15話 騎士見習い認定試験(後編)
傷を癒せと言うのはごもっともだ。だが、あっちが待ってくれない。身体が持ってくれない。
「よし……いくよ!」
魔法の発動まで時間を稼ぐため、後ろの壁ギリギリまで跳躍した。
(ちょっとレノンーーどうするつもりなの!?)
集中するために目を閉じる。あのときの記憶を思い起こす。
うねりながら迫り、噛み砕こう、喰らってやろうとしてきたあの炎。この魔法に焼かれる痛みを、怖さをーーこの身体は覚えている。
「こんなの……こんなの辛くない。次こそは守れる僕でなきゃいけない。もっと強く……こんなところで負けるような弱い自分をーー壊さなければいけないんだ!」
魔力が杖に集中していくのを感じる。これだけ集められるのなら、きっと再現出来る。
「覚悟の強さをここに証明する! 火炎竜!!」
僕が叫ぶと、目の前に赤い魔法陣が展開される。そこから炎で作られた竜が姿を現し、大きな口を開いて右の頭に噛みつく。その後も途切れずに僕の魔力を炎に変え続け、それが三頭獣の頭を焼き続ける。
ーーこれは、ラティーで放火魔の一人が使っていた魔法。脳裏に焼きつけられた恐怖の記憶。嫌って程鮮明なこの記憶は、皮肉にも思い返すのに苦労は要らず、練習すれば形だけなら再現出来るようになった。
「ーーーーーーーーーー!!」
竜に噛みつかれた右の頭は悲痛な叫びをあげ、それは真っ黒に焦げつく。やがて悲鳴は止み、ぐったりと垂れ下がった。
しかしその足は止まらず、僕めがけてそのまま突っ込んでくる。
「があっ!」
出来るだけ右に逃れようとするが、頭がそのままぶつかり、壁に叩きつけられる。痛いだけでなく、焼印を押しつけられたように熱い。触れた皮膚が爛れるのを感じる。だがそうなる事も覚悟してやったのだーーすぐに右に逃げ、噛みつかれる事だけは回避した。
(そんなーー無茶し過ぎよ! しかもそれ……腕を噛まれた?)
「ごめん、でも上手くやったよ。これはただ触れただけで、噛まれてはいないよ」
腕には三頭獣の唾液がついていた。僕は動かなくなったやつの右の頭が見ていた範囲――つまり、今のやつの死角に入るように立ち回り、再び距離を取る。
「ーーーーーーーー!!」
「ーーーーーーーー!!」
向こうは対象を見失ったのかまた吠えている。
「うっ……傷癒し……」
自分の傷が多少塞がっていくのを確認し、同時にまだ皮膚が爛れている事を確認する。
(これ大丈夫なの? 痛くない?)
「あんまり痛くはないけど……大丈夫ではないかも」
どうやら三頭獣の唾液には毒があるようだ。毒に耐性があるか解毒出来ない限りは、一度噛まれると逃げ切るのは困難になるだろう。
二つの頭が僕を見つけると、飛びかかってくる。僕はもう一度距離を取り、死角に入る。
「うわっ……と」
そのとき身体がよろめき、倒れそうになる。早くも毒が回り始めたという事だろうか。だとすると流石に毒抜きを優先しないと厳しいか。
(毒癒しよ。酔い覚ましと同じ。健康な時の自分の身体をイメージして。そして身体の毒をスゥーっと抜くの)
サキが説明する。本に書いてある説明とサキ流の説明が混同しているが、言いたいことはわかる。
「わかった……ど、毒癒し……!」
健康なときの自分の身体の調子をイメージし、体内の毒を消し去る事でその健康な状態を再現する。
「よし、成功した」
(良かった! じゃあ次はえっとーー)
やつの立ち回り自体は、上手く死角に入れるとすぐ動きを止める。コツを掴めば狙って実践出来る。一つの頭を動かなくしてしまえば、その頭が見ていた範囲も死角となるため、こっちのペースに持っていけるはずだ。
そしてやつは既に吠え終わっていたのか、こちらを向く。
「魔力をあまり使わないで動きを止める方法――何かないかな?」
(今のところは……吹っ飛ばすのも、足を折るのもレノンには無理だし……)
