80話 幻の竜
「……どういう、事だ……?」
ラドの動きが止まる。
「一先ず戦線を維持しろ! 話はそれからだ!」
「くそっ、何度やってもあれの鱗は傷一つ付かないか……!」
起き上がった竜を目前にしながら彼は吐き捨てる。
「それで、勝ち筋がなくなったってどういう事ですか? どうすれば取り戻せますか?」
僕は指揮長に問いかける。
「それはだな……」
歯切れ悪く彼は言うが、
(わかった。単純な話ね)
(単純な、話……?)
(私の杖で魔法を使えば、勝てるわ)
サキは言った。確かに単純で、端的で分かり易い話だ。
「確かに、僕がサキの魔法を再現出来れば!」
「だが、お前は自分の魔法に耐えられない……!」
指揮長は悔しそうに言った。
「俺が求めるのは先程の魔力の二倍や三倍という話ではない。やつの鱗を傷つけ、貫くには……想像を絶する魔力が必要だ。それをお前の身体に流す必要がある」
「そんな事したらレノンは……!」
「死ぬだろうな。特に今回は威力重視だ。使い過ぎた場合、人の形も残るかすら分からんーー魔女の魂というだけで過信した。だがお前は普通のメイジスだ。ティマルスの問題で死を選ぶ必要はない」
「ではどうするんですか……?」
「撤退したい者は撤退させ、残ったものでどうにか考える。これまでの前例通りに向こうが撤退してくれる可能性もあるしな」
眼光に鋭さがない。その望みは薄いと考えているのだろう。
(レノン……)
(そんな申し訳なさそうに言わなくても、分かっているってーー)
「やります。いえ、僕にその杖を持たせて魔法を使わせてーー」
僕は戦況を眺めながら考える指揮長に声をかけた。
「ダメ!!」
その瞬間にフラウが止めに入る。この速さ、絶対に僕が言うのを想定していたな。よく理解してもらえてて嬉しいや。
「死ぬぞ?」
一言、彼はそう言った。
「死にません」
僕も一言で返す。
「何故だ?」
「サキの魔法は人の理解を超えるからです」
「ーー嘘は許さないぞ?」
「僕は彼女を信じていますから」
(照れるわね。まあやってみせるけど?)
彼女は自信たっぷりにそう言ってみせる。いつも魔法を自慢している彼女はここでもブレる事はなかった。彼は鼻で笑うと、
「ゼクシム! 一度戻ってこい! 少年と話せ! 穴はオレが埋める!」
そう叫んだ後に巨大化し、身体の半分を獅子の姿に変身させると、飛び上がって魔法で追い風を作り、竜に向かって突進した。
「セレーナ! 指揮長を守ってやってくれ! 一旦退がる!」
「分かった!」
言葉を交わした後、師匠が僕の元へ来てくれた。
「どうした?」
(話が遅い! 私の弟子なのに!)
「師匠、彼女の杖を貸してください。その魔力を使ってあの竜を倒します」
「何を言っているんだ。お前がそこまでする必要はない。セレーナも分かってくれる。巫女だって私が説得する。リオナが煩いなら俺が黙らせる。だからお前は、ただ帰れば良い」
(私なのか俺なのか。まあ大層な自信な事。ついでにそこの竜も黙らせてくれれば良かったんだけどー)
「では、僕達はどうするんですか?」
「お前達……?」
「僕とサキです。妥協はしません。説得にも応じませんよ」
「それなら、黙らーー」
「(ゼクシム、あなたは私を殺すのね)」
「なっ……!?」
「(『やりたい事が出来ないのなら、生きている意味がない』)」
彼は続く言葉を発する事はなかった。
「(これはあなたが言った自身の生き様を指す言葉なのでしょう? 自分の言葉に責任を持ちなさいーー私は最期まで、そして今もそうやって生き抜こうとしているのよ。それを理解しつつ、あなたは今ここで、私を殺すのね?)」
「くっ……」
彼は歯を食いしばり、竜を見てから僕を見る。そして顎の力を弱めた。
「……敵わないよ。どうやっても君を殺せない」
そして背負っている杖を手に持ち、
「お前も後悔はないんだな? ラティーの時みたいになっても、それより酷くなっても」
「ラティーは全員ではないですけど救えました。そのようにティマルスを救えるなら、それが僕のーーやりたい事です!」
言い切った後、杖を受け取って布を解いた。
(サキ……いくよ!)
(ええ!)
杖の宝玉が強い光を放ち、僕の身体に力が漲る。
(アハハッ、懐かしい。魔力が満ちているわ)
(どう? そっちの準備は出来た?)
