10話 我欲に甘くて甘味も欲しくて
朝の仕事を終えたら、今日も外に出て魔法の練習をした。勿論、魔法の本を読んで。そのような日々を続けて何日か経った――
「火炎弾!」
炎を球体にして『火炎砲』より分散させずに威力を上げたものを発射音と共に遠くへ飛ばす。炎の弾は目標の場所まで届かずに消えてしまった。
(まだ炎の弾のイメージが足りないわ。イメージがうやむやで、しっかり魔力を込められてないから外側だけみたいなのが出来るのよ。だから飛ばしてる途中で魔力が消費されて、届かずに消えちゃうーー形だけの弾の大きさで誤魔化しちゃダメ。中まで炎をしっかりを詰めるようなイメージで撃って!)
「そうだね。わかった。もっと意識してみるよ」
的確なアドバイスを受け、僕は再びイメージをする。ただの球体ではなく中まで炎たっぷりのーー
「火炎弾!」
炎の弾が遠くまで飛んでいく。目標としている土の盾に当たり、ボンと音を鳴らす。
(そう! よく出来たわね。私の言う通りにすればもっと上達出来るわ!)
嬉しそうに、そして自慢気にサキはそう言った。
「ありがとう。その通りだね。でも――」
僕は感謝の言葉を述べつつも、敢えて間を空ける。
(でも……?)
彼女は聞き直す。続きの言葉を待っているようだ。
「それ、全部本に書いてあったことだけどね」
彼女の教え方がいきなり超絶上手くなったわけでは全くもってない。ただ書いてある文字を覚え、同じような事を繰り返しているだけなのだ。ただ、これは才能なのかもしれない。記憶力は抜群に良かった。
(た、正しいことを言っていれば良いのよ! 教える人だって誰かから教わったことや、本で読んでいることを教えている場合がほとんどなんだから!)
そう言い張る少女はずっと自分が先生だと主張している。
「それもそうだね。盾を作ってそれに当てる方法を考えたのもサキだしね。一人だった時を考えれば、結構充実しているよ」
(そうでしょそうでしょ。ふふん、もっと頼りにしてくれちゃっても良いのよ? さあ、続きやりましょう)
最初にサキの教え方を聞いたときは残念だった。しかし、本を読んで、一緒に考えて、それを実践して、という風にやる事で少しずつだが着実に魔法は上達している。今は彼女も本を読んで協力してくれているし、何よりこうして練習していて楽しかった。
「ーーもう空が赤くなり始めている。こっちの練習もしなきゃ」
僕は空を見て言った。ローブの袖を捲り、腕を出す。
「発火」
そして自分の手に火をつけた。火はすぐ消えるが、火傷が残る。
「傷癒し」
その手を自らの魔法で治す。師匠とやっていた練習だ。
(よくやるわね……その練習。こっちは見てて痛々しいわ)
「魔法の基礎は癒す事と守ることだって散々師匠から教わったからね。それにやっぱり、基礎を疎かにしたら強くなれないから――風刃……痛っ!」
さっき練習したのとは別の魔法を唱えてみる。小さな風の刃が手に傷を残していく。思ったより痛く、血が出た。
(あっ! もう……制御するのが慣れていない魔法を使うからよ。この練習では戦闘用魔法は止めて、生活用魔法だけにしておきなさい)
「うん。そうだね。傷癒しーー」
サキと話しながらそれを繰り返している。傷を治す魔法は傷ついてないと上手くいっているのかがわからないのだ。
(世のメイジスに聞かせてあげたいわ。私の弟子なんて『誰かがかけてくれるからー』なんて言って全然治癒魔法の練習しなかったし。確かに好きって言ってた攻撃するのはその分覚えが良かったけど)
「サキの弟子か……何人いたの?」
僕はダメだったけど、あの教え方で何人がついてこられたのか、とても興味深い。
(一人だけよ。本当は弟子なんて取るつもりなかったし。色々あったのよ)
「その人凄いなぁ……会ってみたいなぁーー今はどこに住んでいるの?」
(うーん……わからないわ。会ってからは基本私と一緒にいたから、その後どこに行ったかなんて想像もつかないし。知っていれば会いに行くのもありだったのにね)
「そっかーー傷癒しっと」
その人や師匠がどこにいるかわかれば近道だったのに。そう思いながらも自らの手を治した後、立ち上がる。
「さて、と……そろそろ宿屋に戻ろうか」
(そうね。今日は何のスープが出るかしらね)
「仕事しに戻るんだからね?」
(うん、レノンはね。でも私は見てるだけで退屈だしー)
「……サキは仕事なくて良いよね」
(私はしっかり魔法の先生の仕事してるもん! それにレノンが仕事してるとき私は一人ぼっち……レノンは仕事中もレナちゃんとか他の仲間とも仲良く話してるのにずるいわ)
「仕方ないじゃんか。声に出さないとサキと話せないんだから」
(仕事終わったらすぐに寝るくせにー! 毎日何時間も真っ暗で、寝息ばっか聞いてる私の気持ちなんか考えた事ないくせに!)
