31話 サキの旧友(前編)
(あっ……今のは私が悪いかも? でも、優しい人だから大丈夫よ)
恐らくハクちゃんーーハクというのは目の前にいるこの人の名前なのだろう。青い瞳から冷たい眼差しを感じる。
どうやらまた口に出してしまったらしい。サキがそう言っているし、悪い人ではないはずなのだが……怖い。とても怖い。蛙のように動かなくなる。
「えっ、いや……」
「…………」
睨んだ目つきのまま僕の顔をじっと見続けていたがーー
「ーーギンね」
一言だけそう呟くと、立ち上がってギンの方に向き直る。
「ギン、私の名前を勝手に教えたでしょ? 言い広めてほしくないってあれほど言ったはずだけど?」
「いやいや、私はそんな事しないよ? 交わした約束は忘れないし、しっかり守る。だって私はーー」
「あなたはいつも余計な話しかしないし、どうせそのときに言ったんでしょう?」
ハクはギンが最後まで言い終わる前に、彼の舌を断ち切るように言った。
ギンが話していた剣族とはこの人のことなのだろう。確かにギンに強気で発言する様は、対等以上の立場関係であり、普通ではないことを証明していた。
またその背丈も普通ではなかった。僕のイメージの中での剣族は、メイジスよりも一回りは大きいというもので、女性でもメイジスより大きいものだと思っていた。しかし彼女は、目の前のギンよりも低く、むしろ僕と同じくらいに見えるほど小さかった。
「いやいやいや! 一旦待って考え直してほしい。ほら、アムドガルドの昔の言葉にもそんな感じのがあるじゃないか。ね?」
「『話せばわかる』かしら?」
「そっちじゃなくて『疑わしきは罰せず』の方ーー」
「問答無用……!」
(ハクちゃんの方が強いわ。ちょっと安心した)
そんな二つの意味で普通と違う剣族が、あのギンを言い負かさんとする様を見て呆気にとられていたが、ふとフラウの方を見ると目が合った。目立った傷はなく、無事なようだった。
「レノン……! 良かったーーもう二日も起きなかったから、もしかしたら目を覚まさないかもって、思った……」
フラウが僕のローブを触り、そっと腕に触れる。戦っているときとは違って、恐る恐るそっと、優しい触れ方だった。
「……心配かけてごめん。あと、怪我させちゃったよね……ごめん、大丈夫だった?」
(ごめんなさい……)
「私は大丈夫。鎧が少しへこんじゃったけど、それでも守ってくれたらから。ただ、気絶していたから、何が起きたのかはよくわからないけど」
「そっかーーうん、とにかくフラウも無事そうで本当に良かった」
そのときギンの声が聞こえる。
「レノン君を治すの大変だったんだよ? いや、治って良かったけどね」
「確かにあなたの割には真面目に処置していたものね。手伝わされて私の仕事も増えたのよ?」
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
僕が感謝を示すために握手をしようと思って手を伸ばすと、ハクは逆にさっと手を後ろに隠した。
「取らないわよ。握り潰されたら困るもの」
「えっいやそんな……」
そんなつもりはないのにと思い、そんなことしそうに見えるのかとショックを受けた。
「あーいや、彼女は手先が器用でね。それを生業としているから過剰に大事にしているんだ。少し気難しいところもあるけど、許してやってほしい」
「な、なるほど……? つまりハクさんは職人なんですね」
ハクに向かってそう話しかけるも、目を逸らされる。そして沈黙が流れる。
「ーーまあ、そんなところだよね」
ギンが繕うようにそう答えた。
「さて、レノン君も起きたことだし、食事にしようか」
「そう。私は後で適当に食べるからーー」
ギンが手を叩いてそう言うと、ハクは言葉を残して去ろうとする。やはり避けられていることは間違いないようだ。
「ハク、勿論君も一緒に食べるんだよ」
「この前も言ったけど、私はそんな暇じゃないんだけど?」
「君が頑張っているのはわかっているさ。だけどもう少しだけ。食べ終わったら休んでも良いからさ」
「休んでも代わりに誰もやってくれないでしょう?」
「そりゃあ誰にでもできることじゃあないからね」
それを聞いてギンを睨みつけた後、諦めたように溜め息を吐いた。
「あーもうはいはい、わかったわよ。それならさっさと食べましょう」
ハクはそう言うと部屋から出て行った。
「彼女は剣族だからね。私以外の善良なメイジスと会った事がないから警戒しているんだ」
(どの口が言うか)
ギンには悪いが、僕もサキ全くもって同意だった。
「あの……僕達、ご一緒しても大丈夫なのですか? 無理はしない方が……」
「いやいや、良いんだ。これは彼女にとって良い経験になるだろうしね。少し怖いけど、優しくしてあげてね?」
「ーーはい、わかりました」
「フラウちゃんもそれで良いかな?」
「私はその、食べさせてもらう側なので、何もないです」
「よしじゃあ決まりだね。さあ食べに行こう!」
ギンはそう言うと嬉しそうに、あるいは楽しそうに部屋から出て行った。
(ハクちゃんは本当はとっても優しい人よ? ギンが善良なメイジスじゃないから当たりが強かっただけだから、気にしないでね?)