(鎖の定着は完璧。レノン、魔法を撃つ時の姿勢を取って。そこから動かないで。私は天才だけど、見様見真似で初めてやるから……!)
(例えこれが上手くいかなくとも、サキは帝国で一番の天才魔女だから安心して良いよ)
(失敗する前提で話さないでよね。あなたの身体の事なんだからーー)
(ははは、分かったよ)
僕は杖を空に掲げる。そうか、指揮長はただ僕に役割を与えるためでなく、ここまで考えてわざわざ僕に雷を撃たせてくれていたのか。
「魔法、使うの……?」
「うん、皆の思いの分、しっかりとね。きっと撃ち倒してみせる」
フラウが僕の手を握ってくれる。彼女とも繋がって、彼女みたいに上手く魔法が使えるような、そんな気分になった。
「でもやっぱり僕自身は酷い事になるかも。見ない方が……離れた方が良いかも知れないよ?」
「私はずっと一緒にいる! レノンなら絶対に出来るって信じているし、一番近くで応援したいから!」
「ーーありがとう」
(準備が出来たら口も動かしちゃダメよ。なくなっても良いなら良いけど、キスも出来なくなるわ。今の内に済ませとけば?)
(サキのくせに、失敗する前提で事を進めないでよ。それで? どうすれば良いの?)
(あなたの身体に枠を作りたいから、想像してもらいたいの。手の指足の指、髪の毛の先まで、全身に光を纏わせて)
(わかったーー準備!)
自分の身体の先端までに強化を施す。強化を強めていき、身体に枠を描く。
(じゃあ、いくわ!)
僕はフラウの手を一瞬だけ強く握り、合図を送る。
「いきます!」
そう宣言して、少女は剣を空に掲げる。空に巨大な魔法陣が一つ、そしてその後、それを飲み込む、それどころかティマルスの空全体を覆い尽くす程広大な魔法陣を形成した。
「何だこれは……!?」
「ここからやつを動かすな!」
その後も何か言っているようだが、今は無視しよう。この一撃だけに懸けるんだ。あの今までに見た事がない程広大な魔法陣から、それに相応しい大きさの雷を何発も放ち、凄まじい光と轟音をーー
(皆の願いを空で束ねて、世界を守護する樹に見立てるーー叶えろ! これこそが……! 『願紡樹の雷』だあああああああああ!)
(ありったけをーードーン!!)
「ゲグギャアアアアアアアアアアア!」
大樹のいくつもの枝のそれぞれが、巨大な竜の鱗に叩きつけられる。音が聞こえる度に、やつは鱗を散らす。どちらのだろうか、僕にも血飛沫がかかる。
(まだ……だああああ!!)
「グ……グウウアアアアアア!?」
二発目、三発目と雷を落とし続ける中で、やつの身体に変化が起き始めた。あちこちで鱗が弾き飛ばされ、遂に肉を僕の目に晒した。そして次の一撃で、露出した肉体を消し飛ばした。
痛い、全身が痛い。でも身体のどこまで痛いか分からない。手の感覚もない。指はまだくっ付いているだろうか。とにかく、この杖だけは落とすわけにはいかない。
ーーそして、また一発、放たれた雷が消える。
(この樹は消えない……! 一度折れても戻ってきた獣王様のように! この願い叶えるまで、もう一度空を覆うんだ!)
「アアアアアアアアァァ……」
激しい音と悲鳴が合わさったものがずっと耳に入り続けているせいで、何が起きているのかも分からなくなる。全部の感覚がおかしくなってーー
(レノン! レノン! 立ち続けて! ズレると再生出来ないから!)