戦況を変えるためとは言え、さっきので魔力を使い過ぎた。同じことをあと二回やるというのは無理な話だ。別の方法を考えなくては。
三頭獣は長時間の活動が出来る。しかし魔物ではあるといえ、休まずにいる事など可能なのだろうか。
「だとすると、休ませる方法……?」
(うーん、何か……)
僕は三頭獣を見る。右の頭が垂れ下がり、それでも先ほどと同じようにこちらに向かってくる。
普通見えている角度の部分が減ったら動きづらいと思うのだが、動き続けていたらあわよくば転んでくれないだろうか。
「くそっ、考える時間が……!」
そう思い、大きくカーブして逃げてみる。それに対して綺麗にカーブして距離を詰めてくる。転ぶどころか勢いすら落ちない。無意味だ。このままでは追いつかれる。
(走っているだけだと追いつかれるわ。どうして今更――)
「転んでくれないかなって思っただけだよ! 障壁!」
追いつかれそうになったので土の盾を作る。勿論完全に止めることは出来ないが、ほんの少し時間を稼ぐことなら出来る。防ぐためでなく、遅らせるためならこの盾も役に立つ。勢いを抑えて隙を作って躱し、再び距離を取る。
(怪我してない?)
「何とかね……でも全く遅くならないし、どうしようか……」
わかった事は、どうやら三つの頭じゃなくても僕を捕まえられるという事だけだ。より希望が失われただけーー
いや、違う。頭一つをやられているのに、動きが乱れない方がおかしい。つまり普段活動している時でも、三つの頭が同時に機能していない時があるからではないだろうか。そうだとすればーーその状況を作り出せば良いはずだ。
「……わかった。あいつが普段どう活動しているかがーー」
(……また無茶するんじゃないでしょうね?)
「多分……今度は大丈夫! これでどうだ! 睡魔!」
これは基礎的な、尚且つ初心者な僕が使う練度の低い魔法ーーしかし効果は的面で、真ん中の頭が深い眠りに就いた。
「よし……! やっぱり寝たし、揺れてもすぐには起きない」
三頭獣とて、ずっと起きて活動していられるわけではない。たとえ足腰が発達して疲れ知らずだとしても、時間が経てば眠くなるはずだ。
そのときは『動きながら寝れば良い』のだ。一つの頭だけが寝たとしても残った二つの頭で思考し、目で見て獲物を追い続ける。それでも捕まらなければ交代して別の頭が寝る。
それはつまり『動きながらでも目覚めない程深く眠れる』事を意味する。転倒してすぐ目覚める事もないはずだ。
(でも片方だけ……動きは止まらないわ!)
サキの言った通り真ん中を眠らせたものの左の頭が起きているため、三頭獣は僕に向かって飛びかかってくる。
「やられかけのデカブツめ! メイジスは小さければ非力とは限らないぞ!」
それを高く跳躍して躱すと、追ってくる三頭獣の左の頭に向かって自身の体重を乗せて杖で突き刺した。
「ーーーー!!」
「ーー!?」
真ん中の頭もその衝撃で目を覚ますが、何が起きたのかわからなかったのか、全身が大きくよろめき、転倒する。
「これで――どうだ!」
その隙を逃さずに、杖を引き抜く。そしてもう一度叩きつけた。
「ーーーーーーーー!!」
血を散らしながら叫ぶ左の頭は、小さくなっていく声と共に力を失っていき、口を開けて舌で地面を舐めたまま動かなくなった。
(やった! すごいわレノン!)
「まだ終わってないけどね!」
そう言うと、手慣れたように死角に入る。しかし、三頭獣は吠えずにさっと向きを変えると、垂れた二つの頭を引き摺りながらもすぐに飛びかかってきた。
「嘘だろ!? くそっ……障壁!」
僕はそう叫び、慌てて盾を作るが、壊れてふっ飛ばされる。
(落ち着いて! あと少しよ。相手も相当弱ってるはずだわ)
「……わかってるよ。そうだね、あと一つの頭だけ――」
「火炎弾!」
炎の弾を三つ放ったつもりだった。しかし二つしか出なかった。しかもどちらも飛び跳ねて避ける。
(魔力切れ!? ここまできたのに!?)
