49話 尽きぬ恨みに尽きぬ闇
音を立てながら黒い煙が生み出されていく。それを食い止め、建物の景色に戻していく。
こちらが有利に見えるのは相変わらずだが、まるで魔力が尽きぬという夢物語が本当かのように黒死の悪魔は余裕な態度を崩さない。その余裕は、いくら周りを浄化しても保ち続けている自らを覆う黒煙からくるものだと推測できた。
「一気に結界を払ってくれ。その隙に俺が叩く」
「だけど、あいつの言っていることが本当だったら……」
セレーナは少し不安そうな声色でラドに言った。
「お前の治癒魔法は帝国一だ。あんなのに負けやしないだろ?」
「ーーはい。私がリオナ騎士団の医長である間は、その名誉だけは他の誰にも譲るつもりはありません」
「よく言った。俺がやつに攻撃する直前に煙を払ってくれ」
「わかった」
「僕にできることはーー」
「不要だ。そこで待ってろ。ついてこられても足手まといになる」
(言い方……協力しなければ厳しい相手なのに……)
「レノンくん。次の状況に備えて待機する人員も必要よ。数の利を活かして柔軟に対応できるようにね」
セレーナがそう言ってくれたため、ここでは溜飲を下げて待つべきだと自分にも言い聞かせる。攻めにいくのに適しているのは騎士として場数をこなしているラドに決まっているからだ。敵を崩したとわかってから加勢した方が確実だ。
「大丈夫……あのときとは違う。見ているだけじゃない……」
小さな声でそう呟いた。隙を見つけろ。弱点を見つけろ。もう守ってもらっているだけじゃない。
「そうだ! ラドさん! あいつの弱点は鎖です。身体は蘇生しますが、鎖を全て千切ればーー」
「鎖? 前に実際に戦ったときはそんなものなかった。こんなときに余計な事を言うな」
そう言うとラドは魔法で作り出した槍を僕らの近くに一本、黒死の悪魔の目の前に一本刺し、一瞬で黒死の悪魔の元へ移動する。そして地面に刺さった槍を抜くと、炎を纏った一撃を食らわそうとする。
「これでーーラド! お願い!」
セレーナは無茶なほど急な展開にも合わせて浄化を一気に進め、黒死の悪魔を覆っている黒煙を含めて全てかき消した。
「無限だか何だか知らないがーーこの一撃で燃やし尽くす!」
槍と鎌がぶつかった音の後、赤く強く燃える火柱が上がり、それが悪魔を焼き尽くした。塵も残さずに消し去るほどの炎に包まれた中から崩れかけた顔を出し、今にも折れそうな手を伸ばして口を開いた。
「ーーああ、汝も真っ黒だな」
その瞬間に火柱は消え去り、破裂したかのような勢いで黒煙が建物を埋め尽くす。
「っ……! 多過ぎて……手が、回らない……!」
セレーナの浄化の許容量を超えた黒煙は、僕達が立っていた部分さえも侵食し始めていた。後手に回ってセレーナが自身の周りを浄化し、何とか僕達の周囲に安全地帯を作っているという状況にまで追い込まれてしまった。
「ラドさんの槍が!」
ラドは攻める際に黒死の悪魔の目の前の他に僕達の近くにも槍を置いていた。それはいざという時にすぐこっちに戻れるようするためのものであるはずだが、それすらも瘴気結界に飲まれてしまったのだ。
「甘い……考えていることは同じであるというのに。何故汝等が行う策を我が行わないと思ったか」
(つまり相手も一気に瘴気結界へと塗り替えるために力を蓄えていた……やっぱり、こういうことに……!)