これだけは聞こえる。でもどの状態がちゃんと立てているかなんてとっくに分からなくなっている。とにかく撃ち続けなければ、撃つ。撃つ。撃つーー
「ーーノン……もう良いよ! レノン!」
ふと、声が聞こえてきた。何だろう。意識もさっき覚えている時より全然ハッキリとしている。
ーーどれだけ経ったのだろう。目の前には、焦げた跡だけ。
(もう動いても良いわよ)
(そっかーー)
「痛っ……! 痛い痛い……くっ……何だこれ……!」
「レノン!? 大丈夫!?」
歯を食いしばって声に出し、側にいたフラウに支えてもらう。その後、ラドが代わろうとするが、首を振っていた。
(表面を繕っただけよ。無茶するとすぐ傷口が開くわ)
(そっかーー仕方ないよね)
こうしていられるだけでもありがたい。
「良かった……死なないで良かった……本当に、本当に怖かった……」
「大丈夫だって。サキがついているんだから……」
「いや、大丈夫ではなかったぞ。ついさっきなんかーー」
「止めろ。お嬢様の前だぞ。後で二人で話せ」
涙ぐむ少女を横目にラドが話す。
「それで……竜はどうなったのですか?」
僕は指揮長に確認する。
「あれはお前の雷に撃たれ続け、完全に消滅した。よくやってくれた。ありがとう」
彼は僕を見ながらそう宣言した。
「そうですか。終わったんですね。力になれて良かったです」
「こんなところで立って話してないで、レノンくんを休ませましょう。一見治ったように見えますが、痛がっているようなので」
「そうだな。巫女様にも報告しなければならない。レノンはお前が連れて行け。お前の弟子だろう。いつまでもお嬢様に持たせるな」
「私はそんなひ弱じゃないもん! レノンに優しくないラドは嫌い」
フラウはそう言ってそっぽを向いた。
「しかしですね。立場というものがありまして、お嬢様程の方が一人だけに入れ込んでは他の者に示しがつかずーー」
「さて、そろそろ帰るか。安心しろ。ラド。レノンは俺が持って帰ーー」
「いたたたたた! 師匠本当に痛いですって!」
そう言って師匠は僕の腕を無理矢理引っ張って背負う。師匠の立場でも正直ありえないと思った矢先、
ーー空間が裂かれ、一本の腕が僕目がけて飛び出してきた。
「何だこれは!?」
指揮長が叫び、担がれている僕の手のすぐ側まで伸びてくる。
「ふっ!」
師匠は僕を背負ったまま身を振ってそれを躱し、鎧の腕を切り落とす。そこから血が溢れ出る。
「うおおおおおおお! 痛い! これは痛いぞ! 何と我が鎧が斬られてしまうとは!」
そう叫び声をあげた腕は、地面に落ちる事なく消えていった。
「下賤な姿だなアゲート。腕だけ伸ばすとは何事だ」
「アゲート……!?」
(また来たの!? あっ……! さっきの魔法の魔力で……!)
僕達はその名を聞き、顔を見合わせる。確かにこの男は、強大な魔力に反応するのだった。
「我は強者を欲するが、今は魔力を欲する。その杖を寄越せ」
しかし腕が伸びてきたのはその逆側。僕が右手に持つ杖を掴まれる。
「レノン!」
フラウもその腕に一閃を加え、僕と引き離そうとした。しかし悪魔は未だ杖を離さず掴み続ける。
「やり口が汚いと言っている!」
「おおおおお! 痛いぞ! 強者よ! やはり貴様は魔女と共にいたのか!」
アゲートは腕を斬られながらも、離す事はなく、その手は落ちながらも杖ごと僕を引き摺り込もうとしてくる。
「我が理想への歩みを知らしめよ……」
「うわっ……!」
杖にかかっていた悪魔の血が炎に変わる。僕の手は握る力もなくなっていた。杖を離してしまった。
「ブオオオオアアアアア!!」
導師がその腕に爪を突き刺した。更に腕は二つに千切れる。
「痛いぞ! 痛いぞ! フハハハハハハ! その一撃に恐怖を感じる!」
口ではそう言うが、やつは最後まで杖を離さなかった。そして腕と共に消えてしまった。
「杖が……!」
「この杖は我の役に立たぬ。汝等と戦うための魔力が、これでは補えぬ。魔力の貯蓄は獣王との戦いで使い尽くしてしまった故、今の我では部が悪い」
「やはりお前が……!」
「ーーだったら返してもらおうか」
「やはりこの杖は貴様らにとっても大事な物か。魔女の復活に必要な魔力を補うものとなるはずだからな」
「魔女の、復活……?」
「では何れ取りに来ると良い。我は待つ。自らの全快を。そして強者が望んで我の前に立つ事をな! フハハハハハハッ! ハハハハハハハハハハ!!」
「待て! 魔女の復活って何だ! サキの身体を取り戻し方を知っているのかよ!」
そう問いかけるも、返事はなく、高笑いを続けるだけだった。そしてそのまま声が聞こえなくなった。
「ご、ごめんなさい……彼女の杖を……」
「構わない。それより無事で良かった……!」
「本当に大丈夫?」
「うん。ちょっと手は火傷したけど、大丈夫だよ」
師匠は僕を下ろし、安堵したように言った。
(ごめんなさい。私のせいで、何度もあなたを危険な目に遭わせちゃって……)
(サキは悪くないよ。アゲートが悪いんだ)
(うん……)
「帰りましょう。レノンくんの、そして他の皆さんも休まないとですし」
「ーーそうだな」
幻の竜を倒したはずなのに、誰も喜びの表情を浮かべる者はない。神妙な顔をしたまま、僕達は絆の森に戻った。