5話 旅の始まり
(これからはこの天才魔女である私が実際によく使っていた数々の凄く凄い魔法を授けていくわ。そしたらあなたは試験どころか、あらゆる頼み事も私みたいに即座に解決! 騎士でもなんでも最上位間違いなしよ!)
「おお……! サキ先生! よろしくお願いします!」
僕もここまで、彼女を宥めながらも本当はずっと楽しみにしていた。
(良い返事ね。うーん、魔力の消費量が多いのはダメよね。すぐ使えなくなっちゃうしーー)
「僕に出来そうなのからお願いね」
(最初から難しい魔法は教えないわ。すると……そうね! これくらいなら出来るでしょうーーまずは私がよく使っていたお手軽魔法、悪夢の魔剣を使えるようになりましょう!)
魔法の天才ーーサキから、遂に魔法を教えてもらう時が……来た!
◆
リシューを目指す旅路の中、歩き出したはずの僕は既に立ち止まっていた。そして紙を広げて会話をしていた。前を歩くわけでもなく、隣を歩くわけでもない、この身体の中にいる少女と――
「うーんわからないなぁ……サキ、今この地図のどこくらいまで来たのかわかる?」
僕はずっと村の狭い世界で過ごしてきた。道は聞けば教えてくれるし、正式な地図など読んだ事がなかったのだ。
意気揚々と旅に出たのは良いものの、この地図の縮尺でこれだけの距離を進むにはどれ程の距離を歩けば良いのかーーつまりしばらく歩いてしまった今、自分がどの辺りにいるのかすらわからないのだ。
(読めないわ。一人で旅に出たことないもの。いつも頼れる相棒がいてくれるの。今回はそれがレノン、あなたよ!)
『あなたよ!』と言われても僕にはわからない。わからないと言った後に頼られても困る。母さんなら知っているだろうけど、村に戻って教えてくださいなどとは流石に言えない。
(……普通は読めると思うわよね。頼りにならなくてごめんなさい。でも文字なら読めるわ。仮名文字だけじゃなくて剣字も! だから看板があったら読んであげる!)
「僕だって読めるよ。剣字だって勉強したんだ。村生まれだからって甘く見られちゃ困るね」
(あら、修学済みだったのね。レノンは仮名文字なら全部読めるけど、剣字って何? くらい言うのかと思っていたわ)
「大昔に剣族が作った文字で、今は帝国の文字でしょーー母さんには、都市の子どもは七歳には本を読んで一人で魔法の勉強ができて当たり前だって言われてきたからね。必死に勉強したよ」
(思ったより勉強熱心だったのね。うーん……じゃあ今私がしてあげられる事は…………ひ、一人じゃない! ほら、話しながら歩いていたらきっとそのうち着くわよ)
「そんな無茶苦茶な……確かに聞きたい事は色々あるけどさ……」
(例えばどんな話が聞きたいの?)
「そうだなーー」
僕は腕を組んで考える。何を聞けばサキの事がわかるだろうか。
「じゃあサキが魔女の活動で行った街の事を話してよ」
(良いけど……どこの話を聞きたいの? 私は帝国の隅から隅まで行っているけど)
「本当に隅から隅まで? メイジステンの中でってオチじゃなくて?」
僕は疑いの目を持って聞く。
(違うわ。帝国のって言っているでしょ? 私達メイジスが暮らすメイジステン地方は当然、剣族の土地アムドガルド地方にも、並獣族の森のティマルス地方にだって行った事あるわ)
「じゃあ本当に世界の全部なんだ……! 凄い……!」
(えー、レノン。この程度で驚いちゃうの? やっぱり村育ちね)
「うん、凄いよ! 良いなぁ……僕には夢のまた夢だよ。世界帝国の名所巡り。僕もいつかしてみたいなぁ……」
(私の身体が戻ったらどこにでも連れて行ってあげるわよ。だから何とかして私の意思で動かせる身体を用意して!)
「よーし! それなら頑張らーー」
(ーーレノン! 今は静かに!)