「……ここまで来て、か。でも、絞り出せばまだいくらかは出るはずだ」
(何か手が!?)
ーー眠らせるのはダメだ。使ったら決め手に使う魔力が足りなくなる。
「ないわけじゃない……! けど、一か八かの賭けだ」
火炎竜を撃つ覚悟をしたときから、こちらの魔力が尽きる事はわかっていた。今更驚くことでもない。当然そこから勝ちに行けるような手段も考えていたがーー
(…………そう。でも今のあなたなら、きっと上手く出来ると思うわ)
「サキ……? うん、絶対に上手くやるよ」
予想していた反応とは違った事に驚いたが、頷く。集中して、魔力を絞り出せ。そしてわずかな魔力で勝てる選択肢を、選び取れ。
「ーーーー! ーーーーーーーー!!」
向こうも死にものぐるいで怒声を上げ、足を前に踏み出す。
「鋭く、槍のように尖らせて……」
僕は呟きながら強化の魔法を杖に絞ってかける。杖の先端が更に鋭く、そして更に強度を増す。物の形を変えて強化する。やっている事自体は障壁と同じだ。
「ーーーーーーーーーー!!」
やつが突進してくる。伝心狼のバロンを思い出す。何度も避けた。こいつはバロンよりも遅い。動きを読め。隙間を見つけろ。
そして僕は後ろに飛び跳ねるための構えをして見せた。
「ーーーーーー!!」
それを見た三頭獣は、退がって着地したところを逃すまいと、勢いそのままに大きく跳躍した。
「よし、かかったな」
そこで足と杖で体を支えて踏みとどまり、
「これでーー終わりだああああああ!!」
跳躍した三頭獣の軌道を想定し、持っている杖を踏み込みながら全力で投げた。僕はその一撃に全てを託して地に倒れ込むと同時に、頭上で大きな音が聞こえた。
「ーーーーーーーーッ!!」
金属が割れんばかりの悲鳴が部屋中に響き、その血を雨のように降らした。その後に背後でドサッと重い物が落ちる音と地面が揺れる衝撃を感じると共に、その声が止んだ。
「ハァ……ハァ……」
「なんと――鎧も剣もなしで、まさか本当に三頭獣を倒してしまうなんてな」
拍手が聞こえる。立ち上がれず息を漏らす中、男の声が聞こえた。
(倒した? 勝った、勝ったのよ! レノン!)
サキの声が聞こえる。どうやら勝負はついたらしい。
「大丈夫か? どうだ? 傷は塞がったが、立てそうか?」
試験官が傷を癒し、手を差し出してくれた。
「ありがとうございます……」
ただ、傷を癒すだけでは疲れは取れない。手を取って立ち上がるも、すぐに崩れ、支えられる。
「厳しいか……無理もない。救護室に運び、医者を呼ぶから安静にしていなさい」
「でも、そんなお金ないです……」
「勝者の分はこちらが負担する。安心しろ」
「ありがとうございます」
それを聞くと頷く。その後指を振ると、頭に深く杖が突き刺さった三頭獣が薄くなって消え、杖が地面に落ちた。
(消えた!?)
