81話 復活の兆し
「お疲れ様です! 皆さーん!」
巫女の間の扉を開いた途端、明るい声が聞こえた。玉座の前に綺麗な椅子がズラリと並んでいた。
「何故お立ちになっているんですか? さあさあお座りになって下さい」
「恐れながら巫女様。報告の場なので椅子に座る必要はないかと。頭が高くなってしまいますし……」
「まったく、相変わらずラドは堅い事を言いますね。そんなの良いじゃないですか。レノンはまだ治療が完全ではないのでしょう? 皆さんも半日休んだとは言え、激戦の後ですし、疲れているはずです。座ってゆっくり話しましょうよ」
「ではお言葉に甘えて、失礼します」
まずセレーナが座り、
「ありがとうございます。巫女様」
「……承知しました。お気遣い感謝致します」
一言言った後、僕達も椅子に座る。
「爺様や指揮長さん達は来られなかったのですか?」
「オウム達はまず仲間内で集まる必要があると言っていた。それに、導師は巫女が我のところに来いと言っていたぞ。この後向かうと良い。覚悟は出来ているんだろう?」
「ーーはい。順序的には逆になってしまいましたが、私が爺様とお話しして今後は仲良く、協力関係を結んでいきたいと思います。これからはこの森をーーティマルスを復活させなければいけませんから」
彼女は胸の前に手を置き、誓いを立てるように言った。
「さて、と……それでは報告を聞きましょうか。簡易的な速報は聞いていますが、もっと正確に聞いておきたいのです。それなので、良い事、悪い事の両方共、お話し願えますか?」
「はい、では代表として私からーー」
セレーナが軽く手を挙げた後、言った。
「まずは完了した事の報告から始めます。今回依頼されていた、幻の竜、そして蜜の森に潜伏していた帝国四天王ーー」
「南北に分裂する前の帝国の最上級役人ですよね? 分かりますよ。続けてください」
「はい。元帝国四天王の一人、ヘイリースと、複数の従者ーー帝の影と戦闘を行い、対象を討伐しました。竜自体とは意思の疎通が取れず、正確な目的を把握する事が出来ませんでした。そのため推測になりますが、ヘイリースが幻の竜を呼び寄せていると思われる動作があったため、彼女が手引きをして、メイジステンから呼び寄せて操っていたと考えられます」
「ふむ……四天王ヘイリースですか……現役だった頃の彼女は私も知りませんね。相当な年寄りだったのではないですか?」
巫女は頷きながら尋ねる。
「そうだな。そのくせ周りの帝の影よりも強大な魔力を持っていて、器用に変身の魔法を使う強敵だった。飛竜が味方していなければあの陣形を崩すのも難しかったかも知れないな」
「うう……それ程の戦力をティマルスに送り込んでいたとは……やはり依然帝国は、虎視眈々とティマルスを狙っているのですね」
巫女はその状況を聞いて唸っていた。
「南部、セルゲイ派の話です。北部はーー女帝派である我々は友好的な関係を築くつもりでいます」
「それは分かっていますとも! 仲良くしていきましょうねー」
今度は笑顔に切り替えて答え、
「では、懸念事項について聞いても良いですか?」
即座に真剣な表情に切り替えた。
「はい。まずはヘイリースとの戦いで、戦線離脱した帝の影がいる可能性があります。また、ヘイリースは変身の魔法を駆使していました。中には指揮長に化けていた者までいます。そのため、戦闘に参加せずに隠れている者もいないとは言い切れません」
「なるほど、ですがそこからは私達の仕事でしょう。警告として受け取っておきます。むしろ指揮長さんが生きていて良かったとまで言える程ですーーそれで、他には?」
巫女の言葉に、師匠が口を開いた。
「ここからは私が話そう。喜ばしい事ではないが、俺の方が詳しいーー戦狂の悪魔とも呼ばれる、アゲートの話だ」
「アゲート……封印都市ルムンの長と同じ名を名乗る悪魔ですね」
