56話 招集
「すぐ戻ってきますよねぇ……? ねぇ……!」
目の前に馬車がある。そんな状況でも僕達は中々乗り込めないでいた。小柄な少女の手が、セレーナを掴んで離さないのだ。
「エイミーちゃん。大丈夫だから。ね? もう行かないとーー」
「今南部が攻めてきたらどうするんですかー! 後もう少し、もう少しだけで良いんで……」
未だに少女はセレーナのローブを引っ張り続ける。これには彼女も困り果ててしまって僕を見る。僕は首を振った後、ごめんなさいと言った。そう言うしかなかった。
「副医長……またこのやり取りするんですか……」
先輩は呆れたように手で顔を覆う。そう、この方は副医長なのだ。小柄で幼くも見えるが、実力は相当なのだそうだ。
「前にもこんな事があったのですか?」
「お嬢様捜索のときもこんな感じだったのよ」
「エイミーさん……」
「……さん!?」
僕が呟くと彼女は声を上げて、カッと目を見開いて反応する。そして僕の事をマジマジと見る。どうやら興味が僕に移ったようだ。
「あなた、若そうですね……いくつですか?」
「ーーえっ? あっ、十五です」
「はぁっ……!」
そんな声を出して投石に当たったような反応を取った後、彼女を引き離そうと他の騎士に掴まれていた腕を一瞬で振り払い、軽い身のこなしで飛び上がる。そして僕の頭上で回転した後、飛び越えた先で着地した。
「フフフ……新人くん。お姉さんの事、どんどん頼って良いからね」
「は、はい」
(急に口調変わったわね)
気持ち低めの声で彼女はそう言った。
「聞きました? 聞きましたよね! 彼、十五歳って言いましたよ!」
彼女は目を輝かせて言う。
「おー、遂にエイミーちゃんより歳下ですね」
彼女は副医長。つまり周りの騎士は部下のはずだが、どうやら他の人からも『ちゃん』と呼ばれているようだ。
「そうなんですよ! 嬉しくて遂に飛び跳ねてしまいましたー!」
「ではエイミー卿もいつまでもわがまま言ってられないですね」
「あう……えっと……」
セレーナがそう言うと、一瞬下を向き、周りを見る。そしてチラッと横目で僕を見てから、
「ーーそうですよね! いってらっしゃいです。皆さん!」
と笑顔で手を振ってくれた。そして僕達は見送りをしてくれる彼女達に別れを告げ、手配してあった馬車に乗り込んだ。
ようやく終わったとばかりにため息を吐き、
「副医長も、なったばかりとは言え副医長です。もう少し自覚を持ってと言いますか、威厳あるお姿でいてもらいたいのですが……」
そう愚痴を零した。そんな事を言い出したのはセレーナではなく、先輩従騎士であるミスティーリアだった。
「エイミー卿も騎士になって長いとは言え、まだ十六歳です。仕方ないところもありますし、そのための二人目の副医長という形なのですから。彼女の魔法は他を逸したものですし、やはりこの地位に相応しいのは彼女しかいないと思いますよ。それにーー」
そう言ってセレーナは僕を見る。
「遂に彼女も隊の中で最年少ではなくなりましたし、これから子どもっぽいところも抜けていって、そっちの面でも成長してくれると思いますよ」
「では、僕が今は最年少なんですか?」
「ええ、そうですね。色々な人に頼ると良いと思いますよ。私達は勿論、彼女も力になってくれるはずです」
「そうやってまた甘やかしてますし……」
先輩は呆れたような顔をして言う。
「あなたも他人の事ばかり見ていられませんよ。そろそろ一人前の騎士になるんですから。ミスティーリアさんがいない日々を想うと寂しいですが、残る時間も私の元で、しっかりとお願いしますね」
「ーーあ、当たり前です。それではいつまでも雑談しててはいけませんね」
先輩は少し照れているのを誤魔化しながら本題に戻していく。
「まずは話を聞かせてください。何故急にティマルスに向かう事になったのですか?」
(確かに、話し合いから戻って来たら急に外に出る準備をするから手伝ってーですもの。おやつの準備ができないくらい大変だったわ)
(そんな余裕はなかったね)
僕にない余裕は時間だけでなく懐にもだが。とにかく二人の言う通り、本当に戻ってすぐだ。しかもエイミーがずっとセレーナを拘束していたため、実質準備をしたのは僕達だけだ。彼女でも振り払えないとは、副医長の名は伊達じゃないということだろう。
「そうですね。大伯の意向でしたが、私も驚きましたよ。順を追って話しますね」
「お願いします」
「大伯はまず、一週間大戦の終結を知らせました」
(遂に終わったの!?)
