の竜そのままだ。
(だけど、一度死んだ生き物が蘇るなんてあり得ない。何かあるはずだ。差異、もしくは仕掛けがーーまだ分かってないけど何かが……!)
竜は師匠を踏み潰そうとするも、自身で作った風に乗り、後ろに下がって回避した。その後、巨大な翼で強く羽ばたいて突風を生み出し吹き飛ばす。
「あっ……! 師匠!?」
その風の強さには抗えない。彼を含む誰もが風に煽られ距離を取らされた後、
(危ない!)
師匠目がけてこちらにまで熱が届く勢い、量の火炎を吐き出した。セレーナの盾が防ぎ、音を立てながら炎を弾き続ける。広い範囲に広がるため、全員を守らなければいけない。流石のセレーナも堪え続けるのは辛いのか、顔を歪め、歯を食いしばる。
「セレーナ……! 耐えて!」
されども竜は炎を吐き続ける。轟々と音を立てながら、自らがされたように塵も残さず焼き払わんと、怒りをぶつけるように口を大きく開き続ける。
(こんなにも長く……! いつまで持ち続けるのよ!)
呼吸をせずにここまで吐き続けられるのは化け物だーーと言いたいところなのだが、普通の竜の基準が分からない。そう考えながらも何かないかと目で捉え続け、熱も相まって目を開くのが辛くなってきた頃だった。
(えっ……?)
「き、消えた……?」
僕の視界を遮るものがなくなり、その奥の木々が目に映るようになった。何とか耐え切ったと構え直した者達は、目の前の光景に驚いて辺りを見渡す。
ーー炎だけではない。竜までもが薄くなり、跡形もなく消え去ったのだ。
(この消え方……魔法? 前にどこかでーー)
(皆は無事なの!?)
「そうだよねーー師匠! 大丈夫ですか?」
「セレーナもーー」
声を出して呼びかけると、フラウは僕を背負って彼らの前まで運んでくれた。
「魔力反応が消えたなーー俺の事は気にするな。そっちは無事か?」
「僕達は離れて見ていただけなので、無事です」
「そう……それなら良かったです」
セレーナは少し辛そうに声を出した後、微笑んだ。
「ラド、今は小言を言う時ではない。巫女の元に戻り、休む必要がある」
「まだ何も言っていないが?」
僕に向けていた鋭い目線を師匠に移す。
「ーーそうだな。一先ずここに現れた竜はもう存在しないという事で良いんだな?」
導師の杖に乗って目線を近づけた指揮長が聞く。
「何が起きたかを突き止める必要はあるが、今はいない」
「巫女の元に行くぞ。少年少女もついて来い」
「は、はい!」
「分かりましたーー」
無言で幻の竜がいた方向を見続けていた導師が歩き始め、僕達は巫女の元に向かった。
「幻の竜が消えた。だが、これで終わったとは思えない。場所を貸してくれ」
「分かりました。詳しくは中でーー」
館に入れてもらうと、巫女は全員に座るように促す。
「皆様、此度は絆の森のために尽力して下さり、誠に感謝致します」
「メイジスの貴族連中相手じゃあるまいし、そういうのはいらないだろ」
「それより疲れている者もいる。後で伝えるから、少し休ませてやれ」
そう言って師匠はセレーナを見る。
「ありがとうゼクシム。でも大丈夫よ。私も隊の長として、状況を把握しておきたいから」
「ーーそうか。無理するなよ」
「ええ、ありがとう」
彼女は微笑み、優しくそう言った。
「さっきも言ったが、幻の竜が消えた。以前討伐したはずなのに急に再度出現し、急に跡形もなく消え去ったという事になる。正直オレにはさっぱりだ。そんな竜種は聞いた事がない」
「私も分からないですね……完全にあれで終わったと思っていました。怪我をした人の治療は始めてもらっていますが……」
指揮長の言葉に巫女は答える。
「瞬間移動する竜とか聞いた事あるか? オマエ達の土地から来た竜に思える。そっちの方が詳しそうだしな」
僕達メイジスが座っている方を向いて声をかける。
「俺は分からない。今まで戦ってきた竜もここまで巨大なものはいない」
「私も分からないですーーラドはどう? あなたなら、何か知ってそうだけど……」
「生憎俺にも分からん。竜には多少知識があると自負していたが、あの大きさで瞬間移動する竜など、聞いた事がない」
全員が顔をしかめ、考え込むが、誰も何も言わない時間が続いた。僕は小さく手を挙げる。
「何か気になった事があるのか?」
「あの、詳しくないので、断言は出来ないのですがーー」
「取り敢えず言ってみろ。何を言っても参加賞で向日葵の種をくれてやる」
「はいーーその、創造魔法という可能性はないでしょうか?」
発言すると、全員の視線が僕に集中した。
「魔物や装備の類を作り出す魔法か……なるほどなーー」
師匠が一先ず反応してくれた。
「魔法で竜を作り出す……か。だが、そんな事出来るメイジスは聞いた事がない」
「考え方としてはあり得るけど、そんな人がいるなら、騎士でも悪魔でも私達の耳に入っているはずよね」
その通り。僕もそこが引っかかっていた。そんな凄い人がいたら、守護騎士のように、或いは悪魔のように、有名になって当たり前だ。