「ああ。今回獣王を襲撃したのはアゲートだ。幻の竜討伐後にも姿を見せた。やつは強力な魔力に反応して出現する。獣王が出陣した際はまた現れるかも知れない。気をつけるようにした方が良い」
「ーー分かりました。アゲートは何か言っていましたか? ティマルスの事や、誰かの名前とか……」
「魔女の事だけだった。あの悪魔はそういうものだ。強者と戦う事以外には興味を示さない」
「そうですかーー以上ですかね?」
「そんなところだろうな」
師匠はセレーナを見て、彼女も頷いた。
「分かりました。では皆さん、今回はティマルスを救って下さり、本当にありがとうございました。守護騎士二名を始め、医療隊の騎士の方々にはとても助けられました」
「我々も巫女様のお力になる事が出来て光栄でした」
ラドはそう言って頭を下げた。
「それにフラウ。当初予定外でしたが、あなたの活躍には助けられました。ヤギとの戦いの時の立ち回りは目を見張るものがありました。若くから実力を存分に発揮されていて、リオナも安泰ですね」
「い、いえいえ! そんな! 私は全然まだまだで……」
フラウは驚いて首を振る。
「そう謙遜なさらずに。今後とも仲良くしましょうね」
「は、はい! よろしくお願いします!」
そう元気に返事していた。
「さて、疲れてきましたね……ゼクシム。あなたも流石といった活躍でした。でも、仲間は大切にして下さいよ?」
「ああ、分かっている。反省した」
「ところで、あなたはこれからどうするんですか? 族長を続けます? それよりも……」
「ーーそうだな……」
そう言って彼は巫女から目を逸らす。その視線の先にはフラウがいて、その後に僕の方を見る。
「まだ詳細は決めてはいない。だが、旅に出ようと思う。騎士ではないから常には一緒にはいられないが、サキにも会えた。また色々と気になる事がある。それを調べてみようと思う」
「輝の森まで後で一緒に行ってあげますよ? あなた一人だと負けそうですし」
「……助かる」
「さてーー」
巫女はそう口に出すと、
「レノン!」
「わっ!? はい!」
僕の肩に手を乗せた。
「よくやってくれました。助かりました。私が面倒だと思っていた事を全部解決してくれました」
「いえ、それはサキのお陰ですし……」
「その謙遜は不要です。サキちゃんだって誰にでも憑けるわけじゃないんですし。彼女を存分に活かしてくれて助かりました。彼女を含めてのあなたへの評価です」
(ま、まあ私が凄過ぎるのは当たり前だし? レノンが身体を張ってくれた勇気含めて私達の評価って事にしてさしあげますわよ?)
(なんだその口調……)
「あ、ありがとうございます! そんな事言って頂いて光栄です」
「最初に戦えなさそうで不安だなんて言ってしまってすみませんでした。私が侮っていましたね。しっかり戦えていましたし……」
彼女はそう言って頭を下げようとする。
「お止めください! 僕は従騎士ですし、サキの力を借りても実力はまだまだです。なのでーー」
「周りに強い方々がいらっしゃいますし、これからもっと強くなるんでしょうね。そういう方々を見習って、魔法や戦い方を覚えていってください。次に会った時、もっと立派になった姿を見るのを楽しみにしていますからね」
「ーーはい! ありがとうございます!」
僕の言葉を聞くと、巫女は満足気に頷いた。
「では、これで依頼完了としましてーー報酬の件ですが、現状これしか出せません。リオナの領主様とは話をつけていますので、全額はもう少しお待ちください」
「我が主とそう話が決まっているのであれば問題ないです。ではこちら、頂戴いたします」
セレーナは巫女から袋を受け取った。
「よーし……それでは私は爺様の元に向かいますかね……」
「お忙しい中時間を作って頂き、ありがとうございました」
「いえいえこちらこそ。では、ありがとうございました! 見送りにも行きますからね!」
全員一礼すると、僕達は退室した。扉が閉まるまで巫女は手を振ってくれた。
(じゃあ帰りましょう。帰りましょう。早く、宿に、帰りましょう)
