102話 ハクの気持ち
ーー私は一度捨てられた事がある。
親に捨てられたわけではない。親は私の目の前で惨殺されたからだ。当時の私は子どもだと思われたのだろう。私は拾われて奴隷となった。
商人に捨てられたわけではない。私は商品としての役目を果たしたからだ。檻の中では同僚達に痛めつけられて顔に傷を負ったが、捨てられる前に買われた。
だとするならば、そう。私はご主人様に捨てられたのだ。あの日の事は、今でも鮮明に覚えている。
「お前の役目は終わった。もう不要だ」
ある日ご主人様はそう言った。それに対して私は、まだできる事はあると、最期まで居させてほしいと、捨てるなら殺してほしいとまで言った。縋る程には、信頼していた。
だが、そのどれもが叶わなかった。私は捨てられた。その後すぐ拾われる事になったが、今でもそれが人生で一番大きな傷となっている。
だから私は、嫌う。嫌いな人に捨てられるのであればそれは解放だろう。メイジスを嫌いになる理由も、剣族を嫌いになる理由もあるがーー
だから私は、嫌う。嫌いたい。嫌わなくてはならない。こんなだから、誰かに信頼を寄せたところで、どうせまた捨てられるのだろう。
だから捨てられた時に軽傷で済ますために、こっちから嫌ってやったのだ。だからどんな言葉を吐いたとしても、私は悔やんだりしないのだ。だからどんな顔をされたとしても、私は痛くないのだ。
◆
次の日、採血の時ハクと会う。そのときに僕は聞いた。
「ハクさん。昨日、セレーナさんから話を聞きました」
「そう。なんて言っていたのかしら。怒っていたでしょう?」
ハクは目を閉じてさも当然そうなるだろうという顔で言った。
「怒っていませんよ。ただ、心配していました。話しかけられたとき、どう思ったのだろうと、とても気に病んでいました」
「……ふん。触らなくて良いものにわざわざ触りに行くからそうなるのよ。良い勉強になったでしょうって伝えておいて」
(ハクちゃん……セレーナは悪い人じゃないのに……)
ハクの言葉にサキも辛そうに呟く。だが、ここで諦めてはいられない。
「伝えませんよ。僕はここで話を終わりにしたくありません。ハクさんがどうしてそんな事を言うのかを僕が理解するまで、この話は終わらせません」
「あなたには分からないわ。私とあなたでは、感じ方や考え方が全く異なるのだから。事実を確認する事はできても、そこまで。理解にまで至る事はない」
「色々違うかもしれませんが、そんな事はないはずです!」
ハクは作業をやめて立ち上がる。
「根拠もなく適当な事を言わないで。そもそもあなたと話しているのだってサキがいるからよ。そうでもなければ……サキを利用して、思い上がらないで!」
(ハクちゃん……でも……ハクちゃんは……)
沈黙の時が過ぎる。加えて何か言おうとしたが、僕の顔を見て止めたようだった。
言っている事が乖離している。そう感じた。だって彼女はサキの気持ちを察せる人だからだ。サキだったら一緒に戦いたいだろうと考えて力を引き出す手伝いをしてくれる程の人だからだ。今の自分に対して、サキが是を述べるわけがないと、気付いているに決まっている。
「ハクさん。それは嘘です。嘘だと分かっている以上、それは僕には通用しませんーーそれではあなたを嫌えない」
「……なんでそう思うの? あなたが嫌うかどうかじゃなくて、私が嫌うかどうかでしょ」
そうですよと僕は応答する。
「だったらーー」
「だからそんな事言わなくても良いんです。わざわざ本当に思っている気持ちに嘘をついてまで、壁を作る必要なんてないんです」
「……なんでそんなに私に構うの……? あなた達にとって私は、勝つための道具を作れるから必要な存在。物ができたら用済み。二度と会う事はない。そうでしょ? それなのになんで……?」
ハクは相手から見た自分など、道具が出来た後は価値がない。そう思っている。また矛盾している。一緒に戦っているからと本人から言ったばかりなのにーー
「違いますよ。僕とハクさんは友達なんです。きっかけはサキの知り合いだったからですが、今はもう友達です。こうして一緒にいるだけで楽しいですし、嬉しいんです。道具を受け取り終わっても、サキがこの体と分かれたとしてもーーもう友達だから、ハクさんがそう思っている限り価値と意味を生み出し続けるんです! あと、帽子を作った自分も僕と一緒に戦っているっていったじゃないですか!」