「今の何ですか!? 魔法ですか!?」
「魔法だ。想像した魔物を創作する類いのな」
(創作魔法なんてーーへー、結構やるのもいるじゃない)
「そんな事も出来るんですか! 凄いですねーーではでは! 気になった事があるので、もう一つ聞いても良いですか?」
「ボロボロなのに元気だなーーまあ良いが……」
試験官は苦笑しながらもそう言ってくれた。
「三頭獣が最後の一匹になったとき、なんで吠えなかったのですか?」
僕は戦っている間ずっと気になっていた事を聞く。試験官は僕を背負い、歩き始める。
「三頭獣はとても疲れにくい丈夫な体を持っており、休む頭を交代しながら獲物を追う。それは頭が一つのときより良い事に思えるが、同時に弊害もある」
「それが吠える事……呪いか何かですか?」
「そんな大層な話ではない。ただ、毎回話し合って進行方向を決めないと動けないだけだ。あの姿であの恐ろしい鳴き声で実態がこれだからな。情けないものだな」
「勉強になりました。あ、ありがとうござい、ます……ふぁあ……」
今まで我慢してきたが、知りたい事を知れて満足し、とてつもない眠気が僕を襲う。
「やはり体は限界か……もうすぐ着くが、寝ても構わんぞ?」
「いえ、大丈夫です……」
その後救護室に運ばれ、ベッドに降ろされた。
「次の人が待っている。おめでとう、騎士見習い頑張れよ」
「はい。ありがとうございます」
僕の顔を見て頷くと、去って行き、部屋を後にした。
(レノン、お疲れ様。ゆっくり休んでね)
「うん、ありがとう……」
そう言うのが精一杯だった。その言葉を聞いて安心したせいか目の前が霞み、目を開けているのが辛くなり、そして何も見えなくなった。
◆
「ん……?」
「あ、起きた。私のことわかる?」
(起きたら目の前に女の子……遂に私、目覚まし役もクビなの!?)
「ーーレナだよね。仕事は良いの?」
聞き慣れた高い声に見知った少女の姿を見て安心した。まるであの戦いが夢だったように感じる。
「母さんがどこにいるかじゃなくて仕事の心配とか真面目か。いや、真面目なのは知ってるけどねー」
「様子を見に来てくれたの?」
「会いに来たのは勿論だけど、治療が終わってからはそれを伝えるように言われたからね。傷と毒はしっかり治したけど、体内の魔力が不足してるって。だから気分悪いかもしれないけど、休んでれば治るってさ」
それなら良かった。これですぐ騎士見習いとして活動できる。
「そっか。ありがとう。助かったよ」
「てか勝ったんだってね! おめでとう! すごい化け物だったらしいじゃん? よく勝ったねー」
「勝ったけど、この有様だからね。もし依頼なら帰れてないし、失敗だよ」
「厳しいねー。でも合格したらもうお別れかー。楽しかったし、楽だったしで良い日々だったのに」
「また来るよ。もしかしたらしばらくお世話になるかもしれないし。今度はきちんとお金を払ってね」
「あっ! そうだよね! 騎士見習いだしね。そう聞いたら今生の別れじゃ全然ない気がしてきたかも!」
「大袈裟だよ。新人だしあちこち動き回れるわけじゃないんだからーーなんだまた来たのかってきっと言うよ」
「いやいやそんなー。いつでも歓迎するってーー」
カーン、カーン、カーン、カーンーー
鐘が鳴る。いつの鐘だろう。それを聞いたレナは焦り出した。
「もう夕方の鐘鳴っちゃったの!? やばっ、流石に怒られる……!」
「僕も行くよ。僕から説明すればいくらかマシになるはずだしーー」
「いや、レノンは安静にしてて! 私は大丈夫だから! じゃあね!」
レナはそう言うと走って行って、すぐ見えなくなった。
「大丈夫かな?」
(大丈夫でしょ。今まで見てきた限りだと)
「ーーそうだよね」
(さて、色々言いたいことはあるけど、今は――お疲れ様)
サキが優しく柔らかい声で僕に話しかけてくれる。
「お疲れ様。一緒に勝ち取った勝利だからね。そしてありがとう。最後、信じてくれてーー」
(あなたが信じてくれたから今ここに私がいるわ。怖かったけど……途中から、レノンなら出来るってそう思えたから)
「そっか。ありがとう」
(今は寝なさい。やっぱり疲れてるんでしょ?)
「らしくないね。退屈じゃないの?」
僕は意地悪っぽく言った。
(私も反省したのよ。あなたはすぐ無理をするわ。動く度にこんなボロボロにされちゃ……ねぇ?)
「じゃあ、その言葉に甘えてそうさせてもらうよ」
(おやすみなさい。次に目を覚ましたらーー輝かしい日々が待っていますように)
その言葉と口調は優しく、聞いていて包まれるような安心感を得た。その気持ちのまま、速やかに眠りに就いた。