そうだと良いなと思いながら身体を伸ばした。
「レノン、ついていかないとわかんなくなっちゃうよ」
「あ、たしかに!」
僕達も慌てて部屋を出てギンを追いかけた。
そして見失わないように後をついていくと、その部屋には大きなテーブルがあり、部屋自体も今まで見た事がない広さの部屋だった。
「すっごい大きな部屋ですね! こんなに大きい家だなんて気づかなかったです!」
「そうだろうそうだろう。私も立派だと思う自慢の家だ。流石にお嬢さんのお城よりは小さいかもしれないけどね」
僕が言うと、ギンさんは誇らしそうに答えていた。
「ギンさんって大金持ちだったんですね! これも商人だからですか?」
(レノン、思い出して)
「そんなわけないでしょ。私達の事、ギンから聞いてなかったの? 私達は住む場所がなくて追われてる身なの。この物件も化け物が住んでいるとか言われるいわくつきの物件よ。おかげで他に誰も寄りつかなくて助かってるけど」
「そうでした。呑気なこと言ってすみません……」
死を側に感じた戦いから解放され、安心し過ぎてしまった。同時に依頼の責任の重石も取れ、心が浮かれてしまっていた。
「別に気にしなくても良いわ。それとも言い方がきつかったかしら? 口が悪いのは昔からだけど、長い間変なのとしか話してないから加減がわからなくなってるかもしれないし」
「いえ、大丈夫です。失礼がないよう気をつけますので」
「私が大丈夫じゃないよー。ハクちゃん口を開く度にーーああ、ごめんごめん」
『ハクちゃん』という言葉を耳にしてすぐギンを睨み、ギンは焦って謝る。その後、彼は小さく咳をして僕達を見る。
「ああ、お客様をいつまでも立って待たせてはいけないね。どうか座ってほしい」
「いえ、お客様だなんて。僕にできることがあれば手伝いますよ?」
「まあまあそう言わずに座ってほしい。いや、こういうときには私から座らないとね」
ギンが一番奥にある一番大きくて豪華な椅子に躊躇なく、なおかつ優雅に腰をかける。
(お客様がとか言いながら堂々と一番良い椅子に座ったわね……)
「し、失礼します。やっぱこの部分とか綺麗に彫られてたりして慣れませんね」
今から座る椅子を見てそんな事を言いながら僕達も座った。木の椅子とは違って柔らかく包まれるような質感だった。座ったままのはずなのに、いつも眠っている木のベッドより安眠できると思えた。
「……こんなんじゃいつまで経っても食事が始まらないじゃない。はい、これ。コップは出すから水は各自出して飲んで」
ハクは干し肉とパンをそれぞれに配る。豪華な装飾を施した大きなテーブルに干し肉と黒いパンだけが並ぶ様は、とても奇妙な光景だった。
「はい、ありがとうございます」
「あ、ありがとうございます……」
「これが私達の実情さ。彼女が食にこだわりを持たないのもあるけどね」
「私は飢えなければそれで良いから。あんな良い鎧を着ている良家のお嬢様の口には合わないかもしれないけど」
「……すみません」
「ハク。君の気持ちはわかるけど、困っているじゃないか。あまり他人を傷つけることは言わないでおくれ。もしこの様子を見たら君の友人は曇ってしまうよ」
それを聞いたハクは周りを見渡して静かになり、そして俯いた。
「……そうね。こうなるとわかってて同席させた人が悪いとはいえ、言い過ぎたわ。ごめんなさいね。心に余裕がないと嗤ってちょうだい」
「い、いえ……そんな……」
(ハクちゃん……)
場に微妙な空気が流れる。悪い意味で静かな時間が訪れようとしたときーー
「まあまあ! 危険な依頼をこなしてくれて今ここにいるんだ。お約束の報酬タイムといこうじゃないか」
「はい。それにみんな無事なんです。暗くなる必要はないと思います」
「ーー私もさっさと食べてやる事があるんだったわ」
その空気を破ったのはやはりギンだった。僕もそれに乗る。ハクも干し肉に手をつけ始め、他の人も食べ始める。
あの男が属していたという帝の影という組織のことを含めたギンとの会話について、詳しい話を聞きたいと思ったが、自分とサキがやったことを考慮し、それがこの場の雰囲気を再び壊しかねないことを考えると、言い出せなかった。
「それじゃあ報酬なんだけどーーうん、色々あったからその謝罪の意を込めて一人十枚ずつにしよう!」
「えええ!? いえ! 約束通りで大丈夫ですって!」
僕の発言にフラウも頷く。
「わかっていたから護衛をつけたとは言え、騎士見習いに負わせるにはあまりにも難しい依頼だった。だからそれに見合った報酬を与えなければならないと思ってね。金貨二十枚くらい出しても大丈夫だよね?」
「…………」