「……でも、一度でも私と話したら、もう私と話したいなんて思うわけない。私は口が悪いから、話していたら嫌な気持ちにさせるもの。それに汚く下品だし……」
ハクは意地から子どものように呟く。
「そんなことないですよ。僕と話しているのを見ていたら分かっちゃいますから。ハクさんが本当は優しい人だってことがーー」
「よくもそんな事を本人の前で堂々と……私には真似できないわ。でも、あなたが言うなら……一度くらいなら顔を立ててあげても良いけど?」
僕の顔をチラッと見ながら言った。
「ありがとうございます! セレーナさんもとっても喜んでくれると思います!」
「でも、訓練が終わってからね」
「勿論です。訓練もハクさんのお陰でやる気満々ですから」
そして訓練終了後ーー
「……ねえ、セレーナ」
ハクは呟くように名前を呼んだ。
「はい! 昨日はすみませんでした!」
謝るセレーナ。
「今日もこの後お茶会するの……?」
「は、はい。ゼクシムも混ぜてやる予定です」
「ゼクシムは……まあ良いか。知り合いみたいなものだし。私は居たら迷惑ーーじゃなくて……コホン。その……中に入っても、良いかしら?」
(ハクちゃん!)
サキは嬉しそうに名前を呼んだ。
「ーーはい! 是非!! お茶淹れるので座って寛いでいて下さいね」
「そんなに気を遣わなくても……」
「心が弾むんです。どうかさせて下さい」
「大丈夫ですよ。ハクさんーー僕は師匠呼んできても良いですか?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう、レノン」
僕は師匠を呼びに行った。この感じだと僕がいない内に話したいこともあるだろうから。
「昨日はごめんなさい。酷いこと言ったわ」
ハクはまず最初に謝った。
「仕方ないですよ。メイジスで、騎士ですから。いきなり話しかけられたら怖いと思います。私ったらレノンくんからハクさんの話を聞いていたから、親しくなった気で話しかけてしまったんです」
「それでも……ごめんなさい。あなた達のことを悪く見過ぎていたの。メイジスだから、用が済んだら捨てられるし、関わるだけ無駄だって」
ハクはゆっくりと自分の気持ちを吐き出した。
「これまでの苦労、私などでは計り知れないものとは思いつつ、お察し致しますーーあと内密にお願いしたいのですが、アメリア陛下、今後ともハクさんと関わっていきたいと仰ってましたよ」
「前までの姿勢を変えるつもりもなかったのよ。私の選択で、今までこの生活を選び続けていたの。だから私ができる話なんてそれこそ、これまで作ったものや、ギンの生態くらいしかないわ。あなた達が普段の生活で気にしているものなんかーーそれこそ、お茶まで用意してもらっているのに、お茶菓子一つ出せないのだから」
「それなら、簡易的ですが、是非経験なさってください。そろそろ着くはずですしーー」
「着くって、何が?」
「すまない。待たせたな」
師匠は到着と同時に言った。
「ゼクシム……? どういうこと?」
「俺が菓子を作る」
「えっ……あなたそんな器用だったの? というかそういう事に興味ある人だったの?」
「昔はーーそれこそ前にお前と会った時はなかった。だが、覚えたんだ。遅過ぎたが、彼女の記憶を辿るように。いざ再会出来たら、喜んでもらえるようにと」
「ーーよくもまあのうのうと、サキの訃報を聞いた時はそう言ったけど、あなたも空いた穴を埋めるのに必死だったのね……」
「だがこうして、披露する機会も、役に立つ機会も得た。活かさない機会はないだろうーー魔法で作る。手間も時間もかからない。この通りだ」
ケーキが、頭上に現れ、回転する。そして切り分けられ、さらに置かれる。僕のだけ色が違う。
「見事ね。サキも嬉しいでしょ」
(ええ! 早く食べたいわ!)
「早く食べたいって言っています」
ハクはケーキが切り分けられる様を見て言った。
「それじゃあいただきましょうか」
みんなでいただきますを言ってケーキを口に運んだ。
「甘いわ」
(とっても美味しいわ!)