彼女は機嫌良くそう言った。
「レノンくん、この後治療の続きをするから部屋に行くね」
セレーナが僕に声をかける。
「はい、よろしくお願いします!」
「私も行く!」
フラウも手を挙げて言った。
「お疲れではありませんか?」
「大丈夫。戦いにいくわけじゃないし」
「そうですねーー二人はどうするの?」
師匠とラドに問いかける。
「俺は何もーー」
「少し用がある。大した事はない。すぐ戻る。行くぞーー」
そして師匠を引っ張っていった。
「どこに行くんだ? 決闘するのか?」
「お前の頭はそれしかないのか? そうじゃない。気になった事があった」
「気になった事?」
ただされるがままに引っ張られる俺は、人目が少ないところまで連れていかれた。そして腕を掴んでいた手を放すと、
「あの杖、どこで手に入れた?」
短く彼は尋ねた。
「サキの杖か」
「そうだ。あの杖の先端にある巨大な宝玉。あれは……輝石獣のだよな?」
「ああ、だから族長になった」
「あれだけの大きさを集めるためには、何体の輝石獣を殺す必要がある?」
輝石獣の宝玉は、自身の魔力の貯蓄の他に、他の輝石輝きを移す事で大きくなる。だが、輝きを失った輝石は形を保てなくなり、砕ける。
「分からない。だが、元となる一つ目が大きくとも、百や二百では足りないだろうな」
「正直に言えよ? お前がやったわけじゃないんだよな?」
俺がやったと言ってしまえば早い。ややこしい話にならずに済む。面倒な事に友人を巻き込まずに済む。それに俺は悪魔なのだから、疑う余地もないだろう。ただ、一つだけ問題があった。それはーー
「……俺は、やっていない」
これが事実である事だけであった。
「そう言えただけでも成長だろう。ここで最初にあった時なら間違いなくーー」
「俺がやったと言って終わらせていただろうな」
「それでは何も解決していない……では、お前の師匠ーー魔女がやった事か?」
「それも違う。彼女はそんな事をする人ではない」
「だろうな。何だかんだお前が恩義を持っているなら、そのような事はしないだろうーー」
彼は目を閉じ、腕を組みながら言う。そして、
「だとすると、その宝玉を最初に見たのはいつだ?」
俺の目を真っ直ぐ見ながら尋ねてきた。少々黙っていても、彼の目は揺れる事もなく俺の心の芯を捉えようとしていた。嫌な記憶だが、覚悟を決めるしかないと悟った。
「ーー彼女が殺された時だ」
「何だと?」
「正直な話、隠しているわけではなく、俺も答えに辿り着けていない。ただ、これだけは分かるから伝えておくーー」
「その宝玉は、彼女の身体に、心臓の代わりに埋め込まれていたものだ」
その表情は、驚きを隠せていない時のもので、流石の騎士の目も揺れていた。
「そんな事が可能なのか? つまり魔女の魂はーー」
「ずっとあの宝玉にあったという事だ。あの杖には彼女の魂が存在し続けた間に蓄えられ続けた魔力がある」
「この事は本人は……」
「……全部は、知らないだろうな。生きている間は、人間だったと信じているはずだ。そして、まだ知らせたくない。もう少し、真相が見えるまでーーだって、彼女が悪いわけではないのだから」
彼は言葉を選んでいたのだろう。小さく口を動かしながら沈黙の時間が続いた後、
「……分かった」
小さく一言だけ呟いた。
「この話はこれくらいで良いだろうか。それよりだ。何か妙だ。俺はあまり頭が良くないらしく、完全に状況は掴めないが……」
「それは知っている。とりあえず話してみろ」
「ああ、実はーー」
◆
「はい、今日はここまでですね」
「レノン、どう?」
(もう一人で歩けそうかしら?)
セレーナはそう言うと、治癒魔法を僕の身体に当てるのを止める。治癒魔法は使われる側にも負担がかかるらしく、大きい傷だと一度に一気に治そうとすると、逆に身体を壊してしまうらしい。
(ちょっと痛むけど、杖をつけば歩けそうだ)
(歩けるのね? やった! じゃあ……!)
