72話 邂逅せし男
「いえ、どこをどう見てもあなたはゼクシム坊やです。魔女の弟子、ゼクシム。こんなところで下らない冗談を言っている場合ではありませんよ?」
「そうですよ師匠。前にサキの弟子、ゼクシムと同一人物だって認めていたじゃないですか!」
僕達の言葉を聞き、彼は頷いた。
「過去にサキの弟子でゼクシムと同一人物であろうと、ゼクシムという男が死んでいて、今私がヴァーンという男である事は成り立つだろう」
「私には言っている意味が分からないのですが……!」
巫女は負けじと彼の目を見て返す。
「もし理解出来ないというのであれば、こうでも構わないーー」
「ゼクシムなど最初から存在しなかった、と」
彼は諦めたようにそう言った。
「な、何で……? ずっと探していたのに……ずっと、会いたかったのに……何で? 何でそんな事を言うの……?」
「忘れてほしいんだ。私の事など」
「私ともそうですが、セレーナとは昔からの友人なのでしょう!? そういう事を言うのは、言葉遣いの良し悪しの範疇を超えていると思いますよ!」
「友人だったのはゼクシムだ。今は違う。赤の他人だ」
「だから何で……! あなたならきっと生きていると信じてきて、やっと、やっと……なのに……!」
「ーー私は、悪魔だ」
「えっ?」
(ゼクシム……何を、言っているの……?)
僕、そしてサキは、その言葉が瞬時に飲み込めなかった。
「……本当に? 何かの間違いじゃなくて? だってあなたがそんな悪い事するわけーー」
「本当だよ、セレーナ。私は旋風の悪魔。悪行と知りつつ為し、罪を重ね続けた愚か者だ。悪の自覚はあれど、後悔はない。何度人生をやり直したとしても、私は自らの意志で繰り返すだろう。正義の騎士である君達とは既に対極の存在だ」
「そんな……」
「直にラドが来る。私への憎しみで森が焼かれるのは、こちらとしても厄介だ。この場は後にさせてもらう」
そう言って僕達に背を向けると、顔だけ振り向き、
「今私は輝の森の族長代理としてティマルスの一員、それは事実だーー戦力が欲しい時はヴァーンとして呼んでくれ。力を貸そう」
彼が去ってしまう。何か言って引き止めなければ……
(ねぇゼクシムーー)
「ねぇゼクシム……!」
サキの言葉に懸け、そのまま紡ぐ。
「(そんな悪魔と呼ばれるまで悪い事して、今こんな事言って、あなたは楽しいの?)」
男は一度立ち止まる。だが今度は振り向かない。
「サキ、私の魔法は、君のように完全ではない。だから君とは価値観の尺度が違う。今の私は、そんな理由で動かない」
それだけ言うと、周囲に風を展開して浮かび上がる。そしてすぐに見えなくなった。
(全然答えになってないし……)
サキは小さく呟いた。
「何があった!?」
予期されていたようにラドが現れ、周りを見た後、僕に問いかける。セレーナは泣き崩れ、巫女は歯を食いしばって下を向いていた。
「悪魔ーーゼクシムさんが……去りました」
唖然としたまま僕は答えた。
「……あの野郎、まさかこんなところに居たとはな」
ラドは強く拳を握りしめる。
「ラドさんの知り合いでもあるんですね」
「友人だった。だが今はもう悪魔、居ると知れば、斬る……!」
「本気で言っているの!? そんなの絶対に間違ってる!」
セレーナはラドの行手を阻むように立った。
「悪魔を斬る事のどこが間違っている!」
「仲間を斬る事のどこが正しいの!?」
二人は互いに譲らずにいがみ合う。
「悪魔なら仲間ではーー」
「そこまでです!!」
ラドが剣に手をかけようとした時、巫女が割って入る。
「巫女様……危険ですので、下がっていてください」
「……一旦戻りましょう。絆の森へ」
「私には、行くべき場所があるのでーー」
「全員今すぐにです! 今回の依頼主である私が命令します!」
「…………承知致しました」
「ほら、他の人も」
「ーーはい」
僕達は、巫女に連れられるまま彼女達が乗っていた馬車に乗り込み、絆の森へと帰った。
「皆様、本日はよくぞ集まってくれましたね」
ここは巫女の城の一室。ほぼ全員が直帰だが、巫女はそう挨拶をした。
「巫女様……これはどういう事ですか……?」
ラドは少し困ったような顔をして尋ねる。
「どういう事って、会議ですが?」
これには確かにと言わざるを得ない。会議をする丸い大きな机に僕を含め五名が着席している。
「では、その紙は……?」
巫女の手元にある何やら文字が書いてある大きな紙についてセレーナが尋ねる。
「セレーナ、よくぞ聞いてくれましたーー」
そう言って彼女は全員が見えるように真ん中にその紙を置いた。
「ゼクシム年表……?」
「つまり……どういう事ですか……?」