「終わったんですか! それならティマルスはーー」
安心だと言いたかったところで、
「早とちりは良くないわ。私達は任務としてティマルスに向かっているのよ。話を最後まで聞いてから判断しないと」
先輩が口を挟む。セレーナは僕達を見て、頷きながら『そうね』と言った。
「レノンくんの気持ちも分かるわ。周りの人達も騒ついていたもの。でも話は最後まで聞くようにね」
「すみません……」
そう言うとセレーナは再び言葉を紡ぎ始める。
「ーーその結果獣王は、命の危機に瀕する傷を負い、ティマルスの森が炎上しました」
「「(えっ!?)」」
全員が驚きを隠せない。さっきあんな事を言った先輩すらもだ。
あの獣王が倒れるなんて考えた事もなかった。なんせ、並獣族だけでなく、数多くの魔物が、そしてあのすごい強いと聞く飛竜がいるティマルスだ。それを抑えて魔物の頂点に立っている獣王を倒すなんて、やはり想像もつかなかった。
「誰がそんな事をしたのですか? やはり飛竜ですか? 彼らは厳密にはティマルスの一員ではありませんし。獣王と仲が良くないどころか森に降りて民を襲う事すらあると聞きます」
「飛竜はティマルスの一員ではないのですか?」
「そんな事も知らないの? 古代大戦のときに魔境とされた中で、現在ティマルスと呼ばれているのは森の中だけ。魔物が治める地域は、北の山脈、ティマルス、南の草原に分かれているのよ」
先輩は溜め息を吐きながらも僕に教えてくれた。
「そうだったんですか。先輩は物知りですね」
「このくらい当然なの。あなたも従騎士なら無知は恥と知ってもっと学習しなさい」
「はい。頑張ります! もっと色々教えてください!」
「自分で学習するの! 私は忙しいんだからーー」
「まあまあそれくらいで。厳密には違うとは言っても、その三つを引っくるめてティマルスと呼ばれる事もありますし」
場を収めて話を進めるためだろう。手を叩き、セレーナはそう言った。
「北の山脈の飛竜ーー可能性としては最有力ですが、何者かについて大伯は、『何があったのかは調査中で、今の段階で述べるべきではありません』と断定しませんでした」
「えっとーーつまりこの流れからすると、僕達が今ティマルスに向かっているのは、ティマルスを助けるためという事ですよね!」
「はい、そうです。ティマルスからーー具体的に述べると並獣族の巫女から救援要請があり、交渉の末にその要請を受諾したとの事でした」
(巫女からの要請……? むしろそういうの嫌がりそうなのに)
(知ってるの?)
僕がそう聞こうとすると、
「大伯がそう仰ったなら従いますがーーですが、何故わざわざそのような事を?」
先輩はそう言いながらも、やはり意図がわからないという風に首を傾げた。
「同じ質問をしていましたよ。ロジムス卿が」
「よく大伯を前にして堂々と質問できますよね……あの威圧感というか……とにかく私は圧されてしまいます」
(今は忙しいみたいだし、暇になったら話してあげるわ。にしても、ミスミスでもそういう事言うのね)
確かにいつも強気なイメージだから圧倒する側な彼女だが、普通の人みたいにされる側に立つ事もあるのか。
「分かります。とにかく凄い人ですよね。話した時の印象も、頭が良いというより優れている、優しいというより、寛大という言葉が合っている感じでーー」
「えっ、あなた大伯と会話した事あーー」
「大伯は仰いました。『ティマルスの存在は歴史のみならず、現在の生活を顧みても帝国にとって大きいものです。支配するとは、搾取する、虐げると等しくなってはなりません。そのティマルスを救い、共に歩む事こそが帝国の在り方として相応しい』と。私もその考えに同意します」
セレーナは先輩の注意を塗り潰すようにそう述べた。そう言えばサキの事やどのような経緯で入ったのかは他の人は知らされておらず、話さないようにと言われていた。
(気を付けないと……)
(そうよそうよ。変に広まるとあなたもきつくなるわ。私への嫉妬でね)
彼女の魔力に嫉妬する人は確かにいるかも知れない。もしいたとして、そんな彼らは彼女をどのような人だと思っているのだろうか。好きなだけ魔法を撃たせてくれて、何でも知っていて教えてくれる賢者のように思っているのなら、そんな上手い話あるわけないと言ってやりたい。
「大伯がそう仰るのなら私もそのつもりで臨みますがーー」
「何か気になる事がありますか?」
「急過ぎませんか? 準備の期間が一日くらいあっても良いと思ったのですが……」
「それは大伯も仰っていましたが……」
「えっ、そうなのですか?」
では何故と思っているとーー
「大伯が私だけでも良いから可能な限り早い方が良いと仰っていまして、私も一早く助けに向かいたかったので……」
「それで、即座に向かう事を了承してしまったのですか?」
「はい。あと他の方は一日後で来ます。条件と報酬を考慮した結果数人しか送れないという話になってしまいましたがーー」
「今の状況ですと、巫女様もお金出せなかったんですかね……?」
僕が聞くと、セレーナは考える素振りをした後、
「それもあるとは思うけどーー条件の方が厳しく、治癒魔法が扱える事、飛竜を相手に一員として立ち回れる事と、ヤギと対等に戦える事、これを全て満たしている方というものだったから、班長並みでないと選べなかったのよね……」
困ったという顔をして答えた。
「ヤギは危険とは聞きますけど、あくまで獣王の庇護を受けている魔物ですし、班長以上だけとは……大伯も慎重に考え過ぎではないですか?」
「今回はヤギとも作戦を共にする事もあり得るでしょうし、そのような事は言ってはいけませんよ。あと医療隊は他の隊と比べて少ないので、何があっても犠牲者を出させないという人選のはずです」
(ヤギってそんな強いのかな?)
