11話 東の森
時計台の鐘が響く。僕はその音で目が覚めた。
「うーん……おはようサキーー」
(おはよう)
挨拶をするとサキが返してくれた。しかし、それだけで会話が途切れる。何か話さなくてはいけないと思い、言葉を紡ぐ。
「今日は鐘が鳴るまで寝かせてくれたんだね」
(いつも迷惑そうにしてたから。そっちの方が良いんでしょ?)
「まあ……そうだね」
(ならいいじゃない)
確かに体調のことを考えるとこっちの方が良いに決まっている。だが、あんな生活でも慣れた後だと、ないと少し物足りない気もする。
(じゃあ今日もいつも通り始めるわよ)
サキはそれだけ言った。『いつも通り』か。彼女はそう振る舞っているつもりなのかもしれない。しかし、今日の彼女は一段と静かだ。僕はこの空気で『いつも通り』に振る舞うことなど出来なかった。
「ねぇサキ。今日は――」
(森には行かないわ)
僕が言い終わる前に答えられる。
「やっぱり昨日の話、聞いてたんだ……」
(あなたの耳に入るなら勝手に聞こえてくるわ。でも、その必要はないわ。私がわがままを言って勝手に拗ねてただけだもん。そんな小さな事であなたを嫌いになんかならないわ。あなたをさっさと騎士見習いにすれば良いだけの話よ)
口ではそう言っているが、昨日のことを引きずっているのは明らかだ。
「でもさ、やっぱり行ってみない? これも練習の一環としてさ」
(必要ないって言っているでしょ。シロップなんて嗜好品。そんなもののために危険とわかっている森に行くなんて釣り合わない。あなたは絶対に後悔する)
確かに彼女が言っている事は正しいと思う。森は危険だ。村にいた頃は何度も聞かされたし、本にもそのように描かれていた。
「そうかもしれないけど……それでもやっぱり行きたいんだ。僕が、僕自身のためにーー」
彼女は考えているのか、すぐには答えなかった。どちらも黙り部屋に沈黙が流れる。
(……私は反対よ。それでも行きたいのなら、勝手に行けば良いじゃない。私にはどうしようも出来ないんだからーーさぞかしレナちゃんも喜んでくれるでしょうね)
「……ごめん」
彼女は投げつけるように言葉を放った。僕はそれに対して一言呟くと、いつものように魔物を獲る仕事をこなすために部屋を後にした。
◆
朝の仕事を終えるとマリアにはいつものように魔法の練習をすると言いながらも、噂の森に行くために、外へ出てから東へ東へとひたすら歩いた。何度か魔物を追い払いながら、木がたくさん見える方へ向かった。
「あれが東の森か!」
近くにそれらしきものが見えてきたので走った。森に近づくとちらっと看板が見えた。
「ん? なんだこれ?」
それには酷い落書きがされており、なんて書いてあるのかわからなかった。
「……まあ良いかーー」
この先が森だと示しているのだろう。サキも何も答えてくれないし、魔物に見つかる前にと、急いで森の中に入って行った。
「暗いなぁ……」
中に入るとそこは、見上げても一番上が見えない程高い木々、それらが太陽の光を遮っていた。まだ昼のはずなのに、ここだけが夜になったような場所だった。
「僕、森に入るのは初めてだよーーサキはあるの?」
(……あるわ)
「そっか。何をしてたの? もしかしてそこに住んでいたとか?」
(私は森に入るのは反対なの。話しかけないで)
「う、うん……ごめん……」
突き放すようにそう言われた僕は、話すのをやめて歩みを進める。
「暗くて何も見えないな……発火。よし、あった」
一瞬火を灯して、落ちている木の枝を拾う。そしてその枝を地面に刺す。
「……伸びろ。成長……!」
枝に指で触れ、そう唱えると少しずつ太く、長く伸びていった。片手に持てる範囲で出来るだけ大きくした。
「発火……よし、ついた」
それに火をつけて灯とする。改めて辺りを見渡してみるが、まだシロップらしきものは見当たらない。まだまだ奥にあるという事なのだろう。
「じゃあ、行くぞ……」
僕は自分に怖くないと言い聞かせるように口に出すと、より奥へと歩みを進め始めた。
「ホォー、ホォー」
遠くから魔物と思われる鳴き声が聞こえ、僕は振り向く。人を不安にさせるような不気味な低い声だ。それはまるで、ここが普段人が暮らしている村や街とは違う世界なのだと言っているかのようだった。