「我が瘴気は魔法でさえ触れると蝕まれる。これだけの量の瘴気に蝕まれれば、刺さった槍の元へも戻れまいーー収容所に城の地下牢、よくも……よくも二度も我の邪魔をしてくれたな! その恨み、ここで晴させてもらうわ!」
その恨みを形にしてぶつけたような声の後に、剣と鎌がぶつかった音がする。
「視界を失っても……まだ我の邪魔をするかあああ!」
黒死の悪魔は怒鳴り、何度も鎌で音を鳴らす。
「ラドさんを急いで助けないと!」
(落ち着いてレノン! 無闇には危険よ!)
「危険は承知だ! でも僕は今のようなときのためにここにーー」
(そんなの知っているわ。静かにしなさい)
「残ったってーーえっ……?」
急にサキの声色が変わる。それはいつものあどけなさではなく、真剣さ、勇ましさを感じさせるものだった。
(口に出さないで。物音を立てないで。耳を澄ませなさい。そしてそのまま私の話を聞きなさい)
(う、うん……)
言われる通りに黙り、辺りの音に耳を傾ける。相変わらず黒煙が生み出される音、怒鳴り声、鎌の音が聞こえるのみだ。勿論ラドを視認することなどできない。
(私はあなたを大事にしない。甘えを許さず、ただ傍観し、文句を言う観客のように恐怖の道を歩ませる)
(ーーそういうことなら、分岐点でこの道を選んだのは僕だ。もう走り抜けるしかないと理解しているよ。良い結果を得られる方法があるなら教えてよ)
この状況でわざわざそう宣言する彼女から優しさを感じ取る。そんな彼女の言葉だからこそ、信頼を寄せるべきだと確信する。
(今は答えだけを言うわ。音のする方にラドがいる。そして声、鎌、沈黙を繰り返している。声を聞いたら走り出して、鎌の音の直後に突っ込んで彼を拾ってここーーセレーナの元に戻ってきなさい)
(ーーわかった)
一瞬浮かんだそんな上手くいくかという迷いを振り切る。そして耳を澄ます。
「さっさと……死ねええええええ!」
(今!)
僕は大きく息を吸い込んで声のする方へ駆け出した。
「レノンくん! 無茶よ!」
セレーナの声にも足を止めず、加速する。そして、鎌の鳴らす音が聞こえた。
「こっちだ!」
暗闇の中で確かにラドの声がしたのを耳が捕らえた。
「レノンです! 今連れ戻します!」
僕は息を吐き出し、そう叫んでラドを捕まえる。そして抱えたまますぐさま来た道を戻る。
「逃がすかあああああ!」
そう怒鳴り声が聞こえる。声が近く大きくなっており、かなり詰められているのがわかった。
(後もう少し! 何とかセレーナのところまで……!)
後ろは振り返らない。しかし鎌を振り上げて風を切る音まで聞こえるほどになる。そして遂にそれがーー振り下ろされた。
「させません!」
その声が聞こえたと同時に鎌が弾かれた音、そして固い物体が衝突する音が鳴り響いた。
「セレーナさん!」
僕達は黒の世界を抜け、セレーナによる浄化された安全地帯へと辿り着くことができた。
「盾による攻撃の防御、盾との衝突により本体に強い衝撃を与えたことを確認しました。気は抜けませんが、敵が再生するまでの間、多少時間を作れたと思います」
「簡潔な報告で助かるーーぐっ……すまないが、俺には余裕がない。先に治療を頼む」
ラドが苦しそうな声でそう言う。かなりの間瘴気の中にいたのだから当然のことだ。
「セレーナさんはラドさんの治療に専念してください。僕は自分でどうにかします」
「わかった。レノンくんの治癒魔法の実力、信じるからね?」
そう言うと、セレーナはラドの身体に手を当て、治療を始めた。
「僕もーー毒癒し!」
普段通りの正常な状態を想像し、それに近づけるために身体の害を取り除いていく。
(いけそう?)
