41話 解き放つ者
キレウの収容所。奴隷商人の売り物置き場だ。外から見れば地味な色で大きな、中に入れば薄暗く臭い建物に、騎士の姿はない。
自身の領地において領主に口を出せるのは、皇帝やそれによる命令の代行者のみとされる。そのため下位の身分の者には、いかなる理不尽も法律上は許される。騎士とは領主から貸し与えられた存在であるため、それがそうすると決めれば、その日のうちにこんなことも実現してしまうらしい。
どうやら商人もまだ来ていないらしい。騎士がいない中でも彼らを運ぶ勇気があるかはわからないがーー
そして僕はついに剣族の姿を見た。狭い檻の中に二、三人ずつ入れられており、それがパッと見て把握できないだけの数ある。
「おい、ようやく飯か……? 昨日の夜出すの忘れやがって…………」
生気のない声が聞こえてくる。でも声が聞こえるということは、生きている証なのだ。手前にある檻の一つの前に立つ。
「お前誰だよ。後ろにいるのは騎士……? そうか。下見か」
そう言うとそっぽを向いた。横の男もそれに倣う。
「僕達は奴隷を買いに来たんじゃありません。あなた達を外に出しに来ました」
「んなことして何になんだよ! どうせ嘘だ。とんでもないところに連れてかれる」
奥の檻から怒鳴り声が聞こえる。
「そうだ! 元々お前らメイジスのせいでこんなところにいるんだろうがよ! お前らが捕まえなければ俺は村でなぁ……!」
「お前ら止めろよ。気が変わっちゃうかもしれないだろ? 道楽でも何でも良いーー俺だけでも良いから出してくれ!」
「テメェ! メイジスに心を売るっていうのか! それならさっさと奴隷になっちまえ!」
ガンガンと檻の中で音を鳴らし、あちこちの檻で言い争いが起き始める。僕達は蚊帳の外だ。フラウがその場でうずくまり、耳を塞ぐ。
(レノン……フラウちゃんにはちょっと辛過ぎるわ……)
(うん)
僕はフラウの背中を叩く。フラウは耳を塞ぎながら僕の方を向く。
「僕のわがままに付き合わせてごめん。先に外に出て待ってて良いからーー」
そう言っても聞こえているのかわからない。だから外の方を指差して伝えようとする。しかしフラウは首を振る。何を言っているのかは聞こえなかったが、立ち上がった。
「ーーありがとう」
僕は彼女の兜に軽く触れて感謝を伝える。彼女も強くなった。そして一緒に居てくれる。辛いなら無理しなくて良いと思っていたのに、その姿に僕の方が励まされた。喧騒がする方に向き直り、中央の方まで歩き出す。
「聞いてくださああああい!」
出せる限り大きな声を出す。収容所内に響く。その後、むせて咳き込む。しかしその声は、彼らに届いたらしい。心でなくとも、少なくとも耳には。静かにはなった。
「僕はさっきも言った通り、あなた達を外に出しに来ました! その理由は、生きていてほしいからです! 騎士はもう何日も来ることはないと思います。ここにいたら、全員餓死してしまいます。それなので、逃げてください! 檻の鍵の場所を教えてください!」
「鍵のある場所なんてねぇよ」
残酷な言葉が届けられる。
「なっ……」
「鍵は騎士が持っている。場所なんかじゃなく、肌身離さずな。それでお前らはどうやら騎士じゃない。もう逃がす手段なんてねぇよ。残念だったな」
「そんな……」
目の前にまで来たのに。何を言われても、自分がやるからと決めてきたのに。そんなことで、目の前の人達が死ぬのを受け入れろと言うのか。全身の力が抜け、崩れるように座り込んでしまった。
「ハハ、良い顔だよ。メイジスのそんな顔見れるなんて、まだ生きていた甲斐があった」
檻の中で座ったままの男と目が合い、僕に向かってそう言った。
「なんで……?」