「ギャー! ハハハハハ!」
「ギャー! ギャー!」
人らしくない高く癖のある不気味な笑い声。その後に羽ばたく音が聞こえる。また別の鳥の悪戯だろうか。違う、意識し過ぎだ。きっと僕は関係ない。
「見つけるまでは帰れないぞ……!」
不安感、恐怖心ーー目を瞑り、頭を振ってそれを振り払う。そしてまた一歩大きく踏み出して前に進む。
「うわっ!?」
何かに引っかかって派手に転んだ。すぐに灯りを拾い、足元を照らす。どうやら木の枝や葉に覆い隠されていた木の根っこに躓いたらしい。
「火は……大丈夫か。気をつけないと……!」
幸い草木に燃え移る事もなかったみたいだ。用心しようと思いながら立ち上がった。
(やっぱり、何かおかしい……)
入ってからどれくらい進んだだろうか。シロップも見つからない、魔物もいない大きな木ばかり続く中、ずっと黙っていたサキが突然呟いた。ここは僕にとっては初めて入る森。どこがどうおかしいのかがわからない。
「……おかしいの?」
(足元……この森は綺麗過ぎるわ)
僕は辺りを見渡すが、こんな暗い森をお世辞でも綺麗とは呼べない。
「綺麗には見えないけど……?」
(普通、森は管理されていない場所のはずだわ。それなのに辺りを見渡しても木の枝と葉っぱがまばらにあるだけで魔物の死骸も落ちていない)
「つまり、誰も住んでいない……? でもーー」
(そんなことはない。さっき魔物の声はした。といなると……ここは危ないわ!)
「危ないの? でもまだシロップは!」
(もういいでしょ! 他の物にしなさい! 命には変えられない……死んだら何も出来ないわ!)
サクッサクッサクッ――
「この音は……?」
葉っぱを踏む音だ。僕の足音ではない。
(逃げて。ゆっくりと。音を立てないようにーー)
「嫌だ。僕は逃げないよ。準備!」
僕は歩みを進める。何も知らずに森に入ったわけじゃない。覚悟を決めてここに来たんだ。それなら、この先にある求めているものを手にするまではーー帰るわけにはいかない。
(シ、シロップなんか美味しくないわ……だから、ね? 帰りましょう? ここまでしてほしいなんてレナちゃんも思っていないわ。それに……もうわがままなんて言わないから……)
「それもダメだよ。だって僕は――」
確かに短い期間しか一緒にいなかったけど、それでも色々あった。驚いた事もあった。残念だった事もあった。
「自然なサキといるときが一番楽しかったから。今のサキは、やっぱり何かが違うよ。これまで通りの元気なサキともう一度会うためなら……ダメだとしても僕はーー命を懸ける……!」
(私のため、なの……?)
僕は走りだす。更に奥へ、奥へと。
足音でこちらに気づいたのか段々足音が大きくなりーー遂に足音の主が遂にその姿を現した。
その身体は高さだけで大人と並び、全身が銀色で覆われ、毛の先の部分だけが黒く染まっている。その口から覗かせる白い牙と黒い眼を鋭く光らせ、今にもこちらを餌にしようと睨みつけているようだった。
「オオカミ…………!」
全身の震えを感じる。怖いのだ。本で読み、話で聞いた目の前の獣が。
(あれは……間違いない。伝心狼ね)
「伝心狼……?」
(その名前の通り、伝心っていう特別な力で声を出さずに離れた仲間と会話出来るの。だから仲間を呼んでじきに増える。つまり、私達に勝ち目はないわ――)
「そんな……!」
もう出会ってしまったのに勝ち目がないと断言されても困る。どうすれば勝つ事が出来るか考えなくてはーー
(落ち着いて。伝心狼がいるということは、ここは恐らくーーティマルスの土地よ。人も近くにいる可能性が高いわ)
「ここがティマルス……?」
ティマルス地方ーーつまり、普段僕達が暮らしているメイジステン地方からはみ出してしまったらしい。
(ええ、森を大切にする魔物と並獣族の土地。彼らがここで暮らしているから、森が綺麗に清掃されていたというわけね)
「つまり、その並獣族の人と話せれば……!」
伝心狼は魔物であるため会話する事が出来ない。しかしティマルスで暮らす民族ーー並獣族なら別だ。理由を話せば、見逃してくれるかも知れない。
(可能性はあるわ。それまで粘って! 対話前提だから、相手も傷つけないように!)