「そう言われたって、僕だって毎日全力なんだよ。疲れて当たり前じゃないか!」
(私だって……! 私だって本当は色々な人と色々な話がしたいのにー! レノンだけずるい! 自分勝手! つまんなーい!!)
高い声が頭に響く。僕に効くとわかっているのか何かあったらすぐこれだ。この身体で彼女と生活するのも大分慣れてきたとはいえはっきり言ってこれはしんどい。
「あー……もう! わかった! わかったよ。終わった後に話を聞くからさ。仕事の時間に話題を考えておいてくれないかな?」
(うん、わかった。じゃあお仕事頑張ってね!)
素直で単純なのがまだ救いだが、今日も寝る時間が削られる、そう思うと今でさえ疲れているのにと気が重くなった。そんな中、ため息を吐くのも我慢をし、門をくぐって都市の中に入った。
(あれ何? なんだかいつもより凄いわ!)
宿屋に向かって歩いていると普段とは違う風景が目に留まった。遠目から見てもわかる人だかり。賑わう声。日が暮れるこの時間ならどの商人も売り切るための割引セールをするし、それを狙う客もいる。だが、今回は何やら雰囲気が違うようだった。
「うーん、わからない。何かのセールじゃないかな?」
歩む足を止めないままそう答える。歓声のような盛り上がりを見るに困り事ではなさそうだし、もう日は暮れているんだ。野次馬をして遅れましたなんて言ったらどうなるかわからない。
(何かしら? 面白いものかも……ねぇレノン、行ってみましょうよ!)
「遅れちゃうよ? 怒られるの嫌って、サキも言ってたじゃないか」
僕が仕事を手早くこなせずに怒られるとサキは、『レノンがしっかりしないから私も怒られる』と言う。勿論彼女は怒られているわけではないのだが、こっちに向かって怒りを向けられると、他人事だと割り切れないようだ。そして、僕は何故か一つの事で二回も怒られている。
(見るだけ、なんで集まってるかを確認するだけだから。それならほら、その後全力で走れば帳消しにできるはずよ!)
そんな無茶苦茶な……そう思いつつも僕の足は人だかりに向かっていた。
「次はこうはいかないからね?」
(うん、わかってるわかってる。ありがとう!)
彼女に貸しを作ったようなことを言って念を押すが、本当は僕も気になって仕方がなかったのだ。
近づくとガヤガヤという声も聞き分けられるようになってきた。
「私にも頂戴! 二つ!」
「まだ残ってるわよね!? 次は私に!」
入り乱れる声の主は女の人が多いようだ。その人達はひたすら手を伸ばす。どうやら何か買おうとしているらしい。
「お客様大盛況で大繁盛! ありがとうございます。ありがとうございます! こちら今日手に入れるならこの店限定! あまーいあまーいティマルスシロップでございます。お客様に出来るだけ早くお届けするために! 独自のルートで手に入れた一品です。夕方からの販売ですが、売っているのはこの店だけでございます! 大盛況につき、そろそろ品薄状態となっていますーーお買い上げ、ありがとうございます。ありがとうございます。買うなら今! 銀貨二枚での販売でございます。今でなければこの甘さ、手に入らないですよ?」
凄い声を張って商人が宣伝しているのが聞こえる。それを言い終わると同時に更に客の熱も高まる。僕はその勢いに圧倒されるだけだ。
(レノン! シロップだって! 欲しい! 久し振りに食べたい!!)
どうやらここにも熱狂に巻き込まれたお客様がいたようだ。
「シロップねぇ……食べた事ないけど、高いよ…………そんなに美味しいものなの?」
(甘いの! 美味しいの! 塩辛いだけの肉野菜じゃ得られない美味しさなの! 買いましょう! 銀貨なら今持ってるでしょ!)
「このお金は騎士見習いになるためのお金だからダメ。騎士見習いになったらね」
(今じゃなきゃ買えないって言ってるもん! ティマルスからの移入品だから次いつ入るかわかんないの! つまり今しか買えないの! 塩胡椒ばっかでつまんない! 私は甘いものがまた食べたいのー! ねえ、だからお願い!)