(お陰様で何とかね)
リシューのときよりも毒の抜けが早く、もう戦える状態に戻れた。僕はラドの方を見る。
「依然としてこちらが圧倒的に劣勢だ。悪魔の言う無限の魔力も、今までの事実と照らし合わせると真実だと想定した方が良いだろう」
もうセレーナの治療が効いたのか、ラドが話し始める。
「そうね……今はまだなんとか浄化した空間を維持できているけど、すぐではないにしろいずれ私の魔力も尽きるし……」
「魔法をも蝕むーーそう言っていたが、それもどうやらその通りだな。しかも発動した魔法だけではない。俺の身体に侵食した瘴気が、俺の魔力すら蝕んでいる。大分楽にはなったが、大きく魔力を消費する戦法はもう厳しい」
「せめて無限の魔力を作り出している原因を探ってそれを断つことができれば……」
「我が魔力源のを断つことは汝等には不可能である」
セレーナがそう言った途端に声が聞こえてきた。
「盾に阻まれて物理的に勝てないとわかったら、今度は心を折りにきたか。それならどうして不可能なのかわかるように説明してもらおうか」
ラドは煽るように言ってみせる。
「良いだろう。聞いて自ら心を折るが良い。我が魔力が尽きぬその理由は、その源が『この地に生きる人々の怨恨の感情』だからである」
「何を言うと思えばーーそんな話があるわけがない。魔力とは自らの魂から供給されるものだ。他人の感情をそのまま自身の魔力とするなど、いかなる魔法でも不可能だ!」
黒死の悪魔の言葉をラドが否定する。僕もそのような話は聞いたことがない。
「我もそんな魔法は知らぬ。だが、そうではない。汝等は常識に固執し、我を悪魔と名付けて既存の枠に押し込み、魔族や魔物ーーつまり生きている物として扱おうとする。そこが既に間違っているのだ」
「なんだって……?」
「人々の怨恨の感情の集合体が、我の魂の形を成している。それが物体に憑依し、動かすことで今の我を成しているのだ。悪魔などという秩序の範囲内で生み出された名称などは相応しくない。我らはそれを、憑依することで常識の外の存在となりし者、『憑魔』と呼ぶ」
「憑魔、つまりあなたは怨恨の憑魔……!」
セレーナが驚き、思わずといった様子で口に出す。
「憑依……」
聞き覚えのある単語が出てきたので連想する。憑依同盟ーー僕とサキが結成した同盟の名前だ。
(サキ! 憑魔について何かわかることはある?)
(信じられないと思うけど、今言っていることが正しいということね……憑依自体は、自然に憑依するパターンと魔法で鎖を作って繋ぎ止めるパターンがあるわ。後者なら、鎖を全て千切れば魂を解き放つことができる。だけど憑魔となってしまったら、感情という薪さえあれば、その魂の灯火に燃料をくべ続けられてしまう……!)
(くっ……他には?)
(あとはさっきの答え合わせ。憑魔はある感情の集合体だからその感情の体現者。こいつの場合は怨恨の憑魔だから、恨んでその対象を殺すことが存在意義なの。だから対象を殺すときに、無感情であったり、自身の感情を殺すことはあり得ない。つまり怨恨の象徴となるあの声は、対象を殺すことを強く意識したときには隠すことはできないということよ)
サキも憑依なる魔法を使っているだけあって知識の助けにはなるが、その分残酷だ。ハッタリの可能性が消え、具体的な対処の手段が今のところ見つかっていないのだから。煙の中で見えもしない鎖を全て切断するなんて無謀である。
「魔法などではない。我が魂自体が恨みが集まった存在であり、今もなお集まり続ける。それが消えぬ限り、我が魔力は尽きることはないのだ!」
「この地に生きる人々の怨恨の感情を消す方法は……」