サキが指示を出してくれる。
「サキ……! ありがとう」
(言葉は後! 今は行動で示しなさい!)
『言葉は後』サキはそう言った。諦めたわけではなく、生きて帰る。僕はそういう風に受け取った。サキが一緒に戦ってくれる。改めてその頼もしさを感じる。
「ガルルルル……グガァ!」
様子を窺っていた伝心狼が、こちらに飛びかかってくる。僕はそれを躱す。その爪は空を切った。
「グヴォウ!!」
その低い声で僕が振り向き、その姿を見たときには、伝心狼は押し潰すためか前脚を持ち上げていた。
「障壁!」
(下がって!)
落ちている木片と土を繋げて盾を作り、攻撃を防ごうとするも、その盾は狼の爪の勢いと重さに耐えきれずに突き破られる。なんの抵抗もなく裂かれたローブの裾を見て、助言がなかったらと思うとゾッとする。
僕が距離を取るとやつも後ずさりをして低く構えた。
「くっ……!」
こちらの動きがついていけていない。避ける度にタイミングを詰められる。もっと強化に魔力を回さなくてはーー
「グルルルル……」
そう唸り、こちらの様子を伺っているようだ。
「もしかして今、例の伝心でーー」
(会話しているかもね)
「もっときつくなるか……準備!」
強化に更に魔力を回す。これで対応するしかない。
「グヴオオォォ!」
大きな声で吠えながらこちらに向かって走ってくる。これまでよりも更に速く迫ってくる。その攻撃を何とか避けると後ろにあった木を噛み砕いた。
「ゔぅ……!」
大きな音を立てて木が倒れ、その風と地鳴りの衝撃が僕を襲う。目を開けると既に爪が目の前まで来ていた。
「ぐわああ! ゔっ……!」
爪に切り裂かれ、吹っ飛ばされた後に木にぶつかった。ぶつかる角度が悪かったのか激痛が走り、倒れ込んだ後にすぐには立ち上がれない。
(レノン!? 大丈夫!? 私が見るから、とにかく前を向いて!)
サキの声が聞こえる。言われた通りに前を向く。
「グヴオオォォ!!」
こちらを向き、大きな声で吠える。かなり怒っているようだ。そして強く地面を踏みしめながらこちらに向かってくる。息を吐いた後、裂かれた肩に手を当てる。
「傷癒し……!」
「グルル……ヴァオオオオン!!」
魔法を唱えた瞬間高らかに吠え、もう一度僕に向かって突進してくる。そして動く僕を見て飛び上がった。
(飛び込んで!)
やつが飛び上がったその下をくぐるように回避する。
「グルゥ……ッ!」
膝をついて起き上がって体勢を整える。すると既に噛みつこうと牙が目の前にまで迫っていたがーー
「あれ……?」
狼は急に横に逸れるように大きく跳躍した。
(ーーレノン! 後ろ!)
何事かと思って後ろを見ると矢が目の前にまで迫っていた。とっさに避けようとするも、気づくのが遅かった。肩に突き刺さる。
「うあっ……!」
肩に激痛が走る。驚いていたら、僕の体は即座に伝心狼の足に押しつけられた。
動こうとしても体に力が入らない。されるがままだ。逃げる事が許されない中、木の奥から更に二匹の狼が姿を現し、僕を囲んだ。




