59話 置いていかれそうな絆の森
私は椅子に座っている。それだけだ。それだけのはずなのに、手が震える。呼吸が荒くなる。それを慰めるように、落ち着かせるように、小さなその魔物は膝に乗り、こちらを見る。心配そうな黒い目と、魅入るような額の赤い宝石が目に入り、直視できずに横を向いた。
「なるほどだゾ。ついに動き出したゾ? どうするんだゾ?」
それとはまた別に、近づいてきたそれは、私の顔を見ながら特徴的な声と喋り方で話しかけてくる。
「そんなに怖いなら逃げれば良いんだゾ」
「出来ない……! 私は今、代理でも族長なのだから」
首を振ってそう答える。
「そんなに会いたいなら行けば良いんだゾ」
「……出来ない。もう、彼女が知っている私ではない。夢を追う男は……あの時死んだのだから」
手で顔を覆ってそう答えた。
「めんどーなやつだゾ。ヤギを見ただゾ? お前もやりたいようにやれば良いんだゾ。お前程の魔法を使えるのなら、何だって出来るはずだゾ」
「キュー……!」
そう言った後、彼は尻尾で叩かれていた。どうやら私の代わりに怒ってくれているようだ。
「違う……私は出来なかったんだ。彼女とは違う。手を伸ばしても届かないものもあると気付いた。全てを捨ててなお為し得なかった。そのような残骸に、合わせる顔などあるわけない」
「それなら逃げ……あーもうめんどくせーやつだゾ! オレは会ってみてーゾ! オマエがそこまで気にする程の人……いっそのこと、向こうから来てくれたら楽なんだゾー!」
「キューキュー!」
今度は尻尾だけでなく体当たりをして抵抗する。割と鈍い音がしてそれなりに痛そうだ。
「イテッ……イッテーだゾ! 悪かったから止めるんだゾ!」
「止めるんだ。彼が悪いわけではない」
私は魔物の身体を持ち上げて引き離す。
「キュー……」
「ハァ……まあ、しばらくここで世話になるのは確定して良いんだゾ?」
「無理な要求をしなければ私は構わない。好きにしてくれ」
「助かるゾ。あれから指揮長もビビリになっちまったゾ。それに今度はオマエまで……あーあ、どうして出来るやつに限ってそうなるんだゾ……まあ指揮長にはそう伝えとくゾ。また来るゾ。気が変わったら声かけるんだゾ」
「あぁ……」
もう何も失いたくない。ここだけは守りたいから、動かない。何も間違っていないはずなのに、去っていくそれを見ると、また何かを失った寂しさを覚えるのだった。
◆
「そう言えば最初に顔を合わせた時に騒がしくて、自己紹介がまだだったのでさせていただきますーー」
少し歩いて、様々な表情をしていた人達も見えなくなった。今まで僕らは無言で歩いていたが、先輩が口を開いた。
「私、リューナ騎士団医療隊所属の従騎士、ツォンルギア家長女、ミスティーリアと申します。此度はご協力感謝します。よろしくお願いします」
「よ、よろしく。俺はティマルスの衛士、ザックだ。こっちも同じく衛士の伝心狼のバロン。リシューの国境を担当している。今回は森の案内役だーーにしても、家の名前とかよく分からないけど、お嬢さん、すごい肩書きだな」
如何にも騎士という風貌で名乗った先輩を見て、彼は少々驚きながら名乗り返した。
「いえ、従騎士なのでまだ半人前です。それなので、今回の任務を成功させ、一人前の騎士に近づきたいと思っています」
「そうなのか。レノン、お前もやっとけ」
ザックが僕を見てふと言った。
「えっ、でも皆様僕の事知ってますよね?」
「騎士は名乗るもんだろ。半人前でもその半分に名乗りは入るだろ?」
バロンも縦に首を振る。どうやら彼も話についていけているようだ。ザックが声に出しながら伝心をしているのかもしれない。とにかく不便さがなくて良かった。
ーーじゃなくて、求められたらやるしかない。
「バロンさんまで……じゃあーーリューナ騎士団医療隊所属の従騎士、レノンです。ザックさん、バロンさん。お久しぶりです。今回は力を合わせて頑張りましょう!」
「なんだ。あの頃からあんまり変わってないじゃないか」