またこれだ。もう忘れたか、すぐこれだ。今まではちょっと僕が頑張れば彼女も満足して丸く収まる程度だったが、今回は違う。今僕はご厚意に甘えているから生活できているだけで、お金を稼ぐのがどれだけ大変なのかは十分に理解させられた。それなのに嗜好品に使うお金なんてあるはずがない。
「そんなものに出すお金はないよ。いつもはサキのわがままを聞いてあげてるけど、今回はお金が関わるから絶対に買わないからねーー人だかりの原因はわかったからもう行くよ?」
(わがままって言っても本当に美味しいんだもん! 味だけが私の楽しみなの! ねぇ、だからお願いってばー!)
今度ばかりは負けてなるものか。サキの引き止めも無視して走り始める。今なら何とか怒られずに済むだろうか。無理矢理頭を切り替えて宿屋に飛び込んだ。
「すみません! 遅れました!」
「おっ、来たね来たね。待ってたよレノンくん」
「客も料理も待ってるよ! 今いるだけじゃ手が回ってないから、早く運んでおくれ!」
「はい! 流水ーーっと」
僕は急いで水で手につく土などの汚れを取り、料理を客の元に運ぶ仕事に移る。
「そんなに遅れてないよ。レノンくんがいつも早すぎるだけだし」
レナは僕にそう声をかけてくれた。
「そうかな? でも泊めてもらってるからそれくらいじゃなきゃね」
「ところでどこ寄ってたの? なんか面白いことあった?」
興味を持った、という風に僕の顔を覗き込む。最初は接し方がわからずに困ったが、慣れるととても話しやすい人だ。
「ティマルスシロップってわかる? それを買うために人だかりが出来ていて、気になって見てきちゃった」
「シロップかー。また食べたいなーー行くよ!」
レナの合図で僕達はそれぞれ料理を運ぶために散り散りになる。彼女はマリアから怒られないギリギリのタイミングを見極める能力を養っているらしい。
「お待たせしました。猪のスパイシーステーキです」
「おー! 今日はガッツリ肉だな!」
大柄の男達は喜びの声を上げた。
「今日は僕が猪を狩ってこれたので、今日は皆に出すって言って、買い足してくれたんです」
「なんだよ坊主、やれば出来るじゃねぇか!」
「追加料金無しで肉食わしてくれるなら男でも良いかー!」
「ハハハハハハ!!」
大きな笑いが起こる。最初の頃と比べると、僕も認められてもらえて嬉しかった。
「レノン! 俺にも肉くれー!」
「はい! すぐ行きます!」
そして何より喜ぶ姿を見る事が嬉しかった。
(ふんだ。私の必死のお願いも、どうせ話のネタよ。買おうともしないくせに……)
サキはあれからまだ拗ねているが、相手にする事もできず、どうしようもない。客と接していて相手が気分良く盛り上がっている中、水を差すように独り言など言えるはずもない。失礼しますと言って下がり、次の客に運ぶ。
ーーこれを繰り返し、一通り忙しい時間も過ぎた。
「おーい、レノンくーん!」
今日運ぶ食べ物は配り終え、裏に下がって休もうとしたときにレナに呼ばれる。客も一緒だが、明るい雰囲気で揉め事ではないようだ。
「どうしたの?」
「おめえかシロップ野郎はあああ!!」
いきなり大声で叫ばれて驚く。勿論初日よりは慣れた。慣れたくはなかったが、慣れた。
「シロップ野郎って……なんです?」
「お客さん出来上がっているみたいだから許してあげてね。シロップの話題になってね、この人も人だかりを見たって言うから話が合うかなって」
「お前はシロップ食べたことあるか?」
「いや、実はないんですよ……村から出てから日が浅いものでーー」
「私はありますよ。小さい頃ですけどね。甘いってこういう事を言うのかって感じでした。果実じゃ得られない甘さですねあれはー。また食べたいなー」
「でも高いです。銀貨二枚ですら、今の僕にはそう易々と出せません……食べてみたいとは思いますけど…………」
「嬢ちゃん! 向こうの客が待ってるからよ。そっち行ってくれや。嬢ちゃんを独り占めとか次の仕事のときはぶられちまう。俺はこいつで我慢するからよ。他所盛り上げてくれや」
「そう? わかった。また今度ねー!」
レナはその場を離れ、僕と客のおじさんだけになった。
「まあ、お前も席に座れよ」
「あっ、はい」
促されるままに席に座る。絶対に愚痴だ。しかもこれは長くなるパターンだ。そう思いながらもこれも仕事だと覚悟を決めて臨む。
「お前もさっき言ったけどよお……あれ高えよなあ…………」