「幻の竜の件を進めたいのですが、仲間割れするようでは進められません。よってゼクシムの件を話し合いましょうーー我々はそれぞれゼクシムと面識があります。しかし知っている時期はバラバラですよね?」
全員が頷く。
「そこで! 我々有識者が彼のこれまでの人生の情報を共有する事で、打開策を練ろうという画期的な会議です!」
「具体的に、何が分かれば良いのでしょうか……?」
「うーん……そうですね……」
巫女は目を閉じて、腕を組み、考える。そしてパッと目を開いた。
「こうです! 『いつ、どこで、何故、彼がグレ悪魔になってしまったのかの考察』を行います。後は出来れば『どうすれば更生させる事が出来るか』の案を複数、可能な限り出しておきたいですね。皆さん、良いですか?」
僕を含め四名は、戸惑いながらも頷く。
「ではまず最初はラド。簡単な自己紹介の後、ゼクシムとの関係と守備範囲を教えてください」
「……はっ。ラディウス・イグニート、リューナ騎士団の守護騎士です。あれとの関係は、『元旧友』です。守備範囲……?」
「多分行動を共にした期間だゾ」
「守備範囲は……子どもの頃? から……騎士試験までです」
助言が入る方向を二度見したが、彼は途中で遮らずに言い切った。
「ほうほう。元旧友は置いておくとしまして、かなりの範囲の広さですねーー」
ゼクシムの人生という題名の横長の線の下に、言われた期間線を並行に引きながら言う。
「彼が元来望んで悪行をするような人物ではないのは周知の事実ですが、何かきっかけとなりそうな事はありましたか?」
「……元来考えなしに思いつきで行動する点と、騎士試験に落第した点ですかね」
「師匠、騎士試験に落ちちゃったんですか!?」
「確かに意外ですね。実力は十分どころか、一般騎士の水準なら遥かに凌駕していそうですが……」
巫女の言う通りだ。師匠は強いし、魔法にも詳しい。落ちる要素など一つもありはしないはずだ。
「実力は当時から目を見張るものがありました。しかし……」
ラドは目線を下にして、残念そうな顔で言った。
「バカでした」
「あっ……うん」
(まあ、そうよね)
サキを含む全員が察したような反応を取る。セレーナですら否定はしなかった。
「えっ? そんなわけないですよ! 師匠は魔法にも詳しいですよ! 僕にも教えてくれましたし!」
「あいつは本から知識を学ばない。自分の魔法を弄るばかりだ。その知識も多分に間違っている可能性がある。セレーナにもう一度教えてもらった方が良い」
「今は忙しいけど、時間が取れたらやりましょうね」
「は、はい……」
彼の信頼感は皆無だった。
「ラドの予想だと、落第してグレ悪魔になってしまったという事で宜しいですか?」
「まあ……そうですね。それからは二度程しか会った事ないので……」
「二回も会っていたの!? 私一回しか聞いていないんだけど!」
「まず一度目は前にお前に話した通り子どもの面倒を見ていた時のだ」
「試験を受けるためのお金稼ぎをしているってあれよね?」
ラドは頷いた。
「じゃあ、そのもう一度は?」
「今と大体同じ状況になった後に一度だけ会った。あんなのだったら知らない方がマシだと思ったから言わなかった」
「そういう配慮なんかいらないのに……」
「因みにその時会ったのは何年前かは覚えていますか?」
「八年前、あいつが悪魔と呼ばれるようになった後です」
「ふむふむ……ところで、彼は何をして悪魔と呼ばれるようになったのですか?」
(あっ、それ私も知りたかったやつ!)
巫女が紙に点を書き加えながらそう聞くと、サキも反応する。これは彼女が知らない期間の話らしい。
「ティマルスの方、そして八年前に村の子どもだったレノンは知らないのは無理もない事ですーー彼は、世界中の書庫を襲撃し、都市の書庫に厳重に保管されている禁術の書を盗みました」
(禁術……ゼクシムが? そんなもの使わなくても私に追いつけるようにって日々練習してたじゃない……)
「禁術の書って、古代大戦の時に使用された危険な魔法が書かれた本でしたっけ?」
巫女は確認するようにラドに聞く。それにラドは頷いた。
「概要はそんな感じです。あいつは強くなる為に禁術を習得しようとした。もしかしたら現在は習得しているかも知れません」
「敵に回すと危険、しかし逆に味方に出来れば頼りになりますね」
「そう楽観視して良いものではありません。禁術は、使用者にも危険が及びます」
「例えばどんなものがあるのですか?」
「自らの命を魔力に変換するものが分かりやすい例です。その他に、死体に魂を縛りつけて無理矢理動かす魔法や、時間を止める魔法などもあります。副作用が判明していないものも多く、万一使った場合、どうなるかもわかりません」
(じ、時間停止って禁術だったんだ……それに、魂の鎖も、だよね……?)