(うん、まあね……)
彼女は嬉しそうに言った。僕もそれに答える。まあ、約束したからね。
「ありがとうございます。身体を動かすのも大分楽になってきました。も、もう外も一人で歩けそうかなーなんて、思います」
「まだダメよ。本当に酷い怪我なんだから。外からじゃなく、中身からボロボロになっていて、しかもそれが全身……私もここまでの患者は診た事がなくて……手際が悪くてごめんね」
「いえいえそんな! サキが外見だけは繕ったと言ったくらいなので、酷い状況だというのは覚悟していましたから。身の丈を超える魔力を使えて、それを実際に使うバカなんて滅多にいないと思いますし……」
セレーナが申し訳なさそうに言ったため、むしろそれが僕には申し訳なかった。
「サキさんは外見だけって言うけど、それが大事だからね。レノンくんの身体、繋がっていて良かったわ。くっつけて傷を塞ぐ事は出来るけど、生やす事までは出来ないから」
「僕も覚悟してやった事ですし。それに、彼女ならそういう魔法で上手くやってくれると信じていましたし。それに、生きているならセレーナさんが治して下さると信じていましたし」
「レノン、ゼクシムさんみたいな事言ってる」
フラウがクスッと笑いながら言った。
「そんなところは真似しなくて良いんだけどな……」
彼女も苦笑した。その様子から、少し疲れが見えていた。
「セレーナさん。治療ありがとうございます。今はお互いに休みましょう」
「……そうね。ちょっと根を詰め過ぎたかも。見ていないからって、一人でどこか行っちゃダメだからね? 転んだら危ないから」
「大丈夫ですって。そんな子どもじゃないですし、転ばないように気をつけますからーー」
「やっぱりどこか行くつもりなんだ!」
「あっ……!」
迂闊な発言をフラウが目ざとく突く。
「レノンくん? 何をしようとしていたの?」
ぐっとセレーナは顔を近づけて僕に問い詰める。
「大丈夫。私が見ておくから。セレーナは休んで」
少女はセレーナに向かって言う。少女の顔を少し見た後、
「そうですね。レノンくんの面倒を見るのはお嬢様にお任せしてしまいます」
ニッコリ笑顔でそう言った。
「そ、そういうんじゃないから! ただ、その、役割分担で……!」
「あー疲れました疲れました。部屋に帰りますねー」
「ちょ、ちょっとセレーナ……!」
フラウもセレーナを追いかけて部屋から出る。よく分からないが二人とも出た。
(今しかないかーー)
(ーー今しかないわね)
そして軽く息を吐く。僕は起き上がると杖を持ち、立ち上がる。
(よし、走らなければいける!)
そして部屋の扉を開けた。
「あっ……」
「レノン……!」
僕が向かおうとした方向にフラウがいた。しかも顔は真っ赤。ヤバい。滅茶苦茶怒っている。
「ご、ごめ……」
「何で? 何で出ちゃうの? 安静にしてなきゃいけないのに! 怪我が酷いって、休まないと、治るの遅くなっちゃうんだよ?」
「わ、分かってはいるけど……」
(どうしよう。このままじゃ諦めるしか……)
(そんな! それだけは嫌! 約束したのに!)
だけどこの状況。戻って寝る以外の選択肢が既にーー
「サキさんなの……?」
「えっ……!? 何でそこまで……!」
(そんな!? 私の野望が……!)