「本当にそう思います。安くならないんですかね?」
「無理だ。ティマルスのだし、商人のやつらは俺らが直接手に入らないってわかっていて内でグルしてるからよ。値段上げ放題でもどうしようもねぇってんだ。はぁ……来月は小遣いが減る。もしかしたら食卓に並ぶ肉も減るかもしれねえんだ」
「ーーどういうことですか?」
今までの愚痴とは雰囲気の差を察する。続く言葉を待つ。
「買うんだよ。家のもーー」
「ああ、なるほど……」
僕は状況をなんとなく理解した。
「あんなのただ甘いだけの嗜好品だろ!? なんでそんなもののために俺の金が減らなきゃならねえんだ?」
「止めさせることはできないんですか? やっぱりせがまれるんですか?」
「出来ねぇ……家を休む場所にするにはな。疲れて帰ってきた後に戦えねえよ。さすがに上さんにも鍋にも弓は引けねえしよお……鍋と杖はーー凶器だぜ」
「…………それはもう、災難ですね」
僕がそう言った途端、机を強く叩き大きな音が鳴る。
「こんなん飲まなきゃやってけねえよなあ! 酒持ってこい!」
「はい! お持ちしますので、少しの間だけお待ちくださいね」
酒は嗜好品ではないのだろうか。そう思いもしたが、勿論口にはせずに運んでくる。
「お待たせしました」
無言で酒を受け取り、一気に飲み干す。
「カァーッ美味い!」
一言そう叫ぶと笑顔になった。僕もそれを見て一安心した。
「ところでよお、お前……嬢ちゃんとはどうなんだよ?」
「どう……ですか? 恐らくお客様が見たまんまの関係ですよ」
朝から夜遅くまで基本外に出ていて忙しく、寝なければ明日に響くため、仕事中以外はほとんど話す時間などない。幸いレナが、僕の表情が堅い時に話しかけてくれるので、助かっている。
どこかに遊びに行く事もないし、仕事場で見たまんまの関係だろう。
「ほおん……正直だな」
「嘘言ってもしょうがないじゃないですか」
「ならよ。シロップを渡してやれよ」
確かに日頃から良くしてもらっている分の感謝の気持ちとして何か渡したいと思うことはある。でも懇願して働かせてもらってお金をもらう立場で余計にお金は使えないという現実があるのだ。
「と言いましても……無理言ってここで働かせてもらうほどにお金ないですし……」
その言葉を聞いたおじさんがニヤッと笑った。
「東の森へ行け」
「東の森……?」
「ああ、そうだ。ここから東へずっと進むと森がある。そこの森の奥にシロップが取れる木があるんだ」
「ーー本当ですか?」
「ああ本当だ。実は俺も若い頃に興味と贈り物をしたい欲から採りにいった事がある。その結果今はこうして愚痴を言うことになったが、それとこれとは別だ。上手くやってこうならないようにすれば良いだけだ」
「……でも森って見張りしている人とかいないんですか?」
「いないと言っちゃあ嘘になるな…………でもよ、わざわざ危険な森に行く人なんていない。ここだけの話だが、見張りの騎士見習いは仕事放って遊んでるって話だぜ?」
「……ほ、本当ですか?」
それは職業に騎士とついている誇りや責任はどうなのだろうかと思いつつも聞く。
「ああ、仕事をしなくとも報酬が出るとキャンセル待ちで多くの騎士見習いが狙ってるって噂を最近聞いたぞ。で、どうなんだよ。行くのか? 行かないのか?」
「教えてくれてありがとうございます。僕、行ってみます!」
すぐにそう言った。もしも見張りがいたとしても適当に言い訳して戻って来れば良い。
「おお、即答とはなーーそれでこそ男だ! ハハハッ!」
そう言って大きな手で僕の背中を叩き、立ち上がった。
「金はここに置いてくぞ。じゃあな坊主、良い結果、期待してるからな」
「はい! ではまたお越しください!」
上機嫌に笑っておじさんは家に帰っていった。
「よし、これならきっと……!」
そう小さく呟いた後、続けて仕事をこなした。
「サキ、お待たせ。約束通り、考えてくれてた?」
仕事が終わり寝支度を済ませた僕はこの身体の中にいる少女に話しかける。
「あれ? サキ……? 聞こえてないの?」
僕が声をかけるも返事をしない。
(…………気が変わったわ。もう話さなくて良いから早く寝なさい)
あのサキがそんな事を言ったのは少し驚いたがーー待ち切れないから明日すぐ東の森に行ってほしいという事なのかもしれない。
「わかった。おやすみなさい」
それに対してもサキは何も言わなかったが、眠かったので考えるのはやめにして眠りについた。