ハクは呟くように言った。まさかあの甘さのまま他の人にも出したのですか。
「口に合わなかったか? 普通の人に出す分は大分食べられるように調整したのだが……」
「いいえ、美味しいわ。食べ慣れていないから、ちょっとびっくりしただけ」
「今度はリューナで本場のものをいただきにいきましょうね! 無理にとは言いませんが……」
セレーナがの言葉に対してハクは頷いた。それが嬉しかったようで、セレーナは太陽のような笑顔になった。
「なるほどーー確かにあなた達は、いつまでもここには居られないわね」
ハクはそう言うと、
「私は今ここでメイジステンに連れて行ってなんて、心からは言えないわ。でも、あなた達はここに居てはダメね。取り戻さないと。私も色々手を尽くしてみようと思うわ。次の会議に私も呼んで。私の視点で、何か知っている事があれば話すわ」
「ありがとうございます! ハクさんがいてくれるならとても心強いです!」
セレーナはこれ以上ないくらいに嬉しそうに言った。
「怪我を覚悟で剣を振るうことだけが戦いではないわ。勝利の術を探すところから戦いは始まっているのよ。正直リューナ=イヴォルの女王と顔を突き合わせるのは気が滅入るけど……その、まあ……今後リューナを歩く可能性が欠片でもあるなら、顔を売っておくのも悪くないでしょ」
「ありがとうございます! 一緒に戦いましょう!」
セレーナは言葉だけではなく、握手を求め、ハクはぎこちなく応じた。
「今日は戻るわ。少しやりたいことが思いついたからーーまた機会があれば誘って。それじゃあ、これで」
「あの、ハクさんが席を立つのを止める程じゃないんですけど言わせてください」
僕にみんなの視線が集中する。
「僕の分だけ甘さおかしくないですか!?」
それを聞いて事情を知っているみんなは大笑いをした。笑顔のハクを見れて僕は言った価値があったなと思った。
それじゃあ、今度こそと言って部屋を後にした。
「喜んでもらえましたかね」
「顔を見ればわかるだろう」
「良かった……」
安心したようでセレーナは胸を撫で下ろした。
◆
ハクは自分の部屋に戻り、扉を閉める。
「楽しかった……のでしょうね。あの頃を思い出すーーいや、あっちはこんな感じじゃなかった。あの頃も、気の持ちようでこんな感じになれたのかしらね」
一息つく。
「いまはそんなこと考えている場合じゃないわね」
そして、目を瞑って扉を開く。
「おお? こんな時間にどうした? ふーむ、進捗は問題ないって前に伝えたはず。つまり……そっちの事情か?」
学者の帽子を取って個性が減った男が言った。
「話が早くて助かるわ。前に話した炎の珠。核となる対メイジステン魔法部分と魔力吸収の部品は五つ分全部作ったから、今は二個できていると思う対凍結魔法部分と外枠を、一日分早く作ってほしいの。あと、それでもって私は急いでやらないといけない事ができたから本当に申し訳ないんだけど……勿論通常業務の生産を止めてもらって構わないわ」
「良いぜ良いぜ。だけどよ。そりゃ親方殿が作るって話じゃなかったのか?」
「私は親方殿じゃないから。でも確かにそう言ったのは事実よ。でも、魔女の法衣を作るのに時間を割きたいから」
「レノンがレックと戦うのを認めたってわけか。まあ、あんたは俺の命の恩人、それ即ちアムドガルドの恩人ってわけだ。勿論聞くぜ。アムドガルドの至宝様の為にこの腕自慢の鍛冶屋をここに集めたんだからよ」
剣族の男は両腕を広げて言った。
「至宝じゃないし、アムドガルドの民になったつもりもないわ。というか私、国に売られて、買われた身なんだけど。アムドガルドの王様が言うには皮肉が効きすぎてないかしら?」
「いやいやちょっと待った。その頃は俺ただの学者で王関係ないから」
「ふふっ、冗談よ。これからも仲良くするつもりでいるわ」
「随分機嫌良いな。そんなにサキちゃんに会えたのが嬉しいのか? それだけじゃないよな?」
「聞き分けが良くて安心しているのよ。それじゃあ、あなたはあなたの目的のために頑張りなさい。過去と未来のアムドガルド王、クーちゃん」
ハクは目を閉じて扉を開き、去っていった。
「あんな目をしたのは初めてかもしれない。アムドガルドの至宝の為に、こりゃ頑張りますかねぇーー野郎共! 計画変更だ! 親方を助けられるぞ!」
「うい!」
工場で働く男達は、クーリィの言葉に返事をした。