「なんでですかー! 僕だってちゃんとリューナ騎士団って名乗ったのに……」
「服装は変われど見た目も背の高さもあの頃のままだしなぁ……じゃあ今ならバロンに勝てるのかよ?」
そう言ってバロンの背中を軽く叩く。バロンは軽くザックに鼻をぶつけて攻撃するも、僕の事を見て牙を見せる。
「か、勝てますよーー多分。あのときだってあれはああいう作戦だっただけですし。それに今は更に強くなってますからね!」
強がってそう言ってみせる。
(私のおかげでね)
(き、協力しているんだよ)
リューナ騎士の訓練も始めて実力もつき始めたし、サキの魔力を合わせられるおかげで強くなっているから、実際に今なら勝てるかもしれない。
「伝心狼程度には勝ってもらえないと騎士として困るでしょ。これから私達が書状を渡しに行くのは、ヤギにオウム。どっちもティマルスの主戦力の種族なんだから」
「ーーなあなあ嬢さん。俺達だって日々訓練しているんだ。そういうのは傷つくから、な? 仲良くやってこうぜ」
ザックは一瞬眉が動いたが、なだらかにそう言った。
「はい、そうしたいと思っています。それぞれが役割を持ち、それを果たす事が大事なので、連携を重視していきましょうーーところで、今回の任務の共有と作戦について話しても良いですか?」
「おう、一応巫女様から話は聞いているから確認だーー」
軽くバロンの背中を叩くと、彼の背中に乗る。そして紙を取り出した。
「俺達が行きたいのは、香の森と音の森だ。香の森にいる導師様と音の森にいる指揮長様にこの書状を渡し、連れて来る、或いは期限を明記した返事をもらってくる事だ。合っているか?」
「はい。差異はないです。それではーー」
先輩は淡々と話を進めようとする。
「ちょ、ちょっとだけ良いですか? 巫女様、導師様、指揮長様って、それぞれ並獣族の族長、ヤギの族長、オウムの族長ですよね?」
「ああ、そうだな。因みに族長なら、みんな偉さは同じだぞ」
「じゃあなんで普通に族長ではなく、別々の名前を付けているんですか?」
(レノンの頭で覚え切れないなら私が覚えておいてあげるわよ?)
(そ、そこまでお粗末じゃないよ!)
ーーしかしそう思った理由を正直に言うと、覚えるのが大変で困ったのだ。
「ねぇ、今その質問、する必要ある?」
先輩は僕を横目に見ながらそう言った。
「必要というか、気になったので……」
そういうと先輩の顔が険しくなる。口を開こうとしたその時に、
「まあまあ良いじゃんか。俺はティマルスに興味を持ってくれて嬉しいしな」
「時間がないんですよ。三日後に戻ってなくてはいけないって、全然余裕ないです。少しでも今のうちに余裕作っておかないと……! 特にこの絆の森は、みんなあなたの事を知っていて襲われる事もないですし!」
「まあまあそんな慌てるなって。無理だろ。今日絆の森を抜けるのは。蜜の森に着く頃には日が暮れるってーー」
「蜜の森? 何故蜜の森に行くのです? どう考えても距離が近い香の森に行く方が効率的ですよね?」
確かに僕もそう思う。地図は見れなかったからよくわからないが、香の森は今いる絆の森と隣接していると聞いた。
「その話はこの後しようと思ってたんだよ……まあ良いけどさーー」
そう言って頭をかくと、
「香の森は危険なんだよ。メイジスは知らないだろうがな、あの地域には強い魔力を帯びたお香が至る所で焚かれているんだよ。絆の森からでも紫の霧が見えるくらいガンガンにな。それで、魔法に耐性がある魔物ならともかく、吸うと人間には結構辛いもんがある。だから、遠回りでもまずは音の森から行った方が良い」
(あー、そんなのもあったわね)
「あっ、分かりました! 音の森に行って渡して、更にオウムに助けてもらうんですね!」
「そうだ。あいつらならお香は効かないからな。そこで導師様に謁見許可を取ってもらって、一時的に霧を払ってもらうのが一番良い方法だと思う。どうだ?」
「僕はそれで良いと思います。ザックさん、ちゃんと考えてくれていたんですね!」