僕の横の白い鎧の少女が呟く。
「なんでそんなこと言うの? 出たくないの? 方法、一緒に考えようよ……」
(そうよ。鍵がなくても方法が、無理矢理こじ開ければーー)
諦めない。約束したんだ。僕は絶対に剣族に生きていてもらいたいんだ。
僕は立ち上がり、鉄格子をひっぱる。フラウもそれを見て、一緒に引っ張ってくれる。
「綺麗な鎧だ。綺麗な目だ。あんたはーーいや、あんたらは、俺たちの世界のことをわかってないよ」
僕に言ったのと同じ人の声が届く。そして二人の力を合わせて曲げることで、隙間を広げることができた。
「捕まったばかりの頃はよ。誰か助けにくれたらなーなんて思ったさ。でもここに入れられてて、何もすることなくて考えててよ。何日か経って思ったのさ。俺はここから出ても、また捕まるだろうなって。そしたらまた痛い目見るんだろうなって」
男は手で目を覆う。
「知っているか? 奴隷は捕まったら躾をされるんだ。鞭で叩かれ、炎で背中を焼かれるんだ。もし御主人様に刃向かったらこうなるんだぞって。苦しいだろ、痛いだろって。少し放置されるが、最後には傷跡が残らないように直してくれる。売り物だからなーー」
「そんな……」
「そういえば、横のやつは躾役がきつ過ぎて死んじまったよ。躾も商売で、やるのは素人だからな。騎士が鬱憤を晴らしにやってくるんだろうよ。でも商人に多めに金を払えば、商人は笑顔だ。とにかく、躾のときに得た感情は消えないんだ」
僕達はその言葉を黙って聞いているしかなかった。だって本当に知らなかったのだから。
「殺してやる? 違う。ふざけるな? 違う。許さない? 違うーー許してください、だ。絶対に刃向かいませんからどうか、今日は軽くしてくださいって思うんだよ。それが逃げるだ? また捕まったら同じことをさせられるのにか? 捕まるまでの間は、また捕まったらに怯えながら暮らすのか? 友人に今度はお前も一緒かもななんて言えるのか?」
想像を絶する言葉の数々。もし自分が、と考えても、最後まで思考が進まない。どうしようと思っても、助からないと結論が出てしまう。メイジスが嫌いなんて単純な言葉で片付けられない。そんなこと言うことすら許されない。
「ごめんな。お前の助けになれなくて。俺は良いからさ。ほら、出たいってやついたろ? そいつを出してやってくれよ」
「ここだ! 俺だ!」
僕はふらつきながらも立ち上がり、そう言った声の主の元へ行く。鉄格子に手をかける。
「俺さ、好きな子がいてさ。告白したいんだよ。もし良いって言ってもらえたらさ。結婚までの時間はなくても子どもを作ってーー」
男はそれだけ言って黙る。僕は男の顔を見る。もっと言ってほしい。やりたいことがあるって言ってほしい。生きたいって言ってほしい。
「そしたらもう、思い残すことはないな。死んでも良いや」
僕の目から涙が流れる。力を込めて握ろうとする。
「出たいって言っているだろ。もっと魔力出せよ……思いっきり引っ張れよ……! なんで、なんでこんなに力が出ないんだよ!」
(レノン……私もうわかんない。どうしよう。どうすれば良いの……?)
フラウも僕の背中を叩いてくれるが、そのままだ。
「どうすればみんな幸せになれるの……?」
そのときゴン、と何かで床を鳴らす音がした。全員がその方向を向く。
「メイジスが……貴様らが死ぬことだ」
視線の先にいたのは黒死の悪魔だった。確かに老旦那が言った通り、前に見た姿に仮面と手袋をしている。骨の部分を隠しているのだろう。そして巨大な鎌の柄を床に着け、自身は浮いていた。
(何を……言っているの? そんなわけない。そんなわけないわよ! 私達は彼らを死から救いたいんだから! そうでしょ? レノン!)