(そうみたいね)
(副作用って分かる?)
(分からないわ。でも私は何もなかったわよ?)
(そっか……)
とにかくこれは内緒にしないといけない内容のようだ。口に出さないように気をつけよう。
「そうですか……使わせるのは人体実験をさせるようなものですね。軽率な発言でした。ここに謝罪の意を示します」
そう言うと巫女は頭を下げた。
「そこまでなさらなくてもーー」
「いいえ、けじめはつけるべきです。ではこれで……次に進みましょうーーセレーナもラドと守備範囲は同じという認識で宜しいですか?」
「はい。というより、私は騎士試験受験を目指す旅の途中からついていったので、むしろラドより範囲は狭いです。お役に立たず、申し訳ございません」
「この会議は意見の共有という意味合いもありますので、何か気になる事があれば教えてくださいーーでは、ラドの言う、騎士試験落第から、悪魔と呼ばれるようになった後の期間の間のゼクシムを知っている者はいませんか?」
(誰もいないのかしら?)
(そうみたいだね……)
皆が皆、相手の顔を見ている。どうやら誰も知らないみたいだ。サキも言い出さないし、黙っていた方が良いのかも知れない。
「オウムさん、あなたはどうですか?」
「パロメディスだゾ。オレが知っているのはつい最近、ここ何十日くらいだゾ。その時は既にヴァーンと名乗っていたゾ」
「何故グレ悪魔に……って、既に悪魔になった後ですよね」
「戦っている時は勇ましく、誰かと何かをしている時は、冷静な顔で間が抜けた事を言うくらいだゾ。だけど……なんだゾ?」
ずっとパロを見ていた巫女が気になったのか、巫女の方を見て言った。
「とても話すのが上手だと思って感心していました。こんな流暢に話すオウムは指揮長以外見た事がないです」
「暇だったから覚えただけだゾ。今はオレの事なんかどうでも良いゾーーだけど、一人で居る時見かけると、時々何かブツブツ呟いていたり、ウジウジ悩んでたりしていたゾ」
「内容はーー」
「確か、『全てを懸けてなお為し得なかった』とか言ってた気がするゾ」
「何を為そうとしていたかはわかりますか?」
「そこまでは聞いていないゾ」
彼は首を横に振った後に答えた。
「そうですか……その発言も気になりますし、いつヴァーンと名乗り始めたのかも知っておきたいですよねーーでは私からもお話しします。と言いましても、皆さんとは違い、一緒に居たわけではなく、言葉を交わした事がある程度なのですが……」
「どんな些細な事でも助かります。お願いします」
セレーナは巫女に向けて言った。
「私が彼と会ったのは、彼らがここに来た時ですね」
(つまり十年前ね)
「彼ら……? つまりゼクシムは誰かと行動を共にしていたのですか?」
ラドは意外だという風に言った。
「あら、知らないのですか? 彼が魔女の弟子で、共に行動していたという事を」
「魔女ーーゼクシムはサキちゃんの弟子なんですか!?」
セレーナは驚きの声を上げた。
「あら、魔女ーーサキちゃんの事は知っているの?」
「その、知っていると言いますか……」
彼女は僕の方を見る。
「彼に何か?」
巫女は首を傾げる。
「レノンくん、今回だけ、お願い……! ゼクシムの情報を得る一番の手段なの……!」
(ーーどうするの?)
(まあ普段なら断る所だけど? 私の弟子が迷惑かけているからね。それにあんなにも懇願されちゃったらね? だから今回は特別に良しとしましょうか)
(わかった。じゃあ僕が声に出すから、宜しくね)
段々サキの存在や言葉を表に出す機会が多くなっている気がするが、今回も事態が事態だし、仕方ないのだろう。それに、僕も師匠とサキの話を聞きたいと思っていたところだ。
「僕の中に、サキの魂があります。それなので、彼女の魂と会話する事が出来るんです」
「それは、口寄せーー彼女の霊を身体に宿らせるようなものですか?」
「そこまでは出来ませんが……正確な事は僕もよく分かっていなくて、とにかく彼女の魂が僕と喋る事が出来て、僕がその内容を聞いて伝えるといった感じになります」
「確かに昔から凄い人でしたけど、遂にそこまで来たんですねーーでは、私の事は何て呼んでいましたか?」
(シーナさん!)
「シーナさんです」
僕が即答した事に彼女は驚いた表情を見せたが、
「そう! 名前で呼ぶ人なんて滅多にいないから久しぶりの感覚です。ではサキちゃん。お願いします」
笑顔でそう言った。
(うーんとねー、私とゼクシムの出会いはねー)
「サキとゼクシムさんが最初に会ったのはですねーー」
サキが自らの弟子と過ごしていた日々の事を話し始めた。