サキがそう言うと急に黙る。僕にも聞こえていた。草が揺れている音。しかし風のせいだけではない。ということは――
「魔物か。ということは戦わなくちゃいけないね」
(出来ればリシューで拠点を確保してから練習したかったのに……まあ、こんな整備されてない道なら、着くまでに遭遇しないわけないわよね)
「それなら――準備!」
魔物と戦う決心をして、強化の魔法を唱え、構える。
(そうね。敵がいるとわかったら会う前に使っておいた方が良いわ)
あれだけの経験をしたんだ。速く動くこと、身を守ること両方を含めて強化の重要性は嫌でも思い知らされた。
草の中から魔物が僕に向かって飛びかかってきた。まずはそれを躱し、敵の姿を確認する。その魔物は緑蛙だった。僕の膝と太ももの間くらいの高さというカエル種では小さい方の一般的によく見る魔物だ。
「今度はこっちから――火炎砲!」
杖から前方に向かって炎を吹き出す。しかし飛び跳ねられて避けられてしまう。
「あれっ!?」
単に避けられたから驚いたわけではない。簡単に避けられる程度の炎しか出なかった事にだ。サキの魂と一緒なのに、これじゃあ今までの僕と変わらないじゃないか。
(無策に撃っても当たらないわよ。しっかり追い詰めるか隙を狙わないと――)
「サキの力は!?」
(あの杖なしで魔力を流せる訳ないでしょ?)
「サキが言う体を動かせないって、自分の魂の魔力も流せないって事だったの!?」
(ーーそれより来るわ!)
僕に焦点を合わせた緑蛙が、飛びかかってくる。
「くっ……でもこれくらいは!」
僕はその攻撃を後ろに下がって躱す。緑蛙は着地した後、もう一度跳躍して襲いかかってくる。
(盾を作って!)
「障壁!」
土の盾を作ってその攻撃を防ぐ。緑蛙は盾にぶつかった衝撃でひっくり返る。
(はい今!)
「えっと、火炎砲!」
盾を崩して炎を放ち、緑蛙に直撃する。その熱さに驚いたのか逃げていった。
「ふぅ、勝てた……!」
僕は立ち上がり、息を整える。一先ずどうにかなったか。それにしても、自分の力で魔物に初勝利。一歩進んだ気がして嬉しかった。
(今の魔法の威力……私の杖の補助がないとここまで落ちるのね……)
サキはかなり残念そうにそう言っていた。
「確かに元々僕の魔法はこんなものだけど……あの杖がなくてもサキの力で、少しくらいは強くする事が出来るんじゃないの?」
(この状態じゃどうしようもないからそれはもう諦めなさいーーうーん、それにしても……これは守護騎士まで、それどころか普通の騎士までもかなり長い道のりになりそうね)
確かに昨日の戦いのような魔法は使えないとは知っていたとしても、もう少し使えるものだと思っていたみたいだ。
耳を澄ますと、遠くから小さくゲコゲコという鳴き声が聞こえる。これは緑蛙の鳴き声だ。ということは――
「緑蛙が鳴いている! 早く逃げよう!」
鳴き声が耳に届くと即座に走り出す。
(何? 何が起きるの!?)
彼女は困惑したように聞いてくる。僕でも知っている程度の事がわからないという事はーー魔法には詳しいのに、魔物については全然詳しくないようだ。単に緑蛙が弱過ぎて眼中になかった可能性もある。だがこれはカエル種全体の特徴だった気もするが。
「集まってくるんだよ! なんで知らないの!?」
(……魔物は専門外なの! 魔法撃って終わりだから考える必要がなかったもの!)
魔法が上手過ぎるのも、先生としては困り者だな。
僕達が言い合っている間にもたくさんの方向からゲコゲコという鳴き声が聞こえる。もう何体か集まってきているようだ。
「囲まれているね。もう戦うしかないよ」
(そうみたいね。それならさっきの戦術メインでやっていきましょう。防いで焼くやつで)
サキの言葉を聞いて走るのを止め、辺りを見渡す。姿が見えるものだけで二体。見えなくても鳴き声が近くなっているように聞こえるから、実際にはもっと集まっていると考えるべきだろう。
「あっちの攻撃を待つだけじゃダメだ!」
彼女はあのように言っていたけど、これ以上集まられたらまずい。接近して杖で叩きつけようとするも、緑蛙は避け、もう一体が後ろから突っ込んでくる。
(危ない!)