聞かれた当人は何も言わず、目を瞑ってただ干し肉を噛んでいた。
「……だ、大丈夫なんですか?」
「無言は承認の意だとも。反対なのであれば、手を挙げ声を上げなければならない。彼女は賢いからそれくらいわかっているさ」
そう言うとギンは袋から金貨を十枚ずつ取り出し、僕達に渡してくれた。
「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
「ありがとうございます。あと……約束なので、父のことについて話してもらっても良いですか?」
フラウがそう言って話を切り出す。彼女はこれでこの依頼を受けたのだ。彼女にとってはこれが最も大事なことだろう。
「ああ、そうだね。その話もするつもりだったよ。まず君のお父さんがどこにいるか、だね。それは、意外性の欠片もないからさらっと言ってしまおう。私の知る限りでは彼はずっとイヴォルにいる」
「では、連絡が取れない理由は? 父は過去に何をしてきて、今何をしているのですか!?」
これだけでは済まさないという風な必死な口調でフラウは聞く。
「そこだよね。連絡が取れないなんて事はあり得ない。君のお母さんともしっかり連絡をとっているはずだ」
「で、でもどこにいるかもわからないって……!」
「それは、お母さんが嘘をついていたんだろうね」
「そ、そんな……」
「まあ無理もないさ。君のお父さんは重大な任務を遂行している立場だからね」
「それは……?」
「ちょっと待ってーー」
ハクが会話の進む流れに静止をかける。
「黙って話を聞いていればーーこ、この子の親ってもしかして……シーザー……シーザー=ダグラス、なの…………?」
「そうだよ。この子はシーザーの娘、フラウちゃんだ」
それまで静かに座っていたハクが突然血相を変えて席を立って、それを見たギンに取り押さえられる。
「離してーーこの……んー! んー!」
(ハクちゃん!?)
「えっ? ちょっ……! 大丈夫ですか!?」
ハクが何か言おうとして、ギンが口を押さえる。
「落ち着いて。落ち着けってば。ああもう、仕方ないなーー安眠の術」
(ハクちゃん……!? 大丈夫なの!?)
きっとそういう魔法なのだろう。ギンがハクの顔に手をかざすと、ようやく動きを止めてぐったりとうなだれた。そして静かに寝息を立て始めた。僕とフラウはその様子をただ唖然として見ていた。
「ハクさん、大丈夫なんですか?」
「ああ、眠らせただけだからね」
「そ、それでさっきのはーー」
「ああ、彼女はね。シーザー卿の熱狂的なファンなんだ。彼の騎士団長時代からのね。彼について色々な事を調べたし、私にも調べさせた。私が彼に詳しいのは、勿論帝国の重要人物なのもあるけど、彼女の強い要望もあってね」
「は、はぁ……」
「ちょっと彼女を部屋まで運ぶから、続きはその後にしても良いかな?」
そう言うとギンはハクを抱え上げる。
フラウもかなり驚いていたようで、声も出せずにブンブンと首を縦に振ることしかできないようだった。
「ありがとう。じゃあちょっとだけ待っててね」
そしてギンは奥の部屋に消えていった。再び静かになった大きな部屋の中で二人で顔を見合わせた。
「フラウのお父さんのファンの人ってさ、あんな感じでお城まで駆けつけたりするの?」
「わからない。だって私、会ったことないから」
「そっか。そうだよね」
「うん」
僕達は驚きのあまり、自分でも何を言っているのかわからなくなる会話をしてしまった。
少し経つと、部屋の奥からギンが戻ってきた。席に座るとわざとらしく疲れたというような仕草をした。
「いやいやごめんね。普段冷静な彼女にまだあんなに熱が残っているとは思わなかったよ」
「……本当に大丈夫なんですか?」
「ああ、普段寝不足な彼女には丁度良い休息になるだろう」
「なら良いのですが……」
「あの……それでは、その、続きをお願いします」
「そうだったね。でもここからは普通の騎士見習いは関わらない領域になる。二人はそれを聞く覚悟があるのかな?」
「どういう事ですか?」
ギンはさっきまでとは一転真面目な表情になる。
「穏やかじゃない話に自分から飛び込もうとしているよって警告しているのさ」
「私はそれでも聞きたいです」
フラウは即答する。
「レノン君はどうする?」
(私はどっちでも大丈夫よ。レノン、あなたが決めなさい)
ギンが僕の顔を見て聞いてくる。サキも僕に判断を委ね、フラウもこっちを見ている。
だけどそんなの、最初からもう答えは決まっていた。
「僕にも話を聞かせてください。リューナに行って、それからフラウのお父さんを探すと約束したので」
僕はきっぱりそう答えた。