サキはそう言って僕を擁護する。フラウは僕の前に立ち、剣を構える。
「貴様……シーザーの娘か……何故? 何故ここにいる? だからと言って我は動じぬがなーー」
そう言うと、柄の部分で地面を叩き、もう一度音を立てる。
「ここは剣族の国、アムドガルド王国。みんなとは人、すなわち剣族のことを指すと定義する。まさかメイジスが人であるとは言えまい。貴様らが行った数々の蛮行は、人道的とは到底呼べぬもの。アムドガルドに巣食うメイジスという人の皮を被った化け物を駆逐することでのみ、人はあるべき生活を取り戻すことができるのだ!」
「できねぇよ……」
さっきの男が言った。
「あんたからでもそこのメイジスからでも、どちらから出したってもらったって、世界が変わらきゃ俺達はまたどうせ……」
「ならば、世界をーー秩序を変えれば良いであろう」
「何言ってんだよお前……そんな簡単に……!」
「変えるのだ。貴様らはメイジスを殺せる」
「そんなことができたらとっくにやってんだよ!」
「何者だか知らねぇが適当なこと抜かしてんじゃねぇぞ!」
周りも再び熱が入り、黒死の悪魔をまくし立てる。しかしそれを心地良いと思っているかのように両手を顔に並ぶ高さまで上げる。
ーーもう片方の手に持っていたのは本だった。そしてその本が、赤い光を放ち始める。
「貴様らの感情の強さに応え、魔の本の力を貸し与えよう! さあ自力で檻を抜けるが良い」
(どういうこと……? まさか、一瞬でこれだけの数を強化する大がかりな魔法を!?)
サキが驚いてると、剣族の身体が赤い光に包まれる。力むときの雄叫びとともに大きな音が鳴り、実際に檻を捻じ曲げて出てきてしまった。
「おお……おおおおお!」
「すげぇよ! 本当にできちまった!」
歓声を上げる剣族達は、鉄格子を引き抜き始める。
「そんな程度で喜んではならぬ。先祖から続く千年を超える屈辱。現世で晴らすのであれば、死を与えるしかあるまい。さあ! 自身の身体でメイジスを殺せることを証明するが良い!」
「うおおおおおおおお!!」
そう言って僕らの方を見て、迫る。男が一人、僕達の元に迫り、
「メイジスがああああ! 死ねえええええ!」
(レノン! ねぇ、来るわ!)
僕に向けて振り下ろす。フラウが僕を引っ張って退避する。明らかに床を叩き壊す音がしていた。そのまま走り出して建物から脱出する。
ーー外に出ると、何と十人を超える剣族が僕達を待ち受けていた。しかもみんな赤い光を纏っている。
「レノン、逃げるよ! 私についてきて!」
「う、うん。わかったーー」
僕はフラウに言われて自分で立ち上がる。彼女は敵を見て隙を見つけたのか、走りだす。僕も彼女に迷惑はかけまいとついていく。
「積年の恨みだあああ!」
そう言いながら繰り出される鉄の棒の一撃をフラウは剣で受ける。大地が大きく沈み、砂煙が巻き起こる。彼女は立ったまま受け止めてはいるが、かなり厳しい状況だと伝わった。何より驚いたのが、あれだけの威力の打ち合いをしたのにもかかわらず、鉄の棒が折れないどころか傷一つついていないことだった。僕だったら終わりだった。
「残念だが、ここの収容所は本日二軒目だーー化け物に相応しい形に潰してやれ!」
黒死の悪魔が外に出てくるとそう言った。後ろから奴隷だった剣族達が姿を現わす。そして僕達と距離を詰める。
「潰れろおおお!」
外で待機していた剣族の男が、振りかぶって両手で思いっきり鉄の棒を地面に叩きつける。それをすり抜ける形で避ける。
(ーーそう、火よ! 火の魔法を使って牽制するの!)