「そ、そうですよねーーただ、薄くなって消えたのが、前に創造魔法の魔物と戦った時に似ていたので、そうかなって思っただけです」
「あっ! 確かに三頭獣の時と同じだったかも!」
フラウがそう言ってくれたなら良かった。それだけで僕は満足だ。
「ーー本当にそのような消え方をしたのを見たのか?」
ラドは少し意外そうな顔で僕を見る。
「してたよ。ラドは見てなかったの?」
「……私には見えなかったのです。炎が視界から消えた時には、既に何も居ませんでした。他の人も同じかと思います」
「ええ、私もそうだった。でも見たとするならば、その線も考える必要があるわねーーもしそんなメイジスが敵にいるとしたら、とんでもない強敵よね……」
「そう気に病む事はない。むしろ分かりやすいと言える。竜と渡り合える勢力がこちらに揃っている以上、たとえ再び竜を作り出したとしても、犯人を探し出して叩けば終わりだからな」
少し余裕が出来たのか、口角を上げたラドが言った。
「ゼクシム。魔力反応的にはどうなんだ? そいつがどこにいるのか分かるか?」
「魔力反応は、あるーー」
指揮長に聞かれ、師匠は答えた。全員が注目する。
「現在も魔力は増大している。幻の竜のものかと思っていたが、これが創造魔法を使っている者という事だな?」
「だろうな。今は創造した竜も消えた準備期間中だろう。周りに護衛と思える反応は?」
「ちょ、ちょっと待ってください! そんなすぐに分かるなら、何故今まで術者がいる事を報告しなかったんです?」
巫女は手を伸ばして二人の会話を制止して言った。
「強い魔力反応を持ったメイジスが創造魔法を使用し、巨大な魔力反応を持った竜を作り出します。しかしそのメイジスは魔力を使い果たすため反応が弱まり、察知出来なくなります。そのため魔力察知の観点からすると、一つの魔力反応ーー幻の竜が常に活動しているように見えていたという事です」
「なるほど。ゼクシムはそのメイジスを看過していたわけではないという事ですね。そして今は幻の竜がーー」
「いない。脱け殻状態という事だな」
巫女の言葉の上から指揮長が言った。
「なんで私の発言を奪ったんですか!?」
「私の理解の方が早かっただけだ」
「指揮長さんも爺様もいつも魔法を使っているのですから当たり前です!」
そう言った後に小さく咳払いをして、
「ーーでは、今からその創造魔法使いを討ちに行くのが最適という事で良いですか?」
声の調子を戻して言った。
「そうだな。俺は行ける。増幅中の魔力反応は、現在蜜の森にいる。そこまで導こう」
「オレも行こう。何だかんだ通訳が必要になる場合もあるだろうしな。セレーナも来てくれるか?」
「私も向かわせてもらいます。最悪の場合は竜と戦闘する事になるでしょうし」
「導師はーーまあ、幻の竜の元凶を目前に、誰かに任せるなんて無理だよな」
導師も立ち上がり、全員を一瞥する。全員が頷き、異論がない事を確認すると、再び座った。
「では、その四名にお願いしても良いですか? 万一見当違いであったり、最期に足掻かれた際にこちらが手薄だと困りますので……」
「私は絆の森に残ります。医療隊の力を借りれば、ある程度の期間はあの竜を抑えられます」
「フラウもいますし、これなら万一の時も皆様が戻るまで持ち堪えられるでしょう。では、お願いしても良いですか?」
巫女の言葉に対し、それぞれが返事をした。そして四名は、最後の戦いの準備のため、館を出た。
「皆様、向かわれましたねーー」
巫女は残った僕達に言った。
「これで終わりなはずですーーどんなに頼りになる方々に任せたとしても、待つというのは心細いものですね」
僕の言葉に、
「そうなんですよ。レノンやラド、フラウもいない、一人の時もありました。私は最後は、上手くいくことを祈ることしか出来ないのです」
「御安心を。あの二人がいる限り、負ける事はありませんので」
ラドは自分の事のように自信に満ちた表情で、声をかけた。
「信頼しているんですね。彼の実力を」
「信頼というのは綺麗過ぎます。無駄に強いせいでどれだけ私達が苦労させられたか」
「本当に、仲がよろしいのですね」
小さく笑い声を上げながら会話を続け、僕達は彼らが帰ってくるのを待った。
そしてしばらく経った頃ーー
「巫女様! 竜が現れました……!」
蜜の森の方角で、空に描き出されて実体化する幻の竜。騎士の二人は万全を期すため、抜刀する。
「これが……最後の戦いでーー何です? パロメディス……?」
巫女が決めようとした時に、横槍が入る。パローーまたしてもオウムのようだ。
「パロさんですか? どうしたんですか?」
「ーー何ですって!? すぐ向かいます!」
動転したらしく、声に出して叫ぶ。
「巫女様? 何かありましたか?」
「ラド、今すぐ行って爺様を止めてください! とにかく今すぐです!」
巫女は慌てながら急かして言った。