「そりゃ考えるさ。だってよ、巫女様が直接来たんだぞ!? どう考えても考えるだろーーそれで、お嬢さんもそれで良いか?」
ザックは先輩に問いかけた。
「……そういう事なら、仕方ありませんか。では、道を教えてください!」
そう言って先輩は急に走り出した。
「おい! どういうつもりだよ! そんな急いでも着かないって話はしただろうが!」
それでも先輩は止まらず、
「それはやってみないと分かりません! もしかしたら、今日中に蜜の森を抜けられるかもしれませんから!」
振り向いてそう叫ぶと、そのまま小さくなっていく。
「やっぱメイジスの騎士っていうのは横暴だな……いや、言っちゃダメだーーおいレノン! 乗っけてやるから魔法を使え! 見失ったら危ないぞ……!」
「うわぉっと!」
そう言うと同時に僕の身体は宙を舞ってちょっと硬いいチクチクの上に落ちた。前にも似たような体験があったが、バロンが僕を咥えて背中に投げ捨てたのだ。
「ではこちらで! お願いします!」
強化の魔法を唱えると、バロンは加速する。一時はどんどん小さくなっていくばかりだった先輩も、だんだんと大きく見えるようになってきた。
一瞬後ろを見た先輩は、これで良いと勝手に思ったのか、頷くと更に加速して走り出した。
「その道は左だ! まったく……徒競走じゃないんだぞ!」
そう言っても先輩は止まらず、ザックは道案内に必死で、誰とも話す事ができず、サキと僕で溜め息を吐く事しかできなかった。
そしてどれくらいの時間を走ったーー僕は乗っていただけだがーーだろうか。遂に先輩が止まると、
「これで……結構、短縮できた……はずです……!」
息を切らしながらそう言った。
「そうだな……そして見事に着いちまったかー」
森の名前が変わる境界線となる場所では、見張り番をしているのだが、なんと番をしている人がいるところまでもう着いてしまったのだ。しかも空はまだギリギリ青い。
「どうしますか? 行けそうですかね?」
「これはーーもしかしたら行けるかもしれんなあ……」
「蜜の森って絆の森と比べると小さいんですか?」
確かに早くは着いた。しかし今から同じように全力で走るわけにはいかず、暗くなるまでに着くのか不安はあった。
「広さだけならだだっ広いが、真っ直ぐ突っ切るだけだからな。むしろ絆の森よりも短い距離でいけるはずだ。レノン、お前、戦えるんだよな? 今ので魔力空になったとかないよな?」
(あの程度ならまあ、まだまだ残っているわ)
(よしーー)
「まだそこそこ余裕あります。ここからは魔物も結構出るのですか?」
今までは絆の森で、巫女様がしっかり管理していたから襲ってくるような魔物は滅多にいなかった。しかしここからは違うという事だろう。
「まあ出るというか、ちょっと厄介な植物がいる程度のはずだけどな。飛竜と戦わされるわけじゃないから安心してくれ」
「わかりました! お任せください!」
僕は杖を小さく振ってみせる。
「よし。レノン、降りろ。嬢さん乗せるからーー」
「はいーー」
「必要ありません」
僕が降りようとしたとき、先輩は一言放った。
「強がるなって。散々走ったろ。俺もこいつも歩くからさ、少し休んでてくれよーーそれに、散々寝てたんだ。お前も身体動かしたいだろ?」
「はい。ここからは任せてください。成長したところを少しでも見せたいですし!」
そう言って腕を回してみる。
「強がってないです。強いんです。私は騎士になるんですから。それに、あなた達が歩くと遅くなるじゃないですか。私はもっと先に進みたいんで、大丈夫です」
「おいおい、ここからはもう走らないぞ?」
先輩の前に立ってザックは言う。
「まだ私の事を侮っているのですか? そんな必要はないと証明したばかりじゃないですか!」
そう怒るミスティーリアに、
「違うさお嬢さん。ここからは、走るとむしろ遅くなるからな」
それだけ残すと、門番の並獣族に通行許可を得るために歩いていった。