「不可能。千年を超える時の中で蓄積された差別、隷属、圧政の歴史は、一瞬で消すことは叶わぬ。クーリィーー我が盟友よ、よくぞこの地を整えてくれた。汝の功労によりこの地は、ただの怨恨の掃き溜めから、掬い上げてその恨みを実行する復讐の地へと変わったのだ!」
(クーリィの自信……考えがここまで辿り着いていたものだとしたら、納得もできるわね……)
「今の我は、この姿となって以降最も力を取り戻している。汝等はこの瞬間から自身の罪を後悔しながら露と消えるのみ。逃亡は不可能、抵抗は無駄。死の時期が多少延びる縮みする程度しか変わらぬ」
僕は目線を動かし、セレーナとラドを見る。何かないかと必死に考える。
「まだ諦めぬか。今の汝等は、落ちるとわかっていながらも崖にしがみついているに等しいというのに。往生際が悪いな」
「姿を見せれば俺達に身体を壊される。それが勝利への希望に繋がるのを貴様は恐れている。故に口しか動かせないのだ」
「ククク……それで我を煽っているつもりなのか? 言葉のキレがなくなっているぞ。まあ良い……」
それだけ言って静かになる。妙だと思ったその瞬間ーー
「まずは汝からあああ!」
「ぐっ……!」
急に近くで憑魔の声が聞こえて衝撃音が鳴り、声が漏れるのが聞こえる。
「セレーナさん!? 大丈夫ですか!」
「大丈夫。いきなりさっきと逆方向から来たから驚いただけーー」
「死に損ないがああ!」
また別の方向から姿を現わすと、セレーナに突っ込み、鎌の一撃を加え、闇の中に飛び去っていく。
「汝もこれを食らうが良い!」
今度は瘴気を纏いながら突進を仕掛け、近くで瘴気を爆発させる。
「はあああああ!」
瘴気ごと憑魔のローブを貫き、通り過ぎて残していった瘴気を浄化する。
「はぁ……はぁ……」
上手くいなしてはいるが、過激になった憑魔の攻撃に、何処からも来る可能性があり、常に気を張らなければいけないようになったため、セレーナの消耗は激しくなっていく。
「セレーナさん……!」
「大丈夫だから……それより二人共、あいつの今の狙いは私だから。私から離れて!」
「しぶとい!」
「それは、あなたの方です!」
背後から来る憑魔を盾を出して止め、再び剣で貫いた。それによりやつの骨を砕く音がするものの、平然と飛び去っていく。
「逃がすか!」
「小賢しいやつめ……!」
ラドが飛び去ろうとする憑魔を切り裂き、一瞬動きを止めた。闇の中には飛び去るが、次の襲撃まで少しは時間を稼ぐことには繋がるはずだ。
「広くなっている……?」
よくよく考えたらさっきまでこんなに浄化地帯は広くなかったような気がする。少なくとも飛び去るのを妨害する距離などなかったはずだ。
「絶望的な状況は変わらぬというのに悪あがきを続けるとはなんと愚かな……仕方ない。では、更に希望を奪ってやろうーー」
そう言うと怨恨の憑魔は、それを聞いた僕達の反応が楽しみで仕方がないのか、笑い声を漏らしながら言った。
「ーー我はかの魔女を殺した存在である。十年程前のあの日、その腹を引き裂いた存在である!」
「えっ……? いや、そんなまさか……そんなわけないよね!」
一瞬驚いたが、そんなわけないと思い留まる。彼女は天才魔女だ。きっと憑魔を倒す魔法だって持っていたはずだ。それならば、そんなわけない。今こうなっているのは別の原因に違いない。
(……でもっ…………ええ、今更隠し続けても、意味ないわよね)
(えっ……?)
思っていた回答と違う。怒るんじゃないのか。『何で私があんなのに』ってーー
頭が真っ白になる。次に言おうとしていた言葉、考えていた事が泡のように弾けていく。
(もう隠さないわ。よく聞きなさい)
空っぽの僕の身体の全てに彼女の言葉が行き渡る。聞きたくないが、頭がそのための指示を何も送らない。
(私がこんな姿でいるのは、こいつ、怨恨の憑魔に殺されたからよ)
サキは彼女の割には低く冷たい声で言った。