「な……何言ってるんだよ! そんなことできるわけないだろ!」
僕は声を出して反対する。人に火を使うだけでも本当に嫌なのに、ましてやあの話を聞いてそんなことできるわけない。
(どうせ傷つかないわ。だから使うのよ! それで隙をついて逃げるのよ!)
「傷つくよ! 心に傷が残る。だからそんなことできない!」
そう言いながらも鉄の棒の一撃を跳躍で躱す。相手は戦闘においては素人。武器を振り回すのだけが速くて、しかも人数が多いため、声の割には慎重なようだ。そして苛立っているのもわかる。
(早くしないとフラウちゃんが死んじゃう!)
フラウは騎士に見えるからか、より多くの人数に目をつけられていた。そして彼女の方も、受け流すのは簡単だが、動きに迷いがあるようだ。雷や火の魔法を使うどころか、剣で斬りつけないようにもしていると見て取れる。このままでは魔力が尽きる。
ーーそのとき一人が、鉄の棒を振り回すのではなく、槍のようにコンパクトに突き出した。フラウも剣を受け流している最中だったので、対応できなかった。
「がっ!」
フラウは声を出して転倒する。これだけいる剣族が、その隙を逃すはずもなく、左足を踏んで押さえた。そのときの痛みで彼女が手にしていた剣を離してしまい、それを取られてしまった。
(レノン!)
もう考えている暇はなかった。
「……火炎竜!!」
そう叫ぶ。魔法陣から火の竜が現れ、フラウの周りにいる剣族に向かって放つ。
「火!? 火だ……! ああ……やめてくれ! やめてくれええええ!」
「嫌だ嫌だ! ああああああああ!!」
「やめろ……やめ……ゆ、許してください!」
剣族は慌ててそう叫ぶと一目散に逃げ出す。そしてある者はその場にうずくまる。
火炎竜でフラウの周りを囲んだ。僕もフラウの側に飛び込む。
「……フラウ、大丈夫?」
「足が……ちょっとだけ痛い……」
フラウはそう言って右の足で立ち上がろうとする。しかし左足を地面につけた瞬間崩れそうになり、僕が支える。立てないほどの重傷のようだ。
「何を恐れている! その程度の炎など、今の貴様らなら痛くもないはずだ!」
黒死の悪魔はそう言ってもう一度向かわせようとする。しかし、指揮は完全に崩れてしまっているようだった。
「くそ、もう良い! おいお前、この本を持ってラクレーにまで逃げろ。それを見せて剣王に会いに来たと言えーーそして他のやつらもこの者に続け!」
黒死の悪魔は、そう言って本を近くにいた一人に押しつけた。その本を持って剣族は逃げて行った。そして僕達の方を向く。
「仕方ないから貴様らは我が直々に下してやる……」
そう言って竜の顔に手で触れる。手袋が一瞬で燃えるも、手から瘴気を放ち、火の竜を相殺した。
「くそっ……お前だけにはーー」
(戦うのは無理よ! レノン、逃げましょう!)
ここで倒すとは考えていないとしても、どう逃げようか。
「そうだな。憎きこの剣で殺してやろう」
そんなことを言って、捨てられて落ちていたフラウの剣を拾いに行く。
「この地で貴様を見たときは、賢そうなことを言いながらもあの男の策は頼りにならないと思ったが、結果的に最善の結果となった」
「火炎砲! 風刃! 火炎弾!」
「私もまだ……戦える!」
僕は魔法を放つが、そのことごとくがローブに阻まれ、相手に傷をつけることができなかった。また、フラウの電撃も同じだった。
(前と違う……! ただのローブじゃない!)
「雑多な攻撃など無駄と知れ。この身体になってから至福の瞬間だーーシーザー、次は貴様だぞ……」
そう言いながらフラウの剣を振り上げ、逆手に持つ。
「我、一つ理想へ前進せり!」
そしてその剣は、地に落ちた。