物凄く鋭い。その観察眼、流石リオナ。アメリアの血を引く者。
「やっぱり……そうなんだ……サキさんと話すために一人っきりになりたいから、私は邪魔で……」
「じゃ、邪魔だなんて、そこまでは……出来れば……一人でこっそりの方が良かったけど……」
フラウは暗い表情をしていたが、首を振った後、頷いた。
「うん、分かった。レノンは部屋で一人で居て。でも、本当に危ないから、外に出ちゃダメ。私が扉の外で、誰も来ないように見ているから。扉の外でも良いから、こんな時くらいは、レノンを守らせて……」
彼女は本気で僕の事を思って言ってくれている。今にも泣きそうな表情で、懇願するように僕に言った。
(フラウちゃん、本気で心配しているわね……もう良いわ。わがまま言ってごめんなさい。フラウちゃんに、話してあげて……一口くらいなら、分けてあげても、良いから……)
(うん、そうだね……)
サキは一人じゃないと、特に女の子がいる前では絶対にダメだと言っていたし、僕だって人前では嫌で、誰にも見られる事なく終わらせたかった。だが、こうなってしまったら仕方がない。
「フラウ……」
「うん、だから、部屋に戻って。私は、ここでーー」
「フラウ! 僕が悪かった。この通りだ。絶対にこの部屋から出ない。約束する。だから、お菓子を! たくさん買ってきてほしいんだ!」
「お菓子……? え? ど、どんな……?」
そう、これこそが僕達が隠密行動をしていた最大の理由ーー
(甘くてシロップがたくさんの甘いケーキとか! はい!)
「あ、甘くてシロップがたくさんの甘いケーキとか……!?」
「レノン……えっ、やっぱりこういうのが好きだったの? 確かに初めて会った時もシロップ持っていたけど……」
驚き半分困惑半分の顔で僕を見る。
「いや……僕は本当は食べなくても良いんだけどね……ほら、サキと味覚まで共有しちゃったから……」
「サキさんと?」
「うん、絶対に美味しいから誰にもあげたくないってサキが言うしーー」
「わ、私は大丈夫だよ!? そんな大事なもの横取りなんてしないよ!」
フラウは慌てた顔で答える。
「それは知ってるよ。あとは、僕がこれを食べているところを見られたくなかったから……」
「それは、何で?」
「綺麗で可愛いお菓子を僕が食べるのもちょっと抵抗があるし……」
「そ、それも大丈夫……! レノンがどんな行動をしても嫌いになんてならないよ!」
そう言って僕の手に触れる。
「だから、私の事……その……き、嫌いじゃない? い、一緒にいても、邪魔じゃない……?」
「フラウの事を邪魔だと思った事なんて、一度もないよ。今回も、ティマルスに来てくれて嬉しかった。ありがとう……ここにいるのがフラウで、本当に良かった」
「レノン……!」
フラウの顔の曇りは完全に取れ、満点の笑顔になった。
「わ、私ねーー」
フラウが話し出そうとしたその時、
「歓談中すまないとは思っている。だが終わらなそう……もとい、キリが良さそうだからここで少しだけ割らせてくれ」
師匠の声がした。
「あっ、師匠。どうされました?」
「ゼ、ゼ、ゼクシムさん!? ど、どこから聞いていてーー」
「休まないと治るのが遅くなる……くらいからだ。だが待たせたと気に病む必要はない。私はその程度では怒らないからーー」
「ほぼ全部……! ひ、酷いですー!」
「待て! 話がーー」
フラウは顔を真っ赤にして走り去ってしまった。
「フラウ!」
「……やはり私は嫌われているか。あれだけの事をしたからな……仕方がない」
「とにかく大事な用なんですよね?」
「ああ、そうでなければ、後回しにもしていたのだが……!」
「でしたら今すぐ追いかけましょう!」
「お前は走るのは無理だ。だから要件だけ伝えておく。もし帰ってきたら教えてやってくれ」
「分かりました。それで、その要件とは?」
「ああそれはだなーー」
◆
聞こえるのは葉が風に吹かれる音だけ。厳かな雰囲気、張り詰めた空気。この森で絶対的な存在であるそれは、威厳を示す巨大な物を置くわけでもなく、ただ本人が鎮座しているだけでその空間を作り出していた。
だが、あれは私と同格だ。気圧されてはならぬと背筋を伸ばし、胸を張り、一歩一歩前に進み、距離を縮める。
(遅くはなりましたが、お望み通り来てあげましたよ)
伝心の一言目。少し強がってみる。
(遅い)
それだけ言うと立ち上がる。手の代わりとなる鍵爪を嵌めると杖を持ち、一歩一歩踏みしめながら、私の間近まで迫る。
(では始める)
またそれだけ言うと、杖を私の顔の前にかざす。
(何というか、もう少し何かないんですか? 歓迎とか、或いは悪態とか説教とかーー)
(不要だ)
(そ、そうですか……)
爺様の要求をあの時から何年もの間断り続けた事。怒鳴り散らされる事も覚悟で来たが、あちらは冷静なようだ。
ーーそして杖の水晶が光り、私を映した。
(口には出したくない。誰にも聞かれなくはないのです……本当は怖いのですよ? だけど勇気を出して見せるのです。此度の彼らのように。だから後は、自分で探ってください)
「……ヴゥ…………」
爺様は眼光を鋭くし、低く唸る。
(な、何ですか!? 許せないですか? 殺すんですか!?)