(うーん、分かんない。あなた達の基準なら強いのかも知れないわね)
基準が圧倒的に異なるサキに聞くだけ無駄な話だったか。
「そういう事情ですので、今回の任務では、各々の従騎士、つまりあなた達にも積極的に民の治癒に回ってもらう事になる可能性があります。前線に出る事は想定していませんが、普段より忙しくなるはずです。あなた達に負担をおかけしてばかりで申し訳ないと思っていますがーー」
「セレーナ様……私達は大丈夫です。しかしそういう事ではありません。私が申し上げたいのは、ご自身のお身体の事をもっと考えてほしいということです。アムドガルドへ行って、戻ってその期間空けていた分の仕事をしてと、ずっと働き詰めだったではないですか。このままだといつか倒れてしまいますよ」
彼女は口を開くも、声を出す前に思いとどめたように閉じ、代わりに時間を稼ぐように唸って間を繋いでいた。
どうやら返す言葉もないほど正論、或いはこれまでに返す言葉を使い切るほど言われ続けてきたのだろう。
「ーーお嬢様の件のときもそう言いましたが、やはり今回も特別なので仕方ありません。巫女様は依頼するときに私の力に頼りたいと仰ったそうです。自身が騎士だという自覚がある者なら、全力でお応えすべきです。私はそう教えているつもりですし、あなた達の主人として、あるべき姿勢を示し続ける必要がありますからね」
そう言った後、彼女は優しく微笑んだ。
「本当に騎士として目指すべき在り方だと思います。セレーナさんの従騎士になって近くで学べて本当に良かったです!」
「そんな風に言われると流石にちょっと大袈裟過ぎかも。だってあなた達も、気持ちは負けてないでしょ?」
「はい! そのつもりで頑張ります!」
少し口調を崩して彼女はそう言った。見習うならまずは姿勢からと思い、僕はそう答え、
「ーーはい。セレーナ様は素晴らしい人です。私もそうならなくてはと思います」
先輩は憧憬の眼差しを向けて感心したように、間を取って静かにそう言った。
「ーーいつまでもこうして歓談していてはいけませんね。着くまでに二人にティマルスの事を話さなければならないのでした」
セレーナは思い出すように言った。
「では、ミスティーリアさん。何かあれば補足するので、ティマルスがどういうところなのかを、彼にも分かるように基本的な部分から話してもらえますか?」
「承知しました。ではまずは今回の依頼を整理します。今回私達の依頼主は巫女様ーーつまり拠点は絆の森、そこで住民に対して救助活動及び原因の究明、解決を行う。何か付け足す事はありますか?」
「言っている事は合っていますよ。細かい方針については、着いた後に巫女様から説明があるはずです。さっき私が言いたかったのは……」
そう言いながら僕の方を見る。
「彼にその時指示が伝わるように、ティマルスの知識を教えてあげてほしいという話ですーーレノンくんはここまででわからない事はありますか?」
「えっと……巫女様ってなんですか?」
僕が聞くと先輩は驚いたまま一瞬固まって、
「嘘……そこから話すんですか……?」
セレーナの方を見て確認するように聞くと、
「ヤギの事も教えてあげてください」
そう言った後に微笑みを返した。
「そんなところから始めていたら着くまでに終わりませんよ! 絆の森だけでなく、更に奥に入るのならその区画の森で暮らす民となる魔物と、そうでない魔物の話もしないといけないですし……」
「ミスティーリアさんなら大丈夫ですよ。レノンくんが従騎士の仕事を覚えているのも、ミスティーリアさんが教えてくれているからでしょうし」
「何でそんな事も知らないのが従騎士になれるんですか……セレーナ様がそう言うのなら、説明しますけど、それが私の仕事なので」
「よろしくお願いします! 先輩が教えてくれるなら心強いーー」
「以後脱線禁止! 時間もないので質問の場合のみ挙手で勝手に喋らないこと。そして重要な用語は全てメモを取ること!」
「は、はい!」
僕はそれだけ言うと口を閉じる。因みに喋ってはいけないが、ここで返事をしないと怒られる。
「よし。それじゃあ始めるわよ。巫女様とは、並獣族の巫女、シーナ様のことね。巫女というのは……簡単に言うと民を束ねる人で、領主みたいな存在になるわ。厳密にはそれだけではないけれど、今回は時間がないからその認識で問題ないはず。とにかく礼を欠くことがないようにーー」
聞いては口に出さずにメモを取る。そうして僕は、着くまでにティマルスの知識を詰め込まれたのであった。