「わかっているよ! 障壁! からのーー火炎砲!」
土の盾を張り、やつの攻撃を防ぐ。その後そのカエルに向かって火炎砲を唱える。炎が直撃すると、相手も怯み、
「はっ!」
そこから杖で追撃すると緑蛙は動かなくなった。
「よし、次はーー」
(レノン! 横!)
「えっ? うわっ!?」
もう一体いた緑蛙が横から突っ込んできた。障壁を唱えようとしたが間に合わないーーどつかれてしまい、僕の体は宙を舞って落ちた。
「いっててて……」
(不注意よ。一体に集中し過ぎているわ。もっと視野を広く持って!)
「ごめん! でも出来るかどうか……」
謝りながら立ち上がる。さっき減らしたと思ったらまた一体。中々数が減らない。だが、もたもたしていると増えてしまう。二体がこっちを見る。そのうちの片方が飛び跳ねてきた。
「まずは、避ける!」
後ろに跳ねて攻撃を躱す。もう片方も飛び跳ねてくる。
「次は、防ぐ! 障壁!」
それを盾を張って防ぐ。二体が一列に並ぶ。
「これでーー火炎砲!」
炎が両方の緑蛙に当たり、片方は動かなくなり、もう片方は弱ったようで大分動きが鈍り、こちらに背を向けた。
「もらった!」
逃げようとした緑蛙を杖で叩きつける。
「グェー!」
悲鳴をあげると、二体のカエルは動かなくなった。後からもう一体が姿を見せたが、動かなくなった仲間達の姿を見て、他の逃げている仲間と一緒に逃げていった。
「はぁ……はぁ……やったか……」
何とか緑蛙を追い払った。結構魔法を使ったし、息も切れて疲れた。
(レノン、お疲れ様。だけどいつまでもここにいちゃ……)
「わかってるよ。だけど!」
確かに万一また緑蛙に集まられたら今度こそ厳しい。だが、折角倒したのだ。僕は緑蛙を二体抱える。その後、止まった足に鞭を打ち、再び走りだした。
(それ、持っていくの!?)
「今日早速野宿かも知れないじゃん?」
リシューはそんなに遠くないと聞いていたが、着かないのなら仕方ない。このカエル達はその時の夕食だ。
(わかったわ。じゃあそれを持って頑張って走って! 少し距離を取るだけでいいわ)
まだ着かないのか。リシューって結構遠いな。そう思い、空を見上げると、もう空は赤く染まり始めていた。
それから少し走ったが、このカエルが丸々二匹だと中々大きくて重い。軽くて中身も入ってないのは一番困るが、抱えて走るにはもう限界だ。堪らずその場に座り込む。
「もう無理……! 今日はここらで野宿にしよう……」
(お疲れーーねぇ! 今一瞬! もう一度起き上がって見てみて!)
サキがそう言ってまだ僕を動かそうと働きかけてくる。
「もうダメだ。サキにはわからないかもしれないけどもうヘトヘトで――」
(ヘトヘトなら寝て休んだ方がいいじゃない! だからほら見て!)
疲れているせいか高い声がより響く。彼女があまりにも言うので仕方なく立ち上がり、辺りを見渡してみる。すると高くまで積まれた石の壁が見えた。
「これ……都市の壁だ! やっと見えたよ……!」
更に目を凝らすと小さくではあるが、建物が見える。これなら夜になるまでには着くことが出来るかもしれない。それに一際目立つあれはーー
「あれ……時計台、かな……?」
時計台と言えば都市の証。勿論実際には見たことはないが。
(でしょ? ほら、都市はもうすぐよ)
疲れなんて吹っ飛んで……はいないが、目的地は見えた。重い足を引きずって僕は歩きだす。もう動けないと思ってから更に歩き、ようやく門が見えてきた。
「止まれ。お前は何者だ?」
剣を腰に下げ、鎧を身につけている正に騎士といった出で立ちの門番に呼び止められる。
「ラティー村の……レノンです。騎士見習いになりに……来ました……」
思うように言葉が出てこない。安心したせいか門を見てから非常に眠くなってきたのだ。
「騎士見習いにか。それより……大丈夫か?」
「ちょっと、疲れているだけなのでーー」
『大丈夫です』と続けようとした瞬間、身体がよろける。
(レノン……嘘でしょ!? まだ寝ちゃ…………)
サキが何か言っている。それも高い音としか判断しなくなり、やがて聞こえなくなった。