「グフ……グハハハハハハハハハッ!!」
しかし今度は何を読み取ったのか、急に笑い出した。
「なっ!? 何ですか急に笑い出して! 正直下品ですよ! 気持ち悪いですよ!」
その後、鋭い目線が私を刺す。私は一瞬だけ、体を震わせてしまう。
(汝の思考、理解不能である。現在のティマルスにおいて、魔族と関わる必要性がない。帝国の価値観など我らには無きに等しい。無視して良いものだと断定する)
(それは今だけの話です。今回の件を始め、手段を変えながら動き出しています。直に古代の大戦は、現代に繰り返されます)
表情は変わらず、ただ私を見る。私は、この間が怖いのだ。そしてそれすら見透かされている事も情けなく思う。
ああ、あんな邪魔さえ入らなければこんな事にはならなかったのに。いいや、違う。私が上手く立ち回れなかっただけだ。あれはそういうものなのだから。
だとすると、やはり悪いのは、私という事になるのだろう。
(ご決断ください。私の事、許せませんか?)
無言のままなのが耐え切れず、私から声を出した。
(否ーー)
「えっ……?」
(巫女よ、汝の欲深さ。これこそ真の欲と呼ぶに相応しいものである! 正に汝等人間が蔑む獣の如き欲である!)
「くぅ……失礼です! 失礼極まりないですよ爺様! 人間はあなた達ヤギと異なり、清純たれと生きます。今のはこの上ない屈辱ですよ!」
(ーー故に、面白い。生きているのだ。そうでないはずがない。引き続きその欲望のままに動き続ける事を許す。必要となれば我も手を貸そう)
(ほ、本当ですか……!? でも何故……理解不能なのでは……?)
(如何にも。だが規模が大きい。故に我が望む方向に導く必要がある)
(爺様らしいです。確かにお考えの通り、私など一欠片に過ぎません。ここで殺しても大本に支障はないでしょう)
(更にだ。汝が抱えるその欲が我にとって邪悪でないのであれば、満たしてやるのが道理だーー我々も来たる時を待つとしよう)
驚いた。今までの態度から、許す、許さないを決断するだけの存在だと思っていた。協力するとまで言われるとは、あんなに優しい言葉をかけてくれるとはーー童子の頃ならまだしも、巫女になって以降は夢にも思わなかった。
(分かりましたーーありがとうございます! 爺様!)
(ーー以上だ。今後は隠し事がないように)
それはちょっとどうかと思うが、
(はい。分かりました。定期的に、ここで会いましょうーー)
そうするのが妥当であろう。
(では、失礼しまーー)
そして帰ろうと思った矢先、扉が急に開いて何かが飛び出してきた。
「何事っ!?」
体勢を崩しながらも咄嗟に避けると、それは爺様の前で止まった。
「おわっ! 巫女!? そこにいたのか! それなら良かった!」
「良くないです! あのままぶつかったら私は痛いんですよ!」
「痛くても死にやしないさ! それより大変だ!」
(要件を述べよ)
爺様はあくまでも冷静に対応する。
(ああ、今は伝心の方が良いなーー)
少し焦った様子で彼は伝心を使い始める。
(幻の竜が復活した! 今は絆の森で暴れていて、民が襲われている!)